日記・コラム・つぶやき

August 30, 2020

安倍政権が終わった

 28日の記者会見で、安倍晋三首相は辞意を正式に表明した。ようやくと言うか、とうとうと言うか、ついにと言うか安倍政権が終わった。本来、とっくに終わっていなければならないものが、これほど長く続いてきたのは、マスコミが営利を目的として正しい報道をしていないということと、それをおかしいともなんとも思わない我々国民にその理由がある。

 安倍政権とはなんであったのかということを、きちんと検証することをするだろうかというと、ごく一部のメディアを除いてしないであろう。政治が無能であったとしても、経済は困ることなく進んでいたかと言えばそんなことはまったくなく、安倍政権下でこの国はどんどん衰退していった。

 安倍政権は、消費増税、財政の健全化、金融政策、成長戦略、社会保障、雇用、地方創生、教育、保育、女性活躍、少子化、防災、北方領土問題、北朝鮮拉致問題、通商政策、憲法改正、安全保障、等々と実に様々な課題を掲げてきたが、どれひとつとして満足に対応できたものはなかった。

 この百花繚乱的な課題の提起は、安倍政権以前の政権にはなかったものだ。安倍政権の特徴の一つは、現在のこの国が抱える問題を次から次へと掲げるだけ掲げて、いつの間にか忘れ去り、次に別の課題がまた掲げられて、また忘れ去られるのくり返しであった。

 掲げられてきた数々の課題は間違っていない。確かに、こうした諸問題に直面している。政治は結果だという声が多いが、私はそうは思わない。政治的課題は短期間で解決することは少ない。少なくも上に挙げた課題は、10年、20年かけて対策をしていかなければならないものばかりである。結果はすぐに出るものではない。それらの課題にどう立ち向かっていたのかが問われるのである。だからこそ、そのひとつひとつに真摯に向き合う姿勢さえあればまだましであったのだが、それすらもなかった。

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August 16, 2020

不戦の誓いをなぜ靖国神社で行うのか

 昨日の終戦の日(正しくは終戦の玉音放送が行われた日であり、連合国降伏文書への調印が行われた9月2日が第二次世界大戦の終結の日になる)に、小泉環境相ら4閣僚靖国参拝したという。4年ぶり第2次安倍内閣発足後最多になるという。

 萩生田氏は参拝後、記者団に対し「一政治家として恒久平和を次代にしっかりと守り抜き、不戦の誓いを新たにした」と述べたという。しかしながら、「恒久平和を次代にしっかりと守り抜き、不戦の誓いを新たにした」ということをなぜ靖国神社で行う必要があるのか。

 衛藤氏は、中国や韓国が反発する可能性について問われると、「国の行事として慰霊しているわけで、中国や韓国から言われることではない」と強調したというが、「国の行事として慰霊」をなぜ靖国神社で行うのだろうか。

 高市氏は「国家、国民を守るために命をささげた方に感謝の思いを伝えるのは、一人の日本人として続けていきたいことだ。これは決して外交問題ではない」と述べたというが、「国家、国民を守るために命をささげた方に感謝の思いを伝える」ことをなぜ靖国神社で行うのだろうか。

 小泉氏は「どの国だろうとその国のために尊い犠牲を払った方々に、心からの敬意と哀悼の誠を捧げることは当然のことではないでしょうか」と述べたというが、それをわざわざ靖国神社で行うのはなぜなのであろうか。

 別に靖国神社でなくても良いはずだ。国家的な戦没者追悼施設として千鳥ケ淵戦没者墓苑がある。例えば、なぜ千鳥ケ淵戦没者墓苑ではいけないのか。なぜ靖国神社なのか。そのことについての理由がわからない。

 靖国神社に参拝をする行うということは、靖国神社の存在を認めているということである。なぜ中国や韓国からとやかく言われるのか、なぜ外交問題になるのかという声をよく聴くが、靖国神社だから「中国や韓国から言われること」になり「外交問題」になるのである。

 上記の方々は、そうしたことがわからないのであろうか。いや、わかっているのだろう。わかっている上で、靖国神社を参拝しているのだろう。ようするに、戦前の国家神道は間違っていないと思っているのである。自分たちの行動が、劣化した保守主義勢力からの支持を得ることになることがわかっているのであろう。

 靖国神社は、国家のために戦場で死んで行った人たちを追悼する施設ではない。天皇のために死んでいった戦士を顕彰する施設である。その天皇は日本史の天皇ではない。明治政府が作った皇国史観の天皇である。靖国神社には朝敵は祭られていない。靖国神社は宗教施設ではなく、明治政府の政治イデオロギーの施設なのである。そのことは大正、昭和になって変わらず、GHQの占領政策では日本占領に利用される形で不問にされ、占領が終わった後、今に至るまで、靖国神社とはなんであるのかということについて国民的な認識は無関心のままになっている。その無関心の空白に、戦前の国家意識を復活させようという劣化した保守主義が入り込んでいる。

 あの戦争を忘れてはならないと言うわりには、この国の人々は日本がアジア諸国へ侵略をしてきたということを忘れている。忘れている理由の一つは、学校で教えていないということである。学校教育は、国の方針に基づくものである。ということは、この国の方針はこの国がアジア諸国へ侵略した歴史を国民に教えないということになのだろう。75年たっても歴史認識がどうこうと言われる背景には、国はあの戦争とアジア諸国への侵略についてきちんと結論を出していないということがある。

 かくてこの国は戦前の何が間違っていたのかということについて、今だ知ろうともしないし、わかろうともしない。なぜそうなのか。日本国内、日本人だけに限れば、知らなくても、わからなくても済むからである。

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June 07, 2020

自粛が終わり何が残ったのか

 5月25日に新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言の終了された。そして本日6月7日である。東京都は6月2日に東京アラートなるものを発動したと言う。

 数字で見る限り、日本での新型コロナウイルスの感染者数は非常に少ない。ただし、そもそもアジア諸国は欧米に比べて圧倒的に感染者数が少ない。アジアでは日本はフィリピンに続く感染者数第2位である。決して日本は優れた要因があったわけではなく、また感染抑制に成功したわけではない。成功しているのは台湾である。そう考えると全国一律の自粛ではなく、必要な地域や範囲、経済セクターに自粛を要請するというのが最も必要な対応ではなかったかと思う。

 もちろん、ではどこが「必要な地域や範囲、経済セクター」なのかということを判断しなくてはならない。この判断をするのが政治である。今回、なにもしなければ82万人が死亡すると説いたのが北海道大学の西浦教授であるが、これは専門家として数理モデルから導き出した数字だ。感染病対策は最悪の場合を想定するのは当然のことだ。これをそのまま実行するれば世の中はどうなるのかを考えるのは医者の努めではない。政治家やマスコミや社会科学者や努めである。

 西浦教授は『ニューズウィーク日本語』版6月9日号の中の寄稿の中でこう書いている。

「私は組織の中ではリスク評価をする立場でしかなく、大きな方向性の決定を伴う発表は、リスク管理の司令塔の役割を担う方の責任で行われるべきものだ。被害想定が必要な時期に、タイミングを図って励ましとともに言っていただくことが必要だ(これまでの日本の政治・社会の文化では難しいことだろうが、これからは変わっていく必要がある)。」

 これは極めてまっとうなことを言っている。ようするに、西浦教授は専門家としての意見を述べたまでのことであり、政府やマスコミは西浦教授が言う「8割削減」や「42万人死亡説」を、なにも考えずただそのまま流して世の中にウイルス危機を煽っただけなのである。

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May 10, 2020

数字は保健所の検査状況を表している

 ここ数日、東京都の感染者数が少ない件数を維持しているということであるが、そもそも検査数が低いので、これで全体がわかる数になっていない。感染者の数が減っているのか増えているのかわからない状態になっている。

 この数は今のこの国の感染状況を表すものではなく、今のこの国の保健所の検査状況を表しているにすぎない。それも全国の保健所からのデータをリアルタイムで正しく集計するシステムも仕組みもないので、曖昧な数値である。これでは今の状況も今後のこともわかりようがない。

 しかしながら、このへんのことを考えることはせず、ただ本日の感染者数は何人でした、自粛がきいています、さらに今後も自粛をお願いしますと言い、適当なところで出口戦略なるものをやるのであろう。信頼できる数理データを出して判断するということはせず(なぜならば、できないのだから)、なんとなく雰囲気で物事を進めていくのは今に始まったことではない。

 この先、このままでは生活が成り立たない等の政府への批判、不満の世論の様子を見て、頃合いをみて新規感染数が抑えられてきたからなどと言って緊急事態宣言を解除するであろう。この曖昧で不正確な数字をもって、我が国は欧米諸国とは違い、こんな低い数字で新型コロナを収束させましたと言うだろう。

 国民への一律給付金10万円の支払いに、次はないであろう。政府は補償をこれ以上行うことはしたくないのである。解除も本来であれば、どの範囲の事業について、どのような自粛が必要なのであるのかということについての定量的データに基づく判断が必要なのであるが、そうしたことを行うとはまったく思えない(なぜならば、できないのだから)。

 できないのは、これまでの平時の仕組みでやろうとしているからだ。今は平時ではないので、平時の制度でやろうとすればそりゃあできないであろう。今は平時ではない、制度の仕組みを変えるのが政治家の務めである。この認識が根本的に欠落しているのである。

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May 04, 2020

緊急事態宣言が延長された

 緊急事態宣言が5月31日まで延長されるという。不必要な外出自粛がまだ続くことになった。コロナだからしかたがない、で経済を崩壊させても良しとしているのである。なにかもが曖昧のまま、かくもズルズルと「自粛」が続くのは、きちんとした検査体制ができていないからだ。

 これについて5月3日の毎日新聞オンライン版はこう書いている

「政府がPCR「陽性率」を正確に把握できない事情 12都県は厚労省の報告要求に応じず」
「新型コロナウイルスの感染の有無を確認するPCR検査(遺伝子検査)について、政府が新規の検査人数に対する陽性者の割合(陽性率)を正確に把握できずにいる。国内の感染状況を分析するための重要な指標だが、検体を採取する機関が多数ある上に、その検査結果が判明する日にちもバラバラになりがちで、陽性率の算出に不可欠な「分母」(新規検査人数)と「分子」(陽性者)を全国的に把握する仕組みが存在しない。厚生労働省が求める報告に、12に及ぶ都県が応じていない実情もある。」

 「応じていない」とあるが、「応じる仕組みになっていない」ということなのであろう。「応じる仕組みになっていない」のは、これほどの事態が起きたことはこれまでなかったからであろう。

 というわけで、正確な数字が出せないので、残る手段は闇雲に全国一律の「自粛要請」ということなのであろう。ただし、これによってどのような効果があるのか、どのような意味があるのかということは、これも正確な数字が出せないのでよくわからない。それでは経済はどうなるのかというと、まったく何もしません、になっている。定量的な数値目標も具体的な改善策もなく、ただかけ声ばかりの空虚なポエムを流しているだけである。

 今こそオンラインを活用すべきとか、これからは全面的にネットを使ったライフスタイルに変わるという声が多い。仕事はテレワーク、学校はオンライン、買い物も食べ物もAmazonやUber Eatsなどでいい、全部が全部ネットでやればいいという声が多い。これまで、なんと数多くの不要なことをやらなくてはならなかったのかという声が多い。こんなものは不要である、と。

 しかしながら、オンラインでできるものもあれば、できないものもある。介護や保育や医療はオンラインではできない。人間の暮らしはオンラインのコミュニケーションですべてできるものではない。対人距離が離れていてはできないことはある。教育ですら、すべてオンラインでできるものではない。このままではオンラインで代替できない職種に携わる人々に負担が大きくかかることになる。

 「新しい生活様式」なるものが専門家会議から示されたというが、こんなことを本当にやらなくてはならないのならば、人々の暮らしと世の中の経済が成り立つとはとても思わない。政府が言う専門家会議は、疫学や公衆衛生などのお医者さんの集団である。なぜきちんとした経済なり経営なりの専門家からの提言をつくらないのであろうか。

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April 29, 2020

有事の対応ができない国

 もともと、このコロナ状況になる以前からこの国には数多くの問題があった。当然のことながらアベノミクスで経済が良くなるわけはなく、さらなる停滞と衰退が進んでいた。

 専門家はもちろん対人接触を完全にするなと言うであろう。現実には「完全に」ということはできないので、8割と言っている。本来、国が最も行うべきことは検査体制の拡充や医療従事者への支援であり、中小企業や介護従事者や失業者への金融支援である。学校を閉鎖したり、国民全員が自宅に籠もらなくてはならない理由はどこにもない。韓国はPCR検査の体制をすばやく拡充し、スマホを使ったクラスタ追跡調査など最新テクノロジーを使っている。中国は10日間で新型コロナ専門の病院を建てた。

 日本で10日間は無理かもしれないが、今だになぜ新型コロナ専門の医療機関ができないのであろうか。土日になると保険医療機関が休みになるので、検査回数が減るという発展途上国並の体制になっている。営業自粛に従わない(そもそも「自粛」に「従わない」というのは言葉としておかしい)パチンコ屋に騒ぐという大政翼賛会的な世の中になっている。B29に竹槍で向かい、空襲は隣組でバケツリレーを行って消火させるということを本気で信じていた70年前と同じなのである。親が子供の時に過ごした「戦中」という時代の雰囲気を、21世紀の今になって自分が体験するとは夢にも思わなかった。

 本来カネをかけるべきところにカネをかけず、ようやく出すようになったら小出しに出す。今現状はどのようになっており、これからなにをどのように進ませていくのか、今誰がどのように困っているのか、ということについての論理的な説明は一切なく、ただその場その場の世論に合わせているだけである。

 韓国はSARSやMERSの危機から学んでいる。この国は311からなにも学ばなかった、なにも変わらなかったように、このコロナ状況から、またなにも学ぼうとせず、なにも考えようとせず、ただ世界的なパンデミックという嵐が通り過ぎるのを待っているだけである。なにも考えないから意味のない余計なことをやり、それが物事を悪くしている。

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April 25, 2020

日本の住宅事情は在宅勤務には向いていない

 さすがに3月末からの在宅勤務生活に身体が耐えられなくなり、今日は午前中に巣鴨駅まで歩いて帰ってきた。1時間程の歩きである。自粛要請の中、休日の人の多さで世評を騒がせた巣鴨商店街は、お昼前であるためかそれほど人の通りは多くなかったが、それでも少なくはなかった。商店街として当然の姿であろう。東京都知事は毎日の買い物を3日に一回ぐらいに控えて欲しいと言っているが、とてもではないがそんなことはできるわけがないではないかと思う。

 国はテレワークで在宅勤務を勧めているが、日本の大多数の家庭はアメリカのようにガレージや屋根裏部屋や地下室があるわけではなく、広くて大きいわけではない。狭い家の中で、どのようにして仕事をする場所を確保できるというのであろうか。日本の住宅事情は在宅勤務には向いていない。

 そもそも「人が来る」「人が集まる」は経済の基盤である。これに対して「来るな」「集まるな」というのが今の状態だ。経済を支えているのは中小企業である。「来るな」「集まるな」では日々の収入がない中小企業はジリジリと運用資金がなくなっていくことになる。経営が成り立たなくなる。自粛と補償は一体であるべきなのであるが、政府や都は自粛せよとしか言わない。これは補償ができる予算がないということと、そうしたことを行う制度や仕組みがないからであろう。このへん、アメリカと戦争ができる国力がないのにも関わらず、戦争の続行を言うことしかしなかった75年前と同じである。

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April 18, 2020

台湾・韓国に学ばない日本

 今回の新型コロナウイルスへの対策に、台湾と韓国の政府は優れた対応を行っていることは言うまでもない。日本政府の対応が大きく遅れたの理由のひとつに、台湾と韓国が行ったことを真似したくないからであるという声がある。これはあながち間違ってはいないだろう。特に韓国のやっていることを日本政府はま正面から見たくないのだろう。韓国を格下に置きたい、韓国を見下したいという政治意識が今のこの国にはある。

 韓国にせよ台湾にせよ共有していることは情報の公開性であり透明性でありスピード感だ。どこの国だからどうこうということではなく、他国の優れているところはどんどん積極的に導入していく、ということが今のこの国にはできないのである。

 休日の読書は、先週、ジェームズ・C・スコット著『反穀物の人類史』(みすず書房)を読み終えたので、今は三中信宏先生の分類学の本を読んでいる。この人の本を最初に手に取ったのは、池袋のジュンク堂で倉谷滋著『地球外生物学』(工作舎)を棚からとって、しばらくパラパラと読んで棚に戻した時、その隣に三中信宏著『分類思考の世界』(講談社現代新書)があった。ふーん分類学かと手に取ってページをめくってみると、分類学の本でありながら歴史の話が多そうで、これはおもしろそうと感じた。

 この時は買わずに、自宅でAmazonで見てみるとさっきの本の前に『系統樹思考の世界』というのが同じ講談社現代新書で出ているようだ。後日、この2冊を買ってきて、まず『系統樹思考の世界』を読んだ。生物の進化や系統という思考と世界樹の思考はつながっているというのはよくわかる。続いて『分類思考の世界』を読む。こういう文科系と理科系が融合した本はたいへんおもしろい。サイエンスのひとつの側面はこの世を数理的に見るということであるが、もうひとつの側面はこの世の物語を読むということだ。この世の物語を読むということは人文学も変わらない。

 このコロナ状態で人々の暮らしが変わるという声があるが、世界の数多くの人々が今思っていることは早く元の生活に戻ることだろう。

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April 12, 2020

緊急事態宣言が発令された

 今週4月7日に緊急事態宣言が発令された。私は、実質的には3月27日から自宅での在宅勤務になっているので、変わらない日々である。平日は家の中で仕事をして、外に出るのは仕事を終えて晩ご飯を買いに近所のスーパーやコンビニに行くことしかしていない。

 グローバル化した世界で感染力の高い病気が発生した場合、世界的にパンデミックになるのは当然のことだ。それはこれまで数多くの人々が述べてきた。もともと、人類、ホモ・サピエンスは定住をしない移動をして狩猟採集の生活をする生き物であったが、1万年前から紀元前3000年頃までにかけて定住し農耕を主体とする生活をするようになった。定住化し、密集した集団社会になり家畜と暮らすようになることで、さまざまな疫病や寄生虫と暮らす生活になった。パンデミックが発生する可能性が常にあり、事実、疫病で滅びた社会は数多くあった。

 今回の出来事も人類史の流れでみれば、これまで無数にあった出来事がまた起きたということだ。このグルーバル・パンデミックは世界史の感染病の歴史に残る出来事であり、それに遭遇したということになる。

 今日は日曜日であるが繁華街の人通りはかなり減っているようだ。平日の通勤も含め、完全に人の移動を停止させなくては短期間で収束させることはできない。十分な補償のないやり方ではこの状態がずるずる続き、自粛は長引くことになるだろう。今の状況は、景気対策や経済復興とは根本的に違うということがわかっていないのである。

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December 28, 2019

香港を考える

 香港について、ぼんやりと考える。

 1997年7月、香港は中国に返還された。返還された先の中国とは、中華人民共和国である。

 もともと清朝の版図であった頃や大英帝国の領土だった時の香港の人々は、これほど自由や民主主義を唱える人々ではなかった。それがかくも自治の意識を持つようになったのは、今の中華人民共和国の政治スタイルのためではないだろうか。大清帝国も大英帝国も、香港に対しては、いわば「ゆるい」統治を行い、支配体制への直接的な反抗をしないのであるのならば、およそなにをしても関知しない支配だった。ところが、今の中国政府は香港を大陸中国に同質化させようとしている。香港がこれに抵抗するのは言うまでもない。

 香港は、香港でなくなることに抵抗しているのである。思えばかつて大日本帝国は、日韓併合をして朝鮮の人々を無理矢理に皇民化させようとしたが、その同じようなことを大陸中国は香港に対してやろうとしている。日本を行ったこの誤りを、中国も繰り返そうとしている。

 今の中国には、かつての清朝や大英帝国のような統治ができない。清朝は満州族が建国した帝国である。漢族とは異民族である彼らは、漢族の帝国であったそれ以前の中華帝国の資産を継承することについてこれを尊重し、清は漢族の文化の国でもあることに努めた。中国とは異質な文化の集合体であり、異質なものを異質なものとして受け入れ、なおかつ帝国としての統合性を保つことが、実は中国という広大な大地を統治することにおいて最も重要なことであることを、遊牧の異民族である彼らはよく知っていた。

 今の中国がこうした統治形態をとることができない理由を簡単に一言で言うのならば、そもそも中華人民共和国という国の建国の理念にはそうしたことが入っていないからだ。習近平の言う中華民族の偉大な夢というビジョンは、かつての戦後日本の高度成長期の社会ビジョンとさほど変わることがない。

 清朝の次の支配者である大英帝国については言うまでもない。極東の遠いアジアのことなどよくわからず、大英帝国の植民地の要であるインドと比べると、統治しているのかどうかもさだかでない極東の植民地が香港であった。

 香港にはこの歴史的な「ゆるさ」がある。そして、今消えようとしているのが、この「ゆるさ」の中で育まれてきた様々なものだ。民主派は自由と民主主義という理念を求めるが、親中派は経済的安定と繁栄を求める。確かに理念だけでは、人々は生活をしていくことはできない。しかし、その一方で香港が香港でなくなり、大陸と同化してしまうことを望む香港人は大多数ではないだろう。

 だからといって、香港にせよ台湾にせよ、民主派・反中国派の政治勢力が主流になってしまうのは危険である。民主派と親中派の双方がいるのが、あるべき姿であり、そのバランスの上に立って北京と対等に渡りあえる指導者が出てくるのが望ましい。香港は香港であるが、同時に中国の香港でもあることは否定できない事実なのである。

 そのためには、反中でなければ親中でもない。民主主義の香港でありながら大陸との良好な関係を保つ「一国二制度」の本来のあるべき姿とは、このようなものであるという思想なりビジョンなり政策なりが必要なのである。それを作り出し得るかどうかに、今後の香港の行く末があるのだろう。

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