経済・政治・国際

December 31, 2020

2020年を振り返る

 2020年を振り返ると、やはりというか新型コロナによるパンデミックであろう。2020年は歴史に残る年になった。

 厚生労働省が行ったLINEによる「第1-4回「新型コロナ対策のための全国調査」からわかったこと」によれば、
「「収入・雇用に不安を感じている」に「はい」と回答された方は、全体の31.1%でした。回答結果は職業種で大きな偏りがあり、タクシードライバー(82.1%)、理容・美容・エステ関連(73.0%)、宿泊業・レジャー関連(71.2%)、飲食(飲食店含む)関連(62.2%)の方が、過半数以上「はい」と回答されました。また、職業種によっては、従業員規模が小さいほど、より多くの方が「はい」と回答する傾向がありました。」であるという。

 また、精神的な面では学生への影響が最も高い。

 「一方で、学生は職業種の中で、「人間関係について不安を感じている」、「毎日のように、ほとんど 1 日中ずっと憂うつであったり沈んだ気持ちでいる」、および「ほとんどのことに興味がなくなっていたり、 大抵いつもなら楽しめていたことが楽しめなくなっている」に、「はい」を回答する割合が最も高い結果でした。それぞれ12.9%、14.4%、13.0%でした(回答者全体では9.3%、8.7%、8.3%)。」であるという。

 大学のオンライン教育についていえば、今回の出来事は大学からすれば降ってわいた災難であり、大学教育でオンライン教育はどのようにあるべきかという準備があって行ったわけではない。学生を教室という場所に集めることができなくなったので、代替処置としてやっているだけのことである。その程度のことでしかないので、学生側からすれば満足のいくものではないのは当然のことであろう。本来、オンライン教育とは、教室で教師がしゃべっている動画をただネットで流せば良いというものではない。この点については、根本的な作り直しが必要であろう。

 疫病は高齢者に重症化や死亡リスクをもたらしている。もともと、パンデミックが発生する以前から若者、高齢者、女性は社会的弱者になっていたが、パンデミック後はさらにそれが進んだ。

 必要なことは、当面の課題としてこうした社会の弱い部分に対する援助や保障であるのだが、消費減税をすることはなく、全員一律給付は一度行っただけとするなど政府はこれをやる気はない。よくわからないのは、生産性が低いのは淘汰されて当然だとする考えがあることだ。今起きていることは平時ではない緊急時である。生産性が低いから淘汰云々、失業するのは当然だみたいな考えは今の状況では成り立たない。雇用者において所得減、失業などといったことは起きてはいけない、起こさせないためにはどうしたよいであろうかとするのがむしろ当然の対応なのである。

 救済が必要な人々をどう選別するかは困難なことではあるが、困難だからできません、やりませんが通る話ではない。なんために国民は税金を払っているのかということになる。雇用については非正規労働者、特に非正規労働者の8割を占める女性にしわ寄せがかかっている。

 その意味で、現状の政党の中ではれいわ新選組がいっていることが妥当である。れいわ新選組は以下のような政策を主張している。

消費税は廃止。
奨学金の借金をチャラに。
教育は完全無償化。
一人あたり月3万円を給付。インフレ率2%に到達した際には給付金は終了、次にデフレ期に入った際にまた再開する。
1人あたり20万円の現金給付

 れいわ新選組がこの先どうなっていくのか注目したい。

 311の時、政府とマスコミは無能だったのは、まだ原発村や原発利権があるからと思えたが、今回の新型コロナが明らかにしたのはこの国の政府は全般としてことごとく使えないというものである。

 4月、5月から政府は一体なにをしてきたのであろうか。厚生労働省のホームページには新型コロナウイルス感染症対策本部決定の8月の「新型コロナウイルス感染症に関する今後の取組」や12月に行われた「新型コロナウイルス感染症対策本部(第 50 回)」の議事次第が公開されているが、その内容はいかにも役所が作った総花的内容であり、これらの中でなにに重点を置くのか、なにを優先するのかということがさっぱりわからない。GOTOトラベルには1兆円を超える予算が投入されているが、今は医療機関に重点的に予算を投入せずして、いつ投入するのであろうか。本日時点では東京都の感染者数が1300人を超えた。

 憲法を改正して軍隊を持とうという声があるが、日本の再軍備の是非はどうであるのかという以前に、そもそもこんな国民を見捨てる政府に軍隊を正しく運用することなどまずできない。ようするに何においてもことごとく、この国では政府を信信用することができないのである。こんな政府が憲法を変えたり、本格的な軍隊を持たせるのは危険である。何度も書いているが、今のこの国は、仮にパンデミックが収束したとしても、他にやるべきことが山のようにあり、そんなことをやっている場合ではない。

 今年は長く続いた安倍政権が終わりを告げたが、もうこの国は国民全員を守り、国民全体を栄えさせるということは不可能なのであろう。限られたパイを巡って、国民に対して区別や線引きがされている。それが明確に表面化してきたというのがこの一年であった。

 国際社会に目を向けてみると、今年のアメリカの大統領選挙のポイントはバイデンの勝利ではなく、トランプ支持者が7300万人もいるということだ。共和党はもはやトランプ頼み一色になっている。トランプ的なるものは消えたわけではなく、ますます大きくなってきている。変わりゆく共和党と、その一方で、バーニー・サンダースのラディカル右派の運動はますます盛んになっている。政治がまともに対処できていないことでは日本と同じなのであるが、アメリカではそれに対する市民の側からの抗議や主張がある。アメリカの政治状況は今後も見逃すことはできない。

 パンデミックが蔓延する国際社会で、その地位を大きく上げているのが中国である。中国は崩壊する的な話はタワゴトだと思って良い。中国は、アメリカと並ぶ世界覇権国である。経済の側面においても、中国の経済は世界の最先端を走っているといっても良い。

 今年、大陸中国は香港を完全に併合した。香港の若者たちは抵抗を続けているが、中流階級以上の富裕層は国家安全維持法を支持している。大陸中国と対立関係になり多国籍企業や外国資本が香港から撤退してしまうと、自分たちのビジネスに不利益であったり不動産の資産価値が下がることを望んでいないからである。

 よくも悪くもパンデミックが世界を変えた1年であった。そして、この変化は来年はさらに本格的に進むのである。

December 28, 2019

香港を考える

 香港について、ぼんやりと考える。

 1997年7月、香港は中国に返還された。返還された先の中国とは、中華人民共和国である。

 もともと清朝の版図であった頃や大英帝国の領土だった時の香港の人々は、これほど自由や民主主義を唱える人々ではなかった。それがかくも自治の意識を持つようになったのは、今の中華人民共和国の政治スタイルのためではないだろうか。大清帝国も大英帝国も、香港に対しては、いわば「ゆるい」統治を行い、支配体制への直接的な反抗をしないのであるのならば、およそなにをしても関知しない支配だった。ところが、今の中国政府は香港を大陸中国に同質化させようとしている。香港がこれに抵抗するのは言うまでもない。

 香港は、香港でなくなることに抵抗しているのである。思えばかつて大日本帝国は、日韓併合をして朝鮮の人々を無理矢理に皇民化させようとしたが、その同じようなことを大陸中国は香港に対してやろうとしている。日本を行ったこの誤りを、中国も繰り返そうとしている。

 今の中国には、かつての清朝や大英帝国のような統治ができない。清朝は満州族が建国した帝国である。漢族とは異民族である彼らは、漢族の帝国であったそれ以前の中華帝国の資産を継承することについてこれを尊重し、清は漢族の文化の国でもあることに努めた。中国とは異質な文化の集合体であり、異質なものを異質なものとして受け入れ、なおかつ帝国としての統合性を保つことが、実は中国という広大な大地を統治することにおいて最も重要なことであることを、遊牧の異民族である彼らはよく知っていた。

 今の中国がこうした統治形態をとることができない理由を簡単に一言で言うのならば、そもそも中華人民共和国という国の建国の理念にはそうしたことが入っていないからだ。習近平の言う中華民族の偉大な夢というビジョンは、かつての戦後日本の高度成長期の社会ビジョンとさほど変わることがない。

 清朝の次の支配者である大英帝国については言うまでもない。極東の遠いアジアのことなどよくわからず、大英帝国の植民地の要であるインドと比べると、統治しているのかどうかもさだかでない極東の植民地が香港であった。

 香港にはこの歴史的な「ゆるさ」がある。そして、今消えようとしているのが、この「ゆるさ」の中で育まれてきた様々なものだ。民主派は自由と民主主義という理念を求めるが、親中派は経済的安定と繁栄を求める。確かに理念だけでは、人々は生活をしていくことはできない。しかし、その一方で香港が香港でなくなり、大陸と同化してしまうことを望む香港人は大多数ではないだろう。

 だからといって、香港にせよ台湾にせよ、民主派・反中国派の政治勢力が主流になってしまうのは危険である。民主派と親中派の双方がいるのが、あるべき姿であり、そのバランスの上に立って北京と対等に渡りあえる指導者が出てくるのが望ましい。香港は香港であるが、同時に中国の香港でもあることは否定できない事実なのである。

 そのためには、反中でなければ親中でもない。民主主義の香港でありながら大陸との良好な関係を保つ「一国二制度」の本来のあるべき姿とは、このようなものであるという思想なりビジョンなり政策なりが必要なのである。それを作り出し得るかどうかに、今後の香港の行く末があるのだろう。

November 24, 2019

「中国化」する世界

 今日11月24日の東京新聞の【社説】「週のはじめに考える ミイラ取りの未来」は興味深いものだった。

 社説は次の文から始まる。

「三十年前、中国の経済規模はまだイタリアの半分ほどでした。それがどうでしょう。その後、飛躍的成長を遂げ、二〇一〇年には国内総生産(GDP)で日本を抜いて、今や世界第二位の経済大国。大ざっぱに、まずは安い賃金と豊富な労働力が国外からの投資を引きつけた「世界の工場」として、さらには巨額のインフラ投資と国内消費の伸びに支えられた「世界の市場」として、グローバル経済に確固たる地位を築いたのです。」

 中国はこの先どうなっていくのかということについて、あの広大な国土で、今の共産党一党独裁体制がこのまま続いていくわけはないという声が多い。非民主主義国である、言論の自由はなく、人権が無視されていることは、経済成長と共に解消されていくであろうというのが数多くの声であった。

 ところが今現在、そうはなっていない。これほど中国経済が巨大になっても、中国は依然として共産党一党独裁体制の国である。民主主義であることや、言論の自由があることや、あらゆることにおいて人権が厳守されるということについてほど遠い国である。

 それは「西側」に責任があると東京新聞の社説は書く。

「一つは「西側」に責任がありましょう。経済発展の援助をカードに、民主化を促す策を放棄した節があるのです。「金に目がくらんで」と言えば言い過ぎだとしても、「世界の工場」をせっせと利用して低コストの恩恵をむさぼり、「世界の市場」の購買力に耽溺(たんでき)するうち、人権状況などを批判する口数は減り、民主化を迫る声が小さくなっていった感は否めません。」

「西側」の政府や企業は、中国でビジネスを進めていくことや中国と提携して事業を行っていく上において、民主化や人権問題には目をつむってきた。経済のグローバリゼーションの話と正義や倫理の話は別扱いになっている。

 そして社説はこう書く。

「結果、独裁的体制と強大な経済力が併存する大国が出現したわけです。それどころか、議論や手続きに時間もコストもかかる民主的体制より、独裁的体制の方が競争力を持つ面もあらわになってきているのですから、やっかいです。」

さらに重要なことは東京新聞の社説が言うように、いわゆる自由主義諸国、アメリカやヨーロッパや日本などの国々で「市民的自由や多様性や寛容などの価値観減衰、民主主義の退潮」が見られるようになったということである。

 社説はこう書いている。

「しかし、あらためて「西側」に目をやると奇妙なことにも思い当たるのです。
 米大統領は人種や宗教による差別的言動を繰り返し、批判は「フェイク」呼ばわりしてメディアを攻撃する。自国主義に耽(ふけ)り、経済力と軍事力を誇示して多国間の協調やルールを傷つけています。
 わが国の宰相も民主主義の基盤たる国会での議論を軽んじ、異論を敵視する傾向が明らかですし、一方で、与党政治家の街頭演説をやじっただけで警察に排除されるといったことも起きています。また、欧州で台頭するポピュリズム・極右勢力には排他主義の主張が目立ち…。
 どうでしょう。総じて「西側」の中で、市民的自由や多様性や寛容などの価値観減衰、民主主義の退潮が見て取れないでしょうか。」

 「西側」諸国は、今や国家が国民を監視し統制する社会になりつつある。ようするに「中国化」しているのである。そして、この「中国化」に対抗しているのが、実は中国の内部の香港に若者たちなのであると書く。

「「西側」は中国を変えようとして変えられなかったばかりか、中国を利用し依存し続けるうち“中国的”に変質させられ始めている-。そう見えてならないのです。脅威というならむしろ「こっち」が「あっち」の色に染まりかけている点に、より切迫した脅威を感じます。このままだと、私たちの未来は…ミイラでしょうか。
 今、最も鮮明に、言論の自由、法の支配など民主主義を守るべく必死で「中国化」に抗(あらが)っているのが、他ならぬ中国の内部、香港の若者たちであるというのは皮肉といえば皮肉です。彼らを孤立させるわけにはいきません。」

 これはまったくその通りであって、我々は今、ある側面において、中国やロシアや北朝鮮と変わらない国に向かいつつある。どのような政治形態の社会であっても、社会というものは放っておくと国家体制による統制された社会になる傾向がある。そうなっていくということは、国家権力や社会体制の必然なのである。だからこそ、国家や社会を広く客観的に見る視点が必要なのである。なぜ社会には自由や多様性や寛容が必要なのか、という基礎中の基礎の根本的な認識が著しく衰退した世の中になっている。

August 12, 2019

れいわ新選組を応援したい

 今回の参院選は、戦後二番目の低投票率だったという。毎回の選挙の度に、結果が夜から翌日にかけて暗澹たる気持ちになるものであり、今回もまたそうだった。

 投票は選挙区、比例区、ともにれいわ新選組に投票をした。なぜ山本太郎を応援するのかと言えば、山本太郎が言っていることは「正しい」からである。今のこの国の政治において、山本太郎は最後の希望だと思う。

 枝野さんが立憲民主党を立ち上げた時、大いに期待をしたが、結局、立憲民主党は以前の民主党と同じような姿になっている。共産党は言っていることは「正しい」のであるが、無党派層は共産党には投票しない。共産党の強さは支持組織があるということと、共産党の言っていることが「正しい」ことがわかっている人が共産党に投票するということだ。政治をよくしらない人々、支持政党はないフツーの人々、政治に関心がない人々は共産党には投票しないであろう。共産党は、大規模な大衆支持を得るのは難しい。

 その一方で、れいわ新選組は無党派層を相手にしている。れいわ新選組の重要さのひとつはここにある。この国の大多数の人々は支持政党などはない、普段は政治に無関心な人々である。この人々に関心を持たせ、選挙で投票をするようにすることから始めなくてはならない。どれほど正しいことを言っても、無党派層の心に届かなくては投票にならない。投票にならなくては政治は変わらない。そのためにはどうしてもアジテーターが必要であり、ポピュリズムに踏み込まざる得ない。山本太郎はそれができる唯一の人だ。

 山本太郎を批判する人々の中に、山本太郎はポピュリズムであり、きちんとした論理基盤のある政策がないという声がある。しかしながら、もはやそういうことを言っている状況でないと思う。ポピュリズムであろうとなかろうと、右派のポピュリズムの上に成り立っている政権の国の未来の展望もなにもない状況を左派的なポピュリズムでひっぱたいて変える必要がある。

 上に山本太郎が言っていることは「正しい」と書いたが、必ずしもまったく正しいというわけではない。山本太郎は過激でラディカルなことを言っているのであり、そうしたことを言うことで考え直す機会が生まれる。

 消費税そのものを廃止することはさすがに暴論だとは思う。問題であるのは消費税があることではなく、その使い道が不透明で、当初言われていた全額が社会保障費に使われるという使い方になっていないということだ。そもそも、消費税を廃止するとどうなるのか、なにがどう困るのか。消費税を必要とするのならば、割合はどれだけが良いのか。使い方を監視するにはなにをどうすれば良いのか。そうした根本的なことが踏まえられておらず、ただズルズルと消費税制度があり、一方的に割合が高められているのが現状だ。ここで一度、ゼロから考えなおす必要がある。

 それでも消費税をなくして国家予算が足りなくなるのならば、これまでもそうしてきたように国債を発行すれば良いと山本太郎は言っているが、これは果たしてそれで良いのかどうか考える必要はある。いわゆる現代貨幣理論(MMT)には、数多くの問題点があり、とてもではないがこれが通るとは思えない。また、MMT論の論じる財政と日本の財政は同じではない。

 むしろ必要なのは、新産業の育成と雇用の創出だ。充実した教育と知識産業の創造である。このへんについては、山本太郎はあまり触れておらず、いわば緊急の措置としての富の再分配が強調されているが、その先のそもそもの富の創出については述べられていない。れいわ新選組は、これからこの分野の政策を深めていく必要がある。

 住宅を安くするということは、昔から大前研一さんが言ってきたことである。住宅を安くし、可処分所得を増やして消費を上げることが必要だ。奨学金の返済をチャラにするということも必要だ。教育の設備や質を高めるには時間がかかる。今すぐできることは奨学金を返済不要にして、若い世代の奨学金返済の負担をなくすことである。災害へ対策は中国・北朝鮮の脅威がどうこうということ以上に必要なことであり、今や国の安全保障とは軍事よりも災害対策の方が重要な課題になっている。

 山本太郎は、今回の選挙では自分の政党を立ち上げて強烈なインパクトを残した。2つの議席の獲得は、れいわ新選組は公職選挙法上での政党となった。山本太郎は自分の議席は失ったが、政党の代表として野党の党首会談や、幹事長会談、国対委員長会談、政調会長会談などに出て発言をすることができるようになった。つまり、これからテレビで、他党の党首・代表の前で、れいわ新選組の代表として発言が流れるということである。これまで街頭演説で語られてきたことが、テレビの視聴者へ流れる。これがこの先どのようになっていくだろうか。れいわ新選組を応援したい。

 

June 23, 2019

香港の200万人デモ

 今月9日、香港で中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」の改正案に反対する大規模デモが香港で起きた。

 主催者側発表によると103万人が参加し、この時点で1997年の中国返還以後、最大の政府抗議デモになったのだが、さらに16日のデモは参加者200万人以上に達し、返還後のデモ最大規模の記録を更新した。21日現在、デモの要求は条例案の撤回であるが21日現在、「逃亡犯条例」の改正は延期はされたが撤回・廃案にはなっていない。数千人の学生らは市内の警察本部を包囲し、デモ隊は政府本部庁舎周辺の幹線道路や一部庁舎も占拠したという。デモは続いている。

 この返還後史上最大規模の香港市民の抵抗は、香港市民側が完全に勝利することで終わるかどうかは難しい。「逃亡犯条例」の改正案が完全に廃案になったわけではなく、鄭月娥行政長官が辞任するようなことにはなっていない。当然のことながら、香港は中国であり市民の意思が行政に反映されることはない。

 デモが要求している林鄭月娥行政長官の辞任は中国政府がそれを認めなくては通らない。北京は林鄭月娥が行政長官であり続けるとしているという。このへんが今後どうなるかであろう。北京政府は国内では当然のように行っているデモ鎮圧のための大規模な武力介入は、香港に対しては国際世論と台湾への悪影響になることはよくわかっているのであろう。

 今、香港は急速に「中国化」し続けている。このことに対して、香港の人々は香港がこれまでの香港でなくなることに対して抵抗の運動を掲げている。ただし、とここで考えてみたい。香港が中国になる、香港が今までの香港ではなくなるということは、1997年に香港が中国に返還された時に十分に予想できたことなのではないか。大局的に言えば香港は中国化から逃れることはできない。しかしながら、それでもやる、というのが今の香港の人々なのであろう。

 もともと香港は清朝中国の広東省の「いち地域」に過ぎなかった。清朝は1842年の南京条約と1860年の北京条約によって九竜半島の先端と香港島をイギリスに割譲した。さらに1898年に99年間イギリスが租借するということになった。この時代の通念では99年租借するということは、もはや永遠にイギリスの植民地になるということであった。大英帝国は香港を植民地としたわけであるが、香港のすべてを直轄統治したわけではなく、ある種、管理すべきところは強権を持って管理したが経済は自由放任であった。一方、大陸の側も1949年に中華人民共和国を建国した時、人民解放軍は深圳にまで来たが香港に侵攻することはなかった。ここで香港を取り戻すよりも、外貨の獲得や国際情報の収集、さらには国際世論を鑑みそのままにしておいたようだ。この点を見ても、北京政府は香港をどのように捉えているかがよくわかる。中国は香港を香港の利点を残しながら、長期的な時間をかけて中国に組み込もうとしている。

 そもそも今の返還後の香港の基本法は、北京の全人代が定めている。返還後の香港の「中国化」は避けることはできない。「一国二制度」は2047年で終了の期限になる。今や大陸の方が経済的にも強くて大きい。今の日本人に感覚からすれば「中国化」した方が経済的にいいじゃん、なにが不満なのという考え方になるだろう。

 しかしながら、それでも彼らは「自由」と「民主化」を求める。その理由のひとつとして今の香港人は香港人としてのアイデンティティーを持っていることが挙げられるだろう。返還時に海外に逃げることができた人々は出て行ったのであり、今の香港にいる人々は望むと望まざるとに関わらず香港にいる人たちだ。香港のことは香港人が決めるということなのだろう。

 今回、香港を考える上で岩波新書の倉田徹、張彧暋著「香港 中国と向き合う自由都市」を読んだ。この本は去年の7月にドキュメンタリー映画『乱世備忘 僕らの雨傘運動』を見た後で買って読んでみたのであるが、読み終わって「なるほど」で終わってしまって内容についてはまったくアタマに残らないままであった。

 再度読み直してみて内容がしっかりと理解できた。やはり本は何度も読まなくてならない本もあるものである。雨傘革命とはなんであったのかを考えることは、今回の香港のデモを理解する上でたいへん重要なことであった。さらに言えば、今の香港の姿を考えることは、返還後のこれまでの香港はどうであったのか、返還前のイギリス植民地時代、それ以前の清朝時代の香港はどうであったのかを考えることであった。まさに歴史はつながっている。

 岩波新書「香港 中国と向き合う自由都市」の中に以下の記載があった。学生団体「学民思潮」のメンバーの周庭さんは初めての来日後、フェイスブックにこう書き込んだという。周庭さんは日本でのスポークスマンとして今回のデモについて日本に来日をして積極的に発言をしている。

「日本はかなり完璧な民主政治の制度を持っているが、人々の政治参加の度合い、特に若者のそれはかなり低い。日本に来て、私は初めて本当の政治的無関心とは何かを知った。民主国家にあって、自身が自主的であることができる、自主的でなければならないと意識していないことは、いかに皮肉なことか。「民主=選挙制度というような単純な話ではない」と言う者もあるが、まさにその通りだ。いつか私たち(香港人)が民主を手にしても、あらゆる政治的選択を議員などの代理人に投げてしまうのでは、本当に意味のないことだ。」

 周庭さんが見たこの国の「完璧な民主政治」とは、第二次世界大戦での敗戦後のGHQの占領政策によってもたらされたものである。日本の戦後政治は国際政治の冷戦構造とアメリカの関与のもとでなされてきた。大多数の人々において、政治に無関心であっても総じてたいした問題はなかった。実際のところ問題はなかったわけではなく、表面下ではさまざまな問題が発生していたが経済的繁栄がそれらを巧みに覆い隠していた。

 民主主義国家とは国民がある程度の政治的関心を持つという不断の努力を必要とする。しかしながら、戦後日本においてそれがなされることはなかった。香港では200万人のデモが起こり、我が国ではそうした行動が起きないのはなぜか。それは香港では大陸中国という明確な「相手」がいるのに対して、今の我が国は状況が多重に構造化されており、なにが問題であるのか巧みに隠されているからである。本来、そうした構造を可視化し、問題の所在を述べるのがマスメディアの役割なのであるが、それがまったく機能していない。日本は香港と比べて国民の政治的自由や人権や生存権は憲法で保障されているのに、日本の大多数の人々は政治に無関心である。この人々の無関心さは、無関心になるように作られたものであるとも言えるだろう。しかしながら、1970年代以降、人々は政治に無関心になっていったということの背景には、政治に関心を持たなくても総じて世の中は十分に「良かった」からである。今の時代はこの先「どんどん悪くなる」状況なのだ。それでいて無知のままで良いわけがない。

 いわば香港の人々はこの先も抗うことができない「中国化」の中で、それでも香港の自治と自決であることを望むという意思を持ち行動をしていく人々であり、これに対して日本の人々はグローバル巨大資本の管理と政治権力の監視の下で、無知蒙昧のまま、資本が牛耳るメディアに踊らされながら、国全体としては衰退していくという姿になっている。

June 15, 2018

米朝会談

 過去30年の米朝会談の歴史は、米朝の双方にとって失敗の連続であった。これは簡単に言ってしまうと、双方に理由がある。

 そもそもアメリカはアジア、とりわけ北朝鮮について(韓国についてもであるが)よく知らない、わからない、関心がない。太平洋戦争が終決した時、アメリカにとって極東アジアでの最大の関心事は日本であり、日本の占領統治に力を注いでいた。朝鮮半島はいわばどうでもよかった。やがて米ソの冷戦が本格化し始め、中国で国共対立とそれに続く共産中国の誕生と台湾の国民党政権との対立、そして抗日運動の活動家であった金日成が権力を掌握し、スターリンと毛沢東の支持を得るようになる。これに対抗するためアメリカは李承晩を担ぎ上げ傀儡政権を樹立した。かくて、朝鮮半島の北と南に国家が誕生してしまった。

 同じようなことが日本でも起きていた。終戦後、連合国は戦後の日本を分断統治しようする意思があったがアメリカはこれを認めず、アメリカ一国が日本列島全域を占領統治することとした。朝鮮半島の社会が南北に分断されたのは、アメリカがきちんとした政策を持っていなかったということと、かりに持っていたとして朝鮮半島全域をアメリカを占領統治するには、地続きで隣国に共産化した中国とソビエトがいることを考えると、かなりの大きな軍事力を展開する必要があったであろう。この時、アメリカにそれだけの余力があったかというと難しいであろう。

 その後、北朝鮮は核兵器をちらつかせる国になるが、アメリカにとってすれば、太平洋の向こうの遠いアジアの小国は別に軍事的脅威でもなんでもない。ただ、国際社会の秩序を維持するために、放っておくわけにはいかないという程度のものであった。なんどもいうが、アメリカは関心があるのはロシアと中国であり、朝鮮半島のことなど関心はないのである。

 一方、北朝鮮の方も、これもまたなにを求めているのかよくわからない政権であった。ようするに、強い軍事力を持たなくて他の国に攻められると思っているのであろう。では強い軍事力とはなにかといえば、核兵器を持つことなのであると思っているのであろう。本来、強い軍事力を持とうということであるのならば、核兵器を持つということ以外にもやらなくてはならないことが山のようにあるのであるが、核兵器だけとしている。このへんがよくわかない。

 核兵器しかないというのは、軍事としては極めて歪な姿であり、これではまともな戦争はできない。ようするに、北朝鮮は正しい軍隊を持ってまともな戦争をやる意思はないのである。もちろん、北朝鮮の規模の国力では、とても「正しい軍隊」が持てない、「まともな戦争」ができないということもある。そう考えてみると、軍事兵器としての核ミサイルではなく、外交手段としての核ミサイルとしてやっているのだ。北朝鮮は、張り子の核ミサイルを作って、アメリカに向かって精一杯の自己主張をしているのである。北朝鮮の軍隊は南のソウルを制圧することはできるであろうが、長期的に在韓米軍や在日米軍と戦争ができるしろものでない。そうした姿は、端から見ると滑稽でもあり、いじらしいとも感じる。

 12日、シンガポールのセントーサ島のカペラ・ホテルでトランプと金正恩が握手するシーンをニュース映像で見ながら、北朝鮮は張り子の核ミサイルを使ったはったり外交でよくぞここまできたと思った。これもまた優れた外交力である。

 今回の米朝会談が多くの人々が論じているように、具体的、実質的な中身がない会談であった。しかしながら、この具体的、実質的な中身がないということでいえば、文在寅と金正恩の会談も同様であり、つまり「まあ、なかよくやっていきましょう」という会談なのである。このノリはトランプも同じであり、まずは「まあ、なかよくやっていきましょう」であり、「具体的な話はこれから」なのである。

 実際のところ硬直した関係を改善するためには、時として具体的、実質的な中身がない会談をすることも必要である。そうした対話の場を持つこと、その場を持ち続けることが重要なのである。今回の米朝会談はアメリカと北朝鮮の会談として成功だったのか失敗だったのかと論じられているが、そういうレベルの話にはまだなっていない。この「なっていない」という対話の場を「作った」ということが重要なのである。

 文在寅と金正恩はそのことをわかっているのであり、同様にトランプもまたそうしたことがわかるタイプの人物であった。これまでの歴代の大統領、例えばオバマであれば、今回の日朝会談にような姿にはならなかったであろう。金正恩にとって、アメリカ合衆国の大統領がトランプであることは幸運であった。来週から始まるというポンペイオ国務長官とボルトン国家安全保障問題担当大統領補佐官が相手ではこうはいかないであろう。具体的、実質的な話はこれから始まるのだ。

 通常、外国政府の要人との外交的な交渉は"Diplomatic negotiations"と言う。しかしながら、トランプは"Deal"という言葉を使う。ビジネスの「取引」のことを「ディール」という。トランプにとっては米朝会談も"Diplomatic negotiations"ではなく"Deal"なのである。ちなみに、金正恩はトランプの著書(と言ってもゴーストライターが書いたものであろう)" The Art of the Deal"を読んでいるという。会談の中で「非核化と復興のカネは韓国と日本が出す」「アベは拉致問題さえ解決するのならば、いくらでもカネは出す」という会話がなされたことは十分考えられる。

 これで、東アジアの現代史の中にドナルド・トランプの名が残ることになった。北朝鮮と争う必要がないのならば、韓国軍と在韓米軍の合同演習も不要とばかりに中止にさせてコスト削減ができた。朝鮮半島の和平の貢献者という名誉は得て、お金は日本に支払わせるという、いかにも"Deal"らしい"Deal"であった。朝鮮民主主義人民共和国の指導者が歴史上初めて握手を交わしたアメリカ合衆国大統領が、こういう不動産業のオヤジであったということは、祖父の金日成も父親の金正日も思ってはいなかったであろう。

 これに対して、蚊帳の外にいる日本政府は「拉致問題を解決しなくてならない」「具体的、実質的な中身を決めなくてはならない」というネバナラナイ態度で一貫してきた。このへんが国際的な"Deal"も"Diplomatic negotiations"もできない日本人らしいと言えば日本人らしい。こうした態度では事態は進展しないのであるが、進展しないからといって、では他にできることがあるのかといえばまったくないのが我が国の政権である。

April 30, 2018

朝鮮半島の南北の和平

「韓国の文在寅大統領と北朝鮮の金正恩委員長は27日、軍事境界線のある板門店で会談し「板門店宣言」に署名した。」

 日本国内の意見で驚くのは「北朝鮮はまだ完全に核を放棄していない。核施設を閉鎖したというがすぐに再開できる状態になっている。」という声が多いということだ。北朝鮮は完全に武装放棄しなければならないと思っているようである。しかし、それでは北朝鮮はどうやって自国の防衛をすれば良いのであろうか。北朝鮮にも自国の安全保障を行う権利はある。金正恩の体制が自国の国民を守ることは国家指導者である金正恩の義務である。北朝鮮が自国を防衛するための軍備を持つことはまっとうなことであり、なんらおかしなことではない。

 極端なことを言えば、北朝鮮が核を持とうが何を持とうが使用しなければ良いのであり、使用する必要がない状態にすることが重要なことなのである。この「使用する必要がない状態にすること」ことが外交であり国際関係である。南北の和平、統一朝鮮の構築が最大の目的であり、核兵器の放棄はその結果でしかない。ところが、日本政府はまず核兵器を放棄せよと言っている。なにが必要なことで、なにが不要のことであるのかという北朝鮮についての方針がまったく間違っている。

 この朝鮮半島の南北和平を最大目標とする姿勢は国際社会のどの国でも同じである。今回、北朝鮮が発表したミサイル発射や核実験の中止はヨーロッパ諸国にはストックホルムで北朝鮮の外相が会談を行った時にはすでにヨーロッパ諸国には知らされていたことであり、唯一、日本政府は知らなかっただけのことであった。また、北朝鮮は核の完全放棄を言っていないとする日本政府の対応について、北朝鮮の国営メディアは「朝鮮半島と地域に流れる平和の流れをまともに感知できない」と主張し、非核化の具体的な行動を取るまで圧力を維持する姿勢を強調する日本政府を非難したという。当然のことだ。

 日本政府が目標としていることは「朝鮮半島から完全かつ不可逆な核兵器の廃棄が検証可能な条件のもとで実施され、全ての拉致被害者が救出される」ということであるが、こんなことは自国の利益しか考えていないまったくの愚かしい考えであると言わざるを得ない。これは世界から隔絶された島国の中でのファンタジーである。ようするに日本は北朝鮮を独立した主体を持つ国家として思っていないのである。拉致についても日本側は完全な被害者意識しかないが、向こうからすればストックホルム合意を破棄したのは日本であるということになっている。

 日本は北朝鮮に対して強面に圧力をかけることしかせず、しかもその圧力をかけるのはアメリカ頼みであり、圧力をかければ北朝鮮側は屈するのであるという極めて低レベルの認識しか持っていない。今回、文在寅大統領の仲介によってよくやく行うことができる日朝会談はおそらくこれもまた低レベルの次元のものになるだろう。大国が決定権を持つ国際社会の中で自分たちの国の平和と繁栄のために外交努力を繰り広げている韓国・北朝鮮と、戦後半世紀以上、ただひたすらアメリカに従属しているだけで平和と繁栄を享受してきた日本とでは外交力のレベルが違う。

 話は少し飛ぶが、日本という国は、なぜいつもアジアの中である意味「特殊」な国になるのであろうかと思う。日本はその長い歴史の中で中国と朝鮮についての膨大で重層で高度な人文の蓄積があったのに、明治以後、なぜアジアを蔑視し、なぜかくも愚かなアジア侵略を行ったのであろうか。なぜ日本・北朝鮮、日本・韓国、日本・中国という日本と周辺アジア諸国の間での外交交渉は、欧米の諸国のような「まともなもの」にならないのであろうかとつくづく思う。

 思えば明治維新以後のこの国のアジア外交は、きちんと独立した主体国どおしの外交というものを行ってきたことがない。いつもどちらかが(主に日本が)上になって相手国を見下す外交交渉をしてきた。歴史上、そうならざる得なかったということはある。しかしながら、それが今でも続けられるかのように思っているのは間違いであるということをしっかりと認識しなくてはならないと思う。

 アメリカはポンペオCIA長官を北朝鮮に送り、おそらくミサイル破棄や核実験場の閉鎖はするが核兵器そのものは(なんども言うが北朝鮮にも自国の防衛がある)保持続けるという方向で交渉したのであろう。中国がこれに同意するか(あるいはもうしているかも知れない)トランプとの会談でそれが公式に決定することになるだろう。朝鮮戦争は終結となり、南北は統一朝鮮への道を歩み始めるということになる可能性はかなり高い。

 ただし、トランプ本人はともかくとして(彼はこれまでの歴代大統領ができなかった朝鮮半島の南北和平を成し遂げた大統領として歴史に名が残ることを望むだろう)、軍産複合体は朝鮮半島が平和になっては困るのであり、今後それらがどう動くがか注目である。平和を望まず、戦争を望む勢力がある。だからこそ、文在寅と金正恩が過剰なまでににこやかに会談をしたことの意味がある。その映像を全世界が見たことにより、この和平ムードに水を差すようなことになった場合、なぜ戦争になるのかと国際世論は黙っていないであろう。

 統一朝鮮は、北と南で二重の政体がある国家になる。もちろん、韓国の情報が北朝鮮の社会へ完全フリーで流れるようになった場合、北の金正恩体制が成り立つのだろうかという疑問はある。それはそうなった時の、次の課題であろう。また北朝鮮国内においても韓国国内においても、このまま和平へ統一へと進むことを良しとしない勢力がある。そうした勢力を金正恩と文在寅はどう押さえ込めるかが、これからの課題になるであろう。南北統一の道はこの先長い。

 今、東アジアの冷戦構造がようやく大きく変化しようとしている。これから着目すべき点は、経済制裁はどうなるのかということと在韓米軍がどうなるかということだ。在韓米軍について言えば、アメリカは置いておきたいとするであろう。中国はなくして欲しいとするであろう。韓国国内でも米軍が出て行くことに危機を感じるとする政治勢力がある。金正恩は在韓米軍の撤退を南北和平の条件とし、話がそこまで進むかどうかということだ。在韓米軍の撤退がリアルな話として見えてくるようになると、在日米軍の存在意味がかなり変わることになる。

April 22, 2018

朝鮮戦争が終わろうとしている

 北朝鮮国営の朝鮮中央通信は、核実験と大陸間弾道ミサイルなどの発射実験を中止し、核実験場を廃棄すると伝えたという。金正恩は27日に韓国の文在寅大統領と板門店で会談する予定になっている。

 核・ミサイル実験中止と核実験場廃棄をトランプとの会談で場で宣言するのではなく、その前に自分から言ったということは興味深い。トランプとの会談の場での宣言であれば、朝鮮半島の非核化の成果はトランプの手腕によるものという声が出てくるであろうが、その前に自分から宣言ですることで、この成果は金正恩の意思と文在寅の外交によるものになったと言えるだろう。朝鮮半島のことは朝鮮民族が決めることであり、アメリカや中国が決めるものではないという想いがあるからであろう。もちろん、その通りである。

 『ニューズウィーク日本版』(2018年4月17日号)でのニューズウィークのコラムニストで元CIA諜報員であったというグレン・カールのコラム「世界は踊る、金正恩の思惑で」は大変興味深いものであった。

 グレン・カール氏はこう書いている。

「北朝鮮は国家として生き残りを求めている。自国に有利な条件での韓国との統一も求めるだろう。韓国は現状維持、そして北朝鮮の変化によって緊張が緩和されることを求める。中国は北朝鮮がおとなしくなることと、朝鮮半島からの米軍撤退を求めている。アメリカは、何よりも平和な現状維持を望み、そして北朝鮮の核の脅威を排除したいと考えている。日本は攻撃されないことを望み、アメリカによる地域および朝鮮半島の安全保障を維持したいと考えている。」

「結局のところ、北朝鮮は核開発やミサイル発射、核実験を当面は凍結する。アメリカは北朝鮮に侵攻せず、脅威レベルを下げることになるだろう。そして誰もが勝利を宣言する。」

「地域の長期的な力関係には変化が訪れている。中国の力は増し、韓国は北朝鮮の脅威から自力で身を守れるほど強くなった。韓国はまた、中国はすぐ隣にあり、アメリカは海の遠方で、その力の及ぶ範囲は以前ほど広くないことにも気が付いている。時がたつにつれ、韓国から米軍が撤退する可能性は高まり、それにつれて戦争勃発の危険は低くなる。」

 このニューズウィークのコラムは金正恩のミサイル発射実験や核実験凍結の宣言の前のことであり、現状はグレン・カール氏が予測した通りになりそうだ。核実験の凍結については、実験場が度重なる核実験のため施設が被害を受けていて閉鎖する予定であったという情報もあるようだ。張り子の核の虎を掲げてきた金正恩の思惑通りであると言えば確かにそうであろうが、いずれにせよ紛争になることから遠ざかることは良いことである。

 このブログで何度も書いてきたことであるが、単純な北と南の双方の関係だけで言えば、この双方は対立や紛争を望んではいない。アメリカや中国など周辺の国々が話をややこしくしているのだ。

 もちろん、だからといって北朝鮮は核兵器を放棄するわけではなく、今後も軍事力を誇示するであろう。しかしながら、それはどの国もがやっていることである、北朝鮮(とか中国とかロシアとか)はそれを行ってはならないとするのはおかしなことである。根本的に日本での北朝鮮についての報道は、北朝鮮は悪という偏りがある。軍事力を誇示することは問題ではなく、その上で平和な状態を保つのが国際関係である。その意味では、トランプと金正恩の会談がどうなるかが気がかりである。あるいは、トランプ・金会談がどのような結果になろうとも、北朝鮮と韓国は対立回避の道を今後も進んでいくかもしれない。

 今、朝鮮半島では現代史的な出来事が起きている。結局、我が国の政府は、北朝鮮は国難だと騒ぎ、核ミサイルで攻撃されると右往左往し、使いものにならない高額のミサイル防衛兵器をアメリカから購入するという無能極まりないものになっている。今の日本外交の最大の欠陥は日本が北朝鮮と直接に相対するということをしないということだ。この国の外交は必ずアメリカとの関係を経由して物事を進めようとする。それがどれだけ異常なことなのかわかっていない人が多い。

March 31, 2018

朝鮮半島の情勢は大きく動いている

 これからの北朝鮮については、25日の産経新聞に載っていたロシア元駐韓国大使 グレブ・イワシェンツォフ氏の記事が興味深い。

 北朝鮮はなぜ核兵器を持とうとしているのか。別に、金正恩は核兵器テクノロジーに並々ならぬ関心を持ち、軍事技術の発展の探求に生涯をささげているわけではない。核融合工学や弾道ミサイル技術が好きだからではない。どの国の為政者が同じく取り組んでいるように、自国、というか金体制下の北朝鮮という国の安全保障が目的なのである。そのために核兵器を持とうとしているのだ。国の安全保障ができるのならば、刀でも槍でも弓でもなんでもいい。それがこの21世紀の時代であるから核兵器になっているだけのことだ。国の安全を保証してくれさえすればいいのである。その保証の相手は誰なのかといえば、アメリカなのである。

 では、核兵器を持つということが、国の安全保障という目的のための手段になっており、核兵器を持つということで、相手に自国の安全を保証させるという方法が、はたして効果的、かつ効率的で有意味な方法なのであろうかという疑問は、ここでは触れない。不幸なことに、北朝鮮という国はそういう方法を選択せざる得ない国に「なってしまった」としか言えない。なぜそういう国に「なってしまった」のかを論じるには長くなるので、別に機会にしたい。この「なってしまった」というのは、周辺の国々が「そうしてしまった」という点もあり、その周辺の国々の中に我が国も含まれる。しかしながら、それはそれとして、今、目の前にある北朝鮮という国をどうするのかということを考えなくてはならない。

 グレブ・イワシェンツォフ氏はこう述べている。

「米国と国際社会にとっての唯一の出口は、北朝鮮の安全を保証することについて、具体的に、誠実かつ透明に合意することだ。安全の保証は、疑いの余地が何ら出ないような、強固で説得力のあるものでなくてはならない。」

「こうした交渉には、6カ国協議の参加国や国連安全保障理事会の常任理事国からの(北朝鮮に対する)信頼や保証が求められる。北朝鮮には、核・ミサイル関連施設の廃棄や機密情報の提供など、「不可逆的な行動」が求められるからだ。」

 まったくその通りだと思う。

 アメリカ側による北朝鮮への交渉は、これまで幾度となく行われてきたが、その成果を挙げることなく終わってきた。なぜか。グレブ・イワシェンツォフ氏はこう述べている。

「過去の交渉が失敗した理由は単純だ。北朝鮮の敵対者たちがこの国の生き延びる能力を信じず、体制の早期崩壊と、韓国による(東西)ドイツ型の吸収を期待したからだ。朝鮮問題の解決は、米国と韓国、日本が北朝鮮の存在を受け入れ、共存の政策をとるときにのみ可能だ。」

 これもまったくその通りで、ようするにアメリカは北朝鮮の今の体制が長続きするはずはない、続いてはならないとアマタから決めてかかっているのである。これはロシアのプーチン政権に対しても同様で、昔からアメリカという国は自分たちとは違う政治体制の国の存在を認めない国だったが、今のアメリカはさらにその偏向が大きくなっている。

 イギリスで起きた元ロシアスパイ殺害未遂事件の黒幕はロシア政府であるとしてイギリスはロシアの外交官の国外退去を命じたが、アメリカもそれにならい自国のロシアの外交官60人を国外追放にして総領事館も閉鎖した。5月に行われているというトランプ大統領と金正恩の会談で大きな進展があるのではないかと期待されているが、今のこうしたアメリカが果たして北朝鮮の体制を認めるかどうかはわからないというのが現実だろう。

 アメリカは弾道弾迎撃ミサイル制限条約や環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)から脱退したり、イランとの核合意の見直しを言っている。このことを見れば、アメリカの思惑は金体制が一日も早く国際社会から消え去って欲しいということであり、その後はドイツのように韓国による北朝鮮の吸収併合であり、アメリカが影響力を及ぼすことができる統一朝鮮の確立である。

 ただし、アメリカ政府の思惑は上の通りのものであったとしても、ここにトランプという人間のキャラクターがある。トランプ・金会談で北朝鮮の非核化という大きな進展があれば、それはトランプの功績になる。しかも現代史に残る功績になる。こうなるのに、一番手っ取り早いのはアメリカが金体制の存続を認めるということである。トランプ個人としては、自分の利益になるのならばプーチンだろうと習近平だろうと金正恩だろうと笑顔で握手をするであろう。

 もうひとつの注意すべき点は中国だ。当然のことながら中国は北朝鮮の核兵器があって欲しくないし、朝鮮半島の紛争を求めていないが、だからといってアメリカの影響力が強い統一朝鮮国家ができることは望ましくない。中国は金体制が存続して欲しいのである。このことはロシアも同じだろう。

 今、これからの韓半島・朝鮮半島がどのようなものであれば良いのかを本気で真剣に考えているのは、当事国の韓国と北朝鮮だけなのである。周囲の国々が関心があるのは自国の国益である。国際社会というものは、そういうものだと言うのならばそういうものだとも言えるだろう。韓国の国内には、北朝鮮と和解することに反対をしている勢力もある。文在寅大統領は手腕に注目していきたい。

 なお、東アジアの国際政治の中で日本の存在はまったくない。我が国は、その程度の国になってしまった。

March 03, 2018

国際常識を知らない国際政治学者

 先々週の「ニューズウィーク日本版」のコラム記事「北朝鮮スリーパーの虚実」は大変興味深かった。

 とある国際政治学者と称する人がテレビ番組の中で、一般市民を装った「スリーパーセル」と呼ばれる北朝鮮のテロリストや工作員がソウルや東京、大阪に潜伏していて、北朝鮮と戦争が始まり金正恩が殺害された場合、独自のテロ活動を開始するということを述べたという。

 当然のことであるが、誰が北朝鮮のテロリストや工作員であることはわからない状態にある。なにしろ、一般市民を装っていると言っているのである。そうである以上、韓国・朝鮮の人々すべてが「スリーパーセル」かもしれないと言っていることを同じだ。言った本人はヘイトではないというようなことを言っているようであるが、これはヘイト以外のなにものでもない。

 北朝鮮のというか北朝鮮以外の国々も情報関係の要員を、日本というか世界の主要国に送り込んでいるということは国家秘密でもなんでもない常識である。その意味において、この国際政治学者と称する人はだから一般市民の韓国・朝鮮の人々を疑えと言っていることになる。しかしながら、今の北朝鮮に日本の市民社会の中で破壊工作を行う長期滞在の工作員を潜伏させる程の余裕があるわけではなく、また情報収集専門の者はテロ行動を行う訓練は受けていない。そもそも金正恩が殺害された場合、北朝鮮の体制は崩壊する。その状況下で、外国でのテロ行動にどのような軍事的意味があるのであろうか。

 記事「北朝鮮スリーパーの虚実」の記者は元CIAの諜報員だったようだ。この人はこう書いている。

「日本に潜伏する北朝鮮のスリーパーは、もっと恐ろしい任務を与えられているという。その主張に裏付けはないが、北朝鮮による拉致問題や、外国での殺人や韓国への攻撃が、その主張にもっともらしさを与えている。
だが実際には、スリーパーはターゲット国に長期間滞在し、その社会と文化に深く組み込まれてしまうため、いざ作戦開始の指令が出ても「普通の生活」を続けたがることがよくある。
また、カウンターインテリジェンス(防諜)に従事する者は、複数の「もし」をつなげて考える危険性を忘れてはならない。「もしXが事実なら、Yも事実かもしれない。そしてYが事実なら、Zも事実かもしれない。そして・・・」というわけだ。こうした思考プロセスはよくあるもので、本来なら信じがたいこと、つまりスリーパー・セルが動き出して国家を脅かすというとっぴな脅威が、目前に迫っているように感じられてしまう。
だが、スリーパーはほぼ例外なく、チャップマンのように社会への浸透を図るものであり、暗殺や妨害工作をするわけではない。逆に、そんなことができる急襲チームを長年無難な仕事に就けて潜伏させておくことは極めて難しい。ハリウッド映画ではあるかもしれないが、現実にはほぼあり得ない。」

 元CIA諜報員でなくても、常識で考えればこの通りであり、現実にはあり得ない。それを国際政治学者と称する人が言うというところに今のこの国の現状がある。

 韓国には、韓国に潜入した北朝鮮工作員の題材にした映画は多い。コメディ映画が多いのであるが、逆から言えば潜入北朝鮮工作員の話などといったことはもはやコメディでしかないということなのだ。ソウルに潜入して、長い間韓国人として暮らし、いざ有事になった際、破壊工作を行うということが、そもそもなんのためなのか誰も理解できないということなのである。

 こうした韓国映画を観るたびに、北朝鮮がやってる事実はこうなんだと言って嫌悪や不安や対立を煽ることではなく、映画はこうして北朝鮮も自分たちと同じ人間なのだというを伝えていることがいかに大切なことであるかがよくわかる。相手側も自分たちと同じなのであるという意識から戦争は生まれない。今、韓国の若い世代には、こうした意識がはっきりと現れ初めている。北朝鮮も韓国も対立は望んでいない。対立を煽っているのは、朝鮮半島以外の国たちなのである。

 平昌オリンピックの後、南北の対話が始まろうとしている。どこぞの国の総理大臣は「対話は終わった」と言い、外務大臣は「微笑外交」にだまされてはならない、南北対話が制裁緩和につながってはならないと言っているが、むしろだまされたふりをしてでも、第二次朝鮮戦争を避けることの方が必要であることがわからないようである。

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