日記・コラム・つぶやき

September 16, 2022

ブログの移行について

この6月からレンタルサーバを契約してWordPressで自分のブログ環境を立ち上げた。立ち上げたのは良いがさほど記事を投稿することもなく、月日は過ぎていく。

まとめてみたいテーマはいくつかある。そのひとつはMMTをどう理解すれば良いのかということである。積極財政とMMTは重なるのかどうかということである。MMTについては賛否両論があり、未だ経学学上の定見は定まっていない。財政支出について言えば、無駄な支出をしないことと、膨れ上がる債務を少なくさせることがこれまでの主張であった。しかしながら、今のこの国の経済状況は積極財政を行わなければ改善はされない。ところが、この国がこれまでやってきたことは、不必要なことにお金をかけて、必要なことにお金をかけないということである。不必要なことにお金をかけることはないが、必要なことにはお金をかけなくてならない。不況の時に積極的な財政支出や減税を行うべきとするのはMMTではなく、むしろこれまでの主流派経済学の考え方である。であるのならば、積極財政にMMTを持ち出さなくてならないのだろうか。あるいは、MMTが意味するのは経済学の新しいパラダイムなのであろうか。私は経済学の学徒ではないが、これはこれで大変関心のあることである。

さらに言えば、緊縮財政か積極財政かの議論の前に、基本的なそもそも社会とはなにか、経済とはなにかという根本レベルの認識から考えなくてならない。今のこの国ではこれらの認識が欠落しているか、大きく歪んでいる。欠落、あるいは歪みの上に正しい認識は生まれない。今必要なことは、医療や教育や福祉に大きく予算を投入し、国民の生活を底上げしていくことであり、それが国家の国力を向上させていくことになるのであるが、そういう考え方をしない者たちが政・官・財・マスコミで権力を握っている。これからこの国の国民はますます貧困になり、格差は拡大していく。

もうひとつまとめてみたいテーマは、気候変動である。気候変動について言えば、温暖化の方向へ動き始めている地球の気候はもはや止めることはできない。仮に世界平均気温の上昇を産業革命前に比べて1.5度以内に抑えることができたとしても(そもそも、この実現すらかなり困難である)、世界の温暖化がそれですぐに止まるわけではない。世界のすべてのエネルギー産業が、今すぐ再生可能エネルギーに変わることもできない。この世の中は不幸なことに気候正義が通る世の中ではない。この先、温暖化による大規模な自然災害を避けることはできないだろう。

しかしながら、だからと言ってなにもしないわけにはいかない。温暖化の災害は人々に等しく降りかかるのではなく、格差の問題と深く関係している。温暖化の被害を受けるのは、いわば社会的弱者の者たちである。

その他、韓国、台湾についても書くべきことがたくさんある。本来、このブログは政治・経済のブログではなく、文学部的なノリの雑多な内容のブログであった。それが妙にコムズカシイことだけになってしまったのは、歳を取るにつれ、私個人の人としての幅が狭くなったからであろう。これではイカンと思うシダイである。


新しいブログ(といってもブログ名は同じ「深夜のニュース」のままなのであるが)は以下のURLになります。
https://shinyanonews.com/

このニフティのブログはこのまま置いておきます。

May 28, 2022

ブログの移行を考える

これまで「深夜のNews」をニフティのココログでやってきた。これからは自前でサーバを立てて、WordPressでブログを書いていくことを考えている。

この先もこのままココログでやっていても良いのであるが、今のココログはニフティがかろうじて運営しているものになっており、それなりのユーザ数があるから廃止したくても廃止できないのであろう。画面のレイアウトやフォントの大きななど自由に変えたいのであるが、そうしたことはできないようになっている。ユーザサポートもやっているのかやっていないのかよくわからない。その昔、SNSなどというものがまだ存在しておらず、ブログが流行っていた頃、ココログは使える機能が豊富だったし、ユーザサポートも充実していた。Amebaブログやライブドアブログ、はてなブログなどはサービスとして今でも継続しているし、その意味ではココログも老舗のブログサービスになる。しかしながら、ブログサービスのおすすめ人気ランキングを見てもココログの順位は低い。今は「文字を書く」よりも、動画配信がかつてのブログのように誰でも気軽るにできるようになった。ニフティはビジネスとしての将来性をブログに見ることはなく、ココログはもはや終わってしまった事業なのであろう。

WordPressでブログを書いていくことは、ブログサーバを運営していくことになる。WordPressにせよサーバ運営にせよ、新しい技術を学んでいかなくてならない。それなりにお金と作業が必要になる。ITとデータサイエンスと株式投資は、今の時代に学ぶべき知識と技術である。ITサービスは自分で使ってみなくてわからないことがあるし、株式投資の知識も自分でやっていなくては身につかない。

また、最近の情報管理ソフトのNotionを使って文章の整理ができないものかと思っている。自分で使ってみて試行錯誤をしていくことで、新しい知識と技術を学んでいくのである。

May 18, 2022

沖縄はなぜ変わらないのか

さる5月15日は、沖縄本土復帰50年の日であった。

沖縄はなぜ変わらないのか。なにが変わらないのかというと、沖縄が本土に復帰して50年たったが依然として沖縄には日本の在日米軍の約70%があるということについてである。

結論を先に述べると、その理由は二つある。ひとつ目は、本土の大多数の国民が沖縄の基地問題について無関心であるためだ。なぜ無関心なのか。沖縄以外の場所で暮らしている者たちにとって、関心がなくても十分に困らないからである。さらにロコツにいえば、沖縄に対して自分たちの同胞と思っていないからである。これはすなわち「差別」であるのだが、我が国の人々の特徴的なことは、「差別している」ことを「差別している」と意識していないということが挙げられる。

もうひとつは、沖縄返還時の日米交渉の中で沖縄に在日米軍が基地を継続して置き続け、アメリカの意思によって自由に使用され続けることが決定しているからである。この点において日本国に主権はまったくなく、いわば日本はアメリカの属国的な位置にある。

仮にここで極東の安全保障を保つために、沖縄に軍事基地が必要だとする。その軍事基地がアメリカ合衆国の軍隊であることが問題なのであって、日本国の軍隊であるのならば話は変わってくる。ただし、沖縄から在日米軍を取っ払うとなると、周辺国の軍事体制にも根本的な変更をもたらすことになり、実現の可能性は著しく低いであろう。さらに今のこの国でまっとうな軍隊を持てるのかというと現状では不可能である。となると、アメリカ軍を日本に駐留させ続ける以外に方法はないということになる。

現在、日米政府は沖縄のアメリカ海兵隊のグアム移転や嘉手納基地以南の土地の返還を検討している。実際のところアメリカ軍は必ずしも沖縄にいなくてはならないというわけではない。しかしながら、沖縄全土から在日米軍がいなくなることはないだろう。ようは、日本の安全保障の負担を沖縄は負っているという事実を日本本土の国民がきちんと意識する必要があるということである。もうひとつは、日米地位協定などといった沖縄というか日本はアメリカに対して従属的な構造の中にあることを変える必要がある。日本国内にアメリカ軍の基地があることはよしとして、日本国側が主体的な対応をとることができる、諸外国と比べて著しく高額な経済負担をしていることをやめるということが必要だ。

アメリカは中国の脅威から日本を守っている、ロシアの脅威から日本を守っているとよくいわれているが、アメリアの対中関係、対露関係に日本国は関係はない。日本は日本で対中関係、対露関係をやっていけばよいのである。

 

May 09, 2022

あっという間に5月になってしまった

今年もあっという間に5月になってしまった。ここでの前回の日付は去年の12月30日である。

実は、その後、ここに載せる文をそれなりに書いてはいたのであるが、どうもまとまらず。結局、ここに載せることのない書きかけ文がいくつかある。そのいくつかは手を入れてここに載せていきたいと思う。

今年の始まりは相変わらずのコロナ禍が続く中で始まり、2月にロシアはウクライナに侵攻し戦争が始まった。コロナ一辺倒だったメディアは、今はウクライナ報道が第一になりコロナは第二になった。

ウクライナについては、まさかロシアがこんなことをするとは思っていなかった。その予想は外れて戦争になった。思えば、イギリスのEU離脱もまさかそんなことをするとは思ってなかったが、この予想も外れた。私の予想はよく外れるというか、つまり「この時代にまさかそんなことをするとは思えない」と思っているのは私を含めた一部の者たちだけであって、当事者たちはそうは思っていないということなのであろう。

ロシアにすれば、隣の国、しかもロシア発祥の地でもあるキエフ大公国(ルーシ)を受け継ぐもう一つの国であるウクライナが、西側諸国の一員になりNATO加盟国として核ミサイルを自分たちに向けようとすることは断固として阻止しなくてはならないことなのであろう。しかし、その阻止を戦争という暴力を使って行わざるを得なかったのかどうかというと難しい。

もし仮にウクライナがNATO加盟国になったとしても、おいそれとはロシアにミサイルを撃ち込むことはできない。経済関係からすれば、ウクライナとロシアは「一体化」しているといっていいほどのボーダーレスな関係である。経済は「一体化」していて、国としては別個の独立した存在であるという21世紀の世界認識がロシアにない。ロシアは自国の国内の論理にこだわらなくては国の統一と維持ができないというのであるのならば、かつて大日本帝国がそうであったように、プーチン体制のロシアはやがて滅びるだろう。ただし、これもかつての我が国と同じく、滅びるといってもただ黙って静かに滅びるのではなく、プーチン体制のロシアは国際社会に様々な問題を起こしながら滅びていくということである。

このロシアのウクライナ侵攻について、鵺のようにとらえどころのない対応をしているのが中国である。これは極めて賢い対応である。このへんに中国の世界認識の巧みさがある。このロシアとウクライナの問題は宗教やイデオロギーも絡んだ、いわば身内どおしの争いであり、部外者は制裁にあまり深く関わらない方が良い。これは、ロシアに制裁をしてどうこうになることではないのである。日本は欧米の対ロ制裁と歩調を合わせ、反ロシアを大っぴらに表明している。これはロシアの隣の国として日ロ関係に良い結果をもたらさないであろう。

December 30, 2021

2021年を振り返る

今年も昨年に続き依然として新型コロナウイルスで明け暮れた一年であった。

日経新聞によると「東京都は29日、新型コロナウイルスの感染者が新たに76人確認されたと発表した。50人を超えるのは10月16日(65人)以来。直近1週間平均の新規感染者は約44人、前週(約28人)比で157.0%だった。」であるという。いわゆる「オミクロン型」の新型コロナウイルスは世界中で猛威を振るっているが、日本でもこれから増え始める可能性は高い。つまりは、この先もコロナ禍は続くということである。

今年もコロナ禍で外国どころか国内の旅行もままならない一年であった。もう何年も前から韓国への旅を考えているのであるが、とてもではないが行ける状況ではない。次回、外国を旅する日はいつになるのかまったくわからない。この国は列島の上にある。この列島の上で営まれている社会とは、違う社会がこの世の中にはあって、そこで行われていることは、この列島の上の社会に直接的にせよ間接的にせよ関わっている。ところが、この列島に住んでいる人々はともすればその事実を忘れる。忘れるというか、そもそも意識すらしない人々が大半を占めるのがこの列島の住人である。それでいい場合と、それではすまない場合がある。

今年、斉藤幸平さんの『人新世の資本論』(集英社新書)を読み、最も感じたことは気候変動はここでまで危機的な段階にきているのかということだった。思えば1970年代の頃から、このままでは環境破壊が進み世界の文明は崩壊するという話が繰り返し述べられてきた。述べられてはきたが、どこか遠い先の話として受け止められてきた。環境問題は、ごく一部のそうしたことに関心がある者たちだけがいっていることであった。しかしながら、21世紀も5分の一が終わった今日、もはや本当に逃れようもない現実になった。ごく一部の関心がある者たちだけがいっていることではなく、誰の前にもある危機になった。エネルギーをどうするのいうことは、かなり大きな枠組みで考える必要がある。これは文明の根本的な問題である。

11月、イギリスのグラスゴーで開催されたCOP26では、産業革命前からの気温上昇を1.5度に抑えることを世界の共通目標とすることになった。だが、1.5度の目標を達成するためには2050年までに世界の二酸化炭素排出量を実質ゼロにしなくてはならない。これが現実として可能なのかどうかという懸念があるが、世界経済はグリーン・エコノミーに大きく舵を切り始めている。これに対してこの国は化石燃料を使う火力発電を温存することを示している。日本は太陽光パネルや風力発電で世界の企業から大きく後れを取っている。何においても、この国は未来の展望がまったくない。

December 12, 2021

企業の賃金を上げるよりも消費税の減税である

12月10日の日経の記事によると

「自民党の宮沢洋一税制調査会長は10日の記者会見で賃上げ税制について21年度に比べて1000億円台後半の減収になると説明した。22年度の税制改正全体に伴う増減税規模は「測るのが難しい」と述べた。

首相が最もこだわったのが賃上げ税制の拡充だ。全体の給与総額をベースにみた賃上げ率などに応じ、大企業は最大で30%、中小企業は同40%の税額控除とする。従来は大企業が最大20%、中小が同25%だった。19年度の利用実績は13万件程度だ。

黒字の大企業にはペナルティーといえる措置も導入する。継続して働く人の給与総額の伸びが小さく国内設備投資も少なければ、研究開発に関する投資減税の対象から外す。

賃上げ税制の実効性は見通せない。13年度の導入以来、見直しを重ねて継続してきた。厚生労働省の毎月勤労統計によると同年以降、現金給与総額の上昇率は最大1%台前半にとどまる。」

という。

国が企業に賃金を上げろというのは理解し難い。賃金は当然のことながらその企業の利益に基づくものであり、国がどうこうできるものではない。例えば、生産性が上がらなければ収益は上がらない。収益が上がらなければ、賃金を上げることはできない。これで企業が賃上げをできると思っているのならば大間違いである。コロナ禍で収益が赤字になっている企業では、賃金を上げることなどできない。この制度を利用して賃金を上げることができるのは、その収益がある企業であり、その意味ではこの制度によって企業格差がさらに広がるだろう。

むしろ個人の購買力を高めたいのならば、立憲民主党、共産党、社民党、れいわ新選組などが言っていたように、消費税の減税をする方が確実に意味がある。個人所得や法人所得はグローバル化で海外に移転させることは容易であるが、消費は国民全員が行う。消費税は高齢者を含め国民全員が負担する。だから消費税を下げるわけにはいかないという意見があるが、なにもこの先ずっと消費税を減税すべきというのではない(共産党はそう言っているが)。消費税の減税は今の危機的状況への対策であって、通常の状態の経常的な話ではない。国民の消費を高め、景気を上げるための対策である。経済が好調になれば税率を戻せば良いのだ。

November 20, 2021

いわゆる「科学技術立国の実現」について

11月19日の日経新聞の記事によると、

「政府は19日午後の臨時閣議で経済対策を決定した。地方負担分や財政投融資を加えた財政支出は55.7兆円で、過去最大だった2020年4月の経済対策(48.4兆円)を上回る。新型コロナウイルス対策費のほか、家計や企業向けの給付金が膨らんだ。民間資金を含めた事業規模は78.9兆円程度で、経済対策としては過去2番目となる。」

という。

この経済政策の内容については、内閣府のホームページに「コロナ克服・新時代開拓のための経済対策(令和3年11月19日)」として発表されている。しかし、これを一読しても、「コロナ克服・新時代開拓のため」になると思えるものもあれば、到底なるとは思えないものもある。全体的に見ると、絵に描いた餅のようにとても実現するとは思えないことや、これが実現することがなんの意味があるのかわからないことばかりである。この政策資料は、この先数年で忘れ去られる文書になるだろう。

例えば、このPDF資料の「Ⅲ.未来社会を切り拓く「新しい資本主義」の起動」の「科学技術立国の実現」について考えてみたい。

科学技術立国の実現を謳うのならば、理学と工学をまずきちんと拡充すべきだ。科学技術は理学と工学の上に成り立つものであり、科学技術それだけで成り立つものではない。さらに言えば、現代の理学研究は技術なくして行うことはできないが、理学の目的は自然の解明であり、技術に応用できるかどうかは二の次の話である。しかしながら、そうした純然たる知的好奇心で行っていることから、ブレークスルー的な新しい技術革新が生まれることがある。重要なことは技術革新そのものを求めても、できるものではなく、基礎的な研究を続けていくことからしか技術革新は生まれないということだ。「モノになる」研究の背後には、膨大な「モノにならない」研究がある。「モノになる」研究を得るには、「モノにならない」膨大な研究も含めて抱え込む必要がある。そうした大きな枠組みで捉えるべきだ。

「世界最高水準の研究大学を形成するため、10 兆円規模の大学ファンドを本年度内に実現する。」というのも、よくわからない。なぜ、10 兆円規模の大学ファンドがあれば、世界最高水準の研究大学を形成できるのであろうか。世界最高水準の研究大学云々という前に、まともな大学教育を行っていくことが必要なのでないだろうか。

「本ファンドの支援に当たっては、参画大学における自己収入の確実な増加とファンドへの資金拠出を慫慂(しょうよう)する仕組みとし、世界トップ大学並みの事業成長を図る。将来的には、政府出資などの資金から移行を図り、参画大学が自らの資金で大学固有基金の運用を行うことを目指す。」

というのも意味不明だ。こうした大学をベンチャー企業かなにかと同じに見る見方そのものが誤りの根本である。そもそも、大学は企業ではないという当たり前のことが、なぜなくなってしまったのであろうか。もともと大学というところは事業とはほど遠いところである。大学の人間は企業の現場を知らず、大学ファンドなるものは、ただのカネのバラマキにすぎない。政府の経済政策は、すぐカネのバラマキになる。役人は経済の現場を知らないから、考えることは投資主導になるのである。昔の高度成長期の時代であれば、それでよかったかもしないが、今の時代ではただのバラマキである。むしろ10兆円の予算はファンドではなく、教育体制の充実に投資すべきだ。人的資産への投資は、将来の成長にとって必要なことである。


October 31, 2021

福島原発事故から10年がたった

今年は福島原発事故から10年の年になる。10年目ということで、あの出来事についてその後わかったことが書かれた本が数多く出版された。そのうちの何冊かを読んだ。

『福島第一原発事故の「真実」』NHKメルトダウン取材班 講談社
『東電原発事故 10年で明らかになったこと』添田孝史 平凡社新書
『フクシマ戦記 10年後の「カウントダウン・メルトダウン」』上下 船橋 洋一 文藝春秋

この10年の間、自分もそれなりに福島原発事故について関心を持ち続けていた。福島原発事故について、わからないことがふたつある。ひとつ目は、あの事故はなぜ起きたのかということ。ふたつ目は、あの事故はどのようにひとまず終わったのかということだ。

あの事故はなぜ起きたのか。事故直後は、あれだけの大きな規模の津波は想定外だったという声が多かった。そして、想定外のことについても対処すべきだったのかどうかが問われた。さらに話は大きくなり、もはや原子力というものそのものが人間には管理することができるのかどうか。社会は、巨大化した科学技術とどう向きか合うべきなのかということまで論じられていた。自分もまた、その大枠の中にいたように思う。

ところが、原子力が云々とか科学技術がドウコウという高尚な話ではまったくなく、保安院と東電がやるべきことをやらなかっただけの話だったのだ。添田さんの『東電原発事故 10年で明らかになったこと』を読むと、事故後、強制起訴された東電の元幹部の裁判の中で、東北地方の地震・津波の調査から原発へのさらなる津波対策の必要性が何度も挙がっていたのだ。なんと、そうだったのかと思い、続いて添田さんの『東電原発裁判』(岩波新書)を買ってきて読んだ。『東電原発裁判』と『東電原発事故 10年で明らかになったこと』を読むと、東電はいかに福島原発の安全対策を行ってこなかったかがよくわかる。

添田さんはこう書いている。

「2002年に国が津波計算を要請していたのに、東電は嘘の理由を挙げて40分も抵抗し拒否した。2007年、福島第一は国内で最も津波に余裕のない脆弱な原発だとわかっていた。2008年に東電の技術者は津波対策が必要という見解で一致していたのに、経営者が先送りを決めた。東電が着手しなかった津波への対策を、日本原子力発電(東海第二原発)の経営者はすぐに始めた。同じ年、東北電力がまとめた女川原発の最新津波想定を、東電は自社に都合が悪いからと圧力をかけて書き換えさせた。
それらのことが法廷で明らかになったのは2018年以降だった。」
(添田孝史『東電原発事故 10年で明らかになったこと』)

もちろん、東電の不作為だけではない。国の管理機関もやるべきことをしてこなかった。これらの本を読むと、あの出来事は、国と東電に一切の責任があることがわかる。福島原発事故は想定外とか、巨大テクノロジーは人類の範囲を超えるとか、なんだとか、かんだとかはまったくなく、福島原発事故は国と東電がやるべきことをやってこなかった「だけ」の話だったのだ。もう一度書くが「だけ」の話だったのだ。もし想定外と言うのならば、全交流電源損失という事態は確かに想定外であっただろう。国と東電がやるべきことをやっていれば、その全交流電源損失という事態になることはなかったのである。

今のNHKは政府に迎合しているメディアの筆頭とでも言うべきものになっているが、東電原発事故についての報道はNHKの最後の良心とでも言うべき優れた報道を行っている。そのNHKの取材班の『福島第一原発事故の「真実」』を読むと、これまで不明だったことの数多くが、この10年間で次々とい判明してきたことがわかる。特に衝撃的だったことは、 吉田所長が決死の覚悟で行った1号機の注水は、ほとんど原子炉の内部に入っていなかったということだ。1号機は注水されることなく炉心はメルトダウンをし、建屋は水素爆発で吹き飛んだ。

福島原発事故の最大の危機は、2号機の格納容器の圧力を下げることができなかったことと、4号機のプールの水がなくなることであった。4号機の燃料プールの水が沸騰してなくなれば、プールに置いてある使用済み核燃料が大気に露出し放射性物質が放出されていた。最終的に、2号機の格納容器の圧力はなぜか下がり、4号機の燃料プールの水がなくならなかったのだ。これはどういうことであったのか。

2号機は消防車の燃料切れで一時注水ができなくなった。注水ができなくなったことにより、原子炉の温度が上昇することで格納容器が破損し、東日本が壊滅することが吉田所長の脳裏に浮かんだわけであるが、そうならなかった。

10年後の今わかったことは、以下の通りである。2号機は水が入らなかったことでメルトダウンを促進する化学反応が鈍くなったこと、格納容器の上部の継ぎ目や配線の結合部分が高熱で溶解し隙間ができて放射性物質が漏れ出たこと、さらに電源喪失から3日間に渡って冷却装置が動いていたことにより、格納容器の崩壊を避けることができたのだ。たまたま、これらの偶然が重なっただけのことだった。

3号機については、定期検査のため燃料プールの隣のプールも水が満たされており、この水が燃料プールへ流れたからである。たまたま水があったのである。

あの日も、その後の10年間も、そして今も、私は東京都民でいられるのは、これらの「たまたま」があったからなのだ。「たまたま」東日本は壊滅を免れたのだ。10年たった今、福島原発事故について知れば知るほど、これはものすごく大きな危機であったことをつくづく思わされる。このものすごく大きな危機は「たまたま」回避できたのだ。

福島原発事故は、国と東電がやるべきことをやらなかったため起きた。そして、「たまたま」最悪の結果にならなかった。この事実を、何度も何度も考えていきたい。

September 16, 2021

20年後の911

今年の9月11日は、アメリカで起きた同時多発テロ事件から20年目になる。

池澤夏樹は『新世紀へようこそ』というメールマガジンをまとめた同名の本の「まえがき」の中でこう書いている。

「われわれは2001年の9月11日から真の21世紀に入りました。結局のところ人間はこういう形でしか新世紀に入ることができなかった。」

20年後の9月は、その後に起きた数多くの出来事が進行している。2001年9月11日の出来事は「20年前のひとつ出来事」でしかないかのように埋もれてしまっている。あの時から、その後、あまりも多くのことが変わってしまった。

テロリストたちは4機の旅客機をハイジャックし、2機がニューヨークの世界貿易センタービルに突入し、1機はペンタゴンに同様に突入した。そして、最後の1機はホワイトハウスか連邦議会の議事堂への突入を試みたが乗客の抵抗により途中で墜落した。

これらの出来事はなぜ起きたのか。なぜ彼らは、それほどアメリカを憎んだのか、と考えるのが普通ではないのだろうか。だが、アメリカが行ったのは、テロを起こしたアルカイダを匿っているというアフガニスタンへの報復攻撃だった。この事件が起きた直後、アメリカ国内はテロと戦う団結の一色になった。リベラル系のメディアでさえも、アフガニスタンへの報復攻撃を支持した。テロと戦争は違うものである。その常識が省みられることはなかった。ハイジャック犯の19人を除くと、この日のテロ事件で2977人が亡くなったという。さらにテロ現場での負傷者や救助活動を行った消防士や警察官などが、その後、様々な呼吸器系疾患やがんを発症し、死亡した者も数多いという。もちろん、この惨劇で家族や近親、友人を亡くした人々の深い悲しみはある。しかし、だからすぐに武力で報復をするのは違う話である。このテロがなぜ起きたのか、このテロをなぜ防ぐことができなかったのか。アフガニスタンに巡航ミサイルでの攻撃やクラスター爆弾を落とす前に、それらの問いに答えるべきだったのだ。

しかしながら、池澤夏樹が書いたように「結局のところ人間はこういう形でしか新世紀に入ることができなかった」。この日からアメリカはテロ戦争の泥沼に入っていった。そして20年後の今、アメリカはヘイトクライムが頻繁に起こり、国民感情が分断した国になってしまった。

アメリカは、なぜ報復行為に出たのか。なぜならば、中東の小国に対して自分たちは軍事的に圧倒的に有利だと思っていたからだ。ところが、最後はアメリカの撤退で終わったのである。

September 04, 2021

菅首相が自民党総裁選不出馬


菅義偉首相が3日、自民党総裁選不出馬を表明したという。この人が日本国の首相の器ではなかったことは、もはやいうまでもない。この人は、小学校の校長先生のレベルの人だったのではないかと思う。

上が無能でも業務が成り立つのが、日本の組織である。元々、この人は安倍前総理が辞任した後、総理になることを打診されたが、自分はその任に合わないとして断っていた。自分でも総理大臣は務まらないことがわかっていたのであろう。それがなぜか総理大臣になった。人事は個人の意思や能力で決まるわけではないというのが、この国の風土である。

菅総理自身、ついさっきまで総理を続けると言っていたのだ。それが一夜にしてコロッと変わったかのような今回の出来事は、これが日本の政治だみたいな声があるが理解不能というべきだ。

自民党は菅首相のままでは衆院選を戦えないということなのであろう。ここで総理を切り替え、新生自民党ということで、マスコミを使って国民の機会感を高めて衆院選を迎えるということなのだろう。自分たちは政権の座から落ちたくないということだ。

より以前の記事一覧

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