April 15, 2018

『オリバー・ストーンONプーチン』を観る

 先日、NHK-BSで『オリバー・ストーンONプーチン』前後編を観た。映画監督のオリバー・ストーンが、約2年にわたりロシア大統領プーチンに行ったインタビューのドキュメンタリー番組である。ちょうど同じ頃にNHK-BSで『プーチンの復讐』前後編というPBSの「フロントライン」が制作したプーチンとロシアのドキュメンタリー番組もやっていて、この二つの番組を観たことで大変勉強になった。

 なにが大変勉強になったのかというと、この二つの番組の内容がまったく正反対の内容であり、国際情報は対立している双方の国側の情報を見ることがいかに必要かであるかということがよくわかるということである。

 オリバー・ストーンの番組はおもしろかったなあと思っていたら、この番組の書籍化した本が出ているという。オリバー・ストーン著『オリバー・ストーン オン プーチン』(文藝春秋)である。なんと、そうなのかとさっそく池袋のジュンク堂本店で買ってきて読んでみた。

 読んでみると、まず、プーチンへのインタビューテレビ番組は4回のシリーズになっていて、NHK-BSでやった前後編2回の番組はそのダイジェスト版であった。日本ではNHK-BSでのこの放送の後、Amazonジャパンで4回の全話を有料で見ることができるようになり、さらにDVDが4月から販売されている。書籍版にはこの4回の番組で放送していないシーンも含まれている。Amazonで4回の全話を見てみると、なるほどこういう番組だったのかと改めて知り、この内容があまりにも興味深いものであったので、文藝春秋の翻訳版の原本の"Oliver Stone Interviews Vladimir Putin"をAmazonで注文をして入手し読んだ。本当はプーチンがなにを言っているか正確に知るにはプーチンの会話をロシア語で理解する必要があるが、オリバー・ストーンのインタビューはロシア人の通訳者が英語への通訳を介してのインタビューであったので英語でのオリバー・ストーンとプーチンの会話を読んでみたいと思ったのだ。4回の番組をまた見るのはAmazonでいつでも見れると思ってDVDを買うのは必要ないかなと思っているのであるが、これも近々に購入するであろう。それほど関心が持てるものだった。

 かつてプーチンは、ドイツのミュンヘンで開催された第43回「ミュンヘン国防政策国際会議(Munich Conference on Security Policy)」で痛烈にアメリカの政策を批判する演説を行った。この時プーチンが言ったアメリカ批判は至極まっとうで言っていることは間違っていない。多かれ少なかれ、世界の数多くの国々の外交担当者が内心思っていることであり、それをプーチンは堂々と公の場で言ったのだ。だだし、その一方で紛れもなき力関係で成り立っている国際社会で道理が通ることは大変難しいこともまた事実である。もちろん、だからと言ってプーチンの主張はその通りであって、その価値が些かも揺らぐことはない。ただし、アメリカがやっていることは常に正しいわけではないように、ロシアの側もまただからと言って常に正しいことをやっているわけではなく、このことが国際社会とロシアの間を複雑なものにしている。

 ところが、このミュンヘンでのプーチンの演説はドキュメンタリー番組『プーチンの復讐』では徹底的にプーチンは悪というように描かれている。プーチンの言っていることにも理があり、自国の外交政策にも誤りがあるとは決して思わないのである。このプーチンは悪、ロシアは悪というスタイルはドキュメンタリー番組『プーチンの復讐』の中で一貫としてある。

 欧米における国際認識では、ロシアはつねに悪役である。極東の島国の民である私からすれば、なぜそこまで最初からロシアが悪いという前提から始まるのか理解できないことがある。とにかく欧米ではロシアは悪役である。このへん、ヒトラーが率いたナチス・ドイツの扱いと同じだ。欧米にはロシアへの恐れがあるというか、ウラジミール・プーチンという人物への恐れがあると言えるだろう。

 このプーチンは悪のイメージに真っ向から反対の異を唱えるのが映画監督のオリバー・ストーンである。

 私がプーチンへのインタビューに興味を持ったのは、このブログで以前書いたことがあるが、法政大学の下斗米伸夫教授の『プーチンはアジアをめざす』(NHK出版新書)と『宗教・地政学から読むロシア』(日本経済新聞出版社)を読んで、欧米から非難されているウクライナ問題はロシア側にも言い分があるということを知っていたからだ。ロシアには、アメリカやヨーロッパとは違うものがある。そのことを理解しているといないとでは、ロシアに対するイメージは大きく異なる。そして、欧米においても日本においても、そのことを理解しているロシア論者は数少ない。このことが、オリバー・ストーンのプーチンへのインタビューの中でも語られており、下斗米先生の主張と重なるものが多い。

 もうひとつは、オリバー・ストーンは『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』の中で、ナチス・ドイツを降伏させたのは英米ではなくソ連であったことを述べていたからだ。英米の第二次世界大戦の歴史観は連合軍がファシズム国家を倒したというものである。このファシズム国家とは言うまでもなくドイツ、イタリア、そして我が国である。連合軍にはソ連も含まれるが、英米の歴史観では、我々(英米)がファシズム国家を倒したというものである。しかしながら、オリバー・ストーンは『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』にあるソ連・ロシア観とは、ソ連・ロシア側にも言い分はあるということだ。連合軍がナチス・ドイツに勝ったことについて、どちらがたいへんだったのかと言えば英米ではなくソ連であった。ソ連がナチス・ドイツを敗北に追い込んだのである、この視点はプーチンへのインタビューにも一貫としてあり、簡単に言えば、ロシアは悪くはない、ロシアは悪としているのは欧米なのであるということだ。

 ソ連が崩壊した後、もはやNATOは必要がなくなるものであった。プーチンもまた米ソの対立はなくなり、NATOはなくなると思っていたという。どころが、その後もNATOはあり続けている。なぜか。欧米の統合として敵国が必要だからであるとプーチンはインタビューの中で述べている。本当は全地球上を覆う現代の交通と情報テクノロジーによってグローバルな人類社会を作ることは可能だ。しかしながら、そうはならない。人間の社会は社会としてのまとまりを持つために「敵」を必要としているからだ。こうなると地球外生物が地球を侵略しにこなくては人類というまとまりを持つことはできないということになる。

 今起きているイギリスのソールズベリーで3月4日、ロシアの元情報機関員セルゲイ・スクリパリ氏と娘が神経剤ノビチョクで襲撃されたとされる事件は、欧米とロシアが互いに外交官追放に踏み切る事態に発展しているが、イギリスは襲撃にロシア政府が関与しているという明確を証拠はいまだに提示されていない。これなども、ロシアは悪という偏向があるからである。その中でオリバー・ストーンは単身、ロシアに行ってプーチンにインタビューをするということをやったのである。

 我々はこのインタビューから、ロシア側から見た視点という西側のメディアからは得ることができないことを学ぶことができる。

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March 03, 2018

国際常識を知らない国際政治学者

 先々週の「ニューズウィーク日本版」のコラム記事「北朝鮮スリーパーの虚実」は大変興味深かった。

 とある国際政治学者と称する人がテレビ番組の中で、一般市民を装った「スリーパーセル」と呼ばれる北朝鮮のテロリストや工作員がソウルや東京、大阪に潜伏していて、北朝鮮と戦争が始まり金正恩が殺害された場合、独自のテロ活動を開始するということを述べたという。

 当然のことであるが、誰が北朝鮮のテロリストや工作員であることはわからない状態にある。なにしろ、一般市民を装っていると言っているのである。そうである以上、韓国・朝鮮の人々すべてが「スリーパーセル」かもしれないと言っていることを同じだ。言った本人はヘイトではないというようなことを言っているようであるが、これはヘイト以外のなにものでもない。

 北朝鮮のというか北朝鮮以外の国々も情報関係の要員を、日本というか世界の主要国に送り込んでいるということは国家秘密でもなんでもない常識である。その意味において、この国際政治学者と称する人はだから一般市民の韓国・朝鮮の人々を疑えと言っていることになる。しかしながら、今の北朝鮮に日本の市民社会の中で破壊工作を行う長期滞在の工作員を潜伏させる程の余裕があるわけではなく、また情報収集専門の者はテロ行動を行う訓練は受けていない。そもそも金正恩が殺害された場合、北朝鮮の体制は崩壊する。その状況下で、外国でのテロ行動にどのような軍事的意味があるのであろうか。

 記事「北朝鮮スリーパーの虚実」の記者は元CIAの諜報員だったようだ。この人はこう書いている。

「日本に潜伏する北朝鮮のスリーパーは、もっと恐ろしい任務を与えられているという。その主張に裏付けはないが、北朝鮮による拉致問題や、外国での殺人や韓国への攻撃が、その主張にもっともらしさを与えている。
だが実際には、スリーパーはターゲット国に長期間滞在し、その社会と文化に深く組み込まれてしまうため、いざ作戦開始の指令が出ても「普通の生活」を続けたがることがよくある。
また、カウンターインテリジェンス(防諜)に従事する者は、複数の「もし」をつなげて考える危険性を忘れてはならない。「もしXが事実なら、Yも事実かもしれない。そしてYが事実なら、Zも事実かもしれない。そして・・・」というわけだ。こうした思考プロセスはよくあるもので、本来なら信じがたいこと、つまりスリーパー・セルが動き出して国家を脅かすというとっぴな脅威が、目前に迫っているように感じられてしまう。
だが、スリーパーはほぼ例外なく、チャップマンのように社会への浸透を図るものであり、暗殺や妨害工作をするわけではない。逆に、そんなことができる急襲チームを長年無難な仕事に就けて潜伏させておくことは極めて難しい。ハリウッド映画ではあるかもしれないが、現実にはほぼあり得ない。」

 元CIA諜報員でなくても、常識で考えればこの通りであり、現実にはあり得ない。それを国際政治学者と称する人が言うというところに今のこの国の現状がある。

 韓国には、韓国に潜入した北朝鮮工作員の題材にした映画は多い。コメディ映画が多いのであるが、逆から言えば潜入北朝鮮工作員の話などといったことはもはやコメディでしかないということなのだ。ソウルに潜入して、長い間韓国人として暮らし、いざ有事になった際、破壊工作を行うということが、そもそもなんのためなのか誰も理解できないということなのである。

 こうした韓国映画を観るたびに、北朝鮮がやってる事実はこうなんだと言って嫌悪や不安や対立を煽ることではなく、映画はこうして北朝鮮も自分たちと同じ人間なのだというを伝えていることがいかに大切なことであるかがよくわかる。相手側も自分たちと同じなのであるという意識から戦争は生まれない。今、韓国の若い世代には、こうした意識がはっきりと現れ初めている。北朝鮮も韓国も対立は望んでいない。対立を煽っているのは、朝鮮半島以外の国たちなのである。

 平昌オリンピックの後、南北の対話が始まろうとしている。どこぞの国の総理大臣は「対話は終わった」と言い、外務大臣は「微笑外交」にだまされてはならない、南北対話が制裁緩和につながってはならないと言っているが、むしろだまされたふりをしてでも、第二次朝鮮戦争を避けることの方が必要であることがわからないようである。

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February 11, 2018

NHK-BS1を見ています

 前回、テレビを見るようになったことを書いた。では、具体的になにを見ているのかということについて書きたい。結局のところというか当然というか、見るのはNHKである。

 ご多分に漏れず私もまた子供の頃はテレビばかり見ているテレビっ子だった。 産業としてのテレビ業界が最も成長したのは1980年代から1990年代にかけてであろうが、作品そのもので見た場合、1960年代後半から1970年代はテレビ番組の黄金時代だったといってもいい。しかしながら、今の民放の番組はまず見ない。

 ではなにを見るのかというと、NHK-BS1の国際ニュース番組とBSドキュメンタリーだ。これらはNHKが作っている番組ではなく、海外の放送局の番組にNHKが日本語字幕をつけたり日本語吹替にして放送しているものだ。

 NHK-BS1の国際ニュース番組の主な番組は次の3つになる。

「キャッチ!世界のトップニュース」
「ワールドニュース」
「国際報道2018」

 「ワールドニュース」は、さらに「ワールドニュース」「ワールドニュースアジア」「ワールドニュースアメリカ」の3つに分かれている。これは外国の各国のニュース局のニュース番組のダイジェストを大体50分ぐらいの枠の中で整理をして流しているものだ。例えば朝の4時に放送している「ワールドニュース アジア」では、シンガポール・CNA、韓国・KBS、中国・CCTV、上海・東方衛視、香港・TVB、タイ・MCOT、ベトナム・VTV、フィリピン・ABS-CBNなどのニュース番組が詰まっている。しかも、同時通訳がついて流してくれるのである。これはうれしい。通訳ありで流してくれなければ、ドイツとかフランスとかロシアとかタイとかベトナムとかフィリピンとかブラジルとかスペインとか中国とか香港とか韓国とかインドとかのニュース番組はまず見ないであろう。

 「ワールドニュース」を見ると、今、ざっくりと世界ではどのようなニュースが流れているのかということがわかるのだ。一日の「ワールドニュース」「ワールドニュースアジア」「ワールドニュースアメリカ」の全部を放送をディスクに録画して、全部見るとなると3時間はかかるので、適当に飛ばして見ている。これで十分なのである。

 「ワールドニュース」を見ていて思うのは、当たり前のことであるが、世界の各々の国にも人々が暮らしているということだ。日本という島国にいると、この当たり前の事実を忘れやすい。

 「キャッチ!世界のトップニュース」はNHKが作っている番組で、これら「ワールドニュース」で放送されたトピックの中から、いくつかをとりあげて紹介し解説する番組である。時間がなくて「ワールドニュース」を見る時間がない日などは、「キャッチ!世界のトップニュース」を見るだけにしている。

 「国際報道2018」はあまりおもしろくない。これもNHKが作っているNHKの番組であるが、日本の視聴者にわからせようとするためか、へんに日本の視点に偏るというか、おもねる内容になっている。「ワールドニュース」が良いのは、外国のニュース番組を生のまま、そのままで同時通訳をつけて流してくれるという、その1点にある。それでいいのであって、へんに日本のフィルターをかける必要はない。「国際報道2018」は、NHKの地上波の7時や9時のニュース番組とたいして変わらない内容になっている。このへん、NHKさんにはぜひとも「国際報道2018」の番組の内容を良いものにして欲しいと思う。

 ネットではタダで外国のニュース番組、例えば中東のアルジャジーラ英語放送やロシアの英語ニュース放送局のRT.COMなど、あるいは経済専門ニュースのBloomberg等々のサイトでニュースチャンネルをストリーミング放送で24時間流している。youtubeにはアメリカのFOXやABCやNBC、さらには個人やグループでやっている独立系のニュース放送局などが溢れている。しかも、これらはみんなタダである。

 しかし、ネットのニュース動画は玉石混交で、しかも日付で追っていくには探さなくてならない。今のyoutubeにはイギリスのBBCやアメリカのPBSのドキュメンタリーの動画などがあってたいへん有益なのであるが、やはりNHK-BSの「ワールドニュース」を見るのが一番ラクだ。何度もいいたいが、外務省の機関や海外情報を専門に扱う組織なり部署なりの場ではなく、一般の個人の家庭でたくさんの外国のニュース番組を同時通訳付きでざっくばらんに見ることができるというのは実はすごいことなのだ。特に、日本人はもっとアジア諸国のニュース番組を見るべきだと思う。日本は、アジア諸国の中のひとつの国なのである。

 ちなみにNHKにはNHK World TVという英語放送があり、これはNHK Worldのホームページでライブ放送を見ることができる。しかし、これもおもしろくないというか、情報の量が少ない。NHKは英語放送もやっていますよだけの感が強い。これもやりようによっては、もっとおもしろいものにできるはずだ。

 もうひとつ見逃せないのがBSドキュメンタリーだ。これは外国の良質のドキュメンタリー作品をNHKが買ってきて吹き替えで放送してくれるというものだ。この多くは一度限りの放送であり、録画しておかなくて二度と見ることができない。BSドキュメンタリーは考えされられる良い作品が多い。

 このように、NHK-BSは使い方によって国際情報を知るための、世界を知るための非常に有益なツールになるのである。もっと早く見るようしていれば良かったと思う。

 今は平昌オリンピックが開催されているので、NHK-BS1は国際ニュースの放送が少なくなっている。そういう期間なのでやむを得ないなとは思うが、オリンピックを各国のニュース番組はどのように報道するかということも興味深いことなので国際ニュースをどんどん流して欲しいと思う。

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February 04, 2018

テレビを見ようと思った

 テレビを見なくてなって10年くらいたつ。

 ところが、私はNHKの受信料を払い続けてきた。テレビを持っていない、だからNHKに受信料を払うことをやめる、つまり、NHKを解約すればいいのであるが、もっかの世の中ではNHK解約はかなり困難な話になる。解約したいとNHKに電話をかけたが、テレビ受信機は捨てはいなかったので、それでは解約はできないと言われた。確かにいつでもNHKを見ることができるわけで、NHK側がそう言うのもわからない話ではないなと思い、それではテレビ受像機を捨てたら解約をしたいと言って電話の会話を終えた。

 その後、テレビ受像機を捨てたのは、実は去年になる。テレビを捨てなきゃと思いながらも10年ぐらいがたってしまったのだ。なにしろ21インチのブラウン管テレビなので、そうかんたんに不燃ゴミに出すことができないのだ。しかるべき業者に有償で持っていってもらわなくてはならない。この手続きが面倒と思い、ついつい年月がたってしまったのである。

 去年、大掃除をした時についにテレビを廃棄した。そこで、テレビを捨てたのだから、こんどこそNHKを解約できるだろうと思ったのだが、向こうは違う話を持ち出してすんなりと解約してくれるとは思えず、さてどうしたものか思いながら月日はたっていった。

 この10年間、テレビは見ていないが、NHKの番組はネットでNHKオンデマンドで見ているのである。NHKオンデマンドは有料である。つまり、NHKの受信料を払っているがテレビは見ず、NHKオンデマンドにカネを払ってネットでNHKの番組を見るということをしているのだ。テレビを見ることをやめたいなと思っていた時に、NHKがネットで番組を配信するNHKオンデマンドを始めたのが2008年の末である。おっこれでいいじゃんと思って、テレビを見ることをやめたのだ。NHKオンデマンドで「ネットでNHKを見ている」「(民放)テレビは見ない」「家にテレビはない」ということで、まあ、いいかなと思っていた。経済的合理性よりも「テレビは見ない」という信念というかポリシーというかこだわりを優先し続けてきたのである。

 しかしながら、先日、ふと、やはりNHKの受信料を払い続けていて、NHKオンデマンドにカネを払って番組を見ているのはおかしいと思い始めた。どう考えてもおかしい。NHKを解約することはそれなりに面倒なことになるのならば、テレビを見ればいいのである。地上波も衛星も支払っているのだ。むしろ解約すべきものは、NHKオンデマンドなのではないか。

 NHKオンデマンドは、当初期待していたものとは違っていた。すべての番組が見れるわけではないのだ。また今放送されている番組は、当然のことながらリアルタイムで見れるわけではなく、見るのは翌日になる。ツイッターのタイムラインが今放送されている大河ドラマで盛り上がっていても、自分は見るのは翌日になるのだ。

 ようはテレビ受信機というものは置かずに、パソコンやiPadで見れればいいのである。しかしその昔、パソコンでテレビを見るのは結構大変だったのだ。アレコレと買わなくてはならないものもある。なので気分として、パソコンでテレビを見るのはむずかしい、やめた方がいいと思っていた。

 ところがネットで調べてみると、結構かんたんにできるのだ。ようするに、地上波、BS・CS衛星がひとつになったアンテナの出力端子が壁にある。ここにTVチューナー機器をつなげればいいだけなのである。今の時代は、TVチューナーを、一方はWi-Fiルーターに、もう一方は壁にあるテレビのアンテナ端子とつなぐだけで、それでWi-FiでPCのディスプレイにテレビを映すことができるのだ。なんと、かんたんな時代になったのであろうか。

 というわけで、AmazonでピクセラのPIX-BR310Wとアンテナ端子とつなぐためのアンテナケーブルを買った。製品が届き、セットアップをして、日頃使っているLet's noteでテレビ番組を出してみるとあっさりとできてしまった。技術の進歩だよな。

 PIX-BR310Wは接続できるハードディスクは、最大2Tまでのディスクとのことでさほど大きくない。しかも、録画したファイルはこのPIX-BR310W対応のアプリのStationTVでなくては見れない。通常、ディスクの落とした録画ファイルを保存する場合はDVDに複写して保存する。これができないのは困るが、とりあえず2TBの容量の残りが少なくなってきたら見ないファイルを削除して空きを作っていくしかない。それでも足りなくなったら新しいディスクをつけよう。

 このテレビ録画用のハードディスクであるが、24時間電源を入れっぱなし状態にするためディスク音が静かなものでなければならない。この静音設計のディスクが今の時代はある。というわけで、ビックカメラでバッファローのHDV-SA2.0U3/VCを買ってきてTVチューナーにつなげた。テレビ番組をディスクに録画するというのは初めてやることなのであるが、あっさりとできてしまった。技術の進歩だよな。いかに自分の既成観念というものは間違っていることが多いことか。こうしたことが当たり前になっている、今の時代のパソコンを使っている若いもんにはかなわないな。

 このために10年くらいの間、NHKに地上波と衛星とさらにオンデマンドの料金を支払ってきたのかと思うと、アタマを抱えてうずくまりたくなる。これでもはやオンデマンドを見る必要はなくなったのでオンデマンドをとっとと解約した。もちろん、TVチューナーの購入にお金がかかったが、オンデマンドの1年分くらいのお金でとんとんになる。なぜ、もっと早くこうしなかったのだろうか。

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January 20, 2018

どこが「全く受け入れることはできない」のか

 1月12日の産経新聞によると

「安倍晋三首相は12日、慰安婦問題に関する平成27年12月の日韓合意をめぐり、韓国の文在寅大統領が被害者への謝罪などを要求していることについて「韓国側が一方的にさらなる措置を求めることは、全く受け入れることはできない」と明言した。首相官邸で記者団に語った。韓国が合意をめぐる新方針を発表後、首相が公式に受け入れ拒否を表明したのは初めて。」という。

 この慰安婦に関する日韓合意をめぐる韓国政府の新方針とは、どのようなものであったのかというと、2015年の合意では、慰安婦問題を本当に解決することはできない。今後も日本政府は被害者の名誉と尊厳の回復と心の傷の癒やしに向けた努力を続けてくれることを期待する。しかしながら、その一方で、2015年の合意は両国間の公式合意だったということだ。従って、この2015年の合意についての破棄や再交渉は求めないというものだ。

 これに対して、日本政府の対応は「日本側にさらなる措置を求めることは全く受け入れられず、協議にも応じられない」というものである。

 ようするに、慰安婦の被害者への対応などというものはしない。2015年の合意は、日本政府は今後一切、慰安婦の被害者への対応などというものはしないという合意であったはずだ、としているのである。

 このへんは、つまり、そもそも安倍自民政府は慰安婦問題などというものはないものとしているからであり、慰安婦問題などというものに関わりたくないとしているからだ。そうでありながら、韓国は何度も何度もしつこく言ってくるので、2015年の合意をもって、これを最後に今後一切言ってくるんじゃねえぞと決めた、としているからであろう。

 しかしながら、そんなことが通るはずがない。1993年の河野談話の中の以下は、極めて大きな説得力を持つ。

 「慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。」

 この「多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」ということについて日本政府はどう対応するんですか、ということだ。文在寅大統領は「日韓合意で慰安婦問題は解決できない」として、慰安婦への「心からの謝罪」を求めている。

 これはまったくその通りであり、これのどこが「全く受け入れることはできない」のかさっぱりわからない。ようするに、安倍自民政府やネトウヨ一派は、朝鮮半島で日本の皇軍や日本人は悪いことは一切していないと盲信しているからであろう。

 逆から言えば、これを「受け入れる」ことが日本国家の尊厳なり、威信なり、愛国心なり、メンツなり、etc etcのどこがどう傷がつくのか私にはさっぱりわからない。その程度のレベルの低い国家意識しかないのであろう。

 かつて、イギリスは世界の各地で、アフリカの人々や中東の人々やアジアの人々などに、数多くの悪逆非道のことを行ってきた。それらは、今の歴史書にきちんと記載されている。そして現代のイギリスは、過去にそうしたことがあったことはあったこととして認めているが、それにより大英帝国の威信はいささかなりとも傷つくことはない。帝国というものは、そういうものなのである。

 その意味でいうのならば、日本は大日本帝国などどいう名称を掲げながらも、その内実は帝国のレベルには至っていなかったということであり、その「帝国」が滅びて70年たった後の日本人たちも、いまだに帝国とはなんであるのかがよくわからないレベルのままになっている。

 安倍晋三さんは「日韓合意は国と国との約束で、これを守ることは国際的かつ普遍的な原則だ」と言っているが、2015年の日韓合意は国際条約などといった形式のものではない。また、いわゆる「国と国との約束」を守らないことは、例えばTPPはアメリカはオバマ政権で参加するとしながら、トランプに政権が変わると参加をしないということになった。しかしながら、安倍晋三さんはアメリカに向かって「TPP参加を守ることは、国際的かつ普遍的な原則だ」とは言わないのである。また、安倍晋三さんは「日本側は約束したことは全て誠意をもって実行している」と言っているが、その「誠意」が感じられないと韓国側は言っているのだ。そうであるのならば、韓国側が「誠意」と感じることができる「誠意」を実行するのが「誠意をもって実行する」ということなのではないだろうか。

 文在寅大統領は10日、青瓦台で開いた新年の記者会見でこう述べたという。

「文大統領は「日本が心をこめて謝罪してこそ(被害者の)おばあさんたちも日本を許すことができ、それが完全な慰安婦問題の解決だと思う」と指摘。その上で「政府が被害者を排除し、条件と条件をやり取りして解決できる問題ではない」として、「前政権で両国政府が条件をやり取りする方法で被害者を排除し、解決を図ったこと自体が間違った方法だった」と強調した。また、「従来の合意を破棄し、再交渉を求めて解決できる問題ではない」との考えを示した。」

 これはまったく正しい考えだ。慰安婦問題は解決した、合意を守れだけを繰り返す日本政府と、慰安婦の被害者への「心からの謝罪」を求める韓国政府、人としてどちらが正しいかは明白である。

 よしんば、今回の合意について韓国側に非があったとしても、その非を咎め、国交断絶をちらつかせるのではなく、非は非であるとしながらも、韓国と国際社会が納得し得るまで外交を続けていくのが、かつて朝鮮半島を統治した国としての懐の深さと度量の大きさであろう。

 イギリスは大英帝国の植民地国に対して、今でもかつての統治国としての責任感を持っているが、この国は朝鮮半島のかつての統治国としての責任感とか歴史観を持ちあわせていない。この国は、アメリカやロシアのような大国にはへつらい、中国・北朝鮮にはアメリカからの恫喝や武力を頼み、韓国のような小国にはひたすら尊大に威張る、という恥ずかしい国になっている。

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January 14, 2018

内閣総理大臣平成30年年頭所感を読む

 安倍晋三さんは、内閣総理大臣平成30年年頭所感というものでこう書いている。

「本年は、明治維新から、150年の節目の年です。

 「高い志と熱意を持ち、
  より多くの人たちの心を動かすことができれば、
  どんなに弱い立場にある者でも、成し遂げることができる。」

 明治初期、わずか6歳で岩倉使節団に加わった津田梅子の言葉です。性別に関係なく個人の能力が活かされる米国社会に学び、帰国後、女子高等教育機関を立ち上げました。そして、その生涯を、日本人女性の可能性を開花させることに捧げました。

 150年前、明治日本の新たな国創りは、植民地支配の波がアジアに押し寄せる、その大きな危機感と共に、スタートしました。

 国難とも呼ぶべき危機を克服するため、近代化を一気に推し進める。その原動力となったのは、一人ひとりの日本人です。これまでの身分制を廃し、すべての日本人を従来の制度や慣習から解き放つ。あらゆる日本人の力を結集することで、日本は独立を守り抜きました。」

 このへん、なぜ明治日本の話から始まるのか、よくわからない。

 今から150年前の1868年は明治元年であり、「明治日本の新たな国創りは、植民地支配の波がアジアに押し寄せる、その大きな危機感と共に、スタートしました。」は、これはこれである意味において正しい。しかしながら、その後、植民地支配する側にまわったということについてはどう考えているのであろうか。

 「その原動力となったのは、一人ひとりの日本人です。これまでの身分制を廃し、すべての日本人を従来の制度や慣習から解き放つ。あらゆる日本人の力を結集することで、日本は独立を守り抜きました。」という箇所については、例によってなにを言っているのかさっぱりわからない。幕末期に日本が西欧の植民地にならなかったのは、倒幕をして明治日本になったからというよりも江戸期日本の経済・文化がしっかりしていたというのが正しい。

 実際のところ、当時、イギリスにせよフランスにせよ日本を植民地化する意図はなかった。江戸時代に発達した商業・産業社会は、幕末期に外国からやってきた人々にとって驚嘆すべき高度なものであったことは、渡辺京二の『逝きし世の面影』を持ち出すまでもなく、今日ではよく知られていることである。

 あの時代、「植民地支配の波がアジアに押し寄せる、その大きな危機感」とは、明治日本の新たな国創りをしようという意識ではなく尊皇攘夷の意識があったからである。明治日本は、できるべくしてできたものではない。幕末から明治維新に至る過程は一本道ではなく単純ではない。

 「あらゆる日本人の力を結集する」についてはウソとしかいいようがない。明治維新以後、明治10年の西南戦争に至るまで、日本各地で数多くの士族の反乱があった。明治23年の帝国議会開設に至るまで、これも日本各地で自由民権運動の事件が相次いで起きた。これらのことはなかったことにしたいのであろう。

 明治日本・大日本帝国が、国民国家としての日本国になったのは明治27年の日清戦争以後である。そして何度も言うが、日清戦争はどうみても他国への侵略であり、西欧諸国の脅威からの独立戦争ではない。

 つまり、明治日本のオモテ側は安倍晋三さんがいうように「日本は独立を守り抜きました」であったかもしれないが、そのウラ側には「西洋と同じくアジア諸国を侵略する国になりました」ということが不可分の出来事として存在している。この歴史は、きちんと受け止めなくてはならない。

 本年は、明治維新から150年になるというのなら、本年は大正7年・1918年、シベリア出兵から100年の年なのである。なぜ日本はこの年、わざわざシベリアにまで出兵したのか。平成30年年頭所感は、この日本の近代史に汚点として残る出来事を深く反省するという一文があってしかるべきであると思うのであるが。

 さらに安倍晋三さんはこう言っている。

「6年前、日本には、未来への悲観論ばかりがあふれていました。

 しかし、この5年間のアベノミクスによって、名目GDPは11%以上成長し過去最高を更新しました。生産年齢人口が390万人減る中でも、雇用は185万人増えました。いまや、女性の就業率は、25歳以上の全ての世代で、米国を上回っています。

 有効求人倍率は、47全ての都道府県で1倍を超え、景気回復の温かい風は地方にも広がりつつあります。あの高度成長期にも為しえなかったことが、実現しています。」

 これももう、なにをタワゴトを言っているのであろうか。名目GDPは確かに11%増えたが、この増加分には消費税が上がった分も含まれているという指摘が出ている。

 また、去年の10月の日経新聞によると「実質GDPの増減率(実質成長率)でみると、第2次安倍政権は年平均1.4%にすぎない。旧民主党政権では年1.6%だった。」という。この年頭所感は、数字で何とでも言えることを言っているだけなのである。しかしながら、実体は、この5年間のアベノミクスによって、日本経済はますます悪くなりました、というのが正しい。

 今年もまたこの国は、この人物が総理大臣をやっている国が続く。思えば、アメリカもまたあの人物が合衆国大統領をやっている。これらのことを思うと、私はますます沈痛な気持ちになるのである。

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January 06, 2018

Social DemocracyではなくSaving Capitalism

 BS1スペシャル「欲望の資本主義2018~闇の力が目覚める時~」を見た。

 番組の中でいくつか印象深いものがあったが、そのひとつは資本主義ではなく民主社会主義を標榜する運動がアメリカで高まっているということだ。

 この番組は、あたかも資本主義は悪であるという見方をしている。確かに、バーニー・サンダースは民主社会主義(democratic socialism)であることを述べていた。しかし、今の資本主義の姿を見てアンチ資本主義を言うのには私には違和感がある。産業革命のイギリスに生まれた資本主義は悪であった時期もあるが、すべてそうだったわけではない。

 ロバート・ライシュにせよジョセフ・E・スティグリッツにせよ、今の資本主義の姿は間違っていると説いているが、だからといって社会主義にせよと言っているのではない。今の資本主義は、資本主義本来の姿ではなく、本来の資本主義とは21世紀の今の我々が思っている社会主義のようなものを大きく持っていたのである。労働者の権利や賃金について述べることは社会主義なのではない。そもそも資本主義にはそうしたものがあったのである。

 ロバート・ライシュは著書"Saving Capitalism"の冒頭でこう書いている。

"Simultaneously, centers of countervailing power that between the 1930s and late 1970s enabled America’s middle and lower-middle classes to exert their own influence - labor unions, small businesses, small investors, and political parties anchored at the local and state levels - have withered. The consequence has been a market organized by those with great wealth for the purpose of further enhancing their wealth."

「同時に、1930年代から1970年代後半にかけて、対抗勢力の中心としてアメリカの中間層や下位中間層が影響力を行使することを可能にしてきた労働組合や中小企業、小口投資家、地域や州レベルの政党といった組織などが弱体化し、その結果、財産をさらに強化する目的で富裕層が組織した市場が生まれた。」

 つまり、労働組合や中小企業、小口投資家、地域や州レベルの政党といった組織などが、おのおの独立した個別の見解なり意見なりを持っていたのであり、そうしたものの統合体として民主主義社会が形成されていたのである。本来、資本主義社会であっても労働者の賃金や雇用や健康など保証する制度なり法律なり仕組みなりがあるようにしてきたのである。何度も言うが、それがかつての資本主義社会であったのだ。

 しかしながら、いつしかそうしたものは不要で非効率なものと見なされ、なくなっていった。労働者への賃金を上げれば、労働者はものを買う、ものが売れれば企業は利益を得る、企業は利益を税金として社会に納め、設備に投資し、労働者により多くの賃金を支払う、労働者への賃金を上げれば、労働者はものを買う・・・・以下、このくり返し、このくり返しが続くというサイクルがあればよいのだ。景気の原理とはただこれだけのことであり、シンプルなことなのだ。アメリカでも日本でも戦後の時代にあったのはこの良いサイクルであり、今はないのがこのサイクルなのである。何度も言うが、これだけでいい。

 ではなぜこの良いサイクルがなくなったのかと言えば、お金を労働者の賃金や設備投資というカタチで回すことをかつての時代と比べしなくなったからである。企業は儲けたお金を労働者への賃金や設備投資に回すのではなく、投資家への配当や金融商品の購入に回しているからだ。これは企業だけではない。国もまた税収を教育や福祉や医療に回すのではなく、企業の減税や補助金などに回している。

 結局のところ、国民が公務員や金持ちをしっかりと監視しなくては、公務員や金持ちは自分たちに有利なことだけをやるようになるという、これもまた至極当然の当たり前のことなのである。この当たり前のことを、日本で言えば1980年代頃からしなくなった、できなくなった、ということなのである。

 ということは、国民が公務員や金持ちをしっかりと監視することをし直し、一般人が主体である民主主義を復活させ、かつての資本主義が持っていた労働者の賃金や雇用や健康など保証する制度なり法律なり仕組みなりを、今の時代の基準に照らし合わせて、改めるべきところは改め、足りないことは新たに作成することをしていなかなくてはならない、ということなのである。つまりは、これも至極まっとうな、本来の民主主義に戻りましょうということだ。

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December 31, 2017

2017年の世界を振り返る

 2017年が終わろうとしている。今年はどのような年であったのか、ざっと振り返ってみたい。

 トランプが合衆国大統領になることで様々な問題が出るであろうと思っていた通り、2018年はトランプを起因とする様々な問題が現れた年であった。アメリカではトランプにより税制が大幅な減税になったが、結局のところ長期的には高額所得者や法人だけの大幅減税になっている。これで経済が回復するわけではない。ただ単に減税すれば良いわけではない。しかしながら、今回、議会共和党もトランプの大減税に賛成してしまっている。こうなると、次の大統領選挙で共和党はなにを言うのであろうか。

 また、こうした大規模な連邦政府の歳入のカットは、すなわち中東でもアジアでも大規模な軍事行動はこの先しないということになる。北朝鮮問題について、トランプのホンネは、アメリカが軍隊を出すことはなく、韓国と日本に核武装をさせて北朝鮮に対抗させることであろう。トランプには、本気で北朝鮮問題を解決しようという気はないのである。

 しかしながら、であるのならば、トランプは中東の均衡状態を維持するのかと言えば、エルサレムをイスラエルの首都と承認してしまった。これでトランプへのイスラエルとユダヤ人勢力とキリスト教右派からの支持は高まったが、世界からは反発され、アメリカの孤立を招いている。もちろん、トランプとしてはアメリカが国際社会から孤立しても別に困らないであろう。しかし、アメリカとしてエルサレムをイスラエルの首都と認定することが、どのようにアメリカの国益になるのかさっぱり説明がつかない。

 アメリカによるエルサレムの首都認定を受けて、パレスチナでは反発が広がっている。これからも、パレスチナとイスラエルとの暴力的な対立抗争は続くのである。このようにトランプのやっていることは、事態をますます悪化させている。

 今年の国際社会で注目すべきことは、地球温暖化対策が「当然のこと」になったということだ。ついにと言うか、ようやくと言うか、国際社会が地球温暖化対策に本格的に取り組み始めた。これは温暖化による被害が無視できない規模になってきたということと、温暖化対策がビジネスとして成り立つようになってきたためである。技術進歩により、性能が良くコストが安い太陽光パネルができるようになってきたのだ。これからの世界のエネルギー事情は、石油や原子力から再生可能エネルギーへ転換していく。

 しかしながら、その一方で温暖化による環境破壊が進んでいく。ツバルやキリバス、モルディブ、バングラデシュなどといった国々は水没する可能性がある。アメリカでも9月の大型ハリケーン「イルマ」により、マイアミでは浸水被害が広がった。またニューヨークシティでも大きな水没被害があった。これは温暖化により大型ハリケーンが発生しやすくなったということと、そもそも海面の上昇により沿岸部都市やニューヨークなどといった「島」の上にある都市は水害の危険があることは以前から指摘されてきたことが、実際に起き始めたのだと言えるだろう。トランプがなにをどう言おうと、人類による地球温暖化はもはや誰もが否定することができない、今、目の前にある事実なのである。

 いうまでもなく中国の台頭は、今年もめざましかった。10月の中国共産党第19回全国代表大会で、習近平は中国が世界の超大国になることをはっきりと宣言している。実質的な面において「一帯一路」政策やアジアインフラ投資銀行にはまだまだ話にならない点が数多いが、4兆から8兆ドルレベルのチャイナマネーが流れているのである。世界の勢力地図はどんどん変わっていっている。

 ロシアの存在も無視できない。トランプは中東問題の解決にも関わる気はなく、中東ではアメリカに代わりロシアが影響力を高めている。トランプによるアメリカ外交の崩壊と世界覇権国としてのアメリカのさらなる衰退は来年も続く。その一方でいわばオモテの世界での中国が、ウラの世界でのロシアの勢力の拡大がこれからも続くのである。

 この先も今年がそうであったように世界各地でテロが頻発するだろう。ヨーロッパでは反イスラム感情と極右の政治運動がさらにさかんになるであろう。

 以上、2017年の国際社会の様々な側面を見てきた。この世界はもはや救いようがない混乱と無秩序の事態に突入するかのような見方である。それは事実なのであろう。

 しかしながら、もう一方の事実として、おおむね国際社会の未来は明るい、明るいというか、危機に対して、なにが危機であるかを正確に把握する力と、その危機を乗り越える力が国際社会にはある。ここでいう国際社会とは欧米だけの話ではなく、広く人類一般、中国やインドやベトナムやアフリカ諸国などを含めた人類社会全体のことだ。おおむね人類社会は未来に希望を感じている。唯一、アメリカ、ヨーロッパ、日本などのいわゆる先進国の人々が未来に不安を感じているのだ。

 21世紀も20年近くが過ぎようとしていて、「人類」や「地球」という認識フレームの枠組みがだんだんと生まれつつある。情報通信技術の発展と、自然科学と人類学や歴史学などの諸学問の知識の集積により、ビックヒストリーという宇宙の誕生から銀河と太陽系の生成、生命の誕生と進化、そしてホモ・サピエンスの出現から現代の文明史に至る時間軸を「ひとつ」として捉える見方が論じ始められている。かつて小松左京がSFを通して論じていたものだ。ようやく時代が小松左京に追いつき始めたと言えるだろう。

 2018年も激動の時代になる。思えばいつの時代でも激動の時代だったのだ。その中を、私は思索しつつ歩いていきたい。

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October 28, 2017

現状維持とはなにか

 衆院選の結果は、相変わらずの自民圧勝である。

 この「相変わらずの自民圧勝」というのは、思えばほとんどすべて衆議院議員総選挙は、2009年の衆院選を除けば「相変わらずの自民圧勝」だった。今回、有権者は現状維持を望んで自民党に投票したと言われているが、こうしたことは毎回(2009年の衆院選を除けば)そうだった。この「現状維持を望む」という感覚はよくわかる。

 現状維持というのは、読んで字の如く今の現状が変わらないということである。とことが、だ。現状維持であれば、今の現状が変わらないのであるのならばその通りなのであるが、実際のところ、今の現状そのものに問題がある以上、現状維持であろうとするのならば、実体において現状維持ではなくなるなのである。

 現在は過去の選択の結果である。今の数々の問題は、例えば1980年代に対策を始めていたら、2010年代後半の今日、これほど大きな問題になっていなかったものが数多くある。つまり、現状維持を望んできたために、現状を維持できなくなったことが数多くあるということだ。現状維持というのは、最悪の選択である場合もあり得るのである。

 ただ単純にすべてにおいて「現状維持を望む」のではなく、コレコレは「現状維持を望む」であるが、コレコレは「現状維持を望む」ではダメだと判断しなくてはならない。現在の政治においては、与党・野党とかいうことはあまり意味はない。ざっくばらんな候補者や政党の選択ではなく、これほどネットが普及した今日のこの国であるのならば、個々の政策について有権者が選択できるようになってしかるべきなのであるが、今の選挙制度はそうなっていない。

 変えなくてはならないことは、変えなくてはならない。変えてはならないことは、変えてはならない。

 例えば、安倍政権になって景気が良くなった、いや良くなっていないという声が数多くあるが、安倍政権がどうこうという以前に、このブログで何度も書いているが、バブル崩壊後、この国の政府がやり続けてきたことは、国債を乱発し、景気対策と称するバラマキを続けて借金の山を作ったということだけである。安倍政権がやっていることもこの続きであり、さらに異次元金融緩和という国債乱発のスケールをとてつもなく大きくしたのがアベノミクスというものなのである。これはそもそも「おかしい」「異常な」状態なのだ。

 アベノミクスの異次元金融緩和は、もうそろそろこれはヤバい状態になっているということを誰もが認識すべき時なのであるが、そういう状態にはほど遠い。今、これだけの国債を発行している、これで金利が上昇すれば金利の支払いは不履行になり国家の財政は破綻する。仮に財政破綻にならなかったとしても、いつかは返済をしなくてはならないものであり、他のことに回せるお金がこの支払いに消えていくのである。アベノミクスはやめるべきものであり、今の経済政策は「即刻変えてなくてやらない」。

 その一方で「現状維持でなくてはならない」のが憲法である。GHQが作った憲法であることは確かであるが、あの当時においても、今の時代においても、日本人の手であのレベルの基本的人権と国民主権の水準を維持する憲法を作ることはとうてい不可能であると言っていい。今、改憲をしたいと言っているのは、日本会議などといった国権主義の勢力であり、今の日本国憲法は個人主義が強すぎる、もっと国権に寄るものでなくてはならないと考えている。この勢力が安倍自民党政権を支える大きな柱であり、安倍政権下での改憲は間違いなくこの勢力に沿った改憲になるであろう。そうである以上、GHQが作った国際水準の憲法のままで十分だ。

 もうひとつ憲法9条については、日米安保とセットになっているのであり、憲法9条を変えるには日米安保その他諸々の条約や密約も変える必要がある。このための日米交渉をしなくてはならない。そう簡単に短期間でできるものではない。自衛隊そのものの改革も必要だ。その膨大な予算が、今のこの国の財政では出すことは困難である。そう考えると憲法9条も「現状維持でなくてはならない」のである。

 さらに言えば、在日米軍についてなど、高度な政治性を有する国家の行為については司法は判断しないという結論を裁判所が出す現状では、憲法9条がどのようなものであっても「通ってしまう」のである。この統治行為論の乱用そのものを改めるという認識がなければ憲法9条の改憲は意味はない。北朝鮮のミサイルがどうこうというが、日本防衛の活動をしているのは自衛隊であり海上保安庁である、在日米軍は日本を防衛しているわけではない。このような現状を考えると、現実的観点から見て憲法は「現状維持でなくてはならない」。

 26日の産経新聞によると「安倍晋三首相は26日の経済財政諮問会議で「3%の賃上げが実現するよう期待する」と述べ、来年の春闘での賃上げを産業界に要請した。」という。

 アベノミクスの効果がさっぱり出てこないので、もはや政府は強制的に賃上げを要求してきたということである。民間企業が従業員に直接的にいくらの賃金を支払うかということについて政府が要求をするというのである。これはもう自由経済とは言い難く、戦争中のような統制経済になってきたと言えるだろう。もともと、戦後の日本経済は大枠において戦争中の統制経済がそのまま存続しているところがあったが、それは今でも続いている。中国ロシアや北朝鮮のような非自由主義経済的な国家による統制がどうこうという声をよく聞くが、この国も同じようなことをやっているのである。

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October 15, 2017

1950年にできた枠組み

 安倍自民党は憲法に自衛隊を明記する改憲案を提示し、憲法を改正してこれを2020年に施行させようとしている。

 今、憲法第9条を改正せよという声が多い。憲法第9条には「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」とあるのに、なぜ自衛隊があるのかという問いがある。国が防衛力を持つのは当然であり、当然のこととして自衛隊はある、であるのになぜ自衛隊は違憲になるのか。憲法に軍隊を持たないとあるのはおかしいではないかという声は多い。

 回答は簡単だ。GHQが軍備を持てと言ったから持った。そうとしか言いようがない。なぜ自衛隊があるのかと言えば、70年前にマッカーサーと吉田茂がそうしたからとしか言いようがない。再軍備はできないという憲法がありながら戦力を持たせたのはアメリカであり、その指示に従ったのは日本政府である。

 なぜ憲法に戦力を持たないとあるのに、自衛隊は存在しているのであろうか。1950年に朝鮮半島で朝鮮戦争が勃発し、アメリカは日本に駐留させていた部隊を出動させることになった。だがそうすると。日本の防衛兵力が存在しなくなる。そこでその代わりとしての武装組織を発足させるととした(露骨に言うと、これは日本国及び日本国民のための防衛ではない。なんのための防衛兵力かと言えば、進駐軍つまりGHQのための防衛兵力である)。日本国憲法は1947年(昭和22年)に施行されているので、これは当然、憲法第9条に触れることではあったが、憲法以上の存在であった占領軍の指示である。事実上、警察予備隊の創設は日本の再軍備であったが、時の総理大臣吉田茂はこれを再軍備とはいわず「警察予備隊」と言い続けた。

 しかしながら、警察予備隊ができたのは占領時代の話だ。これがGHQを守る兵力であるのならば、占領が終わり、日本が独立国になった後は、憲法違反の警察予備隊を廃止していいはずだ。あるいは、戦力を持たないという憲法はおかしいとするのであるのならば、GHQから「押しつけられた」憲法を即刻改憲すべきであった。

 ところが、そうはならなかったということに日本の戦後史のある側面がある。占領が終わり主権回復をした1951年(昭和26年)以後、今日に至るまで日本国憲法はなにひとつ変わることはなくそのままであり、警察予備隊は保安隊になり自衛隊へと拡張していった。

 なぜそうなったのであろうか。

 ここで大きく言えば米ソ冷戦というもの、具体的には朝鮮戦争というものが現れる。おおざっぱに言ってしまうと、今、私たちが置かれている状況とは、1950年に起きた朝鮮戦争への協力体制がその後もずっと続いてきたという状況なのである。日本の戦後史でいう「逆コース」のことなのであるが、この時代のことについて、先日もここで紹介した矢部宏治さんの『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』(講談社現代新書)にわかりやすく書かれており、しかもこれまで知らなかったことが数多く書かれていた。

 この本の中の4コマ漫画を講談社のウェブページで見ることができる。これを見るだけでも、これまで私たちが知らなかった日米安保の事実がわかる。ようするに、こういうことだったのだ。

 もともと、なぜ日本国憲法の第9条で日本は戦力を保持しないとしたのかと言えば、当時、マッカーサーが構想していた日本の防衛とは、国連及び(実質的にはアメリカ軍を主力とする)国連軍が日本を防衛するというものであった。

 第9条はこれ単独ではなく、日米安保やそれに関連する協定や密約などと一緒に考えなくてはならない。なぜ第9条で戦力の保持を放棄しているのかと言えば、日本にはアメリカ軍がいるから戦力を保持しないのであり、ではなぜ自衛隊が存在しているのかと言えば、有事の際にアメリカ軍の指揮の下で日本の防衛を行うための日本側の実行組織として自衛隊がある。このことをまず第9条の認識の基本にしなくてはならない。すべてはこの理解から始まる。この理解がないため9条論議は常に混乱するのである。

 日本にはアメリカ軍がいるから戦力を保持しないというのは、日本国内にアメリカ軍がいることを認めるということだ。ここで重要なことは、日本国内にいるアメリカ軍とは、日本の防衛のためにだけ存在する兵力ではないということだ。日本政府は、日本国内にいるアメリカ軍は、日本の防衛のためにだけ存在する兵力とするという取り決めをしていない。

 つまり、日本国内にいるアメリカ軍はアメリカ国内のアメリカ軍とまったく同じであり、在日米軍基地及び基地外部でなにをしようとも、また基地からどの国へ兵力を送ろうとも日本国はまったく関与しない(というか関与できない)というものである。日米安保条約では、アメリカは日本の最終的な防衛義務は負っていないことはあまり知られていない。というか、ほとんどの人々はそのことをを知らない。アメリカは日本を守ってくれると無邪気に信じている。

 こうした日米関係を基盤として第9条は成立している。つまり第9条とは、いわば日本を軍事的には半植民地的状態にするものであったのだ(GHQが作ったのだから、当然と言えば当然なのであるが)。

 これに対して日本政府は、わずかばかりの抵抗をし続けてきた。自衛隊の活動が日本国内に留められていれば、有事には自衛隊はアメリカ軍の指揮下に入るといっても日本国内の専守防衛だけにすることができる。だからこそ戦後日本の歴代政権は自衛隊の海外活動に難色を占めてきた。ところが、安倍政権による新安保法制の成立はこのストッパーを外してしまい、海外での自衛隊の活動を法的に可能にした。自衛隊はアメリカ軍に従って海外派兵をすることができるということになってしまった。

 さらに安倍自民党は自衛隊を合憲にしようとしている。この状態で自衛隊は合憲、海外派兵はすでに合憲、しかしながら、指揮権はアメリカ軍にあることは変えないということは、日米関係がより強固なものになるのではなく、日本の対米従属がより強固なものになるというのが正しい。

 日本が戦力を持たないのはおかしいとするのは極めて当然の考えだ。ではなぜ自衛隊はアメリカ軍指揮下になる現状を変えようとはしないのであろうか、なぜ、正しい本来の姿の軍隊を持とうとしないのだろうか。ただうわべ的な部分だけを変えても、なにも変わらない。

 現状の自衛隊は在日米軍の支援組織、補助組織として作られた組織であり、主権国家としての日本国の軍隊としての役割を完全に実行することができない。これをあるべき正しい日本国の軍隊にするにはやるべきことは数多くある。ところが、安倍自民党においても、憲法に自衛隊を明記するという話だけで、実質上、専守防衛といういびつで、かつミニアメリカ軍のような「ぐんたい」である自衛隊の内容を日本国のまっとうで正しい軍隊にするという話はまったく出ていない。

自衛隊を正しい日本の軍隊にするには、当然それなりの莫大な費用がかかる。その費用はどこからか持ってもなくてはならないということになる。第9条を変えるといっている政党で、そうしたことを言っている政党はひとつもない。いざとなったらアメリカ軍頼みのメンタリティーは、今日においても変わることなく続いているのである。

 戦後日本の安全保障が「こういう姿になってしまった」ことの背景には、第二次世界大戦以後の世界は米ソの冷戦になったということ、アジアで朝鮮戦争とベトナム戦争が起きたということ、国連が世界政府として機能しなかったということ、そしてなによりも敗戦国として世界覇権国である超大国アメリカの意向を否応なく受けざるを得なかったということなどがある。マッカーサーが想定した世界政府としての国連と強力な国連軍の存在を前提とした日本国憲法第9条は、そうなることはなかった戦後の現代史と日米関係の中で大きく歪んだものになってしまった。

 この歪みの出発点になったのは朝鮮戦争である。この1950年6月に起きた出来事によって成立したある歴史的な枠組みがあり、我々はその枠組みの中に2017年の今日においてもあり続けている。そして、今の状況を考えるとこの先も続くものと思わざるを得ない。

 私は9月30日にここで「結局、希望の党が出現しても、国民の暮らし、生命、財産、基本的人権というものは置きざりにされたままになっている今の状況はなにひとつ変わらない。」と書いたが、これは枝野さんの立憲民主党の出現があった今でも変わっていない。

 今回の選挙は自民、公明、希望、維新が圧勝し、選挙後のこの国の政治には巨大な保守連合とも言うべきものができる可能性は高い。結局、立憲民主党が出現しても国民の暮らし、生命、財産、基本的人権、さらに言えば国家主権と平和の理念が置きざりにされたままになっている今の状況はなにひとつ変わらない。この国の政治は軍事において、事実上、野党は消滅したのである。これを矢部さんは最近のコラムの中で「「朝鮮戦争レジーム」の最終形態である「100パーセントの軍事従属体制」に他ならない」と述べている。

 今後、安倍自民党たちが悲願とする憲法改正はできず、第9条はこのままであったとしても、矢部さんがコラムで書いているように、在日米軍と自衛隊の一体化はさらに進展していくだろう。また核兵器の保持が、現実をもって論じられるようになるだろう。その時、核兵器の配備場所として沖縄が挙げられるようになることは十分ありうる。中国と北朝鮮の脅威に対抗するために、在日米軍と自衛隊の一体化を進め、沖縄に核兵器を公式に配備することが、この国の安全保障で必要なのであるというが声が強く聞こえるようになるだろう。

 我々はこの枠組みの中から、いつ抜け出すことができるのだろう。

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