October 23, 2016

南京事件を否定する人々

 前回、いわゆる「南京大虐殺」について書いた。産経新聞等が、いかにこれを認めたくなかろうが、あったことはあったと述べた。

 翌日の日曜日(19日)の産経新聞は、またもや虐殺はなかった記事が載っていた。どれどれと読んでみると、産経を代表とする「大虐殺はなかった」派の論調の特徴が出ていて大変興味深いものであった。

 この記事は、昨年10月、日本テレビ系で放送された「南京事件 兵士たちの遺言」というドキュメンタリー番組について書かれており、私はこの番組はテレビ放送時は見ていないが、後にネットで見た。この番組の制作した記者が、この時の調査過程やその後の追加調査などが加えられて書籍化された『「南京事件」を調査せよ』清水潔著(文藝春秋)を読んだことから、私はこの番組のことを知った。

 この本は、結局、あの時、南京でなにが起きたのかということについて、現存する資料を手がかりに知ろうとした試みである。政府や軍部の公式文書は、その多くが処分され、紛失、改竄されている現状で中で、何があったのかということについて、こうした「試み」が必要なのである。

 本来であれば、戦後、日本政府がしかるべき費用と人員をかけて、「公的に」こうした「試み」を行っていれば、今、ネトウヨとかが「南京大虐殺はなかった」とか言うこともなく、また中国から日本の歴史認識についてあれこれ言われることはなかったのである。

 産経は、「数少ない船を奪い合った末の同士打ちや多くの溺死者があったことが中国側の公式資料から分かる。」と述べている。もちろん、同士打ちや溺死、戦死した中国兵もいたであろう。その一方で、日本軍により殺害された中国民間人もいただろう。産経は、全員が「同士打ちや溺死、戦死した中国兵」だというのであろうか。

 産経は「『南京』をめぐる中国共産党のデマとプロパガンダを示すものだ」と述べている。もちろん、中国共産党によるデマやプロパガンダは存在する。しかしながら、それではデマやプロパガンダではない、「あの時になにが起きたのか」について説得力のある主張をしているのかというと、これがない。

 さすがに捕虜の殺害そのものを否定することはできないからか、「暴れる捕虜にやむなく発砲」したのだとしている。産経の記事はこう書いている。

「16日の揚子江岸での処刑対象は宿舎への計画的な放火に関与した捕虜だった。17日は第65連隊長、両角業作(もろずみ・ぎょうさく)の指示で、揚子江南岸から対岸に舟で渡して解放しようとしたところ、北岸の中国兵が発砲。これを日本軍が自分たちを殺害するための銃声だと勘違いして混乱した約2千人の捕虜が暴れ始めたため日本側もやむなく銃を用いた。」

 つまり、放火に関与したから処刑した、解放しようとしたら混乱したので銃殺したのだとしている。もちろん、そうしたこともあったであろう。しかしながら、このことは、その一方で無抵抗の民間人を殺害したこともあったことを否定する根拠にはならない。

「番組は「…といわれています」「これが南京で撮られたものならば…」といったナレーションを多用。断定は避けながらも、“捕虜銃殺”を強く印象付けた。」

と番組を批判している。そして、これを「中国の謀略宣伝のやり方と酷似している」と述べている。 しかしながら、産経のこの記事事態が、「こう言っているが、これはコレコレだったかもしれない」という論調であり、いわゆる「南京大虐殺」を全面的に否定できる論理になっていない。その意味では、中国の謀略宣伝と同じレベルであり、いわば、やましいことをがあるから、そんなことを言っているとしか思われないものになっている。

 ようするに、多少は民間人の殺害や略奪行為はあったかもしれないが、事件と呼ばれる程の規模のものではなく、ましてや戦争においてそうしたことは当然であり、取り立てて騒ぐことでない、という結論に産経はしたいのであろう。

 この態度そのものが、国際常識から著しく外れ、アジア諸国から反感を買っていることがわからないのであろうか。南京事件を否定する人々は、良い日本人もいれば悪い日本人もいた、悪い日本人もいれば良い日本人もいた、という複合的な視点の歴史認識ができない人たちなのである。

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August 21, 2016

天皇の「生前退位」

 「天皇」をどう考えるのかということは、ややこしい。

 遠い昔、日本列島の西の九州地方にあった、とある王権の族長として考えるか、後の日本列島の本州全域にまでを支配下においた大和朝廷の王として考えるか、12世紀に鎌倉に武家の政権ができた以降、もうひとつの公家の権威の代表者として考えるか、あるいは明治以後の大日本帝国の国体そのものであり、国家神道の祭司として考えるかで大きく違ってくる。さらに言えば、戦後の日本国憲法での象徴天皇としての存在もある。

 今回の天皇の発言は、ご高齢により天皇の職務を果たすことができなくなったので、その職責から離れたいということである。我々日本国民の多くは臣下の日本国民は、天皇の発言をしごくもっともな話であると受け止め、退位することになんの異議を感じてはない。ところが、法律ではそうしたことは想定していないので、法律を変えなくてならないということでもめている。「生前退位」を認めたくない人々がいる。

 おおざっぱに言えば、明治以前の二千年近くの年月の時代の天皇と、明治以後の百数十年の年月の時代の天皇は根本的に違っていると言えるだろう。明治以前であれば、天皇は退位しようと思えば、退位ができ、上皇になるのが当然のことであった。しかしながら、明治以後の天皇はそうしたことがカンタンに通る存在ではなくなった。存在ではなくなったというか、そういう存在にしたのが明治政府であった。

 徳川幕府を天皇の権威をもって滅ばした者たちは、政治が天皇の権威を利用することの威力を十分過ぎる程良く理解していた。徳川幕府を創設した徳川家康も、このことは知っており、幕藩体制の中に天皇を置いてきたのであるが、明治政府はそれ以上に、天皇を完全に政府の管理下に置くシステムを作った。天皇を徹頭徹尾、政治的、かつ宗教的な「記号」とし「機関」としたのである。その意味で、美濃部達吉の天皇機関説は正しかったと言えるだろう。

 戦後の日本もまた、基本的に明治政府が作った天皇のあり方を継承している。GHQの占領下にあった昭和21年に、昭和天皇はいわゆる「人間宣言」を行ったが、日本国民にとって、天皇が実際のカミではないことは、ある種当たり前のことであったので、これはなんの意味もなかった。GHQは天皇が自分はカミではないと言えば、天皇をカミとすることはなくなると思ったのであろう。これは唯一神の文化では正しいが、日本のカミ観念はそうしたものではない。GHQは、この本質を理解していかなった。

 しかしこのことは、つまり、天皇その人の自由意思では、天皇であることも、天皇でなくなることも、どうにもならないということを表している。今回の天皇のご発言は、天皇は自由意思を持つことができるのかということを政府と国民に問いかけたという、日本史上、かつてなかった初めてのことなのだ。

 今回のご発言では、摂政をおくことはしないと言われた。天皇を退位したいと言われたのである。今上天皇の退位とは、皇太子の天皇即位を意味する。そして、次の皇位継承者は、現在の内親王になるということになる。つまり、女性天皇になるということである。この女性天皇に親王ができたとしても、この親王は女系天皇になるということになる。今回のご発言があってもなくても、これは直面する問題であったが、ご発言により、この問題がいっそうの現実さをもって現れることになった。

 歴史上、天皇は男系が継承してきた。もちろん、女性天皇はあったが、その子が天皇になることはなかった。ただし、一部例外はある。飛鳥から奈良時代にかけて、女性天皇の娘が天皇になったことはあった。しかし、これは中継ぎのようなものとして考えることができるだろう。基本、男系が可能であったのは、いうまでもなく子供の数が多かったからであり、つまりは一夫一妻制ではなかったからである。しかしながら、だからといって皇室に複数の皇后や中宮をおくことは、今の時代では不可能である。

 では、宮家の男子から皇位継承者をつれてくるとどうなるであろうか。皇室においては、公開される情報は統制されているが、宮家は一般市民となんら変わりはない。今の世の中は、大衆ネット社会である。宮家から誰それという男性皇位継承者をつれてきても、その者のこれまでの素行や言動が調べられて、その情報はネットですぐに広がるであろう。そうなると、天皇の権威は成り立たなくなる。

 江戸時代、日本人の大多数は、京の天皇というものをあまり知らなかった。知らなくても、別に困ることでもなんでもなかった。天皇制を日本全国、津々浦々、植民地である台湾、朝鮮に至るまで普及させたのは明治政府である。さらに、天皇その人と国体を同一のものとしたのは、昭和戦前期の政府であり軍部である。もともと、鎌倉に武家の政権ができて以来、天皇は京都の、あるいは西日本の権威であり、それ以上のものでなかった。尊皇思想が日本全体を覆うものになったのは、ある歴史的な過程がある。その時代は過ぎ去った。

 上皇もあり得るように皇室典範を改正するのが、自然の流れであると思う。

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June 12, 2016

オバマの広島訪問

 5月27日、アメリカのオバマ大統領は広島市の平和記念公園で原爆死没者慰霊碑に献花し、現職のアメリカ大統領が初めて被爆地・広島を訪問した。

 この広島でのオバマのスピーチが高く評価されているが、歴史に正面から向かい合うという観点から見れば、曖昧でぼかした内容だったと思う。この「曖昧でぼかした内容」にせざる得なかったということはよくわかるのであるが、この「せざる得なかった」というところに、結局、チェコの首都プラハで、核なき世界を提唱したオバマは、その政権下において、核兵器の削減なり廃絶なりの道を開くことができなかったということの原因がある。オバマ個人としては、原爆投下を謝罪すべきだと思っていたであろうし、今の世界の核兵器は即刻廃絶すべきだと思っているだろう。しかし、合衆国大統領としては、そうしたことはできなかったし、言えなかったのであろう。広島演説は、オバマの個人として、そして合衆国大統領としてのギリギリの妥協と葛藤の産物だったのだろうと思う。

 どこをどう考えても、二度に渡る日本への原爆投下は不必要なことだった。大日本帝国は、原爆投下があったから無条件降伏を受け入れたわけではない。アイゼンハワーもチェスター・ニミッツも、日本への原爆投下は必要なしと考えていた。もともと、原爆開発の目的は、ドイツが原子爆弾の開発に成功するかもしれないという間違った情報をもとに、ナチス・ドイツに対抗するためにアメリカは原爆開発に踏み切った。ドイツが降伏し、ヒトラーがいなくなったら、原子爆弾など無用になるはずであった。ところが、原子爆弾の開発に成功し、核兵器所有国になったアメリカは、国際社会、特にソ連に対して、その存在をアピールする政治的な意図があった。このために、広島と長崎に原爆が投下された。

 ただし、これも、その存在をアピールする政治的な意図があるとしたのも政治家の判断である。ルーズベルト大統領の副大統領がトルーマンではなくヘンリー・ウォレスであったならば、そのような判断することはなかったであろう。つまり、軍事作戦的な意味においても、政治的な意味においても、日本への原爆投下は不要なことであった。何度も強調するが、どこをどう考えても、二度に渡る日本への原爆投下は不必要なことだったのである。

 しかしながら、70年たった今日においても、アメリカの世論は原爆投下を間違っていたとは思っていない。原爆投下を間違っていたとは思っていないのは、アメリカ国内における教育がそのように教えているからであるが、その背景として、ふたつの理由があると思う。ひとつは核兵器を特別なものとは思わず、通常兵器のひとつ、もしくはその延長戦上のものとしてしか思っていないからだ。核兵器の破壊力の規模を認識することができていないのだ。このことは、被爆国の日本人ですら、核兵器の破壊力を「わかっている」わけではなく、「わかっている」のは、おそらくあの日の広島、長崎の人々や、戦後、第五福竜丸など核実験の被害を受けた人々なのだろう。さらに言えば、現在の核兵器の破壊力は、70年前のそれを遙かに超えるものになっている。核兵器は、その破壊力があまりにもすさまじいため、その破壊規模は人の想像力を超えるものがある。日本の場合、かろうじて「被爆国である」ということぐらいで、なんとか他の国とは受けとめ方が少し違うぐらいだ。しかも、日本国内でもそれも世代が変わり今日では薄れつつある。

 もうひとつの理由は、核兵器は、正しい意味での軍事兵器として扱われていないからである。今日、核兵器を最も多く所有しているのは、アメリカとロシアであるが、その数は双方とも5000発を超える。5000発を超える核兵器を持つ必要などどこにもなく、もはや軍事的合理性を欠いたものになっている。これはあまりにもバカバカしいことなので、双方とも例えば100発程度にしましょう。そういう会話すらなされないのは、もはや異常といってもいいだろう。この異常を異常と思わないようにしているのが軍産複合体だ。

 我々は核兵器という技術をもったことによって、正しい意味での軍事とはなにかということを考える能力を失ってしまった。核兵器があればなんとかなる、核兵器を使えば勝つことができる、相手が核兵器を持っているのだから、我々も核兵器を持つ必要がある、相手より数多くの核兵器を持たなくては自国の安全が保てない、等々の意識が、必要限度の軍事力を持つという判断での「限度」の枠をなくしてしまった。核兵器は、軍事合理性という論理の枠の中ではなく、人々の感情と資本主義の手の中にある。

 オバマの広島演説が語りかけた相手は「人類」であった。しかし、核兵器を所有しているのは人類ではなく、ある特定の国々である。具体的に言えば、ロシア、アメリカ、フランス、中国、イギリス、イスラエル、パキスタン、そしてインドであり、さらにここに北朝鮮が加わろうとしている。人類という規模の話ではない。核兵器は、いまだかつて一度も戦争の兵器としてではなく、その誕生の時から政治的意図で使われ、その後も政治と軍産複合体の手に委ねられてきた。この核兵器を人々の感情と軍産複合体の手から放し、軍事合理性の論理の枠に入れる必要がある。軍事合理性から考えて、これほどの数の核兵器を持つ必要があるのか、さらに言えば、そもそも、このグローバルな時代に我々は核戦争をするのか、核兵器を持つ必要があるのだろうかと考えていくことが必要なのだ。

 この先、核兵器の小型化は一段と進み、核兵器はさらに拡散するだろう。今後、テロ集団が核兵器を持つ可能性は高い。そうしたことについてどう対処するのか。こうしたことの方がもっと重要だ。

 かつてトルーマンは、核兵器を政治の愚かさもとに置き、そして使用した。オバマはそれを政治の理性のもとに置くべきだとしたのが広島演説だったのだと思う。

 もう1点、オバマの広島訪問について述べておきたいことがある。

 今回のオバマの広島訪問について、日本側が謝罪を求めなかったことが、今回の広島訪問の「成功」だったとする意見がある。謝罪を求めないことが、国家としての慎みと品格がある姿であり、謝罪を求めるのは、かたくなで意固地な態度をとっている連中なのであるとする風潮が、今のこの国にはある。ようするに、中国・韓国は品格卑しく疎ましいとする感情である。自国の歴史に正しく向き合わなくては、なにひとつ始まらないことはアメリカも日本も同じだ。

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May 25, 2014

『天の血脈』

 安彦良和の『天の血脈』を読んでいる。現在、コミックスの第三巻まで出ている。僕はマンガ雑誌を読んでいないので、マンガは本屋にコミックスで出るものでしか買わない。『天の血脈』は第一巻が出た時に本屋で手に取って少し立ち読みをした。なんか満州辺りに石碑の調査に行く話のようで、その後、これがなにかつなながるような話だった。

 なにしろ安彦さんの作品である。『虹色のトロツキー』や『王道の狗』や『ナムジ』や『神武』や『蚤の王』や『ヤマトタケル』の安彦さんの作品である。コミックス1巻だけで読むのもなんなので、とりあえずもう何巻か出たらまとめて買おうと思って、そのままとした。それからしばらく経った先日、本屋で第二巻、第三巻と出ていることを知って、もうそろそろいいかなと思い、まとめて三巻を買って読んだ。

 時代的に言うと『王道の狗』は秩父事件から日清戦争、『虹色のトロツキー』が昭和初期からノモンハン事件までとするのならば、『天の血脈』はその間を埋めるものになっている。この時期は大変重要な時期だと思う。この時期に何がどう起こったのかでその後の日本の歴史は決まり、そのことが今日まで続いていると言ってもよいだろう。

 『天の血脈』は、一高と東京帝大の合同調査隊が高句麗の第19代の王である好太王の業績を称えた石碑を調査しに行くことから始まる。この石碑の碑文には、4世紀に倭が百残・加羅・新羅を破り支配したという意味の句があるとされた。このことは『古事記』『日本書紀』にある神功皇后が海を越えて新羅、百済、高句麗を支配したという記述とつながり、つまり大日本帝国の朝鮮侵略のイデオロギーを補完するものになった。

 ちなみに、今日ではこの神功皇后による新羅、百済、高句麗の征服、いわゆる三韓征伐は、神功皇后の実在性も含めて史実として確証されていない。征伐といっても、なにを持って「征伐」というのか。今日的な意味でいう軍事侵略や支配とは同じものではないだろう。この三韓征伐については、これはこれで別に詳しく調べてみたい。

 大変興味深いのは、この物語に内田良平が出てくることだ。アジア主義者、黒龍会主幹の内田良平は辛亥革命に関わり、インド、フィリピンの独立運動に関わり、そして朝鮮の日韓併合に関わった極めて重要な人物である。この人が何を考えていたのかということについて大変興味がある。

 ようするに日韓併合とは一体何だったのかという疑問がある。もっと大きく言うと、この時代、日本人は朝鮮をどのように思っていたのだろうかということだ。

 1910年(明治43年)、大日本帝国は朝鮮を併合した。カンタンに言うと日本は朝鮮を植民地にした。しかしながら、例えば1583年(嘉永6年)に浦賀にペリー艦隊が来た時の日本人は、将来、この国が朝鮮を植民地にするようになるとは思ってもいなかった。幕末の知識人たちが考えていたことは、アジア諸国が連携して西洋列強の侵略に対抗するということだった。その意識が明治維新後、アジア主義になる。数多くの人々がアジア主義を持って海を渡った。インドやビルマ(ミャンマー)やフィリピンや朝鮮や中国の独立を求め活躍した。アジア主義が意図するものはアジアへの侵略ではない。そのことは否定できない事実である。

 朝鮮について言えば、朝鮮の独立を本気で望んでいた日本人は数多くいた。日本と共同して朝鮮を独立国家にしようとした朝鮮の人々も数多くいた。何度も言うが、そのことは否定できない歴史の事実だ。ある一点の角度から見れば、本来の日韓の近代史は今の我々が知るものではなかった。日本と韓国はもっと違うお互いの関係を持つことができたはずだった。

 それがなぜこうなってしまったのか。ここのところがはっきりしていないから、21世紀になっても慰安婦や日本軍の残虐行為を正当化する声が後を絶たないのだ。アジア主義であったはずの日本はアジアを裏切ったと言われてもしかたがないであろう。それはなぜだったのだろうか。福沢諭吉の『脱亜論』にあるように「悪友を謝絶」したくなった気持ちはわからないでもない。また当時の世界情勢はアジア主義の理想が通るものではなかったということもわかる。しかし、その上でなお釈然としないものがある。なぜ、この国はこんな近代史を歩んだのだろうか。その「歩み」は今もなお続いているのではないか。

 安彦良和は『王道の狗』において、日清戦争で日本はすでに朝鮮と中国への侵略の意図があったとしている。日本がというのが言い過ぎであれば、陸奥宗光や川上操六は、であろう。しかし、陸奥は外務大臣、川上が軍人であって、彼らの意志がイコール大日本帝国の意志ではない(日清戦争の段階では)。では、『虹色のトロツキー』ではもはや軍事行動として当然のことになっている近代日本の総体の意志としてのアジア侵略はいつ、どのようにして始まったのだろうか。その意志の源はどこにあるとするのか。明治の話と古代の神功皇后の三韓征伐の話が交互して進む物語になっている『天の血脈』でその間を埋めて欲しい。

 第三巻では日露戦争勃発の前である。日韓併合まで話しが進むのかどうかは今はわからないが、今後の進展が楽しみだ。

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November 24, 2013

安重根

 1909年、ハルビンで伊藤博文を暗殺した安重根は犯罪者であったのかと言えば、確かに犯罪者であったろう。暗殺がいいのか悪いのかで言えば、いいわけがない。日本国としては安重根は犯罪者であったと言わざるを得ない。安重根は犯罪者であった、以上、終わり、で話しが終わるのも当然であろう。

 11月20日の産経新聞の産経抄では、それで話は終わらずに、例によって例の如く韓国を小馬鹿にしたことが書いてある。

「(明治)42年、統監を辞したばかりの伊藤博文は、ハルビン駅頭で安重根の凶弾に倒れた。歴史に「もし」はないが、併合に批判的だった彼が健在だったならば、その後の日韓関係はもっと違った風景になっていたはずである。そんな犯罪者をたたえる石碑をハルビン駅に建立しようという計画が、中韓両国で進んでいる。」

 確かに伊藤博文は日韓併合に批判的だった。その伊藤を暗殺した韓国人はいかに愚かしいかのように書いてある。では、本当に伊藤博文の暗殺がなければ日韓併合はなかったとでも言うのであろうか。

 これを歴史の理解として考える場合、あの時代の朝鮮の抗日感情を考える必要がある。

 つまりは、幕末の攘夷のようなものだ。例えば、当の暗殺された側の伊藤博文もまた若い頃は英国公使館を焼き討ちなどをしたりして、犯罪者やテロリストと呼ばれてもおかしくないようなことをやってきた。安重根は犯罪者でありテロリストであったように、若い頃の伊藤博文もまた犯罪者でありテロリストであった。伊藤博文だけではない。数多くの志士たちが、みなそうであった。

 その攘夷の感情と同じようなものを、朝鮮の人々も感じていたかもしれないと思う程度の想像力もないのだろうか。100年たってもこの国の韓国(朝鮮)認識は変わっていないようだ。

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October 24, 2013

中国や朝鮮に愛される日本皇軍であったとでも言いたいのか

 このところ産経新聞が「河野談話」の根拠調査がずさんだったという報道を頻繁に報じている。

 産経新聞としては、なにがなんでも強制連行によるいわゆる「従軍慰安婦」はなかったということにしたいらしい。このブログで何度も述べているが、終戦直後、軍は連合軍からの戦争犯罪の糾弾を恐れて、自分たちに都合の悪い公式書類をどんどん廃棄した。また、今日残る資料もなぜか非公開になっているものが数多くあり、すべてが公開されているわけではない。こうした状況で、きちんとした証拠を出せ、出せないのならばそんなことはなかったとするという感覚が私にはさっぱり理解できない。ようするに、自国の誤りを認めたくないのであろう。

 かつて日本は「従軍慰安婦」どころか、もっと大規模の数の朝鮮の人々を強制的に連行し炭鉱や土木作業といった危険な重労働を強いていた、このことについては明確な「しょうこ」とか「こうしきしょるい」はきちんと残っているのだが、そうしたことについての言及がないのはなぜなのかと思う。「従軍慰安婦」は強制連行ではなかったけど、炭鉱での労働は強制連行であったことは十分認めています、朝鮮のみなさんに対して深く反省と謝罪をするものでありますとでも言うのであろうか。

 そもそも日本が近代史において朝鮮半島で行ってきた数多くの残虐行為に対して、その後世の者としてどのように考えているのか。そうした根本的なことが「河野談話」を否定する人々に見られない、感じられないのである。彼らは中国や韓国に対して「反日」「反日」とやかましく言っているが、日本が中国や朝鮮に過去に行ってきたことを省みれば、今の中国や韓国が「反日」になるのは当然である。日本人は中国や韓国の「反日」は当然のことだと思うように、まずアタマを切り替える必要がある。

 例えば、日清戦争の発端ともいうべき朝鮮半島での東学党の乱への日本軍の対応は抹殺であった。大本営命令により、ことごとく殺戮である。戦場で殺すか、あるいは捕らえて片っ端から処刑していった。大量虐殺であった。しかしながら、このことは陸軍参謀本部の『日清戦史』では記載されていないという。こうした公になっていない、まだ広く知られていない、歴史の教科書には載っていない様々な日本人の残虐行為が数多くあり、日本が朝鮮半島でなにを行ったのかについての全体的な像は今だ明確になっていない。

 仮にだ、仮に強制連行による「従軍慰安婦」はなかった、「河野談話」は間違いでした訂正します、で、それでなにがどうなるというのだろうか。何度も繰り返すが、それで日本が近代史において朝鮮半島で行ってきた残虐行為の事実が消え去るとでも言うのだろうか。「従軍慰安婦」なんてなかったんだからから、朝鮮に謝罪するつもりは一切ない!とでも言いたいのであろうか。さらに言えば、偉大なる大日本帝国の皇軍には一点のやましいこともない!中国や朝鮮のみなさんに愛される大日本帝国陸海軍でした、とでも言いたいのであろうか。

 「とでも言いたいのであろうか」と今書いたけど、産経新聞は本気でそう思っているんだろうなと思う。中国や朝鮮のみなさんに愛される大日本帝国陸海軍であった、であって欲しい、というのが彼らの願いなのだ。だからこそ、彼らにとって「河野談話」は許し難いものに見えるのであろう。

 世界的なリーダーシップを発揮する人材を多く出すようになり、自動者や家電やスマホで日本企業を大きく凌駕し始めた韓国とこれからどのように対応するのか、近代の日本が朝鮮に対してなにを行ってきたのか、などいったことはどうでもよくて、ようは韓国が「従軍慰安婦」でキーキー言ってくるので戦前の日本人のように「朝鮮人、黙れ!」と一喝したいだけなのであろう。すべての罪は河野洋平にあり、河野洋平が談話をひっこめれば、それで自分たちの気分はすっきりする。だたそれだけなのだ。これが強制連行はないとか言っている人々の姿だ。

 朴槿惠大統領の反日言動は、確かに韓国の自滅外交であるが、だからということで、これ幸いとばかりに日本側は韓国が自滅するのをただ待っているだけになっていないだろうか。これまでの日韓の歴史紛争は、韓国の側からうるさく言われていることに、日本側は受け身で場当たり的に対応するだけであった。

 そして今、韓国の自滅外交を喜んで、自分たちは鎖国を続けている、これが今の日本だ。これ自体が韓国に対して弱小国になってしまった今の日本を表している。こうした時期であるからこそ、日本側から歴史問題も含めた21世紀の日韓関係のグランド・デザインを韓国にぶつける必要がある。朴槿惠が日本を相手にしないのではなく、朴槿惠が日本を相手にせざる得なくするのである。朴槿惠がどうだからではなく、朴槿惠がどうであろうと、日本が東アジアの未来を仕切るのだという気概がなくてはならない。

 本当の意味で韓国に勝つとは、そうした外交力、国力を日本が持つことなのである。韓国が「従軍慰安婦」をやかましく言ってくる本当の原因は、強制連行があったか、ないかではなく、日本の国力が低下したからだ。日本が韓国よりも強い国であれば、そうした問題は自然に消滅する。枝葉末節にとらわれず、日韓関係を大きな視点で見なくてはならない。

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May 27, 2013

『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』

 NHKのBS世界のドキュメンタリーで5月から一ヶ月に数回に分けて放送している映画監督オリバー・ストーンと歴史学者ピーター・カズニックが作った『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』は、かなり衝撃的な内容であった。

 第二次世界大戦での日本への原爆の投下は必要なかったということについては、日本では当然のことであるが、日本からアメリカに問題提起をしたことがない。これはこれで考えるべきことだろう。

 重要なのはこの時、トルーマンは、不必要な日本の脅威を煽り、原爆投下の正当性を作ったということだ。今日、第二次世界大戦は「良い戦争」であるかように思われているが、この戦争の始まりはイギリスの世界資源の支配の野望が大きく関わっている。ナチスを壊滅させたのは英米ではなくロシアであった。

 このドキュメンタリーは、ここから始まる。

 このドキュメンタリーの最も興味深い論点は、米ソ冷戦はアメリカが作った虚像だったということだ。この番組ははっきりと、冷戦を始めたのはトルーマンであったと述べている。ルーズベルトはスターリンを信頼できる相手としていた。ルーズベルトの副大統領のヘンリー・ウォレスは、アメリカがイギリスのような帝国主義国になるべきではないと考えていた。彼は、ソ連と友好的な関係を築き、アメリカが世界の警察になるかのようなパックス・アメリカーナなど望んでもいなかった。ソ連もまたアメリカとの対立を望んではいなかった。

 しかしながら、ルーズベルトが亡くなり、そして第二次世界大戦が終わり、トルーマンとCIAと国務省がソ連の脅威と核戦争の恐怖を煽り立て、米ソ冷戦をでっち上げた。その路線は、その後のアイゼンハワー、ケネディの初期、ジョンソン、ニクソンへと受け継がれ、ベトナム戦争の泥沼へと至る。

 来月6月は、レーガンの中南米への政策やブッシュ・シニア、クリントン、ブッシュの中近東の政策がいかに愚かしいものであったか、そして、オバマがいかに間違ったことを行っているかを描く。オバマによるパキスタンでの無人機による攻撃は一般市民を殺害している。そうした行為がアメリカへの憎悪をもたらし、テロ犯罪を生んでいる。この悪循環を断つべきだ。

 ありもしない軍事脅威を煽り立て、アメリカの正義を掲げる人々は、今の世の中にもいる。中国について、中東について、彼らは我々を攻撃しようとしている、我々は対抗しなければならないと声高く叫び、結果的にはそれが数多くの殺戮や悲劇を生み、憎悪を招き、市民の自由を奪っている。その姿は、かつてトルーマンが原爆投下の正当性を作った時と少しも変わっていない。

 19世紀末以後、今日に至るまで、対外恐怖症でありながら拡張主義的な野心を持つ、世界で最も危険な国はアメリカである。しかし、それはヘンリー・ウォレスやケネディのアメリカではない。彼らの理念は消し去られ、今もアメリカは愚かしい外交と軍事政策を続けている。『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』はそのことを教えてくれる。

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April 28, 2012

『平清盛』の視聴率が低いこと

 NHK大河ドラマ『平清盛』の視聴率が低いという。「NHK大河 視聴率11.3%  清盛 苦戦」(東京新聞)

 そもそも視聴率を気にしなくて番組放送ができるのがNHKの強みであったはずなのだけど、テレビ番組である以上、どうしても視聴者の反応を気にしなくてはならないのかと思う。

 上記の東京新聞の記事にはこうある。

「批判的な意見をまとめると、こうなる。

・これまでの清盛像と違いすぎる違和感

・話の助走が長く、主人公がスカッと活躍しないモヤモヤ感

・登場人物が多く、とくに朝廷や貴族の関係が複雑

・映像が暗くて汚い印象

 これらをNHKの磯智明チーフプロデューサーにぶつけると、同局に寄せられた投書やメールにも同じような指摘があった。だが、そうしたマイナス評価の根拠は、逆に高い評価の理由にもなっているという。例えば「人物が多彩で面白い」「映像がリアルだ」-などという評価だ。」

 僕もこうしたマイナス評価部分が、逆にこの番組を気にいっている点になっている。これまでに清盛像と違うことに興味を感じた。この時代の知識は高校の日本史で習った程度のことしか知らないので、改めていろいろと本を読んでみると「こうだったのか!」と思うことばかりだ。

 「こうだったのか!」ということは「なんかよくわからん」と対になっていて、今のところ僕のこの時代についての理解は「なんかよくわからん」の状態にある。

 歴史というのは、過去に起こった出来事の理解である。しかも、現代のように記録がしっかりとした時代のことではなく、いわば断片的な情報しかない時代の理解である。従って、その解釈がいかようにできる。このへんが、理学や工学とは違う。しかしながら、いかようにも解釈ができる、では困るので、実証に基づいて考えていこうとするのが近代の歴史学である。

 ちなみに、高校の日本史は実に完結、単純にできていて、おもしろいものであるかどうかは別にして、ああいう歴史理解は、あれはあれでアリなんだと思う。しかし、あれが真実なのかというとそういうわけにはいかなくて、あくまでも高校の日本史程度の理解になる。

 で、高校の日本史程度の理解で、今回の『平清盛』を見てみると、とたんに「はあああ?」という感じになる。これまでの清盛像と違う、なんか話がスカッとしない、登場人物が多いし、しかも源のなんとかとか、平のなんとかとか、藤原のなんとかとは名字が同じでわからない。朝廷や貴族の関係が複雑。そしてなによりも画面が暗い、汚い。主役の顔も格好も汚い、みたいな感じになる。

 これらはもう、この通りというか。そういう時代だったとしか言いようがないんだけど。じゃあ、過去の大河ドラマの『平家物語』とか『義経』はそうだったかというと、そうではなかったわけで。今回の『平清盛』は別なんですと言うしかない。

 一般的に、ある物事を多数のみなさんに伝える時は、完結・単純に伝えなくては伝わらない。会社なりなんなりで行う説明やプレゼンでは、コレコレはこうです、と表現する。世間に数多くある「情報の伝え方」とか「プレゼンのしかた」なんか、みんなそうだ。しかしながら、『平清盛』のおもしろいところは、「なんかよくわからん」あの時代のあの出来事を、「なんかよくわからん」けど、番組を撮るということで決めなくてはならないので、とりあえずこうしました、みたいな試行錯誤がある。

 このスタイルは、きわめて基礎学問的だと思う。学問を学ぶということは、学んでいくことにより、これまで、こうだと思っていた考え方、概念がガラガラと崩れ去り、あとに残るのは「なんかよくわからん」という感覚だけになる。実際のところ「なんかよくわからん」ことが「わかる」ようになるのが「学ぶ」ということだと言えよう。

 逆に、このへんに視聴率が低い理由があるのだろう。プレゼンみたく、ビジュアルに、コレコレはこうです、と伝えなくては「伝わらない」のが今の時代なので、こうしたスタイルは今の世の中ではウケないだろうなと思う。

 『平清盛』には、実に数多くの歴史学のテーマが含まれている。藤原摂関家、院政、王家、武士の発生、軍事貴族、河内源氏、伊勢平氏、平家一門の勃興と没落、鎌倉幕府の成立、関東武士団、等々、どれもこれも、踏み込んでいくと奥が深い、日本史の「こうだったのか!」と「なんかよくわからん」状態がある。

 最近、僕はこうしたことについての本を読んでいるのだけど、大学の文学部史学科の学生さんになった気分で実に楽しい。

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April 15, 2012

平清盛について、また少し考えた

 清盛のすごいところは、800年前の時代にこれからは中国だと考えたことだ。これからは中国だって思ったって、具体的にどういうことかというと、それまで九州の太宰府などとかでそれなりにやっていた中国との交易を、もっと本格的にバンバンやっていこうとしたことだ。

 交易であるということは、当然のことながら、中国から文物を輸入すると共に、日本側からも「なにか」を輸出するということだ。中国側は随、唐という世界史に輝く大文明の時代は過ぎたとは言え、なにしろ大中華帝国である。日本にないもの、日本より優れているものは膨大にある。つまり、輸入品はある。山のようにある。

 では、日本側からの輸出品はどうか。なにしろ大中華帝国に対して、文化などペンペンたるものしかなかった日本に売れるものがあったのか。まず銀である。日本列島から大量の銀がとれたので、これで中国から文物を買っていた。それと一部の工芸品だった。日本刀とか高級美術品としての扇とかだった。

 ここで、うーむとワタシならば思う。工芸品が売れるのならば、それはそれでいい。ではもっとどおーんと工芸品を作るべきじゃあないか。ほそぼそとやっているんじゃなくて、もーインダストリーとしてばあーんとやっていくべきではないか。

 この「中国と商売をする」ということが政策の中心となったのならば、日本国内のさまざまな分野での改革・改善が必要になる。中国と日本を往復する船だって、当時の和船はとても遠洋航海ができるしろものではなかった。だから、中国の造船技術に学ぶことが必要だ。

 もーとにかく、なんでもかんでも、日本は中華文明圏のスタンダードに追いつくことが必要だ。朝廷は、東アジアの世界情勢の収集・分析ができなくてならん。役人も商人も、もっとどんどん中国に行かなくてはならん。東アジアの公用語は中国語だ。ボーダーレスな中華経済圏の中で、日本は大きく繁栄していこうじゃないか。

 これまでの王家と藤原摂関家と神社仏閣の勢力とか、なんかわけのわからん源氏及び東国武士団たちとか、ごちゃごちゃしたものは全部リセットするために福原に遷都する。そして、(今の時代のシンガポールみたいな)貿易立国に日本がなろう!!

 清盛がここまで考えていたかどうかはわからない。そして、仮に清盛がこうしたことを考えていたとして、あの時代にこれができたとは思えない。王家と藤原摂関家と神社仏閣の勢力とか、なんかわけのわからん源氏及び東国武士団たちとか、みんな一斉に反対したであろう。

 事実、そうなった。そして、清盛の夢は歴史から消されてしまった。

 後の世の『平家物語』を代表とする軍記物語では、清盛は悪の権力者としてしか書かれず、義経はヒーローとして描かれ、平家一門は武士なのに公家になって栄華に溺れ、滅びていった悲劇の一族としてしか日本人の心情に残らなくなった。

 それから、千年近くの年月がたった。

 今、僕たちは中国の勃興を前にしている。この時代に、平清盛がNHKの大河ドラマに出て来た意味は大きいと思う。

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March 04, 2012

たいらのきよもりについて、さらに考える

きよもり2

 平清盛っていうのは、日本の歴史を見る上でのキーポイントのひとつだと思う。実際のところ、僕たちには清盛ついてひとつのイメージとわかりにくさがある。

 ひとつのイメージとは、言うまでもなく「悪いヤツ」だったというものだ。ちなみに、中世における「悪」の言葉の意味は今日の意味とは少し違うけど、ここではその違いについて触れることなく、とりあえず今日の意味での「悪」の言葉を使おう。さて歴史上、旧来の秩序の破壊者として有名なのは信長であるが、清盛は信長のような旧来の秩序の破壊者のようなイメージほどでもなく、じゃあなんだったのかと思ってもよくわからず。とにかくなんか「悪いヤツ」だった、ということになっている。

 「悪いヤツ」だったというイメージの背景のひとつに、清盛は権力を取得し、娘を朝廷に嫁がせ、「平家にあらずんば人にあらず」という言葉があるように、平家一門は栄耀栄華を極めた、というものがある。しかし、権力を取得し、娘を朝廷に嫁がせ、一門は栄耀栄華を極めたというのは、先に前例がある。藤原道長だ。けれども、藤原道長には清盛のような悪人のイメージはない。この人もなんかよくわからんけど、従一位で太政大臣になった公家というイメージしかない。では、道長はどんな政治を行ったのかということついてはよく知らない。いや、もちろん、専門的に勉強すればわかるのだろうけど、一般的に言ってあまり知られていない。

 清盛については、なにをやったのかは、それなりによく知られている。厳島神社を造営し、都を福原に遷都させようとした、奈良の東大寺や興福寺などの寺院を焼討ちした等々。様々あるけど、これだけと言えばこれだけで。京都の貴族中心の社会から武士の政権の世の中へと社会を変革した人としては、清盛よりも実際に幕府を開いた源頼朝がその人とされている。清盛というのは、武士だったくせに公家化したヤツみたいなイメージなのである。

 ところが、である。

 こうした清盛=「悪いヤツ」は真実ではなく、後の時代が創作したものであるという見方がある。清盛=「悪いヤツ」は、誰にとって都合がいいのか。まず、なんと言っても平家から政権を奪った鎌倉幕府だ。繁栄を極めた平家が没落していくというイメージを強烈に植え付けたのは『平家物語』であるが、『平家物語』は鎌倉時代にできたものだ。その他の軍記物の『保元物語』や『平治物語』も鎌倉期にできた。当然のことながら、現政権に都合が悪いように書くことはできない。

 もうひとつ、清盛=「悪いヤツ」で都合がいいのは誰か。朝廷である。清盛は都を神戸に移そうとした。京都の公家が喜ぶわけはない。清盛は娘の子を安徳天皇とし、朝廷を混乱させた元凶の人物である。武家の世の先駆けとなった人物でもある。できることならば、歴史から抹殺したいであろうが、そういうわけにもいかないので、できることと言えば、後の世に到るまで「悪いヤツ」だったというイメージを残すことだ。

 かくて、清盛=「悪いヤツ」は、鎌倉幕府と朝廷によって創作された。それから800年たった後の時代にいる我々も、その創作の枠の中にいる。よく、歴史は歪曲されたりねつ造されたりすると言うが、源平時代もまたそうだったということになる。

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