night-news.moe-nifty.com > 20041024_根津神社

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江戸時代、根津権現の門前には遊郭があった。その当時、幕府公認の遊里は吉原だけで、他は岡場所と呼ばれた。岡場所は、こうした神社の門前に多く、市ヶ谷八幡前、麹町の平河天神前、神田明神前、そしてこの根津権現前である。この時代は、神社のような神聖なる場所と「そうした場所」がペアでワンセットになっていた。

「そうした場所」と神聖なる場所がセットになっていたという大変興味深い話の考察は別の機会に書くとして、なぜ、江戸にはそれだけ「そうした場所」が多かったのか。江戸は、シングルの男が多かったからである。商家の奉公人、職人の見習いなど、地方からの流入人口が江戸は多かった。だから、遊郭が栄えた。

明治になって、根津権現前の岡場所がなくなったのは、本郷に東京帝大ができたからである。「そうした場所」は、風紀上好ましくないとされた。神社の前にあるのはオッケーであったが、大学の前にあるのは宜しくなかった。つまり、明治の頃の大学は、神社以上に聖なる場所であった。

以上、シバリョーの『街道をゆく37 本郷界隈』による。

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