写真を追加しました
ニューヨークでの写真を追加しました。
キャプションはまだです。
サンノゼ国際空港にいます。これから帰国します。
この空港はスタバはありますが、テーブルや椅子のスペースがありません。Hotspotはどこで使えるのだろうかと、とりあえず待合い場所でパソコンを開いてみたらつながりました。空港全体がHotspotになっているのかもしれません。
バークレーの映画館で『An Inconvenient Truth』をまた観た。4回目である。バークレーで観客はどのような反応を示すか見たかったということもある。なにしろ、2001年、アフガニスタンへのアメリカの報復爆撃に反対を示したカリフォルニア州バークレーである。
僕が見た映画館では、2つの上映ホールで上映していた。それだけ人が観に来るということなのだろう。チケット売り場で「アル・ゴア、一枚」と言ってみたら、普通に買えた。もはやこの映画は「アル・ゴア」そのものなのである。
ただ。この日は平日であったためか、それほど数多くの人が入っていなかった。ざっと見て、200人ぐらい座れる上映ホールで50人ぐらいであろうか。見る終わった後の反応も、ニューヨークのように拍手が出ることもなかった。夜の10:40開始の回だったので、それほど政治に関心がある人々が観に来ているわけではなかったのだろうか。観る人は、もう見てしまったのかも。
NYでよく見かける光景の一つで、学生らしき若者でマックを使っているのをよく見かけるということがある。
Barnes & Nobleという大手の本屋がある。ここの3階のカフェは、店内の本や雑誌が持ち込み自由になっている。そのためか、いつも混んでいて空いているテーブルがない。この4階のフロアーには、売り場の中に講演会用のスペースがあり、そこに椅子が数多く並んでいる。3階に座れるテーブルを確保できなかった人などは、この4階の講演会用の椅子に座るのである。もちろん、講演会などがやっていなければの話であるが。
この日、4階のずらりと並んだ椅子に、それなりの数のみなさんが座って本や雑誌を読んでいた。僕もその中の一人で、テーブルはなく椅子だけなので、自分に膝にパソコンを置いてキーを打っていた。そうこうしているうちに、ディスプレイに「これ以上使っていると自動的にデータをセーブして電源落とします」というメッセージが出てきて、無慈悲にもそれはその後すぐに実行されたのである。
「そうか、そうなのか」と、なにがそうなのかよくわかないが、とりあえず僕はそう思い。パソコンを閉じて、よっこいしょと椅子から立ち上がって、ふと壁の方を見てみると。なんと、壁の電源コンセントに電源ケーブルを入れて、Powerbookのキーボードを打っている大学生らしき女の子がそこにいたのである。
椅子が並んでいる場所と壁までは、2メートルぐらいの距離がある。つまり、この子は、まず壁際まで椅子を持って行って、そこに座り、壁の電源コンセントに電源ケーブルをえいとつないで、マックを開いてレポートらしきものを書いているということなのである。
なるほど、ここの電源を使うという手は僕も思いつかなかった。なにしろ、椅子が本来ある場所から少し離れているので、そうしたことをすると目立つのである。隠れてこっそり電気を使わしてもらいますというのではなく、かなり堂々とワタシは電気を使っていますということになるのである。
日本では、どうであろうか。日本では、店内に本を持ち込んでいいカフェがあるところはまず数少ないが、例えば、池袋のジュンク堂では店内に椅子があって、そこに座って本や雑誌を読むことができる。テーブルもある。例えばここで、壁の電源コンセントに電源ケーブルを差し込んでノートパソコンを使っているとどうなるだろうか。すぐに店の人がやってきて、やめさせられてしまうのではないか。それ以前に、他人の目を意識してしまうであろう。
この他人の目というのが、アメリカにあまりない。いや、ないことはないが、その基準が日本とは違っていると思う。日本人は、アメリカ人を自己中心だとか、すぐに自己を正当化するとか言うが、そもそも日本人の「世間」というものがアメリカにはないのである。社会に対する考え方が違うのだ。日本では、社会と個人、法律と個人の間に「世間」というものがある。例えば「カネ儲けをしてなにが悪いのか」というのは、法律に従っているのならば、社会的に見て咎められることではない。しかし、日本人の「世間」からは咎められる。アメリカで、法律や公共とは別の強制力のある集団的な価値観があるとしたら、それは宗教であろう。しかし、信仰は人それぞれであって、誰もが同じであるわけではない。
さて、Barnes & Nobleの電気タダ使用の女の子は多少周囲を気にしながらマックに向かって書き物に専念している。周囲の客も、よくある光景という感じで無関心である。店の従業員が本を整理でそばを通るのであるが、これもまた何も言わない。この本屋の経営者が見たらなにか言うかもしれないが、経営者がこんなところへ来ることはない。
店の電気を使っていいのかと言えば、いいとは誰も言わないであろう。しかしながら、だからと言って、それを咎めるような視線を彼女に送る者は誰もない。当たり前のよくある光景なのだろう。誰もうるさく言わない。誰もとやかく言わない。使うのならば、使えばという感じである。使ってイカンというのならば、「電気を使うのな」という張り紙を貼るか、法律で禁止して常時監視するしかない。
では、店の電気を無断使用していいのならば、パソコンとかいったさほどアンペアを必要としない電子機器ではなく、10アンペアとか20アンペアとか使う機械をつなげていいのかというと、当然のことながらそんなことは誰もやらない。法律とは張り紙で禁止していなくてもやらない。つまり、程度の問題なのだということだ。
日本人は、全員が規則を順守することを求める。その規則がなぜあるのかとか、その規則を守ることでなにがどうなるのかということを考えるよりも、とにかく「規則を順守する」というカタチにこだわる。しかしながら、アメリカ人は、とりたたて咎めることではないのならば、規則がどうのこうのとうるさく言わない。
もう一度、『An Inconvenient Truth』を観てきた。
最初に観た時は夜だった。実は、一日中歩き回っていたので疲れ果てていて、映画の3分の1は寝てしまったのだ。そこで、これはもう一度見なくてはならないと、気力・体力が十分にある昼間に再度見に行ったのである。
今度は、最初から最後まで気合いを入れてしっかりと観た。全部しっかりと観てみると、昨日感じたイメージとは少し違うことがわかった。これはかなり政治的な映画だなと思った。昨日の感じでは、ゴアが地球温暖化について教育・啓蒙する映画だと思っていた。しかし、重要なところを寝ていたようである。この映画は極めてアメリカの民主主義のプロセスを表しているものであった。
これはすごく良い映画ではないかと思い、ユニオンスクエアのBarnes & Nobleへ行って原作本を買ってきた。今回のこの旅行は、荷物がかさばるので本は買わない。買いたい本があったらメモしておいて、家に帰ったらアマゾンで買うと決めていたのであるが、その禁を破りこの本を買ってしまった。でまあ、コインランドリーで洗濯していたり(少しでも旅費を安く上げるために、涙ぐましい努力をしているのである)、Barnes & Nobleの4階の椅子が並んでいるところで座って読んだしてざっと一読してみると、この本は、映画のスクリプトというか、映画の中でのゴアが語っている言葉と、数本の短いエッセイを加筆した内容になっている。映画の中でのゴアのレクチャーで使用した図や写真が載っていて、映画の中でゴアがプレゼンしているシーンが頭の中に蘇るのである。ちなみに、ゴアはマックを使っていて、スライドショーのプレゼンもそれを使っている。Windowsでパワポなんて使っていないのである。
ゴアは、この映画の中で地球温暖化を無視する議会と政府を批判している。この映画を観て初めて知ったのあるが、アメリカの各都市は京都議定書に"批准"している。国際協定に都市でできるとは知らなかった。アメリカは連邦政府が京都議定書に反対しているのであって、各都市のレベルでは賛同しているのである。連邦政府とは、ブッシュ・チェイニーの大統領府と連邦議会である。連邦政府にとって、地球温暖化の事実は「Inconvenient」なのである。
この映画の最後のシーンでの、ゴアのレクチャーはもはやたんなるレクチャーではなく優れた政治家の演説だった。
CO2の排出量が世界最大の国はアメリカである。つまり、地球温暖化に関係している最大の国はアメリカである。そのアメリカが京都議定書に参加していない二つの国の一つなのである。ゴアはそう指摘する。そして、我々は今の現状を変えることができるのだとゴアは語る。ここでアメリカの独立革命から奴隷解放、女性の参政権、第二次世界大戦でのファシズム国家の打倒、アフロアメリカンの公民権、そしてアポロ計画での月到達について、ゴアはこう語る。"We landed on the Moon, one of the most inspiring examples of what we can do when we put our minds to it"と。
ゴアは原作本の中で、自分は全米の各地でスライドショーを行ってきているが、地球温暖化の事実を知らない人が多いと書いている。日本人以上に、アメリカ市民はマスコミの影響が強い。インターネットは独立したメディア的な内容を持っているが、テレビはまだ業界の支配が強い。
この映画は、日本人が見ても、ある意味当たり前の内容なのであるが、アメリカの一般市民が見ることで大きな意味を持つ。それはマイケル・ムーアの『華氏911』と同じだ。そして、アメリカの一般市民の世論はアメリカの政治を動かすこともある。「こともある」と書いたのは、おうおうにして世論とはマスコミの影響を受けるからである。だからこそ、マスコミとは別のルートのメディアが必要なのだ。『An Inconvenient Truth』とは、そうした映画なのである。この地球温暖化について、そんな事実はないとしているのが共和党である。共和党がなんと言おうと、この映画の中でゴアが語る地球環境の激変とCO2の上昇についての説明は否定できない。
だからこそ、この映画は極めて政治的だと思う。ゴアはこの映画の中で、地球温暖化対策は政治の問題でもなく科学の問題でもなくモラルの問題なのだと語っているが、モラルの問題であるが故に、モラルなき今の政治にとって政治問題なのである。
今度も映画の終わりで、たくさんの人が拍手をしていた。劇場内の売店で、アフリカ系のにーちゃんたちと会話する。「この映画はいい映画だ」と言うので、「うん、知っているよ。民主党支持なの?」と訪ねると、「支持政党はない、政治家はみんな腐っている」と言う。「でもゴアは違う。彼は正しい」と僕が言うと、「イエス、ゴアは違う」と言い、そこで僕が"I hate Bush!!"と言うと、そこからどおっと話が盛り上がってしまった。うーん、アンチブッシュは国境を越えた共通感覚なんですねえ。ゴアの奥さんのティッパーが彼らに人気があるのは意外だった。確かに、ヒラリーよりはティッパーの方がいい。このへんも、国境を越えた共通感覚なんですねえ。
上記の文章を書いた次の日、もう一度観てきた。結局、3日間毎日見て、合計3回観てしまった。それで原作本を買って読んでしまったのだから、この映画のためにNYに来たわけではないと書きながら、この映画のために来たようなものなってしまった。
無線LANが使えると、Googleマップが使える。これは便利。目的地の場所がわからなくなったら、Googleマップを使っています。これはやはり、新しい旅行のスタイルかも。NYとか、無線LANのインフラが完備している都市でなくてはダメだけど。
しかし、スタバとかでパソコンを開いているのは、大学生らしき年代の若者だけですね。おじさんで、パソコンを開いている人は見かけないな。
これが目的でアメリカに来たわけではないが、ぜひとも見なくてはと思っていたアル・ゴアのドキュメンタリー映画『An Inconvenient Truth』を見てきた。
思っていた以上に、地球温暖化の説明というよりも、ゴアのPersonal history的な側面が多い内容だった。映画が終わった後、拍手をしている人が多かった。こうしたところが、さすがNY市民のみなさんである。心ある人はもうわかっているのだ。我々は、何をすべきなのかを。見たのはEast Houston StreetのLandmark's Sunshine Cinemaという劇場で、イーストビレッジの近くなので、そうした感覚がある人々が多い場所だからなのかもしれない。共和党支持者は、この映画を見ないだろう。
環境問題は日本でもよく知られているが、アメリカではほとんどの人が知らない。この映画は、劇場公開だけではなく全米の学校で授業のひとつとして見せる必要がある。
もうひとつ映画を見て感じたのは、ゴアって話がおもしろい人だったんだなということだ。この人は副大統領候補の頃は、話す内容が真面目すぎて人が集まらないと言われてたそうだ。それが、この映画ではユーモアもあるおもしろい人なのであった。この映画の宣伝のために、Saturday Night Liveなどに出たりしているが、そこでもコミカルなキャラクターを出している。
CO2と地球温暖化は「科学的」に無関係であるという批判にも、ゴアはこの映画の中で答えている。「科学的」という装いの背後に石油会社とのつながりなどがあったりしている。ゴアは、若いときからこの手の科学者のfakeを指摘し続けてきたのである。
この映画のタイトルが示しているように、これは「事実」なのである。しかし、ある人々にとっては「Inconvenient」なのである。つまり、この映画を批判しているのは、ゴアが語っていることが事実ではないから批判しているのではなく、「Inconvenient」だから批判しているのである。そのこと自体が、まさに「Inconvenient」を意味している。
マイフォトに、これまでデジカメで撮ってきた写真を載せました。キャプションをまだ入れていません。作成途中なのですが、こんな様子だということで。
画像編集をしていません。帰ったら手を入れます。
それにしても、WTCの後、真っ先に自然史博物館の恐竜のフロアーに向かったワタシであった・・・。
最後の方は、土曜日のユニオンスクエアでの朝市です。牛乳を買って飲みました。
今日もまた、Science, Industry and Business Libraryの地下1階のRichard B. Salomon Research Reading Room からアクセスしています。ここはホントいい。どこもかしこも、騒がしくて人が多いNYCの中で、やはり図書館は静かだ。
特に椅子がいい。さすが科学技術専門の図書館ということで、机の椅子が、よく人間工学的なデザインでできていますと言われるあの椅子なのだ。僕も自宅の机の椅子をこれに変えようかとも思う。それくらい快適な椅子である。
この椅子の値段は、安くはないであろう。その安くない椅子を、ニューヨーク市の公立図書館は、そろえて導入しているのである。たかが椅子のことで、なにを言っているのかと思われかもしれないが、こうしたことは結構重要なことだ。日本の公立図書館では、椅子にここまでカネをかけない。椅子なんて、座れればそれでいいと思っている。しかし、ここではそうは考えないということだ。利用者が快適に調査・研究ができるように、この図書館は椅子ひとつにここまで考え、予算を出している。この考え方の違いは大きい。
というわけで、モバイラーにとって天国みたいなNY public libraryの別館の地下1階から追い出されたので、近くのスタバにいます。
それにしても、こうしてNYCにいますと書いていても、ほんとにお前NYCにいるのか。実は東京にいるんじゃないかとか、いや、上海にいるんだろとか思われるかもしれない。ほんとにNYCにいるのならば、空を見上げて手を降ってみろ、そうすればGoogle Earthで見えるかもしれないという声もあるかもしれない(いや、無理だろ、それは)。
そのへん、ライブカメラを使って動画を流したり、ポッドキャストで音声を流したり、やろうと思えば、いろいろできるんだよなと思う。そうした準備はしてこなかったので、今はできないけど。デジカメでなんとかできないかなと思う。これは新しい個人旅行のスタイルかも。ちょっと考えます。
つまり、観光名所を見たり、ショッピングしたりすることではなく、情報を発信する旅行ということができるのではないかと思う。これまでの自由旅行とはまた違った「ネットでつながっている旅行」ということだ。こんなことは、これまでできなかったと思う。
でまあ、つらつら考えるわけであるが。
NYCで思うことは、ちょっと大げさに言えば、「じんるい」ということだ。もーとにかく、様々な人種がいて、さまざまな言語が飛び交っているのだ。この感覚というか、実感が、日本にいると感じられない。それは、日本語で言う「国際感覚」というものなのかというと、どうもそれとも違う。というか、日本にいて、日本語で「国際感覚」と言っている概念と、今、ここで僕が感じている感じとは違うなと思う。「国際感覚」というと、やはりマクロ的な「ガイネン」になってしまう。そうではなくて、なにかもっと、生きている人々というか、生きている人間というか、喜怒哀楽のある人というか。人はそれぞれ「違う」けど「同じ」というか、なに書いているのか自分でもよくわからないけど。結局、「国際感覚」とか「国際性」とか言っているだけではダメなんだと思う。世界というのは、そうじゃあないなと思う。
ただし、この感覚は、例えばサンフランシスコでもそう感じるかというと、それもまた違ってくる。サンフランシスコも当然のことながら様々な人種と様々な言語があるわけであるが、その度合いは、NYCと比べると薄いと思う。だから、どうこうということでないのであるが。
そう考えてみると、この感覚は地球上でここNYCだけなのかもしれない。マッハッタン島というのは不思議な場所だ。この地域に人類が集まっているのである。
日本人は同質性による効率しか見ない。日本人は、効率のためにひたすら同質であろうとする。そうではなくて、多様性の楽しさの必要なのだと思う。で、日本人社会というか、日本で「多様性の楽しさが必要なんですよ」と言っても、「ふーん、だからなに」「それよりも、早く仕事しろよ」「コストを下げろ」という感じになってしまうのであるが。アメリカにいると、ホント、その大切さがよくわかるのである。このへんの違いが、上記で書いた「実感」と関係しているのかもしれない。
アメリカの産業や科学技術のメインの部分というのは、新しい発想、新しい見方・考え方、新しいデザインなどいった「新しいものを作る」ということで成り立っている。それで食っているのが、大ざっぱに言うとアメリカである。もはやコスト削減とか、早く安く品質のいいものというのは、中国に移っている。そして、「新しい発想、新しい見方・考え方、新しいデザインなどいった」ことは、同質性による効率からでは決して出てくるものではない。多様性の楽しさ、あるいは多様性の苦労から生まれてくるものだ。
ビジネスというのは、当然のことながら、今日の儲けのことを気にかける。しかし、それだけではいつかダメになるということがわかっているもので。10のうち2か3ぐらいは、将来どうするのかということを気にするものである。では、将来どうするのか。
そんなことをMadison Ave.のスタバでつらつらと考えている。
ここはMadison Ave.と34 St.にあるNY public libraryの別館の地下1階です。
thanks to komaさん
最初、本館の方に行ってみたのであるが、地下にはインターネットが使えそうな場所はなく、1階、2階と行ってみたのであるが、どーも、「いんたーねっと」なるものを口に出すのもはばかれるような「紙の書物の王国」みたいな雰囲気なのだ。
ここは違うなと思い、それではと、エントランスのインフォメーションにきちっと座ってる老婆に、34ストリートに別のライブリィがないですかと尋ねたところ、その老婆はまるで「スタトレ」のバルカン人のような感じの厳格さで、Madison AveにScience industry and Business Libraryがあると教えてくれた。おーそれだ、なんか名前からして、それっぽい。そんな別館があったんだと思う。それにしても、このおばあさんは、この図書館のどの場所に、どんな本があるのかほとんど網羅しているだろうなあと思う。
本館から別館へは、結構距離がある。またもや、延々と歩く。この旅は、とにかく歩きまくるのである。ようやく着くと、入り口がわからない。適当に入り口らしきものに入っていくと、カードのにーさんに「向こう側だ」と言われる。向こう側の建物の入り口へ回り、地下へ行くと、あるある、パソコンが並んでいる。しかし、LANケーブルが出ているだけの机は見えない。そのまま、どんどん行って、奥の部屋の壁際の机を見ると、なにやら、みなさん、自分のノートPC持ち込みでカシャカシャとキーを打っているではないか。これだ。
結構、机が埋まっていて使用中ばかりであったが、さらに奥の方に空いている机を見つけて座り込む。なるほど、LANケーブルは出ているし、電源コンセントは目の前にあるし。これはなんていいのであろうか。回線速度、はえー。
右隣の机では、韓国語らしきウェブを表示させているアジア系の少年である。その隣が、こうして日本語で書きものをしていているアジア系おじさんである。そして、その左隣は、ワードでレポートを書いている大学生らしき金髪のお姉さんである。
というわけで、今、そこに座って、これを書いています。
こんな快適な環境なので、なんかずーと座っていたいなと思うのであるが、もう閉館するから、早く出ろというアナウンス。うるさいな。
WTCの跡地の近くのベンチからアクセスしています。
NYCはすばらしく快晴の空です。
ここへくるのも、地下鉄に乗り、人に道を尋ねたりしてたいへんであった。
Broadwayを歩いていると、そういえば前回ここを歩いたかなと思い出してくるのであった。もはや完全に忘れています。
跡地と言っても、もはや事件当時の姿は当然なく、ただの巨大な工事現場という感じの場所である。
数多くの観光客も集まっていて、誰でもNYCに来たのならばここを見るだろうなと思う。
この巨大な工事現場の前でしばらくたたずみ、あの日ここでなにが起こったのかを想像してみる。こに目の前にあった高層ビルに旅客機が突っ込んできたのである。戦闘機がミサイルを撃ち込んできたのではない。普通の民間の旅客機が一般の乗客もろとも突っ込んできたのである。それも2機もだ。
この場所が、戦場のような光景になった。突っ込まれた側としては、突然の出来事であったと思う。なぜ、こんなことになるのか理解できないと思う。
後に、イスラム過激派アルカイダのテロだということがわかった。しかし、イスラム過激派だろうとなんだろうと、なぜここで、一般の人々を巻き沿いにしてまでやったのか。大きなマクロで見てみると、なぜイスラム過激派がテロが起こすのかということは(知識としては)わかる。しかし、こうして、人々が暮らしているこの場所で考えてみると、なぜテロを起こすのか理解できない。
青い空を見上げると、旅客機が飛んでいた。
というわけで、マンハッタンの安ホテルの一室におります。
極東の日本列島から太平洋を越えて、遠路遙々やってきました。
到着したのは、ほぼ夕方であったので、先ほどホテルの周りをうろついただけです。本格的活動開始は、明日からにしようと思います。12時間のフライトは、もう若くない身にはコタエます。
ところが、である。ニフティの海外ローミングがなぜかつながらないのである。さあー困った。
とにかく、持てる限りの知識を総動員してアクセスできるよう試みております。しばらくお待ち下さい。
おやっ、では、なぜかうして、ネットにアクセスできているのでせう。(なぜに、旧文体)
それはですね。ワイヤーレス・ネットワークのアダプタがどこぞの電波を受信していたので、プチと表示させてみると、なんか5つか6つぐらいの無線LANを受信していたんですね。で、それにはセキュリティがかかっているものもあれば、そうでないものあったりしたんですね。
でまあ、それじゃあ、ちょっと・・・・・・。(これ以上は書かないことにする)
ハッキングしたわけではないけど、トラフィックはくっているよなあ。ちょっち、やばいかも。
というわけで、現在、成田の北ウィングにいます。
アメリカン航空の搭乗手続きを済ませて、これから手荷物検査へと向かうところです。早くも疲れ切っています。成田は遠いです。
朝からほとんど食べていないので、2階のカフェでベーコンバーガーを食べたけど、これが1000円という高さ!とにかく使うカネを少なくしなくてはならない旅なのに、こんなとこで食べてはイカンと堅く心に誓ったのであった。
空港の中での、この搭乗前の時間を、自分は何度体験したのだろうかと漫然と思う。物憂いので数えることはしないのであるが、まあとにかくいつもぼおーとするわけですね、この時間は。やり残したこととか、家の窓の鍵は閉めただろうなとか、持ってくるべきモノはみんな持ってきただろうなとか、帰ってきたら、あの仕事はあーして、こうなって、いろいろ問題でとか、あれこれ考えるわけであるが、旅に出たんだからハラをくくるしかないなと思う。
頭を英語に切り替えるために、タイムやらペーパーバックやらを読む。
そんなこんなで、お旅立ちである。さて、さて、どうなりますことやら。
(画像アップしたいけど、時間なし。テキストも簡単にアップする手を考えないと、アクセス時間がやたらかかりすぎる。)
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