January 04, 2015

2015年 年明け雑感

 今年は戦後70年の年になる。年明けの新聞の多くは社説でそのことに触れていて、かくも元旦の新聞に70年前の戦争が出てくるのはめずらしく、あたかも終戦記念日の社説のような感があった。

 世の中には、日本近代史を研究テーマとする学者がいる。その数は人文学系の研究者の中で少ない。その数よりも遙かに多く、日本近代史に興味と関心を持つ一般のみなさんがいる。しかし、その数も日本国民の全体から見ればごくわずかな人々である。そして、日中戦争から太平洋戦争を実際に体験している世代は今では数少ない割合になる。

 なにが言いたいのかというと、国民全体から見れば70年前の戦争に本当に関心を持っている人は少ないということだ。太平洋戦争どころか311すらメディアは忘れ去っているではないかと思う。それが、どの新聞も戦後70年だったという話である。今の世の中、新聞を読むという人々は戦争体験世代か戦争体験世代ではないが戦争に関心を持つという人々が多いということだろうか。それらの社説の内容の大半は、戦後70年目の節目の今年、安倍政権により日韓関係、日中関係のさらなる悪化を危惧するものであった。

 今の日本の雰囲気は、1月3日の産経新聞の産経抄の次の一文に如実に現れている。

「お隣さんたちと愛を育てようにも、戦争が終わって70年たっても「慰安婦」「南京」「歴史認識」の三題噺(ばなし)をまくし立てられては、希望の苗を植えても腐るだけ。」

 ようするに、日本側は中国・韓国と仲良くしようという意思はあるのだが、とうの相手の中国・韓国は過去の反省をしろとやかましく言ってくるので仲良くできないというわけだ。

 ここに見られるのは、日本人の過去の記憶の忘却である。ここには、中国や韓国が「戦争が終わって70年たっても「慰安婦」「南京」「歴史認識」の三題噺(ばなし)をまくし立て」ているのはなぜなのかという問いが欠落している。

 いや、問わなくてもわかっている。中韓はおかしい国であり、言いがかりを言ってくる国というわけだ。それで思考は停止している。中国、朝鮮の側から、なぜ「戦争が終わって70年たっても「慰安婦」「南京」「歴史認識」の三題噺(ばなし)をまくし立て」ているのか、という視点が欠けている。実際のところ、戦後70年の日韓関係、日中関係を考えるためには、戦後70年どころか19世紀末のアジアから考えなくては理解はできない。日清戦争や日韓併合はなぜ起きたのかを考えようという意思が見られない。グローバルな視点で、東アジア史を学ぼうという視点がここにはない。

 その一方で、同じく産経新聞の1月3日の「日韓の細道」での首都大学東京特任教授・鄭大均氏のコラムに注目したい。日本統治時代の京城の日本と朝鮮の人々の暮らしや風景を「感じる」ために安倍能成のエッセイを読むことを薦めている。鄭大均氏はこう書いている。

「前から考えていることだが、『日韓併合の時代ベストエッセー集』のような本を何冊か刊行し、まずは「日韓併合」の時代をリアルタイムで経験してもらうのはどうだろうか。エッセーだから、難解な論文や政治的アジテーションや小説は含めない。そもそも小説や論文などより、エッセーのほうが時代の息吹をよく伝えてくれる。

 この時代には、たとえば安倍能成(よししげ)のような魅力ある書き手がいて、そのエッセーを読むと、この時代の風景がよく見えてくる。安倍は京城帝大で15年以上も教えた後、旧制一高校長を経て学習院院長を歴任した人だが、京城(現ソウル)の町をよく歩き、人間や自然をよく観察し、多くの魅力的なエッセーを残してくれた。

 エッセー集の刊行を通して期待しているのは、日韓併合の時代が、われわれが考えるほど、良い時代でも悪い時代でもなかったということである。この時代については、なにせ、政治主義的、民族主義的な議論ばかりが多くて、当たり前の人間の当たり前の日常があったことが忘れられている。日本人も韓国人も、まずはそういう当たり前のことに気づいてもらわないとお話にならない。」

 台湾では、最近、日本統治時代についての客観的で常識的な観点からの研究書が多く出版されるようになってきている。なによりも台湾には、古き日治時代の面影を垣間見る風景がたくさんある。出来事の話が残っている。台湾には今でも日治時代の日本が残っている。それらを通して日本の台湾統治の功と罪を考えることができる。

 朝鮮と台湾はその歴史的、文化的背景が異なるため、日本統治時代について韓国と台湾では同列に論じることはできないだろう。しかしながら、台湾で流れていった日本統治の時間は、同様に朝鮮でも流れていったのである。そして、その時間の流れに我々、日本人もいたのだ。

 この同時代に共有していた時間を、戦後の日本は忘れ去った。その70年の年月の果てに、「戦争が終わって70年たっても「慰安婦」「南京」「歴史認識」の三題噺(ばなし)をまくし立てられては」迷惑千万だという、一方的でしかない今の日本人の感情がある。

 例えば、台湾映画のウェイ・ダーション監督の『海角7号 君想う、国境の南』『セデック・バレ』『KANO』を日本人が見ると、その忘却があることをまじまじと感じることができる。朝鮮(韓国)についても、同じことが言える。支配した側(日本)はきれいさっぱりに忘れているが、支配された側(中国・韓国)は今でも覚えている。基本的に、日韓、日中にはこの認識のギャップがあるため、まともな対話ができない状態になっている。戦後70年を振り返るといいながら、その内容の歴史理解が不足しているのである。つくづく学校での歴史教育の重要性を痛感するが、その学校教育が話にならない状態になっている以上、自分で問い、学んでいくしかない。

 年始の休みはトマ・ピケティの『21世紀の資本』(みすず書房)を読んだ。18世紀以後、土地や株などの資産を運用して得られる利益の伸びは、労働者が労働で得る所得の伸びを常に上回っていた。ただし、二度の世界大戦期はそうではなかった。第二次世界大戦が終わって、特にアメリカは19世紀のヨーロッパ以上の格差社会になっている。

 格差社会では資本主義は動いていかない。これを回避するために国際的に金持ちや大企業から税金をさらに取ることを述べている。ある水準以上になると、投資リターンにより資産は加速的に増大する。資本主義は必然的に格差社会を生み出す。格差社会では社会は流動性を失い、経済成長は低下する。従って、資本主義社会の経済政策で必要なことは、いかにして格差社会にさせないかということであり、国際的な累進課税が必要なのであると述べている。

 このことは、ピケティ以前から何人かの経済学者が言ってきたことだ。しかしながら、ソ連が崩壊して20年以上の年月が過ぎ、もはや社会主義思想を社会は成り立たないことは歴史的事実とされた今日、資本主義は必然的に格差社会を生み出すということを改めて明快に述べた経済学者はこれまでいなかったように思う。

 経済学には、簡単に言うと、金持ちや大企業に高い課税をかけると経済成長は低下する、それよりも金持ちや大企業の減税をして経済全体のパイを大きくしなくてはならない。そうすることによって、ミドルクラスやロークラスも豊かになれる、という考え方がある。ピケティはこれを否定したことになる。

 これはまっとうと言えばまっとうな、ごくあたりまえのことなのであるが、このへんが、ふつーの経済学者ではできない発想だ。ピケティは、過去200年のデータに基づいてそう言っているのであり、これもごくまっとうな方法論と言えばまっとうな方法論だ。ようは、こうしたことをこれまで誰もやってこなかった、考えてこなかったということなのだろう。

 ピケティが書いているように、経済学者は歴史的にものを見ようとしないし、歴史学者は経済を見ようとしない。ピケティの『21世紀の資本』が世界的なベストセラーになったことで、資本主義はほおっておくとすぐに格差社会になる。公共政策の目的は格差社会を解消させることであることが一般的な認識として定着することを望みたい。

 ピケティが言っていることは、これまでの経済政策の金持ち優先か、福祉社会かの二者択一のことではない。金持ちを優遇し不労所得者の利益をさらに増やしていくのではなく、中間層に手厚い支援を行い、仕事をしている者たちの生産性を上げる政策が必要だということだ。

 この世界で巨額の富を持つのは、財産を相続した者でありスーパー経営者である。ロバート・ライシュがいった脱工業社会の専門労働者、いわゆるシンボリックアナリストは現代の財産相続者やスーパー経営者ほどの金持ちにはなれない。仕事そのものを生きがいとし、金持ちになろうとして仕事をしているわけではないのがシンボリックアナリストである。

 おもしろいのは、ピケティはジョブスの財産はゲイツの財産の6分の1しかなかったことを書いていることだ。ジョブスはvisionaryであって、カネ儲けが目的ではなかった。今のアップルはどうなのか知らないが、初期のアップルには、こういう人物のもとに、これもまたカネ儲けが目的ではない技術職人の連中が集まっていた。そうした連中が今日のIT産業を創った。こうでないと資本主義は進んでいかない。ピケティは明確にそう書いてはいないが、彼もまたそのように考えているのではないかと思う。

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May 25, 2014

『天の血脈』

 安彦良和の『天の血脈』を読んでいる。現在、コミックスの第三巻まで出ている。僕はマンガ雑誌を読んでいないので、マンガは本屋にコミックスで出るものでしか買わない。『天の血脈』は第一巻が出た時に本屋で手に取って少し立ち読みをした。なんか満州辺りに石碑の調査に行く話のようで、その後、これがなにかつなながるような話だった。

 なにしろ安彦さんの作品である。『虹色のトロツキー』や『王道の狗』や『ナムジ』や『神武』や『蚤の王』や『ヤマトタケル』の安彦さんの作品である。コミックス1巻だけで読むのもなんなので、とりあえずもう何巻か出たらまとめて買おうと思って、そのままとした。それからしばらく経った先日、本屋で第二巻、第三巻と出ていることを知って、もうそろそろいいかなと思い、まとめて三巻を買って読んだ。

 時代的に言うと『王道の狗』は秩父事件から日清戦争、『虹色のトロツキー』が昭和初期からノモンハン事件までとするのならば、『天の血脈』はその間を埋めるものになっている。この時期は大変重要な時期だと思う。この時期に何がどう起こったのかでその後の日本の歴史は決まり、そのことが今日まで続いていると言ってもよいだろう。

 『天の血脈』は、一高と東京帝大の合同調査隊が高句麗の第19代の王である好太王の業績を称えた石碑を調査しに行くことから始まる。この石碑の碑文には、4世紀に倭が百残・加羅・新羅を破り支配したという意味の句があるとされた。このことは『古事記』『日本書紀』にある神功皇后が海を越えて新羅、百済、高句麗を支配したという記述とつながり、つまり大日本帝国の朝鮮侵略のイデオロギーを補完するものになった。

 ちなみに、今日ではこの神功皇后による新羅、百済、高句麗の征服、いわゆる三韓征伐は、神功皇后の実在性も含めて史実として確証されていない。征伐といっても、なにを持って「征伐」というのか。今日的な意味でいう軍事侵略や支配とは同じものではないだろう。この三韓征伐については、これはこれで別に詳しく調べてみたい。

 大変興味深いのは、この物語に内田良平が出てくることだ。アジア主義者、黒龍会主幹の内田良平は辛亥革命に関わり、インド、フィリピンの独立運動に関わり、そして朝鮮の日韓併合に関わった極めて重要な人物である。この人が何を考えていたのかということについて大変興味がある。

 ようするに日韓併合とは一体何だったのかという疑問がある。もっと大きく言うと、この時代、日本人は朝鮮をどのように思っていたのだろうかということだ。

 1910年(明治43年)、大日本帝国は朝鮮を併合した。カンタンに言うと日本は朝鮮を植民地にした。しかしながら、例えば1583年(嘉永6年)に浦賀にペリー艦隊が来た時の日本人は、将来、この国が朝鮮を植民地にするようになるとは思ってもいなかった。幕末の知識人たちが考えていたことは、アジア諸国が連携して西洋列強の侵略に対抗するということだった。その意識が明治維新後、アジア主義になる。数多くの人々がアジア主義を持って海を渡った。インドやビルマ(ミャンマー)やフィリピンや朝鮮や中国の独立を求め活躍した。アジア主義が意図するものはアジアへの侵略ではない。そのことは否定できない事実である。

 朝鮮について言えば、朝鮮の独立を本気で望んでいた日本人は数多くいた。日本と共同して朝鮮を独立国家にしようとした朝鮮の人々も数多くいた。何度も言うが、そのことは否定できない歴史の事実だ。ある一点の角度から見れば、本来の日韓の近代史は今の我々が知るものではなかった。日本と韓国はもっと違うお互いの関係を持つことができたはずだった。

 それがなぜこうなってしまったのか。ここのところがはっきりしていないから、21世紀になっても慰安婦や日本軍の残虐行為を正当化する声が後を絶たないのだ。アジア主義であったはずの日本はアジアを裏切ったと言われてもしかたがないであろう。それはなぜだったのだろうか。福沢諭吉の『脱亜論』にあるように「悪友を謝絶」したくなった気持ちはわからないでもない。また当時の世界情勢はアジア主義の理想が通るものではなかったということもわかる。しかし、その上でなお釈然としないものがある。なぜ、この国はこんな近代史を歩んだのだろうか。その「歩み」は今もなお続いているのではないか。

 安彦良和は『王道の狗』において、日清戦争で日本はすでに朝鮮と中国への侵略の意図があったとしている。日本がというのが言い過ぎであれば、陸奥宗光や川上操六は、であろう。しかし、陸奥は外務大臣、川上が軍人であって、彼らの意志がイコール大日本帝国の意志ではない(日清戦争の段階では)。では、『虹色のトロツキー』ではもはや軍事行動として当然のことになっている近代日本の総体の意志としてのアジア侵略はいつ、どのようにして始まったのだろうか。その意志の源はどこにあるとするのか。明治の話と古代の神功皇后の三韓征伐の話が交互して進む物語になっている『天の血脈』でその間を埋めて欲しい。

 第三巻では日露戦争勃発の前である。日韓併合まで話しが進むのかどうかは今はわからないが、今後の進展が楽しみだ。

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May 01, 2014

『1971年 市場化とネット化の紀元』

 土谷英夫著『1971年 市場化とネット化の紀元』(NTT出版)を読んだ。ブレトンウッズ体制が崩壊し通貨が変動為替制になったこととインテルの汎用マイクロプロセッサーが誕生した1971年を今日のグローバル経済の情報ネットワーク社会の始まりと捉え、そこに至った道筋とその後の世界の変貌を論じた本である。

 1971年は著者が日経に入社し経済部に配属され通産省の記者クラブに通うようになった年とのことである。時の総理大臣は佐藤栄作だった。佐藤内閣の時代のこの年に、ニクソン大統領がブレトンウッズ体制を廃して世界経済は変動相場制へと移った。

 この「世界を駆け巡る」ことを可能にしたのは情報通信技術の発展であり、その中核とも言うべきものはコンピュータである。金融にITは深く関わっている。筆者はブレトンウッズ体制が崩壊した1971年は、インテルが汎用マイクロプロセッサーを開発した時でもあることから、この年は今日の世の中の世界の市場化とネット化の始まりの年であったと顧望し、なぜ変動相場制へとなったのか、この変化に日本政府はどのように対応をしたのか、そしてその後、今日のカジノ化しつつある世界金融になったことをわかりやすく書いている。大変興味深い。

 この20世紀後半に起こった変化の中に今の我々はいることはまぎれもないことであり、折に触れ今の世界経済を動かしている金融資本がどのようにこの世に生まれたのかということは振り返って考える必要がある。

 インテルのマイクロプロセッサーがあってこそパーソナル・コンピュータの誕生があったと言われれば確かにそうだが、金融のためにパーソナル・コンピュータは生まれたわけでない。ITは金融にも歴史的に大きな影響をもたらしたということであり、パーソナル・コンピュータの誕生について言えば金融とは別の長い長い物語がある。しかしながら、世界をネット化しているのは金融情報であることは間違っていない。経済の側から見ればITはこうしたものだ。その意味で、この本は現代の金融の物語である。

 ブレトンウッズ体制がなくなった後、なにが起きたのか。お金の先物取引が可能になり、この本の中で書かれている、それをビジネス・チャンスとして、お金が「商品」として利益を生む世の中へさせていった人物の一人、レオ・メラメドの話はおもしろい。この人は日本とも関わりがあった。

 膨大な情報が自由な流れていくことが可能になったことは、市場経済を活性化させた。それを受けて、経済思想の主流がケインズからハイエクへと移り、アダム・スミスの『国富論』が復権する。資本が自由に移動することは主要先進国の財政政策ではなく金融政策が意味を持つ。つまり、中央銀行の総裁の政策が意味を持つ。

 イギリスでサッチャーがイギリス経済を立て直し、アメリカではレーガンにより経済が改革される。このように1971年に始まり1980年代の金融とITによる経済の革命的な変化の中で、サッチャーとレーガンによりイギリス・アメリカ型経済が復活し、社会主義国ソビエトは崩壊していった。同じく社会主義国の中国は鄧小平が資本主義を導入し、工業化へと推進させ、21世紀初頭に経済大国第二位の国になる。その一方で没落の一途をたどっていったのが日本であった。

 全地球上を市場で覆うグローバル経済には矛盾や問題もある。経済のグローバリゼーションは、貧しい国に豊かになる機会を与えた。その一方はグローバリゼーションによって貧富の格差が広がったということもある。社会主義経済の機能不全を経験した今日の時代では、経済の発展には情報の自由な流れが必要であるという考えになっている。この観点から見れば国家が主導する経済、いわゆる国家資本主義ではやがて限界になり、民間主導の資本主義にならざるを得ない。

 民間主導の資本主義の社会とは、選挙があり言論の自由があり法の支配がある民主主義の社会だ。社会主義を標榜していながら実質は国家資本主義国であろうとしている中国が今後どうなるだろうか。民主主義にも欠点はある。金融資本主義は、一歩間違えれば世界経済は危機的な状態になるという危険を常に孕んでいる。そうした様々な欠点を抱えながら現代の社会と経済は進んでいくしかない。

 この本の中で最も印象深かったのが次の一節だ。

「1985年に日本は世界一の債権国になった。プラザ合意があり、ここから円の急騰が始まる。堺屋太一氏は、この年『知価革命』を著し「知恵の値打ちが支配的になる」社会への移行を唱えた。新たなパラダイムへ適応の勤めだった。しかし、現実に起きたのは”地価革命”なのだ。やがて泡と消えるバブルである。」

 つまり、戦後から1970年代までの日本政府の経済政策には正しさがあった。おかしくなったのが1980年代以後なのだ。この国は30年前に堺屋太一が言った「知価社会」に今だなっていない。なぜできなかったのか、どうすればそうなるのか、それを考える必要がある。本質的な議論は1980年代から進んでいないのだ。

 この本と野口悠紀雄著『変わった世界 変わらない日本』(講談社現代新書)を合わせて読むと、1970年代以後の金融と経済の変化がよくわかる。経済の基本的な仕組みを変えなくては日本経済は復活しない。だから、アベノミクスとやらではダメなのだ。

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October 20, 2013

『クロスロード・オキナワ』を読む

 鎌倉英也・宮本康宏『クロスロード・オキナワ 』(NHK出版)読了。沖縄について考える時、いやが上でもその歴史を考えなくてはならない。ようするに、本土は沖縄になにをしてきたのかということであり、今なにをしているのかということであり、そしてこれからなにをしようとしているのかということだ。

 沖縄は、かつて琉球と呼ばれていた。中国との冊封関係にあったが、大陸人たちからすれば南洋の島々などある種どうでもよいことであり、宗属関係があればあとはどうでもよかった。その意味で沖縄は、実質的には独立王国として周囲の国々と交易し豊かに栄えていた。

 17世紀に、薩摩・島津家が沖縄を侵略する。暴力で支配しなくても、交易をすればいいだろうにと後生の我々は思うが、とりあえずそういう時代だった。ちなみに、同じ17世紀頃、北海道では松前藩が先住民族のアイヌへの過酷な搾取を始めていた。こっちの方も、平等な「くに」と「くに」の関係をもって交易をすればいいだろうにと思うのだが、何度も書くがそういう時代だった。

19世紀になって、日本列島の本土では幕藩体制が崩壊し大日本帝国ができる。おもしろいのは、廃藩置県の時、政府はいきなり琉球国を沖縄県にしなかったということだ。中国が琉球は自国の領土だと言ってくることを避けようとしたのである。その後、台湾出兵の時、清は琉球を自国領と言ってこなかったので、それではとばかりに日本は琉球を日本国の沖縄県とした。日本としては近代的な国境を定め、国家の防衛拠点を作りたかった。それが沖縄だった。以後、今日に至るまで沖縄はこの「日本国の防衛拠点としての役割」を一方的に課せられることになる。これが琉球処分であったと言えよう。

 我々が明治時代を振り返る時、そこに明治のナショナリズムを見る。欧米列強のアジア侵略に対して、日本人は自らの手で幕府を倒し、近代国家を作り、欧米に対抗しうる軍事力を持たざるを得なかった。しかしながら、沖縄の人々としては、日本国の国民国家に巻き込まれなくてはならない理由などどこにもない。これもまた、そういう時代だったとしかいいようがない。

 太平洋戦争での沖縄戦が、どのようなものであったかは言うまでもないだろう。沖縄戦では、日本軍による沖縄住民への虐待や集団自決の強制といったことが行われた。そんなことはなかったと言う声があるが、昭和の日本軍とはどのような軍隊であったかということを思えば、いわずもがなであろう。ちなみに沖縄だからそうしたことが起こったわけではなく、もし関東での戦闘になったのならば、沖縄と同じような光景が関東の各地で起きたであろうことは容易に考えられる。

 1951年、占領統治が終わり日本は独立国に戻った。しかし、アメリカによる沖縄の占領は続き、8年後の1960年に沖縄は本土に「復帰」する。「復帰」したその後においても、実質的になにがどう変わったというわけではなく、アメリカのベトナム戦争、そして米ソ冷戦の極東基地としての役割を負うことになる。

 現在、沖縄には在日米軍基地が集中しているが、最初からこうではなかった。占領が終わった50年代、米軍基地は読谷村や中頭郡辺りにあっただけであった。その後沖縄は、本土の様々な米軍基地の移転先となり、今日のような至る所に基地があるようになる。今日、在日米軍の移転先として沖縄は県外移転を望んでいるが、受け入れる県は一県もない。本土の県は沖縄を米軍基地の移転先としてきたのに、自分たちに来ることは望まない。このへんに、本土にとって沖縄とはなんであったのかがわかる。

 現在、在日米軍の再編により海兵隊が沖縄に常駐するのではなく、グアムとオーストリアのダーウィンにローテーション的に移動することが検討されている。これは沖縄は対中国戦の基地としては、大陸からのミサイル攻撃の射程圏に入り過ぎていて有効ではなくなってきたためだ。対中戦略を踏まえると、沖縄に大規模な米軍を置くことは意味がなくなってきている。そうしたわけで、ある期間はグアム、ある期間はオーストリアにへと海兵隊を移動させることになった。

しかしながら、グアムもダーウィンも市民レベルでは沖縄からアメリカ軍が来ることを望んでいるわけではないということがこの本を読むとわかる。こうした現地の声は、日本のメディアでは伝えられていない。グアムもダーウィンも米軍基地を招聘しているのは為政者であり、市民は喜んでいるわけではない。

 誰も米軍が駐留することを望んでいない。もちろん、これまでも米軍基地は迷惑以外のなにものでもなかった。だが、国の防衛という観点から、そうした市民の感情より国の政策が優先されてきた。しかしながら、これからの時代、国の政策を市民感情に優先させることが出来にくい世の中にますますなっていくだろう。

 では、日本国の防衛をどうするのだという話はある。防衛とは、何を守るのか。それは「生活圏」をどう考えるかということであった。与那国島の『自立へのビジョン』構想が大変興味深い。与那国島は沖縄本島よりも台湾の方が近い。戦後の一時期、台湾や香港、フィリピンからの交易や漁業で大いに栄えたことがあったという。これを政策としてもう一度取り戻そうというものである。人の交流があるところに軍隊はいらない。与那国島から台湾へは日帰りができる。沖縄は日本と台湾、香港、中国、ベトナム、フィリピン、シンガポールなどとつながる場所になれる。

 こうした安全保障もある。栄えている国境があることが、実は最も強固な国防なのだ。防衛というものは、我々の生活圏の「枠」をもって成り立っている。しかしながら、その「枠」を外して、違う「枠」で生活圏を捉える、作ることは可能だ。与那国島の『自立へのビジョン』構想は、今の時代のグローバル経済と情報テクノロジーをもってすれば充分可能であり、ようはやるか、やらないかでしかない。我々は、なにをもって日本の安全保障とするのかというレベルから考え直す必要がある。その考える作業を、今の日本はやろうとしていない。アミテージやナイの言っていることは、アメリカの思惑である。それもアメリカの一部の意見であって、アメリカ側にも様々な考え方がある。

 少なくとも沖縄には、沖縄独自の進むべき道を示すビジョンがある。本土のメディアはそうしたことを一切伝えていない。『クロスロード・オキナワ』を読んでつくづくそう思った。

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May 13, 2012

野口悠紀雄著『経済危機のルーツ モノづくりはグーグルとウォール街に負けたのか』を読む

 野口悠紀雄著『経済危機のルーツ』(東洋経済新報社)を読んだ。

 パナソニックとソニー、シャープの電機大手3社の2012年3月期決算では過去最大の最終赤字を記録。赤字額は計1兆6000億円と空前の規模に膨らんだという。この赤字は、今回のだけというより、このままでいれば今後も増え続けるだろう。

 なぜこうなったのか。韓国や台湾・中国のメーカーが日本製品よりも低価格の製品を提供できるようになったからだ。これまでの日本の製造業は、終焉したと言えるだろう。

 ではどうするのか。

 ではどうするのか、を考えると共に、なぜこうなったのか、ということを考える必要がある。今の時代が「こうなっている」というのは、当然のことながら、ある日ある時突然こうなったわけではなく、長い年月のある過程を経てこうなった。

 今の日本経済が没落しているというのならば、過去、繁栄していたことがあるということだ。では、なぜ「その時」は繁栄ができたのか。その繁栄の条件が、その後変わったために、繁栄ができなくなったのではないか。その繁栄の条件とはどういうものであり、それはどのように変わったのか。そして、これからどうなるのか。

 第二次世界大戦以後の世界経済は、国内産業は無傷であり、高い工業力を持つアメリカと、戦勝国側とは言え戦争により荒廃したヨーロッパと、敗戦国の日本とドイツ、そして内戦状態に突入した中国、朝鮮があった。20世紀後半、日本は経済発展がめざましく世界第二経済大国になった。それが21世紀の今日、中国が世界第二位の経済大国となり、韓国のメーカーは日本を追い抜いた。日本経済は奈落の底に沈んでいこうとしている。

 これは一体、いかなることがあったのか。

 という大きな枠で見なくては、今の中国や韓国やアメリカやヨーロッパや、そして日本を考えることはできない。

 というわけで、野口先生の『経済危機のルーツ』である。

 第二次世界大戦以後の世界経済をどう捉えるか。著者は今日いたる変化の始まりは1970年代にあったという。なぜか。この時代に、ブレトンウッズ体制が変動相場制へと移った。そして、コンピュータ技術の変化が始まった。つまり、金融とITで変化が始まったということだ。

 よく言われる「ヒト、モノ、カネ、情報」で言うのならば、「カネ」の姿がこの時代に大きく変わった。この時にできた世界金融の姿が今でも続いていると言っていい。特に、金融について言えば、この変化を受けて、イギリスは新しい金融立国として確立している。

 続く1980年代は、サッチャーとレーガンによる経済体制の改革が行われ、新しい経済思想が生まれた。ソ連では、ゴルバチョフが登場し、その改革が、ソ連の崩壊へと進む。中国では鄧小平の開放政策が始まる。この時以後、中国は世界の工場へと大きく舵を切る。思えば、この舵の先に、今日の世界第2位の経済大国中国があり、2012年3月期のパナソニックとソニーとシャープの巨額の赤字があるとも言えるだろう。

 1990年代は、情報通信の技術が本格的に産業に関わり始めた時代だった。「ヒト、モノ、カネ、情報」で言えば、「情報」に大きな変革があった。金融での変革にも、このIT技術の革新は大きく関わっていることを見れば、情報通信技術の進歩こそ20世紀後半の人類史の変革の要であったとも言えるだろう。

 2000年代、日本では、アメリカでのサブプライムローンの破綻、リーマンショックは金融工学の失敗のように思われているが、金融工学の失敗というよりも、この新しい金融工学を運用できなかったマネジメントの失敗だった。

 大ざっぱに言えば、中国が世界の工場として世界経済にどれだけ台頭しようとも、あるいは、韓国メーカーが世界市場で自動車や家電をどれだけ販売しようとも、1970年以後、様々な変革を経て脱工業化をし金融が中心になっているアメリカやイギリスは影響を受けない。それに対して、「ものづくりが大切なのだ」とか言って、1970年以後も変わることなくずーと製造業が中心のままになっている日本は、モロにダメージを受けているというわけだ。

 ではなぜ、1970年以後、日本は、小手先的な改革は細々とやってきたが、根本的な改革をすることなく、21世紀の今日に至り、中国と韓国に追い抜かれ、日本の製造業は終焉を迎えることになったのか。

 この時期、イギリス、アメリカが行ったことの概要を著者の言葉も交えて挙げてみると、

第一に、中国が世界の工場になるのならば、製造業依存の産業から脱却しなくてはならない。価格競争ではかなわない。それよりも、中国の安い製品を利用し、付加価値の高い産業に特化する必要がある。
第二に、金融産業は大きな雇用吸収力がある。「金融では数多く雇用が生まれない。やはり製造業でなくてはならない」と言われているが、そんなことはない。金融産業が中心と言っても、みんな銀行や保険会社勤めになるわけではない。専門知識はない者でも十分に働ける雇用の場はたくさんある。
第三に、新しい金融産業はITやファイナンス理論と深く関わっている。
第四に、経済はグローバル化している。

ということだ。

 そして、この国の現状を見れば

第一については、依然として製造業依存の産業のままである。
第二については、「金融では数多く雇用が生まれない。やはり製造業でなくてはならない」とか言って、金融産業が大きくならない。
第三については、ITやファイナンス理論は学校では教えない。社会人になって勉強ができる場がない。これについて、著者はこう書いている「社会人の勉強を支援する制度がほとんどない。税制上の措置もないし、奨学金も十分ではない。企業もMBAを評価しない。エコカーの購入支援や高速道路の無料化が行われる半面で、将来のための人材教育がまったく議論されないのは、驚くべきことだ。」。
第四については、資本やヒトのグローバル化がしていない。

 さらに、アメリカやイギリスは大学や研究機関の質が高い。これに対して、日本はどうであるかは言わずもがであろう。

 この本のサブタイトルは「モノづくりはグーグルとウォール街に負けたのか」とあるが、これは正しくない。この本で述べられていることは、日本の家電や自動車は、グーグルとウォール街に負けたわけではなく、フォックスコンやサムスン電子や現代自動車に負けたのである。グーグルとウォール街があるアメリカは、もはや同じ次元で勝負をしていない。中国や韓国がどうであろうと負けることはない。むしろ、日本はグーグルとウォール街がないから中国・韓国に負けるのだ、ということだろう。

 この本の最後で著者は「韓国に学べ」と述べている。

「日本と韓国の間で、なぜこのような差が生じてしまうのだろうか?基本的な差は、「外国に学ぶ」という謙虚さを、日本人は失ったが、韓国人は持ち続けていることだと思う。
謙虚さを取戻し、優れたものに学ぶ勇気をもう一度持つこと。今の日本で最も求められるのは、このことだ。」

 私もそう思う。韓国のなりふり構わず学んでいく姿に、日本は学ばなくてはならない。

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May 07, 2012

『中国化する日本』を読む

 與那覇潤著『中国化する日本』(文藝春秋)を読んだ時に思ったことのひとつは、京都の学者はこれをどう評価するだろうかということだった。あの京都中華主義とも言うべき京都学派は、この「中国化」と「江戸封建制」の分類と流れをどう捉えるか。そもそも、この本の出発点である内藤湖南だったら、これをどう思うか。

 アジアに燦然と輝く中華帝国をメインに捉え、その歴史は「唐(中世)と宋(近世)の間で切れる」という内藤湖南の史観に始まる。内藤は10世紀の宋にすでに「近世」が確立していたと論じている。内藤のこの史観を述べながら、著者は次のように書く。

「宋では貴族とともに封建的な中間集団も解体され、科挙によって採用された官僚が皇帝のもとで権力を握ることになります。同時に税制も物納から金納になり、貨幣経済が中国全土に広がっていきます。これによって中国には、個人が社会の中で裸で競争しなければならないような今の「新自由主義」的とも言える社会が出現したのです。」

 ここに中華文明が作った「チャイナ・スタンダード」が「グローバル・スタンダード」になる。この時代、西欧はいち地方の辺境の田舎でしかありえない。この宋時代の「チャイナ・スタンダード」を、本書では「中国化」と呼ぶ。

 日本は、すでに9世紀に中国からの文化導入をやめていたが、平清盛がやろうとした日宋交易を、農本主義の鎌倉幕府が受け継ぐことなく、以後、後醍醐天皇の建武の新政や室町時代の足利義満といった「中国化」的な動きはあったが、すぐに消され、以後、戦国時代、江戸時代へとこの路線は変わることなく続いていったという。

 上記については、僕もまったく同意するのだけど、細かく言うといくつかの点でそうかなと思うことがある。

 なぜ日本は、大唐文明に学ぶことをやめたのか。具体的には894(寛平六)年の菅原道真の提言により遣唐使は廃止されたのか、つまり834(承和元)年の遣唐使が最後になったのか、ということを、単純に日本には「中国化」がなじまなかったからと言っていいのかどうか。

 日本は、宋文明に学ぶことをしていなかったというが、清盛の日宋貿易を潰した京都及び武士団一派は、単純にチャイナ・スタンダードの導入をしたくなかったからみたいな言い方で言っていいのか。

 それと、この本に出てくる権門体制論の理解は正しくないだろう。このへん、筆者の専門は日本近現代史であるそうだが、専門違いとは言え中世史について素人以上の知識はあってしかるべきだ。その意味では、中世史専門の本郷和人の方が近代史について勉強しているし、誠実かつ堅実な思索をしている。

 さて、中国の歴史は「唐(中世)と宋(近世)の間で切れる」と内藤湖南は言ったが、その内藤は、では日本史についてはどう言ったであろうか。「日本史を一か所で切るのなら、応仁の乱の前後で切れる」と述べている。

 著者は次のように書く。

「私は、この内藤湖南のふたつの近世論は、室町時代までの日本中世は「いくつかの中国化政権の樹立を通じて、日本でも宋朝と同様の中国的な社会が作られる可能性があった時代」、戦国時代以後の日本近世は「中国的な社会とは180度正反対の、日本独自の近世社会のしくみが定着した時代」として考えろ、という意味だと思っています。」

 応仁の乱以後、戦国時代、戦国大名の治世スタイルから中国とは異なる日本独自の仕組みが生まれ(ただし、織田信長は除く)、確立し、そして定着していったと著者は述べる。このへん、16世紀の西欧文明との出会い、いわゆるウェスタン・インパクトがあっても、日本社会は変わることなく淡々と続いていったことを考えるとうなずけるものがある。信長という例外はあるにせよ、なぜこの時代、日本は南蛮文化を積極的に導入することなく、世界交易にも出ることなく、一国の経済に留まる決断を徳川幕府は行ったのかは深いテーマだ。

 ちなみに、NHK大河ドラマ『平清盛』の視聴率が上がらないのも、我々は応仁の乱以後の日本人なので、応仁の乱以前の、それも文字通り「中国化」を目指そうとした清盛に馴染むことができないからということも言える。

 さて、ではなぜ江戸時代は「中国化」しなかったのか。なぜ身分制度をわざわざ「作った」のか。

 著者は次のように書く。

「考えてもみてください。お隣の中国では近世から、すなわち宋の時代から、身分制などというものは廃止されているわけです。さらに、江戸時代というのはよく知られているとおり、書物文化や印刷出版業が花開いた時代ですから、ある意味でメディアの面で宋朝に追いついたというか科挙をやろうと思えばできる環境に到達した時代ともいえます。それにもかかわらず、隣国では600年も昔になくなっている身分制度を維持し続けるというのは、異様というほかない。」

 その(宋朝中国という)「グローバル・スタンダード」から見て、異様というほかないことをやったのはなぜか。筆者は、近年の歴史学の見解を紹介している。細かいことは省くが、ざっと挙げれば、鎖国、コメの普及、イエ制度の確立、商工業・流通・サービス業の徹底管理、つまりは「封建制」である。これらを行うことによって、みんなが食っていける世の中にしていったというわけだ。

 ただし、この「みんな」の中には、「イエ」に属していない農家の次男三男と未婚女性は含まれていない。「封建制」のセーフティ・ネットの機能を果たすのは、「イエ」であり「ムラ」であり「藩」であった。従って、そうした組織に属していなければならないということになる。属していない人、属せない人はどうなるのか。自己責任なんだから、どうなっても知りませんというわけだ。

 「封建制」の江戸日本では、商工業・流通・サービス業が自由闊達に発展することはできない。技術の進歩はない。なにを言っても自由であるが、ご政道への批判、お上への批判はご法度、外国の知識を学ぶことは禁止、等々、こうしたことを制限することで社会が成り立っていた。

 ちなみに、この「引きこもり」的な江戸時代に、当然のことかもしれないが、世界にない特殊な文化が花開いていたことを考えると、こうしたガラパゴス時代にも文化的な意義はあったと思う。

 近現代に至り、世界はようやく「中国化」する。欧米諸国の近代化とは、遅れた中国化だったと著者は述べる。明治以後から平成の今日に至るまでの日本人で、(内藤湖南先生のような東洋史の碩学を除けば)自分たちが行っていることは実は「中国化」だったということは一度も思ったことはないだろう。実は、宋朝中国が成し遂げたことを欧米という国々でめぐりめぐって、再び日本人の前に現れただけのことだったというのは興味深い視点だ。

 江戸時代の、本書の文脈に従うと、応仁の乱以後の、戦国時代、安土桃山時代、江戸時代の、これらの諸々が、明治期は民族存亡の危機を目前としたので一時的に「中国化」したが、すぐに江戸時代の封建制に戻り、以後、大正、昭和、平成と続き今日に到る。

 世界は「中国化」し続けてきたが、日本は「封建制」のままになっている。「ムラ」である大企業の正社員ではない人、「イエ」に属さない結婚しない未婚女性は自己責任なのだから、どうなっても知らないというわけだ。

 しかし、今、「江戸」日本は、巨大な大国中国を隣国とし目の前にしている。経済の停滞により、「封建制」のセーフティ・ネットであった「ムラ」である企業はセーフティ・ネットの機能を果たせなくなり、未婚女性が増加して「イエ」はなくなり、公務員や正社員の人々とそうではない人々の格差が広がるままになった。江戸時代以降の(細かく言うと応仁の乱以後の)(しつこいか)(笑)「封建制」は崩壊しつつある。それが現代なのだ。(応仁の乱以後の路線では立ち行かなくなったということは、それ以前の、足利義満、後醍醐帝、そして、おー平清盛ではないか!!やはり清盛に着目すべきなんだな)

 今の中国を考える上で、なるほどと思ったのが、著者の次の文章だ。

「中国社会の怖さ、とはなんでしょうか(しつこいですが、中国という国家の軍事力の怖さ、と無関係です)。おそらくそれは、法の支配や基本的人権や議会制民主主義の欠如でしょう。
私たち日本人は、少なくとも日本国憲法ができて以来、これらの制度をそれなりにきちんとした形で持っているので、それがまるで欠けているように見える中国を、軍事的・経済的には超大国になったとされる今でも、どこか「怖い国」「遅れた国」「野蛮な国」とみてしまう癖がついています。(中略)
しかし歴史的に考えれば、これは逆なのです。
中国というのは本来、人類史上最初に身分制を廃止し、前近代には世界の富のほとんどを独占する「進んだ」国だったわけですから、むしろ、「なぜ遅れた野蛮な地域であるはずのヨーロッパの近代の方に、法の支配や基本的人権や議会制民主主義があるのか」を考えないといけないのです。中国近世の方がより「普通」の社会なのであり、西洋近代の方が「特殊」なんだと思わないといけない。」

 これについての、なぜかという問いに対する著者の最近の歴史学の見解の紹介は、なにを言っているのかよくわかない。例えば、なぜ大塚久雄や角山栄への言及がないのか。

 これからの中国を考える上でも最も重要な点は、西欧に生まれた議会制民主主義と人権というものをどう考えるのかということだ。議会制民主主義と人権というものは、そもそもなんであったのか、なんであるのか我々の社会において、それらは必要なのものなのか、なくてもなんとかなるものなのか。欧米は、それらがあることは必要不可欠であるとするが、その根拠は一体なんであるのか。

 それらが「ある」とされているこの国を見た場合、果たしてそれらがあることに十分な意義があるのか。それらは、どにように機能しているのか、といったことも踏まえなくてはならない。議会制民主主義と人権は、なくてもなんとかなる。それらは人間の社会において必要不可欠なものではないとなると、今の中国のあり方でもオッケーということになる。

 宋朝中国が人類史のグローバル・スタンダードであることは認めるものであるが、だからといって西欧がやろうとし、やってきた辺境での冒険的な試みも、それはそれで人類にとって意義のあることではないのか。西欧は西欧であり、アメリカはアメリカなのではないか。これを全部引っ括めて「中国化」と呼んでいいのか、というと、うーむという気がしないでもない。

 そうした考察が本書にはない。本書にはないというか、それは私が考えるべきことなのだろう。そういう意味では、自分の思考の整理に大いに役にたった本であった。

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April 07, 2012

誰が本や映画や音楽や演劇やアートを見たり、聴いたり、読んだりするのか

 大前研一さんのコラム「日本でも若者の失業が深刻な社会問題になる」によれば、「安定的な就業をしている若者は「2人に1人以下」」であるという。これは、かなり深刻な事態になっていることを表している。

 とーとつな話で恐縮であるが、本や映画や音楽や演劇やアートを見たり、聴いたり、読んだりするのは、やはり若者層が多いと考えるのが一般的だろう。結婚して自分の家族を持つと、なかなかそうしたことにお金と時間をかけることができない。しかしながら、その若者層が安定した職業に就き、安定した収入を得ていないとなると、そうしたことにまわすカネと時間がないということになる。

 ようするに、今の世の中で、本や映画や音楽や演劇やアートを見たり、聴いたり、読んだりするのは、どのような顧客なのであろうかということだ。これまでの世の中であるのならば、そうした顧客は学生、若者がメインであると思うことができた。しかし、今の時代は、もはや学生、若者は関心的にも、また経済的、時間的にも、そうしたことに費やすことができない、しないようになってきたのならば、誰がそうしたことをやっていくのかということだ。

 もちろん、大ざっぱに「本や映画や音楽や演劇やアートを見たり、聴いたり、読んだりする顧客」という区分け自体がもはや成り立たない。もっと細かく子細に見ていく必要がある。経営戦略を考える時、三つのC、カスタマー(顧客)、コンペティター(競争相手)、カンパニー(自分の会社)を考えなくてはならない。そういうわけで、今、どのような人が「本や映画や音楽や演劇やアートを見たり、聴いたり、読んだりする顧客」なのだろうかと漠然と考えている。

 そして、日本国内を相手にしていくのならば、少子化で子供が減り、若者が安定した就業ができない、しない世の中になっていくということは、「本や映画や音楽や演劇やアート」の顧客層は増えることはせず、減っていく一方になるということになる。なにをいまさら、こんなことは誰でもわかっていることなのだけど。

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April 02, 2012

久しぶりに東京堂書店に行ってきました

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 昨日、久しぶりに神保町に行った。そして、これも久しぶりに東京堂書店に行ってきた。なんと、お店は改装されていてリニューアルされていた。

 ほほう、これは、と思い、さっそく入ってみた。

 うーん、やりたいことはわかるんだけど、うーむ、これは。

 まず、一階のカフェだけど、なにゆえこの神保町という場所で店内にカフェを置く必要があるのだろうか。店の周りに、カフェは数多くあるではないか。顧客の動きとしては、神保町では、本屋さんで本を買って、カフェ専門店で珈琲を飲むだろう。僕もまたそうだし。書店が高いビルになっている三省堂や新宿の紀伊國屋や池袋のジュンク堂みたいな店であるのならば、店内で珈琲を飲むということはある。しかしながら、中規模書店の東京堂書店で、しかも周りにはカフェが数多くある場所で、なぜ店内にカフェを置く必要があるのか。

 書店の本はデジタルデータではなく、実際のモノである。本屋は、そのモノを置いて並べなくて成らないのだから店内の床面積は貴重であるはずだ。その貴重な床面積をカフェに割り当てるということと、集客効果を比較してカフェを置くことにしたのだろうが、そのへんの理由が知りたい。

 この本屋さんは、いわば総合ジャンルを扱う本屋さんであって、人文科学、社会科学、自然科学、工学、アート、等々のいわば大手の本屋さんと同様の領域を扱う。しかし、この規模の本屋さんでそれをやると、今の時代、どの分野も中途半端になってしまって品揃えに貧弱感を感じてしまう。あれも、あれも、あれも、ないじゃんということになる。

 さらには、店員さんの方も、これらの全ジャンルをカバーするのはなかなか困難だろう。顧客からの問い合わせや、本の品揃えの選択や関連をもって本を本棚に並べるには、その分野についてそれなりの知識がなくてはならない。店員はフロアーごとに担当範囲を持っているとしても、この分野の多さに対応できるかどうか。

 フロアーごとにコンセプトがあり、そのコンセプトに基づいて本を置いているというのは意味はわかる。しかし、あのコンセプトにもし忠実に従うのならば、この規模の本屋ではこれは無理だと思う。本の数が足りない。この規模の本屋では、もっとコアとする部分に絞った方がいいと思う。
 
 例えば、2階の「原節子」と当時の日本映画のコーナーは良かったけど、あまりも数が少ない。あれでも少ない。「原節子」をキーとして、もっと往年の日本映画の関連本、写真集、DVDへと広がっていって欲しかった。それで、ひとフロアー全部を使ってもいいのではないか。もちろん、それでも足りるわけではなく、その先はネット情報で提示してくれるような仕掛けがあって欲しい。「本」には、リアル書店もネットも区別はない。しかし、我々が「出会う」のはリアルな場の本屋なのだ。このへんの仕掛けがしっかりしているのならば、本屋の内装とかは極端なことを言えばどうでもよく、昔の本屋さんのようにただ本が棚に置かれているだけでもいい。

 昔の読書人は、ただ本が置かれているだけの本棚をざっと見て、それらの本から「つながり」をスパッと把握する。なぜ、そういうことができるのかというと、その分野での知識と教養を持っているからだ。今の顧客は、なかなかそれができないから、本屋側をその「きっかけ」を提供し、顧客の側はその「きっかけ」から自分で本の空間を進んでいくことができる。そうしたことができる「装置」として、今の本屋はある。そういう「装置」になっているかどうかが重要なのだと思う。これは本屋の規模の大小とか本の品揃えの数の多い少ないではない。

 つまり、「きっかけ」の場としては、リアル本屋さんには規模の条件があるからコアを定める。そのコアから広大な読書空間へと誘う「仕掛け」を置く。その広大な読書空間には、アマゾンさんが待っているんじゃないですかという声もあるだろうけど、アマゾンさんがいようが、三省堂さんがいようが、紀伊國屋さんがいようがいいではないか。トータルに「本の販売」全体を扱う、大きなvehicle(乗り物)としての本屋さんってないよね。

 新保町という本屋が密集したこの場所で、かつ、アマゾンというネット書店に対抗しなくてはならないとなると、そうとうの独自価値を出さなくてならない。このリニューアルにかけたコストを回収し、かつ利益を出さなくてはならないことを考えると、ああっ東京堂書店さんはたいへんだなと思う。

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March 29, 2012

ニューズウィーク日本版「普天間と日本」

 今週号のニューズウィーク日本版(2012年4月 4日号)の特集「普天間と日本 海兵隊をめぐる勘違い」は大変興味深かった。日本の親米ポチの皆さんは、東アジアの安定のためには在日米軍は必要だ、沖縄の海兵隊は必要だの一点張りで、アメリカ従属意識丸出しで、日本から在日米軍が撤退するなど考えられないかのように述べている。

 しかしながら、事実はそうではない。

 実際のところ、かなり前から日本の在日米軍というか、海外の駐在米軍の規模を縮小させようという意見は、アメリカ国内で言われ始めていた。そうした意見が、今やニューズウィーク誌でも取り上げられるようになってきたということは、無視できない広がりを持ち始めたということだ。

 アメリカには、沖縄の在日米軍の規模を縮小させたいと考えている軍事専門家や外交評論家が数多くいる。このことを、日本の親米ポチのみなさんは知らないのか、あえて無視をしているのである。

 在日米軍の規模を縮小する、その最大の理由は、財政問題である。アメリカは、世界の各地に軍隊を配備させることができるカネがなくなってきた。オバマ政権下でも、アメリカ議会は国防費を大幅に削減した。

 もうひとつの理由は、世界情勢の変化である。冷戦が終焉し、グローバル化が浸透し、人類はかつてのような大規模の世界戦争をしないようになってきた。その一方で、中近東や北朝鮮などいった紛争危険地域は数多くある。そして、東アジアの覇権国になろうとする中国とロシアは軍事力を増強している。アメリカは、アメリカ一国でアジア太平洋地域の覇権国になるのではなく、同盟国との共同によってアメリカ覇権を維持していく必要がある。

 さらにもうひとつの理由は、テクノロジーの進歩と、それに伴う軍隊組織の変化だ。今の軍隊は、ただ戦場で戦っていればいいわけではない。情報収集、分析、通信、エンジニアリング、医療、人事、教育など軍隊で行うべき仕事は山のようにある。

 沖縄の在日米軍は、海兵隊などの戦闘部隊の規模を縮小させ、司令部部隊と後方支援部隊を拡充させるべきだ。そして、沖縄に在日米軍に置けば日米同盟はそれで万事オーケーのような話はもうやめるべきだ。

 もはや、沖縄に大規模な海兵隊の部隊が必要だとか、日米同盟をさらに強固なものとし、在日米軍の現状規模の維持とさらなる拡張をとか言っているヤツは、在日米軍の基地利権目当ての政治家と官僚とただのバカであると言ってもいいだろう。

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March 26, 2012

『ザ・ワーク・オブ・ネーションズ』

 最近、ロバート・ライシュの『ザ・ワーク・オブ・ネーションズ』(The Work of Nations: Preparing Ourselves for 21st Century Capitalism )をまた読み直そうと思っている。

 今の時代は、ネットからニュースや情報、映像、文章等が容易に手に入る。情報の整理、表現、プレゼン、コラボレーション等はITの知識と技術があれば簡単にできる。ここで必要なのは、創造的に自分の意見や考えをアウトプットする能力である。つまり、それはシンボリック・アナリストの時代なのだと思う。

 1991年にライシュは『ザ・ワーク・オブ・ネーションズ』を出した。それから20年たった今、ライシュの予測した未来の通りになった。世の中は格差社会になり、中間層が消えてしまうということや、シンボリック・アナリストが社会の富を作るということは、見事に的中している。国の役割は大企業を育てることではなく、国際的に競争力のある個人の育成を行うことであるということなど、21世紀になって10年以上が過ぎた今、まさにその通りだったと思う。よくぞまあ20年前に、こうした本が書けたものだ。唯一予測できなかったのはIT技術の進歩だろう。

 これほど世界がネットでつながり、iPhoneやiPadで簡単に情報の収集、整理、編集、発信ができるようになるとは書いていなかった。IT技術の進歩が、ライシュの予測通りに世の中がなることを決定づけたと言ってもいい。IT技術によって、シンボリック・アナリストの仕事がやりやすく簡単になり、なによりも楽しいものになったということが一番大きな出来事であろう。

 その昔、私はこの本を翻訳で読んだが、シンボリック・アナリストというワードに違和感を感じて理解できなかった。はっきり言って好きになれなかった。あれから10年以上の年月がたって、気がつくと自分はシンボリック・アナリストの職業であることに気がついた。そうかライシュの言っていることは正しかったのだと気がついた。

 というわけで、今度は英語で読んでみたいので、Kindleで"The Work of Nations"を読み始めている。

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