June 08, 2008

大阪へ行った

 さる6日(金)は、仕事で大阪へ行った。このところ、何度も大阪へ行っている。

 東京駅、朝6時27分発という、仕事でなきゃこんな時間に乗るものかという新幹線「のぞみ」に、どうにか乗り込み。とりあえず、朝ご飯。

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 一日中かかると思った仕事が午前中で終わってしまった。やったあ。

 というわけで梅田でのんびりしようかと思ったが、ものすごく久しぶりに、千里の国立民族学博物館へ行く。

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 前回行ったのはいつだったか覚えていないぐらい久しぶりである。まあ、行っても、中を見る時間は正味1時間ぐらいしかないのだけど。

 中の展示は、おぼろげに覚えている前回の展示と、同じ部分もあれば、新しい部分もあった、ように思う。平日金曜の午後の博物館の中には、中学生の団体の子供たちと、年配のご婦人の姿がちらほら見えるぐらい。壮年のおじさんなんて、ワタシ一人なのであった。

 国立民族学博物館、通称みんぱくには、世界各地の人類の伝統的な道具が集められている。ただし、これらは道具であって、道具というのは、その道具を使う技術や知識があって初めて意味を持つ。しかし、それらの技術や知識は、歴史の中で次々と消えてしまった。今の時代は、情報と通信と経済のグローバリゼーションによって、人類の生活様式は「同じ」になろとしている。「同じ」になることで、失うものは何であるのか。そうしたことを、ぼおぉぉと考える。

 やはり、一番興味深いのは、朝鮮民族の文化や習俗の展示コーナーであった。これまで、朝鮮文化をさほど意識して見ることはなかったのであるが、今回はなんか注目してしまった。特に感動的だったのは、展示コーナーとは別に中庭のような場所に、古い朝鮮の民家の実物展示があって、なんと靴を脱いで、その民家の中に入れるである。これは、まさに韓国ドラマ「ホジュン」に出てくる民家ではないか。これは、いい。さすが、みんぱくは違う。思わず、「アニヨンハセヨ」と口に出して入ろうかと思ったが、なんか恥ずかしいのでやめた。自分以外に、誰もいなかったんだけど。

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 入ってみて、裏の方へ回ってみると、どうもこれは民家ではないのではないかと思い始めてきた。酒と書かれた印が掲げられているし、食堂(?)みたいな部屋もある。民家にしては、なんかへんだなと思う。よくわからん。(あとで自宅で、みんぱくのウェブサイトで見たら、これは、酒幕(しゅまく)という旅人の相手の居酒屋みたいなもののようだ。1920年当時の建築物だというので、「ホジュン」の時代よりはるか後の時代ではないか。まあ、変わらない風景だったのであろう。)

 もっと、「ホジュン」に浸っていたかったのであるが、帰りの新幹線の時間もあるので、みんぱくを出て、万博記念公園の中を歩く。みんぱくは、万博記念公園の中にあるのである。

 ちなみに、この万博記念公園の中を歩いたのは初めてであった。ほほう、これが、アレか、と初めて太陽の塔の実物を見た。

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 記録映像で何度も見てきた、日本の戦後史のビックイベントであった大阪万博である。太陽の塔の前にして、万博とは一体なんであったか、というか、万博に始まり、80年代のバブル崩壊で消えた、戦後日本のお祭り騒ぎとは、一体なんであったのか、と考えようかと思ったのであるが、歩き疲れて、どうでもいいやという気分になって、ベンチに座って缶コーヒーを飲みながら、ただひたすらぼぉーと太陽の塔を眺めていたのであった。

 というわけで、東京の自宅に帰り。夕食は、新大阪の駅で買った駅弁を食べた。

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June 01, 2008

『トム・ヤム・クン』を観る

 今、最も注目すべきアクション俳優は、タイのトニー・ジャーであることは、そっち方面の人々の間では常識であると言ってもいいことであるが、このトニー・ジャーの主演第二作目の『トム・ヤム・クン』について、あーなんかそういう映画があったな程度のことしか記憶になかった。第一作目の『マッハ』は見ているが、見た当時は、今のように武術にそれほど思い入れしていない時だったので、こりゃあ、すげえアクションだ、と思ってそれでオワリであった。

 最近、アクション映画でスタント専門にやっている人たちのブログをよく読んでいるけど、その中でトニー・ジャーの『トム・ヤム・クン』はとにかくスゲエと書いてあって、そーか、そーだったのかと、さっそくYoutubeで見てみると、これは確かにスゲエ、のであった。

 話は少し変わるが、関節技というのは、かつての武術の中で大きな意味を持つ技である。しかし、柔道は柔術から柔道になった時に関節技がなくなってしまった(訂正します。講道館柔道にも関節技はあります)。それから、空手には関節技はない(と言っていいかどうかはいろいろあるが、とりあえずない、とする)。今の日本の武道で関節技があるのは、合気道と、その源流である合気柔術である(くどいようであるが、柔道にも関節技はある。)外国の格闘術で言えば、寝技での関節技を多用するのはブラジリアン柔術であろう。逆から言えば、今の時代に古流にあった関節技を見ることは、それほど難しいということなのである。

 そういうわけで、関節技について、漠然というかぼぉーと考えているのであるが、Youtubeで『トム・ヤム・クン』のいちシーンを見て驚いた、というか感動してしまった。見事な関節技なのである。特に、相手の蹴りをああ捌くというのは、生まれて始めて見た。ここのシーンのことは、DVDの特典で、アクション指導監督がインタビューで語っている。

 ここのシーンのアクションは、これまでにないものにしたいという監督の希望があって、トニー・ジャーが古式ムエタイの先生になにか技はないかと尋ねたという。そこで、今は使われていないが、古いムエタイには象の型を使った関節技があると言われ、トニー・ジャーはその型を学び、さらに自分で工夫をして新しい関節技を考え出したそうだ。なるほど、確かに、あの手の動きは象の鼻に似ている。それにしても、シャム拳法というのは、象の動きからも学ぶということに驚く。中国拳法もそうなんだけど、とにかくまあ、アジアの格闘術というのは、動物や昆虫の動きから学ぶんだよなあ。

 とにかく、この40人以上はいる相手に片っ端から関節技をかけていくシーンと、1台のカメラが途切れることなく長回しで、フロアーを登りながら次々と敵を倒していくシーンは、アクション映画の歴史に残る名場面と言っていい。これほどの見事な映画でありながら、この映画のことがあまり知られていないのはタイの映画だからなのか。

 この映画での中国に対する見方も興味深い。密猟、密輸、人身売買、海賊版DVD、そして珍味嗜好と、中国が徹底的に悪い連中になっている。タイから見た中国のイメージがわかっておもしろい。こんなこと、日本の映画じゃできないよなあ。

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May 31, 2008

日本占領政策としてのテレビの普及

 先日、渋谷のHMVへ行くと、押井さんの『真・女立喰師列伝』のDVDを発見。押井さんの映画だしな、ということで購入。で、何日かたった後で、何気なく見てみたのだけど、この短編集映画の中の「クレープのマミ」を見て、なんとそうだったのか!!ということを知る。戦後日本でのテレビジョンの普及は、アメリカの対日政策のひとつであったということだ。

 物語の中で、小倉優子が演じる立ち喰い師「クレープのマミ」はこう語る。60年代と70年代の安保闘争を繰り返さないように、日本のワカイモンたちの関心を政治から遠ざけるために、80年代のメディアはエンターティメント主流になった。アイドルという幻想を作り、そのへんのどこにでもいるフツーにお兄ちゃんや女の子がテレビでスターになるというシステムを作ったという。その代表的番組こそ、「夕焼けニャ・・」じゃなくて「たそがれ、ぴょんぴょん」という番組なのだという。これらすべて、アメリカと日本政府の陰謀であった!!!と言いながら山のようなたくさんのクレープを片っ端から口にほおばるマミであった。もちろん、タダで。だって、立ち喰い師なんだから。

 いや、これ、そうだったのかと、モロ80年代のワカイモンの一人であったワタシは思ってしまうのであった。 うーむ、これもGHQが絡んでいたのか。恐るべしアメリカの対日占領政策、である。

 閑話休題(あだしごとはさておきつ)

 戦後の日本でテレビ放送が普及したことに、アメリカの占領政策が大きく関与していたということはフィクションではない。これは事実である。というわけで、戦後の日本のテレビの普及と、アメリカの反共政策の関係について、つまりは、テレビによってアメリカの民主主義や生活様式を日本人に見せることによって、日本を心理的に占領し続けようという、戦後日本でのアメリカのプロパガンダとしてのテレビとその普及について、今、ちょっと調べている。

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May 17, 2008

『王道の狗』を読む

 今年のGWは、前半は道場で稽古の日々、後半はもっぱら韓国ドラマをレンタルのDVDで見る、というものであった。

 韓国ドラマは以前『朱蒙』を見ていたのだが、あまりの長さに、クムワ王を演じたチョン・グァンリョルが主役をしている『ホジュン』の方を見始め、これはいいということで(こっちも全64話という長さなのであるが)延々と見ている。『ホジュン』は、『朱蒙』と同じ歴史ものである。時代は、秀吉による日本軍の侵攻の場面もあるので、その頃なんだなと思う。このドラマは、実在した医師許浚の生涯のドラマである。朝鮮のこの当時の医学と言えば、当然のことながら古代中国から朝鮮に伝わった医学である。これを今日の韓国では漢医学と呼ぶようだ。すなわち古代中国の医学である。その内容の高度さに驚く。日本では、明治になって西洋の医学が導入され、漢方医学は、ほとんど絶えてしまった。今の日本では、古代中国の人間観に基づいた漢方医学をマスターしている人は数が少ない。このへん、『ホジュン』を見ながら、日本では失われしまった中国からの知識と技術の伝承について、うーむとうなってしまうのである。

 というわけで、『ホジュン』の話ではなくて。

 安彦良和の『王道の狗』全4巻を読む。この作品は、なぜか今まで読むことがなかった。昭和前期の日中戦争やノモンハン事件の話である『虹色のトロツキー』も、日本の古代史ものも、アレキサンダーもネロも、安彦さんの歴史ものは全部読んできたワタシであったが、なぜか『王道の狗』をこれまで読むことはなかった。

 なぜか。ひとつは、この物語の時代背景について、自分はよく知らないということが挙げられる。『王道の狗』は、明治17年の秩父事件から物語が始まる。そして、囚人の強制労働によって行われる北海道開拓の話になり、やがて話は朝鮮の甲申事変から金玉均の日本亡命、そして日清戦争へと進んでいく。つまり、大ざっぱに言うと、西南戦争の後から日清戦争へ至る過程の中で、この国ではどのようなことが起こったのかという物語である。実際のところ、この明治17年の秩父事件から日清戦争の始まる明治27年の間の10年間こそ、日本の近代史において最も大きなターニングポイントの時代であった。しかしながら、それはわかっているのであるが、では何が起きたのかということを深く知ることなく、ただ年月がたってしまった。この時代について、自分は何も知らないという思いから、なんとなく『王道の狗』を避けてきたのかもしれない。日清戦争がなぜ起きたのかということについて、ワタシが日本と朝鮮の関係において理解できるようになったのはつい最近のことだ。日本の近代史において、朝鮮との関係はいかなるものであったのかということの理解なしに、日本の近代は理解できない。それほどつまりは、日本にとって朝鮮は大きな意味を持っている。

 しかし、まあ。当然のことかもしれないが、『王道の狗』を読んでみても、よくわからない。つまるところ、アジアの島国であるこの国は、19世紀に西欧列強の圧力に反応するかたちで、近代国家へと国を変えていった。その国が、やがて隣国の朝鮮を支配し、中国大陸に傀儡国家である満州国を作るようになったのは、そもそも、なぜなのか。これを、今の一部の史家が言うような、ロシアの南下に対抗するために祖国防衛のために行ったとは、どう考えても言えない。ちなみに、シバリョーによると、カンタンに言うと、明治が良くて、昭和はダメだったということになる。しかし、明治17年以後の辺りから、この国はある方向へ大きく曲がっていった(「曲がっていったという」表現もナンであるが)のは確かである。それは一体何であり、なぜそうなったのか。

 わからないまま、考えてみたい。

 庶民にとって、明治の日本は、増税と不況が続き、そして国権はひたすら重いものであった。1882年に、ヨーロッパで起きた生糸価格の大暴落の影響は日本にも波及し、日本国内でも生糸の価格の大暴落が発生した。埼玉県秩父地方は、養蚕が盛んであったため、その収入のほとんどを生糸の生産に頼っていた。生糸市場の暴落と増税等は、彼らの生活を圧迫し、そこにつけこむ銀行や高利貸したちが、彼らをさらに貧困に貶めた。この農民の困窮を前にして、自由民権思想を掲げる自由党党員らが秩父困民党を結成し、武装蜂起をしたのが秩父事件である。この当時、こうした民衆の苦境を救うために自由民権運動の者たちが蜂起する事件が日本各地で数多く起こっていた。秩父事件は、それらの中でも大規模なものであった。この蜂起は、政府の警察隊や憲兵隊、そして最後には陸軍の鎮台部隊との戦闘に至り、秩父困民党は壊滅する。その後、秩父困民党の指導者や参加者は各地で次々と捕縛された。彼らの多くは、北海道の刑務所へ送られ、そこで政府の行う石狩道路の建設に使役させられる。この当時、未開拓の原野が広がる北海道で、政府は囚人を使って、過酷な労働のもとに道路建設を行っていたのである。

 その囚人の中に、『王道の狗』の二人の主人公、加納周助と風間一太郎がいた。この二人が脱獄するところから、この物語は始まる。そして、二人は、警察の執拗な追跡を振り切り、アイヌの猟師に助けられる。アイヌとしての名前を与えられ、彼らは新しい人生を始める。この二人の若者は、その後、対称的な人生を歩むことになる。

 加納が大東流合気柔術の武田惣角から柔術を学ぶところは、こんな短時間で取得できるわけないだろうと思ったが、そこはまあ、お話ということで。

 やがて加納は柔術の腕を見込まれて、金玉均のボディーガードになり、ここで加納は、朝鮮の政治家、金玉均と出会う。金玉均のことについて、今の日本では(韓国の側でも)あまり知られていない。知られていないが、この人物をキーにして、日本と朝鮮の過去を振り返ることなくして、この二つの国の近代史は理解できない。

 金玉均が、この時、日本にいたのは、甲申事変により日本に亡命してきたからである。甲申事変とは、何であったのかということを考えるには、その前に起きた壬午事変のことを考えなくてならず、壬午事変のことを考えるには、その前に起きた江華島事件について考えなくてはならず、つまりは、明治日本と李氏朝鮮はどのように出会ったのかということから考えなくてはならない。

 革命によって誕生した国家というのは、革命がひとまず終了すると、得てして、その革命のイデオロギーを他国へ伝えようとする。こんな素晴らしい人類普遍の価値を、おたくの国も取り入れなさい、ということである。しかしながら、これは伝えようする側は善の行為であると思っているが、伝えられる側は迷惑な行為になることが多い。迷惑な行為なのであるが、社会変動というのは、往々にして、そうやって行われてきたとも言える。19世紀のアジアにとって、日本は迷惑な国でもあった。

 欧米文明と出会い、その衝撃から近代国家への道を進んでいった明治日本が、隣の朝鮮を見ると、未だ極めてアジア的な旧態依然たる封建社会国家がそこにあった。欧米の近代文明を導入することこそ、アジア諸国が西洋列強の植民地なることから脱却できることなのであると考える明治日本にとって、朝鮮、そして清朝中国は、手助けして、近代化への道を歩んで欲しい相手であり、できることならば、共に近代化して、西洋列強と相対峙したいという願いのようなものがあった。幕末では、薩摩藩主の島津斉彬や勝海舟、福沢諭吉などは、そう考えていた。

 しかしながら、この理想があっさりと実現できる程、この世界は単純ではなかった。どの国にも、その国の内部事情というものがある。1868年、明治政府は朝鮮に、新政権樹立の通告と国交と通商を求める国書を送ったが、朝鮮側は洋服を着て、皇の詔勅だというものを倭奴が持ってくることは何事であるかと、これを拒否する。李氏朝鮮にとって、皇とは、北京にいる中国皇帝のことであり、詔勅とは、中国皇帝のみが発するものである。中華帝国の華夷秩序こそ守るべき価値観であった。しかし、明治日本にとってすれば、その考え方こそアジア的なものであり、そんなものはあっさりと捨てて、欧米の文明を導入することこそ善であるという考え方であった。ここで日本と朝鮮の双方は決裂する。

 明治日本が考える東アジア諸国間の国際関係とは、中華帝国による冊封体制的な国際関係ではなく、ヨーロッパの近代的国際法と条約に基づく国際関係であった。しかし、これをこの当時の朝鮮に理解せよというのは、およそ不可能なことであろう。結局、1875年に朝鮮の江華島付近で日本と朝鮮は武力衝突になる。武力衝突になるというか、交渉が遅々として進まない事に業を煮やした日本政府による軍事的な威圧行為、つまり「砲艦外交」であった。この22年前の1853年に、江戸湾の浦賀でペリーが徳川日本に対して行ったようなことを、明治日本は李氏朝鮮に対して行ったわけである。このことにより、朝鮮は日本との国交回復をはかり、1875年に日朝修好条規が締結される。

 当然のことながら、この条約は不平等条約、つまり朝鮮側にとって著しく不利な条約であった。朝鮮側が近代国際法や条約について不慣れであっためである。ちなみに、同じく、日本もまたこの当時、欧米諸国から日本側に不利な不平等条約を結ばされていたが、日朝修好条規では、欧米が日本に課した条約よりも、さらに不利な条約を日本は朝鮮に課している。このへん、今日の感覚からすれば、法的に間違ったことをやったわけではないが、アコギというか、悪どいことを日本はやったと非難されてもしかたがないであろう。

 日朝修好条規の後、日本以外にもアメリカ、フランス、ロシアとも条約を結ぶことになり、かくて朝鮮は開国へと進むことになるのであるが、朝鮮の国内の政治は、開化派と保守派勢力との対立が深刻化する。開化派勢力の筆頭は、高宗の王妃の閔妃とその一族である。開化派は、国の近代化に着手した。日本から軍事顧問を招き、日本と同じく近代的な軍隊を作ろうとした。この軍政改革に不満を持ったのが、旧軍の保守派であった。旧軍側の兵士は、開化派の軍隊の兵士と待遇が違うことなどに不満を持ち、ついに暴動へと発展する。この暴動の背後には、閔妃とその一族を筆頭とする開化派から、政治の実権を奪い取ろうとする保守派の陰謀があった。この反乱暴動事件を、壬午事変と呼ぶ。

 閔妃は、反乱兵士の暴動から逃れるため王宮を脱出し、当時朝鮮にいた清国の実力者である袁世凱の力を借りる。清からすれば、朝鮮が日本の力を背景として清の冊封国でなくなったことを元に戻したいという意志があった。閔妃は清に密使を送り、清からの軍隊を派遣を要請する。清はそれを受け軍隊を送る。一方、日本も軍隊を送り、日本と清のどちらが反乱を鎮圧するかの争いになったが、結局、清の軍隊が反乱を鎮圧し、閔妃の一族は政権を取り戻すことになる。以後、閔妃は日本よりも清を頼るようになる。この当時、アジアにおいて、清朝中国は今だ巨大な存在であったのである。

 壬午事変で表面化したことは、朝鮮を日本と清のどちらが支配するのかということであった。ちなみに、朝鮮の人々からすれば、朝鮮はどちらの国のものでもなく、朝鮮は朝鮮の人々の国であるが、そうしたことを顧みることは、そのどちらの国もすることはなかった。そういう時代だったと言わざるを得ない。

 朝鮮には、閔妃のやっていることは、真の意味での朝鮮の独立ではないと考える開化派の人々もいた。その人々の代表的人物が、金玉均である。そして、日本の政治家や思想家の中にも、金玉均を支持する人々が数多くいた。その一人が福沢諭吉である。福沢の理想は、アジアが共に近代化の道を歩み、西欧列強に対抗しうる独立自尊の国になることだった。福沢は、金に朝鮮の独立と近代化の希望をかける。

 1884年、金玉均らは日本の援助のもとで、クーデターを実施し、開化派が新政府樹立を宣言する。この事件を、甲申事変と呼ぶ。このクーデターは成功したかのように見えたが、袁世凱の率いる清軍が王宮を守る日本軍に攻め入り、日本軍は敗退し、金のクーデターは3日で失敗に終わる。この時でも、清朝中国と袁世凱は日本よりも遙かに上手だったと言えよう。開化派の新政権は崩壊し、計画の中心人物だった金玉均らは日本へ亡命する。

 『王道の狗』の主人公の一人の加納が金と出会うのは、この時である。この時、日本国内では、朝鮮についての考え方が大きく変わっていた。金は、再び福沢と出会い、さらなる援助を求めようとするが、福沢はこれを拒否する。福沢の内面において、もはや朝鮮に関わることはやめようという気になってきたのである。朝鮮は言うまでもなく、清の袁世凱や西太后がやっていることは、とても近代化とは遙かに遠く、従来の旧態依然たるアジアでしかないという絶望感のようなものが、この時の福沢にはあったのではないかと思う。その挫折と怒りから、福沢はこの甲申事変の後、時事新報の社説に「悪友を親しむ者は共に悪名を免かる可らず。我は心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」と書く。後に言う「脱亜論」である。また、欧米との不平等条約の改正を求めていた陸奥宗光は、日本が西洋と平等な国になったことを示すには、朝鮮、中国と戦争を行い、これに勝利すること以外に方法はないのではないかと考える。つまり、ここで、日本の対アジア認識が大きく方法変転するのである。

 しかし、福沢と同じくアジア主義の考えを持っていた勝海舟は、甲申事変の後になっても、福沢のようには考えなかった。『王道の狗』の中で、勝は西郷隆盛が生きていれば、こうしたことはなかっただろうと語る。勝は、どうなろうと、朝鮮の支配をめぐって日本と中国が争うことになるのは正しいことではないと考えていた。秩父事件によって弾圧され、北海道の獄に繋がれ、道路建設に使役され、アイヌへの差別を体験した加納は、日本に亡命していた金と出会い、さらに勝と出会うことで、人生の目的を知る。その目的とは、覇道ではなく王道に生きるということである。王道、覇道というのは、孟子の思想である。覇道とは、武力や権謀によって人民や他国を服従させることである。これに対して、王道とは、徳によって仁政を行うことであり、そのため小国であっても人民や他国はその徳を慕って心服する。王道を尊び、覇道を軽蔑せよというのが儒学の教えである。

 日本の支援をもはや得られないことを知った金は、失意のもと李鴻章と会うために上海へ行くが、これは李鴻章と閔妃の罠であった。このことは、陸奥、すなわち日本国外務省も知っていた。金は、上海で閔妃の刺客に殺害される。遺骸は分断され、朝鮮の漢陽近郊でさらしものにされる。

 日本国内では、金の殺害を援助した李鴻章と袁世凱、そして朝鮮の閔妃への反感が高まり、清そして朝鮮と戦争をすべしという気分が盛り上がる。これこそ、清との戦争をもくろむ陸奥と、陸軍の参謀本部次長の川上操六のねらいであった。朝鮮の全羅道で東学党の乱が勃発し、この乱はまたたくまに大きな乱へとなる。これに危機感を感じた閔妃は、東学党の乱を鎮圧するため、またもや清に軍の派兵を要請し、清はこれに応えて軍隊を朝鮮へ送る。明治政府は、清との戦争を避けるため、朝鮮に軍隊を送ることを望まなかった。しかし、参謀本部次長川上操六は、先の甲申事変で清朝軍に日本軍が敗北したことを繰り返すことないよう、大規模の軍隊を朝鮮に送る。

 東学党の乱は停戦で終わり、朝鮮政府は清と日本に軍隊の撤兵を要請したが、どちらもこれを拒否する。日本は清に独立国である朝鮮への内政干渉を抗議し、朝鮮には国内の改革を要求するが、清も朝鮮もこれを認めず、対立は激化した。清にとっては朝鮮を従属国にし続けることが望みなのだ。一方、日本の(というか、外務省の陸奥宗光と陸軍の川上操六の)望んでいたものは、清との戦争であり、清と戦争して、これに勝利することによって、日本の国際的地位を向上させ、清国から利権を獲得しようということなのである。とにかく、なにがなんでも戦争へと持ち込みたいということなのだ。ここに日清戦争が始まる。明治天皇は、こうした強引な開戦に激怒し、「これは朕の戦争に非ず」と述べた。

 日清戦争に勝利した日本が求めたものは、遼東半島の割譲である。李鴻章は、この要求をのまざる得なかった。しかし、このあまりにも広大な土地を日本が植民地にすることを恐れたロシアは、フランスとドイツを誘い、遼東半島領有に強く抗議した。これを、三国干渉と呼ぶ。当然のことながら、ロシアもフランスもドイツも、中国人民の国土は、中国人民のものであり、日本の侵略は間違っているという考えで、三国干渉したわけではない。西欧列強からすれば、清朝中国の衰退は明らかであり、中国を分割させておのおの領有することを考えていたが、日本は自分勝手にいち早く広大な領土を獲得しようとしていると見えたのであろう。

 『王道の狗』の中で、東学党の乱(甲午農民戦争)の首謀者であり、後の刑死となる全琫準(チョン・ボンジュン)は、加納にこう語る。「国の利益や民族の都合を越えた正しい道があることを、おまえは信じているか?」と。加納はこう答える「もちろん」と。だからこそ、加納は王道の道を歩き、革命軍を支援する武器商人であり、テロリストである人生を選択したのであろう。これに対して、陸奥宗光はそうは考えない。明治日本そのものが、そうは考えなかった。

 1924年11月、孫文は神戸で講演を行った。その講演の中で、孫文は日本の聴衆に「ヨーロッパのように覇道を求めるのかアジアの王道を歩むのか」と述べている。その翌年、孫文は他界した。

 その後の日本はどちらの道を歩んだか、後世の我々は知っている。

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February 03, 2008

2月、雪の降る東京・・・

 今日は雪、2月、雪の降る東京・・・・・・。

 うーん、これはアレだ、ちょっと早いけどアレなんだよな(遠い目)・・・・・。

 後の時代からは、何とでも言えることではあるのだけど。
 あの人たちは、やらざる得なかったのだろう。

 いや、「パトレイバー2」じゃなくて(笑)

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January 15, 2008

『朱蒙(チュモン)』見始めました

 今年のNHKの大河ドラマは、なんか朝の連続ドラマみたいなので見る気なし。そこで、じゃあというわけで、韓国歴史ドラマ『朱蒙(チュモン)』を見ようと思い(間違っても『24』を見ようではなく、『朱蒙』を見ようというのが、いかにもワタシらしい)(笑)、本日、第一話から見始める。なにしろ、韓国の国民的人気歴史ドラマなのである。これは、なんかものすごく面白いと評判いいのだ。それを聞くたびに、うーむ、そーか、コレハ見なくてはなるまい、と思っていたのである。韓国の剣術は、もちろん日本のとも違うし、中国とも違うので、こっち方面でも関心がある。

 第一話を見てみると、これは、おもしろいではないか。ちょっと韓国古代史の本を読まんと時代背景がよくわからんですね。韓国古代史というと、そもそも古代の朝鮮半島は中華帝国のひとつだったのか、それとも独立国と見ていいのか、ということで韓国と中国の間に歴史論争がある。もっか韓国は東の日本だけではなく、西の中国とも歴史論争で戦っている。そのためのドラマでもあるのかもしれない。我々は、漢に屈していたわけではないと。

 このドラマの時代の頃、我が日本国はどうだったのかというと、倭の時代である。邪馬台国の時代よりさらに前だ。竪穴式住居に住んでいて、木の実や米を食べていたという時代である。それはそれで、それなりの暮らしがある社会であったかもしれないが、こうした豪華絢爛なドラマにはならんな。日本が、とりあえず「国」らしきものになるのは(といったって、大和盆地とかの周辺の小さな王権でしかないのだけど)、これからずっと後の聖徳太子から大化の改新の時代になってからである。

 というわけで『朱蒙』、見始めました。

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January 11, 2008

『炎立つ』DVD完全版

 去年の12月あたりから、このお正月の休みにかけて、さしてここに書くこともなく、なにをしていたのかというと、別に仕事が特別忙しかったわけではなく、NHK大河ドラマの『飛ぶが如く』と『炎立つ』のDVD完全版BOXを買ってきて、それを延々と見ていた。

 本当は、『独眼竜政宗』の完全版も買おうかと思ったのであるが、なにしろ安いシロモノではないので、まあ、近所のTSUTAYAにあるんでレンタルで借りればいいやと思って買うことをやめた。大体、NHKのDVDは価格が高い。ちなみに、役所広司が宮本武蔵を演じたNHKの『宮本武蔵』のDVD完全版もBOXで全巻買ってしまった。総集編のDVDは前から持っていて、完全版がでないものかと思っていたが、ついに完全版がでたのだ。この作品は吉川英治の原作に最も近いと言われ、数多くの武蔵ものの中でもトップクラスの名作なのである。まあ、役所広司の武蔵はともかく、奥田瑛二の又八と鈴木光枝のお杉婆さんは、数多くの又八、お杉キャラの中で最高であろう。ワタシの「宮本武蔵」のベストは、この役所広司版の「宮本武蔵」と、内田吐夢監督、萬屋錦之介主演のあの名作映画「宮本武蔵」5部作の二本である。この二本がいい。

 というわけで、宮本武蔵の話ではなくて、『炎立つ』である。

 平成5年の7月から翌年の3月にかけて放送されたこの作品を見るまで、自分は「前九年の役」と「後三年の役」のことなどひとつも知らなかった。日本史の教科書にそんなことが書いてあったなあ、というぐらいで、平安末期、公家の政権から武士の政権に変わろうとする時期に、東北の方でなんか反乱みたいなことがあった、という程度の知識しかなかった。そんなわけで、『炎立つ』を見て、なんと、こんな出来事だったのかと初めて知って、それからそっち関係の本を何冊か読みまくったものだ。おかげで、今では、あの時代の奥州で何が起きたのか、それなりに理解しているつもりであるが、奥州藤原氏というと、渡辺謙の経清と、村上弘明の清衡と、渡瀬恒彦の秀衡がすぐに頭に浮かぶようになって、では、毛越寺の伽藍を建立した基衡はどうなのかというと、『炎立つ』では出てこなかったので、ここはすっぽりと理解が欠けている。まあ、その程度の知識なのだ。

 今回改めて、完全版で『炎立つ』をじっくり見直してみて、自分は何を思ったかというと、日本国とはそもそもなんなのかということだ。

 『炎立つ』の冒頭は、8世紀、坂上田村麻呂が奥州でアテルイと戦うところから始まる。ここは歴史学的にも、なぜそうなったのかよくわかっていないのであるが、坂上田村麻呂側がアテルイを許すということで、アテルイ側が降服したということになり、アテルイは京都へと連行される。ところが、朝廷はアテルイを反逆の将として処刑する。アテルイとしては、騙されたということなり、彼は恨みをもって死んでいく。この出来事から、『炎立つ』は始まる。

 NHKは、日本国の国営放送のテレビ局だ。今の日本国は、2千年前の大和朝廷の時代からつながる天皇を象徴とする政権の国家である。その国家が、その大昔、朝廷は東北地方を侵略し、かくも卑劣な手段で奥州の英雄を殺害したということを堂々とテレビで放送していいんかいということになるのであるが、そこはさすが天下のNHK、堂々と放送をしたのだから、たいしたものである。

 我々、平成の世にいる日本人は、この時代から1千年の後の世にいる。我々が思う「日本」というのは、この千年によって作られたものであって、千年前の人々にとって、この国は違うイメージで捉えられていた。日本という国家は、天皇を象徴とする国家とするのならば、千年前の日本では、そうした「国」は京都を含む西日本地域でしかなかった。奥州のアテルイの国が、京都を中心とする国に攻撃をしてきたわけではない。京都を中心とする国側が、その支配範囲を拡大するために、奥州のアテルイの国を侵略したのである。

 その昔、京都から見れば東北は遠い板東(関東平野)のさらにその向こうにある辺境の彼方の地であった。しかし、京都から見れば辺境の彼方であろうと、なんであろうと、太古の昔からその「辺境」の地に住み、生きてきた人々がいた。彼らは京都の人々から、蝦夷と呼ばれ、蔑まれてきた。

 ちなみに、その京都ですら、そこに都ができる以前には、そこには朝廷とは縁もゆかりもない人々が住んでいた。奈良もそうであったし、その前の大和盆地に天皇の政権ができる以前もそうであった。そうやって遡っていくと、この日本列島の先住民たちにとって天皇の政権とは、外部からから来た侵略政権ということになるのであるが、ここではそこまで触れない。この問題は、考えていくとややこしく、かつ奥が深い。他の文化や種族を差別し蔑むというのは、別にこの時代の日本だけにあったわけではなく、人類のどの時代でも、どこにでもあったことであり、今でも存在する。人の社会というものは、そういうものなのだと理解するしかない。

 陸奥奥六郡の俘囚の長である安部頼時が考えていたことは、奥州を京都の政権とは独立した国にすることであった。奥州には、豊富な金が産出し、名馬を生み育て、優れた工芸品を作る文化があった。その文物をもって中国と交易を行うことによって独立国としてやっていくことができるという考えである。実際に、安部頼時はそうした国を奥州に作っていたのである。この考え方は、今のボーダーレス経済の考え方と同じだ。地域国家と言ってもいい。京都の帝を中心とした体制に与することなく、奥州は奥州で独自にやっていくということだ。。もちろん、奥州が京都の公家政権を滅ぼして、日本国を治めようというのではない。京都は京都でやっていればいいのだし、奥州は奥州でやっていけばいい。共に共存して、共に栄えようという考えである。

 しかしながら、ここにそれとは違う発想というか意識がある。「奥州は奥州でやっていけばいい。京都は京都でやっていけばいい。」ではなく、「日本国全部を統一的に支配したい」という意識である。8世紀の坂上田村麻呂による奥州征伐の時代から京都の朝廷には、そうした意識があった。さらに、11世紀頃から朝廷とは別の一団もまたそうした意識を持つようになる。武士団という者たちである。西日本の武士団を束ねる平家と、東国武士団を束ねる源氏の二大武士団もまた日本全土(ただし、この時代ではまだ南の琉球と北の蝦夷は意識外である)を支配したいと思うようになる。

 なんで、そう思うのか、奥州は奥州でいいじゃんとワタシなどは思うが、そうは思わず、全部を支配したいと思うのである。全部を支配して、富を独占したいということなのであろうか。ここでちょっと思うのは、土地の所有権ということだ。「前九年の役」で源頼義が考えたことは、源氏の勢力の拡大のためには、源氏に組する武士団を数多く集めることであるが、そのためには武士たちに与える褒賞が必要なのである。褒賞とはなにかといえば、土地なのである。手下に与える土地がないと、統領は数多くの手下を集めることができないのだ。数が多くなければ合戦では勝てない。よって、より強力な軍団であるためには、より多くの兵を集めなくてはならず、より多くの兵を集めるためには、より多くの(褒賞として与えるべき)土地を所有していなくてはならない。従って、奥州の土地も手に入れたい、というのが源頼義が考えたことのようなのだ。

 さらに考えてみたい。なぜ、より多くの土地が必要なのか。ここで重要なのは、耕地面積から得られる作物の量であり、質である。ある一定の耕地面積から得られる作物の量も質も同じである場合、収益を上げるためには、耕地面積を増やすしかない。これに対して、安部の富の源は金であった。金は、金鉱から得られるものであって、つまり農業ではない。安部はその金を京都や中国と交易を行い、必要な文物を得ているのである。良質の金鉱が必要なのであって、耕地面積を増やさなくてはならないわけではない。いわば、安部の経済基盤は天然資源と、それをもとにした商業というまさに資本主義であり、源氏の経済基盤は農本主義なのである。

 では、耕地面積を増やさずに、生産性を上げることはできないのか。それこそ、すなわち技術革新である。知識や技術さえあれば、ある一定の耕地面積から得られる作物の量や質を上げることができるのだ。しかしながら、人々がそうした意識を持つようになるには、日本国内にはもはや未開のフロンティアなどなくなった、つまり、限りある土地の中で作物の生産性を上げなくてはならないということになったもっと後の世のことである(大雑把に言えば、江戸時代からであろう)。安部は京都の朝廷に対し、常に恭順の意を表し、有力公家に献上品を欠かさず送っていた。奥州の側から侵略行為をしたことなど一度もなかった。それでも安部は、朝廷勢力の代表としての源頼義に攻め滅ぼされるのである。「前九年の役」とは、そうした出来事であった。

 「前九年の役」の次の「後三年の役」が終わり、頼義の息子であり、頼義の没後、源氏の統領となった源義家が考えたことは、公家に変わって、やがて後の世に武士が政権を司り、国を運営していくという考えであった。この考えは、後に、義家の三代後の頼朝によって実現する。渡辺謙が演じる奥州藤原氏の粗である藤原経清が言う「蝦夷の誇り」という言葉を、同じ渡辺謙が演じる奥州藤原氏の最後の藤原泰衡もまた言う。このシーンは感動的だ。「蝦夷の誇り」は奥州藤原氏とともに消え去り、鎌倉幕府が登場した以後、日本の政権は大きく分ければ西日本と東日本に分かれ、天皇と武士団による二重構造の政権の時代になる。

 以後、奥州は奥州として独立し、中国と交易をして栄えるということは、二度と行われることはなかった。「蝦夷の誇り」、大和朝廷から続くこの国の政権の国史である日本史の教科書には、当然のことながらそうした記述は、ない。

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July 21, 2007

ひとつの時代が過ぎていった

 18日に、日本共産党の元中央委員会議長であった宮本顕治氏が老衰で亡くなられたことについて、一文を書こうかと思っているのであるが、時間と余力がないのであった。日本の近現代史の中で、日本共産党とは何であり、今後、何でありうるのか、このことについて考えるだけで厖大なものになってしまうのである。それだけ、このテーマは大きくて重い。

 ひとつの時代が過ぎていったように思う。

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kakuさんのTBへのコメントです

kakuさんのTBへのコメントです。長くなってしまったので、自分の方に置きました。

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kakuさん、

TBへのコメントが遅れてしまいました。

さて、話は少し飛びますが。

昭和19年、大日本帝国陸軍はインド北東部のインパールを攻撃します。ここには、インドに駐留するイギリス軍の基地がありました。当時、日本軍は中国の蒋介石の軍隊と戦っていたわけですが、連合国は蒋介石軍に物資を補給していました。この補給ルートのことを援蒋ルートと呼びます。日本軍としては、この援蒋ルートの遮断したいわけです。インパールのイギリス軍の基地は、この連合国から中国の蒋介石の軍隊への支援物資を送る補給基地でもありました。そこで、インパールを攻撃せよとなったわけです。

インパール作戦は、第15軍司令官牟田口廉也陸軍中将の指揮のもとで行われます。そして、その結果はどうであったかは、みなさんよく知っていることですね。

この無能、無謀、アホの極地としか言えない牟田口中将の配下に、佐藤幸徳という陸軍中将がいました。「烈」と呼ばれた第31師団の師団長だった人です。弾薬・食糧がなくなっても、なおも作戦継続を強制する上官の牟田口中将に対して、部下である佐藤中将は、反対して独断で自分の師団を敵前退却させます。これは陸軍刑法42条違反になります。佐藤中将は、軍法会議で死刑になることを覚悟しての行動でした。

佐藤中将は師団長を解任されます。しかし、その後、軍法会議は行われませんでした。軍法会議が行われると、佐藤中将は牟田口中将がいかに無能な司令官であったかを証言したと思います。陸軍としては、牟田口廉也が無能であることが証明されても、それはそれでもいいのですが、その無能な人物を司令官に任命したのは、最終的には統帥権のある天皇になります。つまり、天皇の責任問題になるので、そうなることを恐れた陸軍は、不起訴とし、佐藤中将は精神病としてジャワ島の病院に送られました。

これがインパール作戦で起きた抗命事件です。佐藤中将は、当然、陸士陸大を出ているわけですが、栗林中将のような恩賜の軍刀組ではなく、外国留学をしたわけでもありません。フツーの将官だったと思います。合理主義者と呼ばれたわけでもないフツーの将官が(このへん。フツーの人だったら抗命なんてしませんでしょうから、若干フツーの人じゃあなかったのかもしれませんが)、これはおかしいと軍事常識で当然のことを思う。結局、それが抗命ということになって、師団長を解任される。軍法会議で死刑になることを覚悟し、裁判で自分の正しさを証明しようとしたのに、陛下の責任問題なるということで、この出来事はなかったことになって、精神病患者として病院送りになる。当時の軍隊というか、社会というか、日本というのは、そういう国だったというわけです。

kakuさんの文章を読んで、栗林中将は、佐藤中将のことを知っていたかどうかと思いました。インパール作戦がどういうものであったのかということについて、栗林中将はそれなりには知っていたと思います。しかし、栗林中将がインパールの佐藤中将のような抗命ができたかどうかとなると、これは難しいと思います。それに、インパールはインドです。地面が続いていて、歩いて退却ができます。硫黄島は島ですから、そうはいきません。海軍が行ったアッツ島沖海戦でのキスカ島撤退作戦のようなもの、つまり軍当局で撤退させるという決定がされないと、生きて帰ることはできません。

それともうひとつは、生き方ですね。僕は栗林中将のことも、佐藤中将のことも深くは知りませんが。栗林中将としては、ああしたことをする以外になかったんだろうと思います。ご遺族の方々からすれば、どうなろうと生きて帰ってきて欲しいと思うと思います。しかしながら、そうはいかなかったんだろうと思います。

栗林中将と佐藤中将のどちらが正しかったか、どちらが愛国者であったかということは言えないですね。どっちも正しかったし、どっちも国を愛していたと思います。むしろ、問題なのはこうしたアホな命令を出す側ですね。東條英機とか牟田口廉也とかです。しかし、彼らもまた天皇にその職を任命されたのですから、最終的な責任は昭和天皇になってしまうのですが。これはこれとして。

kakuさんが言われるように、「祖国の戦後復興」を見据えた「名誉ある投降」を選択した人は数多いわけですし、そうした選択もありだと思います。戦後、東條英機は東京裁判で死刑になりましたが、牟田口廉也は自分の非をまったく認めず、余生を最後まで送りました。大本営の将官や将校で、戦後、政治家や実業家になった人も多いです。こうした選択も「祖国の戦後復興」のお役にたったのかというと、そうなのもかもしれませんが・・・・。

ただまあ、今、戦後、半世紀以上もたって、遠い昔の日本人の出来事を振り返ると、そうした選択をとらず、ああした選択をとった人の生き方というのが、それはそれで価値のあるものであったと思います(何度も申しますが、ご遺族の方々からすれば、硫黄島で戦った人すべてが生きて帰ってきて欲しかったと思います)。

祖国の復興とは、単なる経済的な復興のことだけではありません。

本当の意味での日本国の精神的な復興というのは、経済大国になった今、遠い昔、こうした選択をとらざるえなかったあの時代の人々の想いを振り返ることから始まるのではないかと思います。その意味で、栗林中将の選択は、「祖国の戦後復興」になりえるものではないでしょうか。生き残るより、死して意味あるものを後世に残したい。そう考えて(その考えは、残される人々にとっては不幸かもしれませんが)死んでいった人々も数多くいたこともまた事実です。ようは、その後世にいる私たちが、彼らの想いをどのように受けとめるかではないでしょうか。

でまあ、ちと、映画の話に戻るのですが、

クリント・イーストウッドは共和党です。思想的にはLibertarianと呼ばれる人々になります。『父親たちの星条旗』にせよ『硫黄島からの手紙』にせよ、ああ、イーストウッドらしい映画だなと思いました。結局、人は与えられた時代と条件の中で生きていくしかない。時代とか条件って、すごく理不尽なのだけど、そうした間違っていることを、(リベラルみたく)(笑)歴史がどうとか、社会構造がどうとか言ってキーキーわめくことなく。あるいは、愛国心だとか、国家の名誉とか言うわけでもなく、むしろ、国家とか政府とか社会とかいうものと、個人である自分の間には、明確な一線があって、個は個である。個である自分が、ただ黙って黙々と己のなすことを行い、己の価値観だけは守っていく。それが誰かに褒められることでもなく、誰かに自慢するわけでもなく、そして人生を終えていく。そうしたことが、実は意味と価値がある生き方なのだという、おおお、いかにも開拓時代の生き方じゃあないかと思いました。保守つーのは、こうでなくてはいけません。どこぞの、保守と称する人々のように、外国に軍隊を送るとかいうのは保守主義ではありませんね。

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July 10, 2007

"An Inconvenient Truth"日本版DVD発売

 アル・ゴアの映画"An Inconvenient Truth"の日本版DVDがようやく発売された。アメリカでは公開の後、すぐにアメリカではDVDが出たが、なんかしらんけど日本ではこんなに遅れた(そもそも、映画の日本での公開そのものが遅かった)。アメリカでDVDが出た時に、アマゾンで購入し、日本語版DVDではなにか追加があるのかなと思っていたが、英語版と内容は同じであった。DVDでは特典で映画公開後に新しく判明した温暖化の情報をゴア自身が述べている。当然のことながら、事態はますます悪化している。

 日本での公開の時は見に行かなかったので、日本語字幕で初めて見た、こうやって、自宅で、iMacの前に座って、もう一度じっくり見ると、なるほどそうだったのかと、改めてこの映画の良さがわかる。アル・ゴアという希有な政治家の存在もある。パネルを前して、人がレクチャーするという、とても人々が映画として見るにはおもしろくもなんともない内容のものを、うまくドキュメンタリーとして作っているなと思った。DVDのコメンタリーで、監督のデイビス・グッゲンハイムは「この映画を誰かの政策の道具にしたくない。民主党も共和党も関係ない。真実を受け入れられる理性的な人に見てほしい」と述べている。

 CO2の排出量が1年の中で増減するのは、地球の自転に関係しているという部分が、アメリカで見た時は、なにを言っているのかよくわからなかったが、日本語字幕で見たら一発でわかってしまった。で、意味がわかると、その部分は、今度は英語だけで聞いてもわかるようになった。ワタシの英語力など、そんなもんなのである。ゴアの説明は、複雑な科学理論を見事にうまく説明している。ここで思い出すのが、同じく優れた科学ドキュメンタリーであるカール・セーガンの『コスモス』である。暗い宇宙空間の中で、遠くに、ぽつんと光る小さな青い点が我々のいる地球なのだという視点は、ゴアもセーガンも同じだ。

 特典には、メリッサ・エスリッジの映画の主題歌"I Need To Wake Up"のミュージックビデオ付き。この歌はいい。これも日本のiTunes Storeでも最近ダウンロード購入ができるようになった。思えば、去年ニューヨークの映画館の暗闇の中で、この歌を聴いて感動していたものであったが、ようやくiPodでいつでも聴けるようになった。

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June 02, 2007

アル・ゴア 書斎にて

 先週のTIMEのアル・ゴア特集の紙面に、ゴアの書斎でのスナップ写真があった。

 30インチのApple Cinema HDディスプレー3台の前にゴアが座っている。
 これは、なんかすごい!!そーか、30インチディスプレイをマルチでつなげるという手もあったのか。
座っている椅子も、なんか人間工学に基づきましたみたいな椅子だし。

 最近、痛烈なブッシュ政権批判とこれからのアメリカ社会のビジョンを打ち出した新著を出版したアル・ゴア。大統領選挙にでそうな雰囲気である。

 どこぞの人々がまた「3台もディスプレイを使ってケシカラン。消費電力を考えろ。」とか言い出すんじゃあないだろうなあ。

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May 31, 2007

合宿稽古へ行ってきた

 先週の土日は、通っている中国拳法の道場の合宿稽古であった。
 カッコよく言うと泊まりがけの研修であるが、つまりは中学や高校のブカツの合宿みたいなものである。とてもオジサンのやることじゃあないなと思う強化訓練であった。

 とりあえず、それなりにこなしてきて、今週はぼおーとする。
 (いえ、もちろん、普段通りに会社へ行って仕事をしていますが。)

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May 12, 2007

外国の新聞紙

 先日書いた韓国映画『韓半島』のDVDは、当然ながら韓国では出ていた。ので、さっそく韓国グッズ専門の通販サイトで注文した。韓国から直接届くというので、少し時間がかかりそうだ。

 以前、同じく韓国映画でチェ・ミンシク主演の『春が来れば』という映画のサントラを探して、韓国から通販サイトを通して買ったことがある。

 この時、届いた箱の中に商品が韓国の新聞で包まれていて。この外国の新聞で包まれているというのが、異国情緒があるんですよねえ。今では、アメリカの新聞には何も感じなくなってしまったワタシであるが、全部ハングルという(あたりまえだな)新聞は、失っていた異国感覚を思い出させてくれるものであった。その昔、サンフランシスコに生まれて初めて行った時、道に落ちていた新聞紙の切れ端を、ずーと眺めていたことがあったなあとしみじみ思う。ちなみに、アメリカの友人にものを送る時に、日本の新聞紙で包んで箱詰めをすると、後でメールにあの新聞紙が良かったと書いてあって、ああ、どこの国も同じなんだなと思った。

 外国語がぶわああっとある本や新聞を見て、そこに抵抗感を感じる人と、異国情緒のロマン(ロマンなのか)感じる人と二種類あると思う。その意味では、僕は間違いなく後者である。

 これも先日書いたウー・ジンくんの「太極宗師」のカットなし全話のDVDが中国では販売していることを発見し、こっちは中国書籍専門の本屋さんを通して注文中である。これは中国の新聞紙に包まれて、遙々、日本国の東京の我が家に届くのであろうか。全部、中国語なんだよなあ、あたりまえだけど。

 韓国や中国のグッズを、ネットでポチッとやれば自宅に届いてしまうというのことの背景にある壮大なボーダーレス・ワールド・エコノミーというものについて、ここで以下、さあ書こうかと思ったけど、うーむ、めんどうなので別の機会としたい。

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March 19, 2007

ブログは1本にします

 諸事情により「武徳大観」の方は中止します。

 当初、中国拳法関係はそっちに書こうかと思っていたが、とても続かない(いや、拳法の修行が、ではなく、それについて「書く」という行為が)。そもそも、「武術」という行為と「書く」という行為は、別のものなのであった。武術は武術である以上、身体が関わる。そうなると、言葉でどうこうというわけではなく、身体で「できる」か「できないか」なのである。

 特に中国の武術(ウーシュー)は、現代の武道とは異なり、近代スポーツのような確立した理論があるわけではなく、日本の江戸時代の剣術や柔術がそうであったように、矛盾していても、その動きができてしまえば、それでオッケーという世界なのだ。それはもう理屈ではなく、感覚のようなものなのである。かつて李小龍は、映画の中で「考えるんじゃない。感じろ。」と言ったが、まさしく中国拳法とは「感じる」世界なのであった。じゃあ、ナニをどう感じればいいのか。ということで、日々(といっても、毎日やっているわけではないけど)苦闘しています。

 といういうわけで、全部こっちに書きます。こっちも全然更新していないではないかという声もあるけど、とにかく、拳法も武侠映画も、天山下七剣も黄飛鴻も十三妹も茶母も(知らない人、意味不明だな)、中国・韓国のその他諸々、文化から歴史、経済、国際関係に至るまで一切がっさい全部こっちにします。

 そうなると「深夜のNews」は、一体何の専門のブログなのかよくわからなくなるが、まあ、人間の関心事というのは、いろいろあるもんなんだなということで。いえ、諸葛亮孔明のように、上は天文に通じ、下は民情に悟し、六韜(りくとう)を諳(そら)んじ、三略を胸にたたみ、陰陽術を知るほどではございません。

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February 07, 2007

『墨攻』

 映画『墨攻』を観てきた。

 以前、映画館の予告で、この映画のことを知り、公開されるのを楽しみに待っていた。この物語は、今からおよそ2400年ぐらい前の中国の戦国時代の物語である。2400年ぐらい前というと、中国大陸の最初の統一国家であった秦よりも前の時代になる。キリスト教歴で言えば、キリスト出現以前、すわなち紀元前の話である。ちなみに、この時代の日本は縄文晩期の時代であり、邪馬台国もまだなかった。
 
 この時代、戦乱の中国に、墨子という思想家が出現し、墨子の没後もその教えを守り実践していく思想集団があった。墨家である。

 実は、この映画の予告を映画館で見た時、そういえば墨子という人がいたな、確か諸子百家のひとつではなかったかな、高校の世界史でやったな、ということを思い出したのである。つまり、高校時代以後から今日に至るまで、墨子のことなど考えたことは、ただの一度もなかった。日頃、このブログでも、中国がどうの、歴史がどうのと言いながら、ワタシの教養など、この程度のものなのであった。そこで、すぐさま酒見賢一の小説『墨攻』を読み、さらに墨子について調べてみると、これはきわめて興味深い思想であることに気がついた。墨子の思想は、今の時代にこそ顧みる必要がある。うーん、よっしゃあ、映画も見るでと、公開を心待ちにしていたのである。この映画の直接の原作であるマンガの方は、まだ読んでいない。

 さて、映画が始まると北京語の中国語であった。広東語ではない。最近よく見ている中国の武侠ドラマも、ほとんど北京語なので、わー北京語かと思ってしまった(何を言っているのかは、字幕がないと全然、わかないんですけど)。最初の方のシーンで、ちらりと見える白髭のおじいさんは、おや『七剣下天山』の傅さんではないですか。燕に攻め込む趙の前線の将軍は、同じく『七剣下天山』での七剣士の宿敵多格多の師父の紐枯魯ではないですか。いやあ、いい脇役が出てますね。で、傅さん役の于承慧は、いつも武術の達人の役で、実際に達人の人なのだけど、今回は少しだけ出て、すぐにやられてしまうのであった。あー残念。この人の剣さばきが見たかったのに。とまあ、知らない人、意味不明のことを書いていますが。

 主役たちも、またいい役者をそろえている。主人公の墨家の革離を演じるのは、香港のアンディ・ラウ。アンディ・ラウだと、原作の革離のイメージとは違うのであるが、ストイックな墨者の雰囲気はでていたと思う。アンディ・ラウとトニー・レオンの『インファナル・アフェア』を見ても思ったけど、この人はいい俳優だよなと思う。趙の将軍の巷淹中を演じる韓国のアン・ソンギもいい俳優だ。韓国の映画俳優では、ベストの役者ではないかと思う。一部で不評の(笑)騎馬武者の逸悦の中国の女優ファン・ビンビンもいいじゃあないですか。逸悦の出てくるシーンは、なんか数千年前の中国という感じがしないのだけど(笑)、美人だから良し。ただ、あのシーンは必要なのかというと、まあどうかとは思うのだけど。
 
 戦闘シーンについて言えば、原作小説にあったように、戦闘そのものよりも、作戦の準備段階でさまざまな仕事を黙々とこなしていく革離のシーンがもっとあってもよかったのにとは思う。作戦家や戦術家の仕事とは、戦闘そのものよりも、その前段階でほぼ作業が終わるものなのである。実際の戦闘になったら、あとは戦闘部隊が決めたことを決めた通りにやってくれればそれでいい。しかしまあ、それは近代の軍隊の話であって、革離は作戦を考えて、かつ、自分で前線部隊の指揮をとらなくてはならないという激烈さなのであった。しかし、その激烈さが、それほど激烈だったのかというと、ファン・ビンビンの逸悦がいるため、なんかこー中途半端なものになっていないかと思う。いや、いんだけどファン・ビンビン。もし、主役キャストがアンディ・ラウとアン・ソンギだけだったのならば、あまりもオモイ・・・・。なお、川井憲次の音楽は『セブンソード』みたくて、かっこいい。

 墨子の思想について、少し考えてみたい。

 墨子の思想は非戦である。およそ、人の世では殺人は容認されない。ところが、国家の命令による殺人は犯罪にはならない。つまり、戦争で人を殺害することは容認されるのである。これはおかしいではないか、と墨子は考えた。殺人が悪であるように、国家が行う殺人である戦争もまた悪である。よって、いかなる侵略行為もこれを否定した。とまあ、ここまでは、よくある平和主義の反戦論である。しかし、ここからが違うのだ。ここからが墨子の墨子たる所以である。墨子は侵略戦争を否定するとともに、侵略されることもまた否定したのである。こちらから攻撃することはないが、防衛のための戦争は断固として行うのである。墨子の思想集団である墨家は、防衛のための様々な戦術を練り、数多くの戦争兵器を開発してきた。墨家は、防衛戦闘の戦争職人の集団であり、中国の春秋戦国時代最大の軍事組織であった。こちらからは攻めないが、攻めるのならばどうぞご自由に、その代わり徹底的に反撃します、ということである。これを墨子は「非攻」と言った。自国の防衛のためには、先制攻撃をすべきであるとのたまう某超大国の某大統領には、絶対に理解できない考え方であろう。

 これはまさに、戦後日本の専守防衛のあるべき姿ではないか。なぜ、この思想が今までさほど知られることなく、歴史の闇に埋もれていたのか。自衛隊の防衛大学と幹部学校は、今すぐでも墨子の思想を扱うべきだと思ったりするほど、まさに2400年前の専守防衛の思想なのである。墨者は、諸国の王の招聘に応じ、現地である城郭に立て籠もり軍事専門家としての仕事を行う。報酬は受けない。営利栄達は求めない。そこでの防衛戦闘を専門とした軍事コンサルタントとして仕事が終われば、墨家教団に戻り、次の仕事を待つという、きわめてプロフェッショナルな職能集団だった。『墨攻』の主人公革離は、墨家の有能な戦争職人である。

 中国において最も影響力が強い思想とは、言うまでもなく儒教である。しかし、この時代、墨家は、儒家と思想界を二分するほど、広い影響力を持っていた。墨家の思想は、儒教とは真っ向から対立していた。墨家の思想のバックボーンにあるのは、ようするに普遍的な「人間」という概念ではないかと思う。儒家では、人の世には秩序があり、出身や身分によって「人」は異なると説く。これに対して、墨子は「人」には上下などなく、みな平等だと説いた。人はみな共に敬い合い、愛し合うべきなのであると考えたのである。これを墨子は「兼愛」と言った。
 
 墨子の時代から、遙かな年月の後の世に住む我々にとって、人は平等であるということなど常識みたいなことであろう。しかしながら、2400年前の、しかもアジアでこうした考え方が出現していたということは、かなり驚愕すべきことなのである。同時代で、人は平等であるという思想を述べていたのは、『墨攻』の時代より200年くらい前になるが、インド北部でゴータマ・シッダッタが唱えた後に仏教と呼ばれる思想ぐらいであった。さらに時代が数百年下って、中近東においてユダヤ教のエッセネ派のヨハネの弟子のイエスが、後にキリスト教と呼ばれる宗教を説き、人類愛を述べる。さらに時代は遙かに下り、18世紀ヨーロッパに啓蒙思想が出現し、ようやく近代の社会意識が生まれることになる。しかし、それに先駆けること2000年以上も前の中国に、キリスト教や西洋近代のような平等思想があったのである。
 
 墨子の思想は、中国どころか世界の思想の中でも、極めて特異で異質なものであった。その異質な故にか、墨家は中国史の中で突然に消え去る。戦国時代が終焉し、始皇帝が中国を統一し、秦を建国する頃、異能の戦争思想集団であった墨家は、忽然とその姿を消すのである。なぜ消えたのかということについては、今でもよくわかっていない。しかも、墨子の思想はまるでなかったかのように、その後の中国思想史の中で忘れ去られるのである。中国の知識人が、墨子の思想を高く評価するようになったのは、秦の時代から遙かな後年の清朝の時代であった。

 21世紀の今日の英米の国際関係論の分野で、墨子の思想に似たような考え方がないかと思ってみたが、どうもなさそうである。反戦でありながら、強靱な軍事力を持つというのは、ないように思われる。マハトマ・ガンジーは非暴力・非服従を述べたが、相手は暴力で服従を迫ってくる以上、こちらが非暴力では服従せざるえない。ジョン・レノンの「ラブ・アンド・ピース」では、侵略してくる敵とは戦えない。平和をいくらイマジンしても、戦争のない世界にはならない。

 戦後日本の専守防衛というのは、思想というにはあまりにもオソマツすぎる。墨家は専守防衛であるが、そのための軍事力の維持と研究開発を怠ることはなかった。一方で「兼愛」を説きながら、その一方で敵を殺戮するという矛盾を抱えながら、それでも墨者は理想を主張する。戦後日本は、できることならば軍隊なんか持ちたくないけど、国際状況上持たざるえないので、軍隊みたいなものを作りました、敵が攻めてきたら日米安保条約で米軍に守ってもらいますという吉田茂の苦肉の策でしかなかった。

 この映画は、安易なハッピーエンドで終わらない。リアルな結末だった。革離は、墨家である。戦争職人であると共に、思想伝道者である。墨家の説く非戦論は、理にかなった理想である。しかしながら、この世は理想が通ることなど希である。どんなに優れた理念であっても、理念だけでは現実を変えることはできない。革離と戦った巷淹中もまた同じく理念に生きる人だった。しかし、最後に勝ったのは誰か。この映画のラストは、ある意味で理想主義の悲劇を意味している。この現実をかみしめながら、それでもなお、自分の理念に生きていく。思想者とは、そうした人なのである。

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January 28, 2007

NHK大河ドラマ『風林火山』

 今年のNHKの大河ドラマの『風林火山』って結構いいなと思う。自分の大河ドラマのベストを挙げよと言われたら、まずは『飛ぶが如く』と『花神』というシバリョーの幕末維新もの、次に『炎立つ』や『独眼竜正宗』(どっちも渡辺謙だな)となるが、今年の『風林火山』は良いではないか。内野聖陽って、全然知らなかったんだけど、いいじゃあないですか。文学座の人だったのか。

 私は、このところ中国の武侠ドラマを、レンタルDVDで見まくっている。それらを見ていると、中国の時代ものはいいよなーと思ってしまうのであるが、こうして気合いの入った戦国時代ものを見ると、いやあ、日本のものはいいですよねーと思ってしまう。なんというか、中華料理と日本食の違いというか、中国の武侠ものの絢爛さと比べて、日本のものは「質実剛健」ということをずっしりと感じるわけですね。ちなみに、『The West Wing』や『StarTrek』などを見ると、アメリカの良質のドラマはいい、日本ではとてもできない、とか思ってしまう。日米中と、ぼーだーれすってゆーか、ちゃんぽんな、ワタシ(笑)。ようするに、いいものはいい。

 毎回、ドラマが終わった後でチェン・ミンの二胡の音楽を背景に、ドラマの関連の史跡を紹介する「風林火山紀行」を見ていると、ああ日曜日が終わったなという気持ちと、甲州を旅するのもいいなと思ってしまう。

 この、大河ドラマを見終わると、日曜日が終わったという気持ちになるのは、その昔、毎年、大河ドラマを見ていた頃そうだったなと思う。この数年、というか、かなりの長い期間、大河ドラマを見ることはなかった。今年は良さそうなので、毎週見ているが、この見終わった時の気持ちというのが、子供の頃、親と一緒に日曜の夜、大河ドラマを見ていた時と同じだなと思う。チェン・ミンの曲を聴くと、それを思い出す。

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January 20, 2007

NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」

 NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」の秋山兄は阿部寛、秋山弟は本木雅弘に決定したという。

 うーん、ま、いいかな。真之が本木雅弘というのは悪くはないな、と。徳川慶喜もよかったし、聖徳太子もよかった。好古が阿部寛というのは、ちょっとイメージが弱いのだけど。コサック騎兵と戦えるのか。正岡子規の香川照之は、これは良し。律を菅野美穂というのは、なんかどうでもいいや(笑)。この物語は、女性キャラがほとんど出ないしぃ。真之と律の青春恋愛ものにするなよ。

 まー、なんといいますか、帝国陸軍ファン(なのか)としては、日本海海戦はさらっとでいいから(そうはいかんだろう)、とにかく奉天の会戦はしっかりやって欲しい。203高地よりも、奉天の会戦を見てみたい。海戦で言えば、日清戦争の鴨緑江海戦をじっくりやって欲しい。

 この物語は日本と清朝中国、そしてロシアの物語なのだけど、アメリカも関わってくる。やるんだったら、ぜーんぶ、しっかり描いてくれぃ。そのために受信料倍払えというのならば、払いましょう!!!払うから、満足のいくものを作ってくれぃ。

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January 06, 2007

あけまして、おめでとうございます

 あけまして、おめでとうございます。
 本年もよろしくお願い致します。

 来年の2008年は、アメリカの大統領選挙と北京オリンピックと台湾の総統選挙があるな、とぼおーと考えて、そーか、じゃあ今年はしっかりやらなきゃなと、何をしっかりやるのかよくわからないが、とにかくしっかりやらなきゃと決意を改にするのであった。

 とりあえず、今年の目標は中国語の勉強を始めたい、なと。
 Jung Changの"Mao:The Unknown Story"と"Wild Swans:Three Daughters of China"も読まなきゃ、なと。
 できれば、台湾にちょっと旅に行きたいのであるが、うーむ、行けるであろうか。

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December 17, 2006

もって他山の石としたい

 胡錦涛は北京語ではフー・チンタオと読む。英語でもそう呼ぶ。
 というわけで、YouTubeでのコメディ動画をひとつ。

Who's the leader of China?


 まあ、ブッシュはこの程度ですねということが言えるが。笑った後で、しかし、自分もこうした間違いはよくやるよなと思った。英語で、背景の知識がない分野について会話をしていると、この種の間違いはよくやる。だから、会話をしていて、つじつまが合わない時は確認をする。自分はコレコレをこう理解したが、これで正しいのかと聞き返す。

 相手の言うことを一回で聞き取る必要はないのだ(ヒアリングの試験では、その必要はあるな)。実際の会話はお互いが確認をしあって進むものなのである。これができるようになって、英語での会話は怖くなくなったように思う。慣れと言えば、慣れなのだけど。この動画をもって、我が英語修行の他山の石としたい。

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