文化・芸術

April 07, 2012

誰が本や映画や音楽や演劇やアートを見たり、聴いたり、読んだりするのか

 大前研一さんのコラム「日本でも若者の失業が深刻な社会問題になる」によれば、「安定的な就業をしている若者は「2人に1人以下」」であるという。これは、かなり深刻な事態になっていることを表している。

 とーとつな話で恐縮であるが、本や映画や音楽や演劇やアートを見たり、聴いたり、読んだりするのは、やはり若者層が多いと考えるのが一般的だろう。結婚して自分の家族を持つと、なかなかそうしたことにお金と時間をかけることができない。しかしながら、その若者層が安定した職業に就き、安定した収入を得ていないとなると、そうしたことにまわすカネと時間がないということになる。

 ようするに、今の世の中で、本や映画や音楽や演劇やアートを見たり、聴いたり、読んだりするのは、どのような顧客なのであろうかということだ。これまでの世の中であるのならば、そうした顧客は学生、若者がメインであると思うことができた。しかし、今の時代は、もはや学生、若者は関心的にも、また経済的、時間的にも、そうしたことに費やすことができない、しないようになってきたのならば、誰がそうしたことをやっていくのかということだ。

 もちろん、大ざっぱに「本や映画や音楽や演劇やアートを見たり、聴いたり、読んだりする顧客」という区分け自体がもはや成り立たない。もっと細かく子細に見ていく必要がある。経営戦略を考える時、三つのC、カスタマー(顧客)、コンペティター(競争相手)、カンパニー(自分の会社)を考えなくてはならない。そういうわけで、今、どのような人が「本や映画や音楽や演劇やアートを見たり、聴いたり、読んだりする顧客」なのだろうかと漠然と考えている。

 そして、日本国内を相手にしていくのならば、少子化で子供が減り、若者が安定した就業ができない、しない世の中になっていくということは、「本や映画や音楽や演劇やアート」の顧客層は増えることはせず、減っていく一方になるということになる。なにをいまさら、こんなことは誰でもわかっていることなのだけど。

April 09, 2006

『皆に伝えよ!ソイレント・グリーンは人肉だと』を見ました

 モーリー・アンダーソンのi-morleyで紹介されていたTPTの演劇『皆に伝えよ!ソイレント・グリーンは人肉だと』を見に行ってきた。場所は、森下の隅田川左岸劇場ベニサン・ピットという小劇場である。この劇場は、いいーですわ。元々、染物工場のボイラー室だったそうであるが、いかにも現代演劇というか、実験演劇の場という雰囲気の劇場なのである。この作品の原作・演出はドイツの現代芸術の演出家ルネ・ポレシュで、「ソイレント・グリーン」は1973年のアメリカの近未来SF映画のことだ。

 まず、劇場の空間の作り方がおもしろかった。現代演劇では、劇場に一歩入った瞬間から演出した空間に入る。で、劇場に入って、まず目についたアレが、最初はなんでこんなもんここにあるのかなあ、スポンサーの宣伝なのかなあと思っていたのが、劇が始まると、実はアレはなんとアレだったということがわかって、なんて斬新なというか、モダンアートだなというか、これは旨い作り方だと思った(なに言っているのか、意味不明)。

 それにしても、こうして現代演劇を実際に見に行くのは、大学生の時以来なのであった。最後に見たのは、なんの作品であったかもはや覚えていない。もう長いこと、劇場で演劇を見ることもなかった。それで、今年になって、なるべく演劇を見に行こうと思っていていた。そんな時、i-morleyでこの劇団のことを紹介していて、ルネ・ポレシュのインタビューとかもあって、これは見に行こうと思ったのだ。

 台詞がもーささやいていたり、絶叫していたり、とにかくスゴイのだ。話しは、貨幣や価値の話から始まる。ほほう、マルクスの貨幣論だなと思って、最初見ていたのだけど、途中から、そうしたコムズカシさもなく、長回しの台詞の量に圧倒されて、これはなんか、とにかく、めったやたらとスゴイ演劇であった。

 ドイツの現代演劇というのは、こうしたものなのであろうかと思ったら、ポレシュは、ドイツでは特殊な演劇人として知られているという。ドイツでこうした演劇作品が作られるということに、日本もドイツも置かれている社会状況に同じものがあることを思う。

 この世界は、ある「前提」なり、「決まり事」なりの上に成り立っている。その「前提」や「決まり事」の存在を、僕たちは知ることなしに暮らしている。でも、ある時、その「前提」や「決まり事」が、なぜこうしたものなのであるのかと疑問を感じるようになると、この世界の見方や感じ方が変わる。この世界が、閉ざされた資本主義のユートピアであることに気がつく。すべての価値が金銭化される、この社会の異常さに気がつくだろう。

 あとで台本つきのパンフを読んだら、マルクスではなくフーコーの哲学の演劇化ということが書いてあった。うーん、フーコーというよりも、僕はモロ、マルクスを感じたのですけど。思えば、M・フーコーはマルクス思想の継承者であった。

 でまあ、80年代あたりまでなら、こうした演劇は前衛演劇と呼ばれたであろうが、21世紀の今となっては、こりゃあもうフツーだよなという感覚であろう。前衛っぽいのだけど、難解なものではなく、ポップでコミカルなテツガク演劇であった。

February 05, 2006

『その場しのぎの男たち』

 先日、舞台版の『笑の大学』のDVDがあることを知り、渋谷や新宿のHMVや秋葉原で探したのだけどなかった。こりゃ店頭では手に入らんな、ネットで注文するしかないなと思いながら、なんとなくお店の棚を見ていたら、同じ三谷幸喜脚本で『その場しのぎの男たち』というのがあった。手にとって見てみると、なんと佐藤B作さんではないか、伊東四朗さんも出ているではないか。物語は、明治24年に起きた大津事件を題材にとっているという。これは観てみなくていかんと思い、早速買い求めて、自宅へまっしぐらに帰った。

 これはおもしろかった。舞台での佐藤B作さんを観たのは、前にNHKでやっていた井上ひさし脚本の『國語元年』という演劇で、これはおもしろい作品だった。その昔、僕たち日本人は各地の方言で会話をしていた。明治維新によって東京に新政府ができたが、この新政府は薩長土肥の諸藩の寄り合い所帯のようなもので混乱していた。この混乱の原因のひとつは、話言葉が違うということであった。そこで明治政府が行ったことは、全国的に統一した共通の話言葉を制定することであった。『國語元年』は、この全国統一話言葉の制定作業を命じられた文部省の役人の一家の喜劇なのだけど、これはおもしろかった。佐藤B作さんは、その文部省の役人を熱演していた。

 『その場しのぎの男たち』は、その佐藤B作さん主演ということであり、三谷幸喜の脚本ということで観てみたわけであるが、これもおもしろかった。

 大津事件とは、明治24年に起きたロシア皇太子暗殺未遂事件である。ロシアの皇帝アレキサンダー3世の長男であり皇太子のニコライは日本を訪問した。この一行が滋賀県の大津を訪れたとき、沿道で警備中だった津田三蔵巡査が突然サーベルで切りつけて負傷させるという事件が起きた。これには、日本中が騒然となった。なにしろ、次の皇帝を切ったのである。しかも重傷であった。ロシアと戦争にでもなろうものなら、この国は滅びることは明らかであった。このへん、歴史小説としては、シバリョーの坂の上でも、この出来事について触れているが、くわしく知りたいのならば吉村昭の『ニコライ遭難』がお勧め。

 こうした状況の中で、ホテルの一室を舞台とし、三谷脚本でおなじみのシチュエーション・コメディ(おなじみなのか、というといろいろ意見もある)が展開される。政界喜劇である。『その場しのぎの男たち』というタイトルがいい。松方正義総理大臣は、内相の西郷従道、外相の青木周蔵、通信大臣の後藤蔵二郎たちとともに、なんとかこの国難を脱しようと、数々とその場しのぎの対策打ち出すが、打つ手、打つ手がみんな外れていく。そこに佐藤B作の演じる陸奥宗光と伊藤四郎の演じる伊藤博文の駆け引きがあって、とにかくおもしろい。

 演劇は実際に舞台で観るのが一番いいのだけど、そんな時間がないので、こうしてDVDで観ているのだけど、それにしても演劇もののDVDって値段が高いよな。あー演劇を見に行きたい。

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