April 07, 2012

誰が本や映画や音楽や演劇やアートを見たり、聴いたり、読んだりするのか

 大前研一さんのコラム「日本でも若者の失業が深刻な社会問題になる」によれば、「安定的な就業をしている若者は「2人に1人以下」」であるという。これは、かなり深刻な事態になっていることを表している。

 とーとつな話で恐縮であるが、本や映画や音楽や演劇やアートを見たり、聴いたり、読んだりするのは、やはり若者層が多いと考えるのが一般的だろう。結婚して自分の家族を持つと、なかなかそうしたことにお金と時間をかけることができない。しかしながら、その若者層が安定した職業に就き、安定した収入を得ていないとなると、そうしたことにまわすカネと時間がないということになる。

 ようするに、今の世の中で、本や映画や音楽や演劇やアートを見たり、聴いたり、読んだりするのは、どのような顧客なのであろうかということだ。これまでの世の中であるのならば、そうした顧客は学生、若者がメインであると思うことができた。しかし、今の時代は、もはや学生、若者は関心的にも、また経済的、時間的にも、そうしたことに費やすことができない、しないようになってきたのならば、誰がそうしたことをやっていくのかということだ。

 もちろん、大ざっぱに「本や映画や音楽や演劇やアートを見たり、聴いたり、読んだりする顧客」という区分け自体がもはや成り立たない。もっと細かく子細に見ていく必要がある。経営戦略を考える時、三つのC、カスタマー(顧客)、コンペティター(競争相手)、カンパニー(自分の会社)を考えなくてはならない。そういうわけで、今、どのような人が「本や映画や音楽や演劇やアートを見たり、聴いたり、読んだりする顧客」なのだろうかと漠然と考えている。

 そして、日本国内を相手にしていくのならば、少子化で子供が減り、若者が安定した就業ができない、しない世の中になっていくということは、「本や映画や音楽や演劇やアート」の顧客層は増えることはせず、減っていく一方になるということになる。なにをいまさら、こんなことは誰でもわかっていることなのだけど。

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August 17, 2010

薩頂頂のファンです

 甄子丹(ドニー・イェン)主演の最近の映画で『錦衣衛 』というのがある。例よって例のごとく、この映画も日本公開はないので、例よって例のごとく、僕は香港の通販サイトでDVDを購入して、この映画を観た。この映画そのものの話は別の機会に書くとして、この映画のラストで流れる歌が、なんかすごく良かった。そこで、サントラCDが出ているのならば買わねばと思い、ネットで調べてみた。そして、この歌は薩頂頂(サー・ディンディン)という中国の女性アーティストが歌っているということを知った。

 これが、僕が薩頂頂を知った始まりであった。

 薩頂頂は、中国系の父とモンゴル系の母のもと内モンゴルで生まれ、幼少期をモンゴルで過ごした。モンゴルで少数民族の音楽から影響を受け、さらに仏教への関心からチベット語とサンスクリット語を学ぶ。長じて、北京の中央音楽学院で哲学と音楽を学んだ。彼女の曲は、一般的なチャイニーズポップとは違う。よくぞ、こうした音楽を作ってくれたという感がある。

 今のチャイニーズポップは、アジア圏や欧米圏にも「売れる」ことも念頭においた音楽作りになっていて、いい意味にせよ、悪い意味にせよ、ジャパニーズポップやアメリカの流行曲のような音楽になっている。それはそれでいいし、どんどん洗練された良いものになっていると思い。しかしながら、音楽とは本来そうしたものだけではなく、スピリチュアリティなものを含んだものをある。1980年代に欧米で、ニューエイジ・ミュージックというジャンルが現れるのも、そうした音楽本来が持っている精神的なものへの回帰だったのだろうと思う。そのジャンルに、中国から新星のごとく現れたというのは意外だった。中国の音楽シーンは、ここまで来たのかという感じであった。

 彼女の音楽には、一種独特の宗教的な雰囲気すらある。彼女は、自分で作った言語でも曲を作るのだ。しかし「言語」としてどうなのかは、よくわからん。自分の言語能力では、なんとなく中国語(北京語)ではないなということしかわからず、チベット語とサンスクリット語の違いすらわからん。ましてや、彼女が自分で作った言語なのかどうかもわかるわけがない。ちなみに、彼女はモンゴル語もできるんだろうなと思う。

 彼女の音楽は、チベット仏教を電子音楽に乗せて、新しいカタチで表現して現代によみがえさせる。それは見事というほかない。実は、薩頂頂の前に、彼女のような曲を作る左佐樹(サージュ)という中国女性アーティストがいた。左佐樹はアルバムを2枚出して、1998年のアニメ映画『スプリガン』の主題歌は左佐樹が歌っている。その後、チベットで事故にあい重傷をおったため、しばらく音楽活動から遠ざかっているそうだ。左佐樹の音楽にはチベット音楽が大きく影響していた。薩頂頂の音楽にもチベット音楽が大きく影響している。ただ、薩頂頂の音楽の方は現代風なポップさがある。

 おもしろいことに、薩頂頂の音楽活動の、もともとの始まりは、今のようなアンビエントものではなくダンスミュージックだった。モロ、欧米のポピュラーではないですか、ということなのだ。さらには、フツーの歌謡曲のシンガーとして音楽活動を開始している。そして、そうして始めた音楽活動の中で、これからもダンスミュージシャンとして、あるいはフツーの歌謡曲のシンガーとして、このまま続けていくのかどうか迷った末に、今のスタイルを確立したという。

 チベット音楽の影響があるからといって、瞑想的な神秘的な音楽なのかというとそうではなく、全然、欧米風の音楽なのである。だからこそ、イギリスで絶賛されるのだろうなと思う。この彼女の音楽スタイルの変化には、音楽活動のレーベルがUniversal Music Groupになったということも関係している。Universal Music Groupは、彼女の中に、彼女の本来の音楽スタイルを「発見」し、彼女もまたその方向へ進んでいったのだと思う。かくて、サー・ディンディンが誕生した。異なる民族文化が融合し、現代のグローバルシーンでも通用するスタンダードさも持つ、ということに、これからの中国のもうひとつの進むべき方向があると思う。彼女の音楽に、これからの中国が進んでいって欲しい方向を僕は感じる。

 薩頂頂の東京ライブの公演は、むずかしいだろうなと思う。1980年代のサブカルチャー全盛の頃の日本の音楽シーンであるならば、彼女の曲は高く評価されて、日本でもライブ公演をやるであろうけど、今の日本で彼女の曲で人が集まるとは思えん。ファーストアルバムは、日本でも発売されたが、セカンドアルバムは日本での発売はないようだ。つまり、ファーストアルバムが日本では売れなかったということなのだろう。さらに言えば、日本ではファーストアルバムはすでに廃盤になっている。よっぽど、売れなかったのであろう(まあ、僕もドニー・イェンの映画で知ったわけであるが)。となると、ライブを見に行くには中国とかイギリスとかに行かなくてはならんな。


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May 07, 2006

デヴァカントのコンサートへ行きました(前編)

 10年前の1996年に、NHK-BSで『音巡礼・奥の細道』という番組があった。

 アメリカ人でインドの竹笛バーンスリーの奏者が、隅田川の千住大橋から白川関、松島、 平泉、立石寺、羽黒神社、月山、那谷寺など松尾芭蕉が『奥の細道』で歩いた道を旅していくというドキュメンタリー番組で、旅の途中の芭蕉ゆかりの地で、能楽の観世栄夫や太鼓の林英哲、舞踊家の川田公子らと共演して音楽を演奏していくという番組だった。

 この番組の冒頭で、彼は自分の名前はデヴァカントといい、インド音楽を学んでインドを旅していた時、日本の松尾芭蕉を知ったということを語っていた。これが、僕がデヴァカントのことを知った最初だった。番組の中での音楽を聴いてみると、ニューエイジやヒーリングといった感じの音楽ではなく、もっと奥深い精神性を感じる音楽だった。なによりも、デヴァカントの音楽が通俗的なニューエイジやアンビエント音楽と違うのは、「音」を通して、その向こうに広がる「静寂」を感じるということだ。芭蕉の俳諧においても「音」は重要な要素である。芭蕉は、言葉を用いて言葉の背後にある自然の風景や静寂を表現していた。デヴァカントの音楽にも、それと同じようなものを感じた。

 この番組を見た後、デヴァカントの音楽CDが出ていないものかと探してみた。彼のCDはハイサイ・レーベルというレーベルから出ていることを知り、HMVやタワーレコードを探してみたがなく(当時はネットで検索なんてない時代だった)、これは手には入らないかなと思っていたら、新宿の紀伊国屋書店の音楽CD売り場にハイサイ・レーベルが入っていてデヴァカントの音楽CDをここで入手することができた。

 時は流れ、デヴァカントの音楽CDもデジタルデータとしてiTunesのライブラリィの中に格納していたわけであるが、先日、新しく買ったインテル版のiMacにiTunesのデータを移動させるためファイルをいじっていたら、デヴァカントの音楽ファイルが目にとまった。そういえば、最近新しいCDが出ていないかなと思った。

 とりあえず、まずGoogleで"devakant"というワードで検索をしてみた。すると、トップにwww.devakant.comというサイトがヒットした。公式サイトらしい。ここで見てみると「Norrow Road」というタイトルの音楽CDがある。これこそ、10年前に探していたNHKの『音巡礼』のCDではないか。あの当時、『音巡礼』の曲は"Concert In Japan"というCDに入っていて、このCDは入手していた。でも、『音巡礼』そのものCDが出ていたとは知らなかった。この公式サイトでのレーベルは、ハイサイ・レーベルではないようだ。

 これは早速入手しようと公式サイトのインフォメーションにメールを送った。日本でのコンサートの情報も尋ねた。すると、コンサートが東京周辺では5月6日にあるという。メールで尋ねたのは3日であった。なんとまあ、直前だったのだ。このGWはなんだかんだあって、これは都合がつくのだろうかと考えてみたが、なにしろこうした機会もそうそうあるわけでもない。まあ、なんとかなるだろうということで、コンサートへ行くことにした。

 コンサートの場所は、千葉市香取郡神崎町の神崎神社であるという。さて、神崎町ってどこかしらと、Googleローカルで検索をしてみると、なんと千葉の成田の向こうではないか。これは遠い。めちゃ遠い。ほとんど成田空港へ行く遠さである。もよりの駅は、JR成田線の下総神崎であるという。下総神崎の駅から、どうやっていくのかなとGoogleローカルで見て、なるほど駅から歩いていける距離ではあるなと思った。さらにNASAの人工衛星からの画像に画面を切り替えて、なるほどふむふむと、何にうなずいているのかよくわからんが、とにかくうなずく。それにしても、こうしてこれから行く先の場所を人工衛星からの画像で見ることができるという、今の時代について、しばし感慨に耽るのであった。

 当日、京成の特急で成田へ行く。日暮里の駅では、GWの終わりであるが、これから海外へ行くという旅行者らしきみなさんの光景があった。車内は結構混んでいて座ることができず、成田まで立ち続けることを覚悟したが、船橋から座れた。京成の成田駅について、JR成田線に乗り換える。この成田線がまた、ローカル単線で、いい感じの電車であった。これはNHKの「関東甲信越 小さな旅」みたいな雰囲気になってきたなと思いつつ(千葉県だから、甲信越じゃあないんだけど)、電車でトコトコと下総神崎へ。この神崎というのを「かんざき」と読んでいたのであるが、「こうざき」と読むことを車内アナウンスで知る。そういえば、神崎神社も「かんざきじんじゃ」ではなく「こうざきじんしゃ」と読むのであった。

 下総神崎駅に着いた。人工衛星からの画像で見た通りに、これといった建造物がなにもないローカルな駅前である。こっちの方角だなと、事前に当たりをつけておいた方向へ向かって歩き始める。なあに、すぐに着くさ、シバリョーの「街道をゆく」だぜとか思いながら歩く。やがて道は国道になり、国道沿いを歩く。

 帽子をかぶり、バックパックを背負ったジーンズ姿の怪しげなおじさんが一人、国道沿いを歩く。国道の横は、あたり一面に水をたたえた田園風景が広がっている。それにしても、こうした場所の国道というのは、カンペキに自動車道になっていて、道の両側にガードレールで区切られた歩道があるわけではなく、ただ白線が引かれているだけで、とりあえず人間はここを通行せよという感じになっているだけである。だから、歩いていると、身体にすれすれで車がびゅんびゅんと通り過ぎていくのである。かつて、芭蕉が門人の河合曾良と旅した奥の細道は、車なんぞというものがなかったので、さぞや趣のある旅であったろう。

 おやっ神崎という文字を前方に発見する。ここかと思ってよく見てると、真言宗醍醐派神崎寺とある。いやいや、コンサートがあるのは、神社であって寺ではなかった。ここではない。それにしても、真言宗のお寺がここにあるとは。その昔、高野山を旅した時は寒かったなとか思いつつ、また歩き出す。

 しばらく歩いていると、ホントにこっちの方でいいのだろうかと心配になってくる。もうしばらく歩いてみて、神社が見えてこなければ誰かに尋ねよう。しかしまあ、車はびゅんびゅん走っているのだけど、人の姿はまったく見かけないのである。あー駅からタクシーに乗ればよかったと思っていたら、前方に、なにやらそれらしき森が見えてきた。その森の入り口に「神崎神社」とある。おーここか。ようやく、到達したのであった。しかしながら、森の入り口から、その先に長い階段が見える。げっ、これを登っていくのか。


(この稿、続く)

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August 05, 2005

iTunes Music Store

 4日から日本でもiTunes Music Storeが始まった。これまでCDで買っていた音楽を、ネットでダウンロードで購入できる。同様のサービスは、日本でもすでにいくつか行われていたようであるが。やっぱり、アップルがやるということで、マックユーザーはもうそれだけで、おおっあのiTMSがついに日本でもやるのかという期待と高揚感にわき上がってしまうのだ。iTunesもiPodもWindowsでも使えるのだから、PCユーザーのみなさまも同じ気持ちであろう(でも、WindowsのiTunesって、なんかマックのと違う)。ダウンロード購入した曲は、パソコンへのコピーは5台までであるが、iPod、CD-Rへは無制限である。どこぞの国の某団体が既得利権を守るために必死に抵抗しているのを尻目に、これをスコーンとやってしまうのが気持ちいい。新しいデジタル音楽の時代がやってきた。

 さっそく、iTMSのアカウントを作って、さあてと、検索をしてみると、うーむ、なんか曲数が少ないような気がする。ヒットしないアーティストが結構多い。僕としては、70年代のフォークや80年代の音楽がもっとあって欲しいと思った。しかし、これから増えていくのであろう。

 とにかく購入するのがすごくカンタン。1曲150円はもっと安くならないものかと思うが、まあー150円だからね、と思って気軽るポチッとやってしまう自分がコワイ。これはカネがすぐになくなっていくであろう。

 とりあえず、荒井由美の「あの日にかえりたい」と「中央フリーウェイ」を購入する。それと、なにげなく一青窈(ひととよう)というアーティストの曲を試聴してみたら、これはいいではないか!!声がEPOと似ていて、しかしながら、もっとしっとりした感じがする。彼女は、台湾人と日本人のハーフだという。その背景もまた、彼女の音楽に深く関わっているのだろう。というわけで、「一青窈 Live Tour 2004」というアルバムを(なんと)全曲ダウンロードする。しかし、これ1曲150円じゃあなくて200円なんだよな。これって、TSUTAYAでレンタルした方が安いってことじゃあないかしら。ではこれで、本日の購入はオワリかといえば、そうではなくて。最後に、イージス艦「いそかぜ」の副長宮津二佐じゃなかった寺尾聰の「ルビーの指輪」を購入。西部警察のあの人が、今では「雨上がる」や「半落ち」の名優になっているのですねえ。

 しめて、19曲もダウンロードしてしまった・・・・・。

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July 03, 2005

音楽のバトン

 珍獣さんから「MusicalBaton」を受け取りました。最近至るところで見かける流行のトラックバックのようです。

 それではいってみましょう。

Q1:コンピュータに入っている音楽ファイルの容量は?

 僕は、2台のノートパソコンを使っている。1台はマックのPowerBookで、もう一台はIBMのThinkPadだ。iPodなしの生活などもはや考えられず、iPodはトーゼンPowerBookのiTunesにつなげている。ThinkPadの方にもWindows版のiTunesが入れてある。iPodを初めて買った当初は、マックとWindowsマシンのiTunes間でデータのやりとりをやろうと思ったのであるが、さすがにこれができると音楽業界から色々マズイことを言われそうなので、できないようになっているようだ。

 それはともかく、音楽データの容量であるが、今ちょっと確認してみたら、PowerBookの方は34.84GBで、ThinkPadの方は3.84GBであった。ThinkPadの方のファイルはPowerBookの方と重複しているので、結局約34Gということになる。34Gもあるのか!!PowerBookの内蔵ディスクの大半を占めているではないか。

 自宅の音楽CDのほとんどすべてと、レンタルで借りてくる音楽CDもことごとくiTunesに入れてしまっているので、いつの間にかこんなサイズになってしまった。これだけあると、もはやなんという曲が自分のiPodには入っているのか自分でもわからず、クルクルとホイールの操作をしていて、おや、これはどんな曲だったろうとか、こんな音楽CDも入れていたのかと新しい発見をすることがしばしばある。


Q2:今聴いている曲は?

 今、エンヤの曲をえんえんと流しながら、これを書いている。iPodをiPod専用の外部スピーカーにつないで聴いている。iPodでカテゴリーをアーティストにしてエンヤを選択すると、蓄積してあるエンヤの曲全部が該当して、これを端から流していくことができるので、複数の音楽CDを一度に聴くことができる。


Q3:最後に買ったCDは?

 先日、喜多郎の『四国八十八ヶ所』を買った。この中の「飛天」という曲が、以前の曲のスローバージョンでたいへんいい。思えば、喜多郎の音楽を聴いて、中央アジアの旅に出かけた時からずいぶん月日がたってしまった。


Q4:よく聴く、または特別な思い入れのある5曲

 思い入れがある曲なんて5曲ではとても足りない。以下は、曲というより音楽CDのアルバムで述べてみます。これも5枚ではとうてい足りないけど。

(1)CONTITI『Devonian Boys』

 ご存じ地球一番快適音楽と呼ばれているCONTITI。仕事で煮詰まっている時も、さして仕事がなくヒマな時も、通勤電車の中ではたいていCONTITIを聴いている。CONTITIの音楽を聴くから、朝、会社へ行く気になるようなものである。CONTITIの音楽があって良かった。CONTITIのアルバムはどれも良いが、1枚と言えばこれかな。


(2)EPO『WICA』

 EPOは初期の頃はそうでもなかったのだが、このアルバムからアコースティックな音楽と透明なヴォーカルだけというシンプルになった。同じ雰囲気の『voice of OOPART』も良くて、この2枚がEPOのお気に入りのアルバム。


(3)YMO『テクノデリック』

 80年代に青春時代を送った者なら、もはや説明不要の伝説的バンドの名アルバム。日本のポップミュージックで世界に影響を与えたのは、今日至るまでYMOだたひとつである。ユキヒロさんのテイストが強い『BGM』もいいが、あえて1枚選ぶのならば、細野さんの気配が濃厚なこのアルバムであろう。

(4)中島みゆき『臨月』

 中島みゆきの数ある初期の名盤の中で一押しがコレ。中島みゆきについて書いていくと長くなるので、ここでは省略。


(5)dip in the pool『Retinae』

 dip in the poolはモデルである甲田益也子がヴォーカルを担当し、木村達治がサウンドを担当していたデュオの音楽ユニット。今はもう解散してしまったのだが、今でも十分通用するクオリティの高さがある。甲田さんの声が、もはや天使の声と言っていいほどのピュアな声。静かさと透明感のある女性ヴォーカルというのは、今の時代ではめずらしくないが、dip in the poolはその音楽センスもその時代の音楽を越えていた。


Q5:バトンを渡す人は?

 必ず次の人に回さなくてはならないというものでもないと思うが、そこはまーそうなのかということで、5人ではなく1人ということで、それではrobitaさんのおゆずりを受けまして、naomiさんにポン

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May 15, 2005

mukulcast.comを聴いています

 韓国のインターネットラジオでmukulcast.comというのがある。これがなかなかいい。なにがいいのかというと、DJじゃあなかったCJ(Cyber Jockeyと呼ぶそうだ)が全員女性で、その声がこれがもーーーーめっちゃかわいい。

 試みに聞いてみたいという人は、まずmukulcast.comのウェブにアクセスをして欲しい。ここって当然のことながら全部韓国語なので、なにがなんだかよくわからんのだが、とりあえずここのウェブにアクセスをしたら右上の「24h MUSIC RADIO Channel」と書いてあるところの下の、これがまたなにが書いてあるのかわからんハングル語の文字のリストをどこでもいいからクリックして欲しい。すると、Windows Media Playerかなんかのソフトが勝手に起動して聴けるのではないかと思う。そうならなかったら、Windows Media Playerを自分で起動させて、「ファイル」の「URLを開く」でhttp://www.mukulcast.com/listen.asfと入力すればいい。Macユーザーの場合は、iTunesの「初期設定」の「ストリームを開く」を選んで、URLをhttp://cast2.mukulcast.com:11000と入力してOKを押せば聴くことができる。

 選曲は、韓国と日本のポップが多い。どちらかと言うと、日本のポップの方が多いかもしれない。CJのしゃべりもまた当然のことながら韓国語である。うざいコマーシャルも一切なく、CJのトークと曲だけ。とにかく、このトークがいい。かわいい。僕は日本語以外は英語しかわからん人間なので、何をしゃべっているのかまったくわからないのだけれど。なんか聴いていて、こっちも笑ってしまうような感じになる。実際、このCJっ娘たちはよく笑うのであるが、それを聴いてこっちもおもわず顔がゆるんでしまうのだ。東京の深夜のマンションの一室でパソコンを前にした自分が、どんなニヤけた顔をして韓国からの放送を聴いているのやらと考えたくもないけど(笑)、ほほまえしくなるのはしょーがないではないかと思う。これを夜中に聴いていると、高校の頃、ラジオの深夜放送を聴いていたことを思い出す。あの雰囲気によく似ている。

 思えば、歴史上、これほど大衆的規模で日本人と韓国人が接触した時代はかつてなかったと思う。今はネットで韓国からの情報に接することができる時代になった。近代の日韓関係はいろいろあったが、これからの日韓関係は変わっていくのではないかと思う。ネットの世界に韓国という新興国家の若い世代が大きく入ってきた。電脳空間でアジアは「ひとつ」のネットワークを形成していく。当然ながら、そこでの政治的対立やコンピューター犯罪やサイバーテロもこれから起こるだろう。しかし、そうした対立と混沌の中から生まれてくる新しいアジアのネットワーク社会を信じたい。

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November 01, 2004

天からふる音

 高校の時、友人たちと、どこかの山に行ったことがある。どこの山だったのか覚えていない。夜の記憶があるので、山の中で宿泊したのだろうけど、どこに泊まったのか、これも覚えていない。でも、その時見た夜空の光景は、今でも覚えている。天には、これほど数多くの星があるのかと思った。数多くの星の光が天球を覆っていた。天の川は、ものすごく広大な星々の帯だった。その星の帯が、天球の端から端までを大きく横切っているのだ。その天頂に、巨大な白鳥が羽根を大きく広げていた。1等星デネブと二重星アルビレオを結ぶ線と、その線に直角に交わる線をひくことによって壮大な十字線ができる。その十時線の姿は、本当に天の河に飛ぶ巨大な白鳥に見えた。

 沖縄の音楽ユニットTINGARAの音楽を初めて聴いた時、高校の時に見た、あの天空の星空を飛ぶ壮大な白鳥の姿を思い出した。

 週末の30日の土曜日の夜、僕は有楽町の東京国際フォーラムで催されたTINGARAのコンサートへ行った。この日は朝からの仕事をすばやく片付け、雨の中を有楽町へと向かった。開場は18時で、1時間半前には有楽町についてしまった。そこで、駅前の三省堂書店に入る。コミックスの棚で、「アフタヌーン」で連載中の漆原友紀の『蟲師』の最新巻を発見した。雑誌では読んでいないので、新しいコミックスが早くでないかと思っていたのだ。同じく、「ネムキ」に連載の今市子の『百鬼夜行抄』の最新巻も発見。こうやって、何気なく入った本屋さんで待っていた本と出会うと楽しい。ついでに、星野之宣の『神南火』と岩明均の『ヒストリエ』を買う。こんなに買ってしまって、カバンが膨れてじゃまにならないだろうか。これからコンサートへ行くのに。しかしまあ、本は買いたい時が買う時と思っているので、ええい、ままよとレジへ向かう。カバンをぷっくらとさせて、会場へと向かう。

 東京国際フォーラムのC会場の入り口へ行ってみると、まだ開いてなさそうだったので、入り口前のカフェでコーヒーを飲みながら、さっき買った『蟲師』を読む。この作品の世界観が好きだ。読んで余韻が残る名作。しかし、いつまでも余韻にひたっているわけにもいかない。18時になったので、会場の方へ移動する。結構、それなりにもう人が集まっていた。会場の入場準備がまだということで、ロビーで待つ。こうしたコンサートとか映画館とかでは、僕は、ついつい観客はどのような人たちなのであろうかということが気になってしまう。さて、とばかりに見渡してみると年齢層は高いですね。昔、渋谷のON AIRでのりんけんバンドのコンサートに行ったことがあるけど、あの観客は場所がらか若者が多かったと思う。

 コンサートは、最初は舞台の照明演出がちょっときついかなと思った。ただでさえ、コンサート会場での演奏は音響効果が強くなるのだから、むしろもっとシンプルな演出でもいいんじゃないないかと思ったけれど、曲が進むにつれて、そういうことはどうでもよくなってTINGARAの音楽スペースに包まれていった。

 TINGARA(ティンガーラ)とは、沖縄の言葉で「天河原」つまり「天の川」を意味する。沖縄の伝統音楽をベースに、スローテンポで、南島の満天の星空から音が聴こえてくるような音楽を創っている。三線(三味線のような沖縄の楽器)とシンセサイザーと女性ボーカルが見事に調和した独自の音楽空間を編み出している。その透明な音楽は、例えばエンヤよりも、もっと奥行きがあって、そして美しく輝く豊饒な南の海のイメージを思わせる。これまでCDアルバムを5枚出していて、テレビのCMや、龍村仁監督のドキュメンタリー映画『地球交響曲 ガイアシンフォニー』で使われている。これほどのいい音楽が、なぜメジャーにならないのか不思議だ。僕の席は一階だったけれど、フロアで空いている席が結構いくつか見えた。武道館を埋めるようなコンサートはTINGARAには似合わないかもしれないので、これぐらいがいいのかもしれないけれど。

 コンサートの途中で、沖縄の版画家である名嘉睦稔(なか・ぼくねん)さんがゲスト出演する。もともと、TINGARAの3人は、ボクネンさんの展覧会で出会ったことがきっかけだったという。ボクネンさんのギャラリーで流す音楽を選んでいたが、探しても見つからないので自分たちで音楽を作曲したのがTINGARAの始まりだった。ボクネンさんは、いわばTINGARAの生まれた場所のようなもので、ボクネンさんの版画はTINGARAのCDのアルバム・デザインに使われている。この人は、版画家なのであるが、三線を持って登場。自ら、TINGARAに作詞作曲した曲を唄う。

 おもしろかったのは、その後のトークで、ボクネンさん、リハーサルの時とクールの回数が違うということで、ボクネンさんはその場で歌を唄っているということだ。即興なのである。このボクネンさんが、懐の深い、おおらかで人間味のあるいいキャラクターなのだ。ボクネンさんは日常の暮らしの中でも、口から唄が出てくるという。三線を持って歩けば、それだけもうカタカタと曲を作りながら歩くという。つまり、ボクネンさんにとって音楽とは、「音楽」というモノがそこにあるのではなく、自分の中から自然に生まれてくるものなのだ。三線一丁で、即興で唄を歌う。本来、音楽はあるシチュエーションの場で生まれ、そしてその場で消えていくものだとボクネンさんは言う。自然の風や波と同じだ。僕たちは、それをCDとかMDとかMP3とかいった永続的なパッケージの中に入れて聴いているだけなのだ。

 ボーカルのつぐみさんが「TINGARAは、ボクネンさんのような音楽をやりたい」と言っていた。会場での、TINGARAの3人の「ボクネンさん大好き」という感覚が見ていてまたいいのだ。TINGARAの音楽は、ある意味において沖縄のトラデッショナルな音楽とは離れている。バリのガムランなど、他の伝統音楽の楽器を積極的に取り入れている。シンセサイザーやドラムやパーカッションやベースなどを使って、かなり都会的に洗練した音楽創りをしている。むしろ、沖縄の伝統音楽のスタイルを保ちながら、その一方で極めて都会的な感覚があって、そのバランスがとれていることがTINGARAの音楽なのだと思う。しかし、沖縄の明るい空の下で、大地に立つ大きな樹のようなボクネンさんの音楽を理想とするTINGARAの3人は、自分たちの音楽がどこから来ているのかを明確につかんでいるのだと思う。

 TINGARAの音楽に、なぜこれほど懐かしい感覚を受けるのだろう。TINGARAの音楽には、ヒーリングというよりも、もっと活動的な力強さを感じる。単なる、心地よくなる癒しではない。コンサートで、巫女のように唄い、舞う、つぐみさんを見ていると、TINGARAは3人で音楽を創っているのではなく、ボクネンさんや沖縄の空や海や風や花や、家族や人々や、食べ物や飲み物や、神話や伝承、南洋の島々の過去と未来などといった無数のものとのつながりの中で音楽を創っていることを強く感じる。そして、彼らの音楽を聴いている時、音楽を通して自分もまたそのつながりの中に入っていく。その幸福のひとときを、TINGARAの音楽は与えてくれる。

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October 02, 2004

姫神を惜しむ

 シンセサイザー奏者の姫神(ひめかみ、本名・星吉昭)が1日、心不全で亡くなったという

 つい、先日、渋谷のHMVで姫神のライブコンサートのDVDを見つけて、ああっDVDあったんだと思って買ってきたばかりだった。いつか、この人のライブに行ってみようと思っていた。それが永遠にできなくなってしまった。

 姫神の音楽は、同じシンセサイザー奏者の喜多郎とは全く違う。喜多郎の音楽は、どこか日本というより、アジアそのものの感じがする。日本であっても、それはアジア大陸から見た日本であり、シルクロードの終着地としての日本という感じがする。それに対して、姫神の音楽はもっと土着的な、人が大地の上で生きていて、風や森や空と深く関わっている生活の感じがする。

 姫神の音楽を最初に聴いたのは、NHKの『ぐるっと海道3万キロ』だったと思う。このテーマ曲のアルバムのタイトルが『海道』というタイトルで、海道というと黒潮、黒潮というと四国だなと勝手に思いこみ、この曲は四国をイメージした音楽なんだなと思っていた。四国と言えば弘法大師空海だなと思い、姫神の音楽は、空海の真言密教のようなスケールの大きさと、思想の多様さを感じるきらびやかな音楽だった。土着性とグローバルに突き抜けたところがある感覚は空海そのものであり、今でも、このアルバムを聞くと、僕はまだ訪れたことがない四国と弘法大師のことを思う。

 ところが、この人は四国ではなく、東北をベースにした音楽作りをしている人なのだということを後で知った。東北と言えば、宮沢賢治を代表として、数々の作家、詩人、画家、演劇人などが出たところではないか。姫神は、東北のイメージや歴史や民話や伝承などを元に音楽を創っている人だった。

 それを知った頃、NHK大河ドラマで『炎立つ』をやっていた。『炎立つ』は、歴代大河ドラマの中で異色の作品だったと思う。奥州での11世紀の「前九年の役」と「後三年の役」を題材とするこの作品は、渡辺謙が平泉の藤原氏の祖である藤原経清と最後の藤原泰衡を演じていて、これがよかった。渡辺謙、こういう役はハマリまくり。村上弘明の藤原清衡も、渡瀬恒彦の藤原秀衡も合っていた。佐藤慶の源頼義も、佐藤浩市の源義家もよかった。豊川悦司の家衡もいい、長塚京三の頼朝もよかった。というキャストと内容がいいと、なんでもよくなるの見本みたいな大河ドラマであった。惜しむらくは、この番組は半年しかやらなかったということだ。この年の大河ドラマは、年間で2本立てであった。これはNHKの愚挙であったと言えるだろう。この毎回のドラマの最後で、「炎紀行」というミニ紀行番組があって、そのテーマ曲が姫神だった。これが最高に合っていた。都のヤマト王朝に滅ぼされた東北の蝦夷たちへの鎮魂と祈りの音楽だった。

 その後の姫神の音楽は、東北のイメージだけに留まらず、ワールドワイドに音楽を展開していった。インストメンタルな曲だけではなく、積極的にボーカルを取り入れて、Deep Forestのようなエスニック的なニューエイジ・ミュージックやアンビエント曲に変わっていった。

 それらもまたいいのだが、僕の一番好きなアルバムは、なにかといえば『東日流』(つがる)を挙げたい。このアルバムは青森県市浦村十三湖の追想アルバムで、十三湊(とさみなと)と呼ばれるこの場所で、1990年代の初めに、500年前の、当時、東アジア交易で栄えていた伝説の港湾都市の跡が発掘されたのだ。これは、東北の歴史を根本的に覆す出来事だった。かつて津軽は、海外貿易で栄えていた有数の国際都市だったのである。

 この十三湊の発見は、晩年の司馬遼太郎の北方志向にも大きな影響を与えた。亡くなる前の司馬さんは、東北と北海道を「北のまほろば」と捉えていた。稲作文化の西日本とは別種の独自の文化体系があったとし、そこから東アジア史と倭人と総称された日本民族の姿を見直そうとしていた。北国のマタギや少数民族の自然観に、行き詰まった近代の価値観を超えるものを見出そうとしていた。

 東北には、いくら語っても語りつくせない奥の深いものがある。その東北から世界に向かって音楽を発信していた姫神は、東北の心そのものだった。遺作となるのだろう最後のアルバム『風の伝説』には、民話やブルガリアン・ヴォイスとコラボレートした曲がある。シンセサイザーという音楽のテクノロジーを使い続けてきた姫神が、最後にたどり着いたものは人の声だった。

 姫神は、たくさんのいい曲を残してくれた。姫神の音楽を聴くたびに、僕たちは、この世の中で本当の価値があるものはなんであるのかを知ることができる。星さん、ありがとうございました。

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