April 03, 2012

「文章を書く」をクラウド化する

 最近のエディタは、クラウド対応になっているものがある。

 これはメッチャ便利だ。どういうものかと言うと、例えば、自宅のディスクトップで文章を書いていて、途中までの書きかけ状態で終わったとする。次に外出先でiPhoneでこの書きかけ文章を出して、続きを書いて、これも途中で終わる。そして、自宅へ戻りディスクトップで、さっきiPhoneで書き続けていた文章に、さらに書き続けることができるというものだ。

 本来、クラウドというのは、こうした使い方をするためにある。これまでクラウドの時代とか色々言われてきたけど、ようやくクラウドに対応したアプリが出始めてきたので楽しい。

 僕は、オンラインストレージサービスのDropboxというのを使っている。このネット上の保管庫を経由して、自宅でのiMac、ノマドで使うレッツノートや、レッツノートを持っていない時に使うiPhoneの3つで、同じ文章ファイル使うことができる。どんな場所でも、とぎれることなく、前の続きの作業が継続できるというのは素晴らしい。

 もちろん、以前、ここで紹介した「Simplenote」と「JustNotes」の組み合わせもいい。これはただのプレーンな文章ファイルの単体ではなく、情報の整理、タグつけができるので、これはこれで使えるツールだ。

 とにかく、情報はどんどん出す。アタマの外に出す、アウトプットする、ネットに置く、クラウド化する。クラウド化することで、ネットにつながる環境とデバイスさえあれば、どこででも作業ができる。

 もう自分がこれまで書いてきたデジタル文章のファイルのすべてを一式全部、ネット上のDropboxに移動させちゃってもいいかもしれない。

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May 02, 2010

iPhoneを使ってみてわかったこと

 iPhoneを使い初めて一ヶ月近くたつ。画面をタッチすることで画面を動かした、文字を入力するということに、最初はうまくできなかったが慣れてくると、こんなに気持ちがいいものかと感じるようになった。そうした、操作面でのこと以上に、自分のIT環境が激変したと言っても良いぐらいの大きな変化があった。その変化をひとことで言うと、自分の知的生産環境をクラウド化するということであった。

 クラウド化するということは何かというと、簡単に言えば、まず自分が使う文章や画像のデータを自分のパソコンに置くのではなく、ネットの向こう側に置くということだ。なぜそうするのか。例えば、自宅のパソコンで書きものをしていて、出かけるとなり、その出先でも書きものを続けたいとすると、これまではその文章ファイルをノートパソコンに複写していくか、外付けディスクに複写して、それを出先でノートパソコンにつなげて、ノートパソコン側にさらに複写して、さあ作業続行、というものだった。こんなに数多くのモロモロを行わなくてはならないのである。こうなると、もうやりたくなる。

 この「数多くのモロモロを行わなくてはならない」、つまり「コレコレを行わなえば、コレコレのことができます」というのは、機械である以上、「しかたがない」と言えば「しかたがない」のであるが、人の作業において、これが面倒なものになり、自然な流れをストップさせるのである。ここがなんとかできないか、というか、ここがなんとかなるか、ならないか、が最大のポイントであった。そしてこれまでは、ここは「なんともならない」「しかたがない」であったのである。

 ところが、である。今はそうではないのだ。自分のファイルをネットの「とある場所」に置いて、自分の側は自宅のパソコンの時は自宅のパソコンから、出先のノートパソコンの時はノートパソコンから、iPhoneの時はiPhoneから、ネットの「とある場所」にアクセスして、そのファイルを自分のローカルディスクに落として、追加なり修正なりをして、終わったらまたネットの「とある場所」に戻せばいい。この「戻し」が面倒だということもあるかもしれないが、それは自動化するなりなんなりの方法がある。いずれにせよ、一連の作業の流れが途切れることなくシームレスにつながっていることが可能になったのである。

 次に、クラウド化で重要なことは、ネットにある無数のニュースやブログをRSSリーダーに登録すれば、一括して読むことができるということだ。このリーダーのデータも、自分のパソコン側にあるのではなく、ネットの「とある場所」にある。自宅のパソコンで、どこどこまで読んで、次に出先のパソコンでは、その続きから読めて、さらにiPhoneでも、その続きから読めるという、これも「みんなつながっている」のである。何度も言うが、この「つながっている」ということが大変重要である。これがこれまでできなかった。しかし、今はこれができる。

 この「つながっている」というのは、RSSリーダーならRSSリーダーといったアプリ単体の話だけではない。ニュースやブログを読んで、人が次になにをするかと言えば、そこから考えたことや思いついたことをもとにメモやブログやツイッターを書こうとするだろう。これの作業もまたシームレスに「つながっている」必要がある。これがこれまでできなかった。しかし、今はできるのである。今は、RSSリーダーでニュースやブログを読んで、必要なものはメモやメールや自分のブログや自分のツイッターにそのまま持って行くことができる。「そのまま」なのだ「そのまま」。何度も言うが、これ重要なことなのである。

 興味深い、関心があるWEBページの画面そのものやURLも、クリックひとつで、ネットの「とある場所」のWEBページ保管庫やブックマークに置くことができて、これも自宅のパソコンからでも出先でのノートパソコンやiPhoneからでも取り出すことができる。もちろん、修正・追加もできる。

 上記の物事が可能になった背景には、今の東京の無線LAN環境の普及がある。カフェでのコンセント利用可能と無線LANサービスの提供は、ノートパソコンの使い方を激変させたと言ってもいい。これからの時代が、モバイルパソコンの本当に意味が問われる時代になったのだ。 つまり、物理的、地理的なローケーションは関係がなく、ネットにつながれば、そこに「自分の作業空間」を広げることができる。なぜならば、その「自分の作業空間」がこちら側ではなく、ネットの向こう側にあるからである。(しかし、中国からのアクセスの場合、ブロックされることはないだろうか。ちょっと心配だな。今度行った時に確認してみよう。)それができる世の中になった。

 こうしたことができるようになると、テレビや新聞だけではなく、いろいろなメディアからの情報を統合、整理しやすくなるので、テレビ・新聞とは別のものの見方、考え方ができるようになる。こうしたことは、なにも私だけではなく誰でもできることなので、たくさんの人々がこうしたことができるようになれば、テレビや新聞の言うことにただ従うだけの状態ではなくなる。情報通信技術の進歩により、一人一人が知的に独立することが可能になったのだ。

 ITは人を革新する。よく、ケータイやパソコンやネットは、人を馬鹿にする、知的に衰退させるみたいな意見が多いが、そんなことはまったくない。それは使い方による。そして、使い方もどんどん変わっていく。

では、この「正しい使い方」というのは、誰でも知っている、一般化しているというとそうではなく、新聞、テレビ、大手出版社、パソコンメーカーなどはこうしたことを言うかというと言わない。わかっている人の発言から、自分で自分なりに試行錯誤しながら学んでいくしかない。

 自分は、インターネットがまだ普及する前のパソコン通信の時代からの人であるが、今の時代のパソコンの使い方は、以前と根本的に変わっている。変わっているが、その根底にあるのは、一人一人が独立していくことであり、独立した人々がつながりあうということだ。その理念は変わっていない。パーソナル・コンピュータがこの世に出現してずいぶんたつ。世の中は大きく変わったけど、その革命の理念のようなものは変わることなく、その時々に姿を変え、ちゃくちゃくと進歩している。

 というわけで、なんか使ってみようかなと思い、気楽に始めたiPhoneであったが、使ってみると、その向こうにクラウドとノマド、そして集合知とつながるという使い方があった。これは楽しい。

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July 30, 2006

動画を見ています

 このところ、ブログを書くこともせず、何をしていたのかというと、当然仕事をしていたわけであるけれど。とりあえず、夜、自宅へ帰った後とか、土日とかは(まー土日も仕事したりしていたけど)もっぱらネットで動画を見ています。

 自宅のネットが光接続になっているからというわけでもないが、最近、ネットで動画を見ることが多い。元々、以前からABCが有料でネットで流しているABC NewsTVWorld Newsなどをパソコンで見ていたわけであるが、少し前からCNNがCNN Pipelineというこれも有料の番組配信サービスが始まっていて、これを見ている。スカパー!でやっているCNNはCNNjと呼ばれ、CNN internationalを日本向けにアレンジしたものである。スカパー!でCNNを見るよりも、直接、CNN internationalをCNN Piplineで見た方が安い。そもそも、僕はかなり前からスカパー!は契約をやめていて衛星放送のテレビを見ていない。しかし、そうなるとCNNが見れなくなったので、どうしようかなあと思っていたが、ネットで見ることができるようになったので良かった。

 CNN Piplineでは4つのチャンネルがあって、少し前のスペースシャトルのミッションフライトの時は、宇宙センターとスペースシャトルの通信を延々と流していた。打ち上げの時とか、帰還の時とかだけではなく、おもなフライト中全部の通信を延々と流していたのである!スペースシャトルから地球を映したlive映像とかも延々と流れていて、こうしたものを日本の東京の自分の家の机のパソコンで見ることができる今の時代について、つくづく考えるのであった(なんかこの文章が多いな)。今現在は、レバンノンとイスラエルのニュース番組を並べて流していたり、国連での会議の様子などを延々と流している。

 最近話題のYouTubeGoogle videoでは、アル・ゴアやトマス・フリードマンの対談番組を見ることができる。これがいい。さらに、C-SPAN2のBooktvにはキングリッチとアルビン・トフラーの対談やフランシス・フクヤマが最近の自著について語る番組があって、これもまたいい。それらの動画は、10分とか20分とかの動画ではなく、1時間とか2時間とかの動画なのである。トマス・フリードマンなんか3時間なのだ。また、NewYorkTimesのPodcastでは、作家やジャーナリストの約1時間もののディスカッション番組があって、これもいい。前回紹介したように、ザカリアがホストを務める国際関係の番組"Foreign exchange"もネットで見ることができる。

 日本に住んでいる日本人だから、日本のテレビしか見れないというわけではない。日本に住んでいる日本人だって、こうして外国のテレビを見ることができる。これまではアメリカのテレビ番組は、日本のテレビ局が放送するものしか見ることができなかった。しかしながら、今の時代は違う。日本にいながらこうした番組や放送を見たり聴くことができるようになったのだ。しかも、これらの動画やPodcastはタダである。今日、アメリカではネットは人々の知的生産活動のインフラともいうべきものになっている。国境がないインターネットに、アメリカの知的生産活動のインフラがあるということは、日本にいてもそれらを利用することができるということである。さらに言えば、シンガポールにいようと、中国の上海にいようと、インドのバンガロールにいようとできるということなのである。

 知識や技術やデザインやビジネスモデルといった知的付加価値のあるものを創造する産業を、自国の経済のコアにしようとしている国にとって、ネットで教育・啓蒙を行うことはもはやあたりまえのことになっている。日本では、ネットをいかにビジネスにするか、いかに宣伝でネット使うか。あるいは、いかに業務を効率化するかみたいな話しかない。これらは、いわばモノつくり生産技術の発想である。日本では、一般的にネットを製品やサービスの生産や流通、販売の技術の視点でしか見ない。教育や研究や社会啓蒙の分野で、ネットを使っていくことが本格的になされていない。地上波デジタル放送を携帯電話で見ることができるとか、ようするに日本ではコンテンツよりも技術偏重なのである。政治家や作家や芸術家と2時間とか3時間とか対談する番組をネットで流すことを日本ではやらないのはなぜなのか。

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April 07, 2006

マックでWindows!!

 最近、僕のPowerbookはiPod専用マシンになっている。買った音楽CDとか、オンラインで購入した音楽ファイルとか、とにかくかたっぱしからPowerbookのハードディスクに落とし(そして、iPodに転送し)ているので、ハードディスクがほとんど音楽ファイルでフルになってしまっている。

 で、このところ、新しい音楽ファイルを追加しようとすると、「内蔵ディスクが満杯に近いですよ」メッセージがぴんぱんに出てくる。でまあ、そういう時は、もう聴かなくなった古い音楽ファイルをちまちまと消しているのだけど、元の音楽CDの方はブックオフに売り飛ばしてしまったりしているものもあって、そーゆーことに気がつかず、ついうっかり削除した音楽ファイルは永遠に戻ることはないのであった・・・・・・・。どうしてもまた聴きたくなったら、ブックオフで音楽CDを買い戻して、またPowerbookに落として(当然、ここでまた他の音楽ファイルをちまちまと削除する)、そしてiPodで聴いているのであった。なんとオオバカな、ワタシ。

 これは、なんとなせねばならん。なんとかせねばならなんというのは、もう一台、大容量のマックを買おうかなということなのであるが、しかしまあ、カネはかかるよなと思っていた。

 ところがなんと。マックでWindowsXPがブートできるようになったと言うではないか。Powerbookのディスクが音楽ファイルで一杯になったことと、Windowsが正式に使えるようになったことと、どんな関係があるんですかと言われそうだけど。なにを言っているんです。これはすごいことなんです(きっぱり!)。なにがどうすごいのかよくわかないけど、とにかくすごい。

 たとえば、だ。マックを買いたいのだけど、でもなあ、Windowsでなくてはダメというアプリがあるしなあ、だからWindowsPCを買うしかないなあ、という選択が今後一切存在しなくなるということなのである。なんら迷うことなく堂々と(いえ別に、今までコソコソとマックを買っていたわけじゃあないですけど)マックが買えるのである。これはいい。すごくいい。そうまでして、MacOSXを使いたいのですかというと、そうなんですと力強くうなずくのがマックユーザーつーもんであろう。マックは音も静かだし。音楽の質もいいし。映像はまあWindowsPCでもいいのがあるけど(てゆーかディスプレイの話だよな)。

 できることならば、ブートしないで、キー操作でWindowsにもMacOSXにも切り替えられて、そして、ファイルの共有は当然できる、となってくれれば、これはもう言うことなし。

 いずれにせよ、WindowsOSが正式サポートになったということで、これはもう一台マックを買ってしまうかも。

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February 16, 2006

Googleの「めろんぱん」

 今週のTIME Feb 20のcover storyはGoogle。どこぞの国ではIT企業は虚業だとか言われているが、Googleこそ、いまや世界を変えるテクノロジー企業だ。

 特集の紙面の中で、コーヒーブレイクをしている二人のエンジニアの背後に"idea board"というアイディアを書きまくっている壁一面のでかいボードが見える。当然のことながら、一面、英語であるのだが、そこに地球の絵があって、その下に日本語で「食べるもんじゃないぞ」という書き込みがある。で、そこから矢印の線がひっぱってあって、その先に「めろんぱん」という日本語の書き込みが。うーむ、「めろんぱん」・・・・・・・・。

 もっか、『ザ・サーチ グーグルが世界を変えた』(日経BP社)を読書中。Googleなんて、ただの検索と広告の会社だろと思ったら大間違い。

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February 13, 2006

光接続にした

 自宅のネットを、光回線にした。住んでいるマンションで、NTTのフレッツBが使えるようになったということで、それじゃ、ま、ひとつ光にすっかというわけで、光にした。ちなみに、ワタシはさすがに300ボーの時代は知らないけど、その昔、パソコン通信を始めた頃は1200ボーだったのである。1200ボーなんて書いても、今の大多数のインターネットからネットを始めた方々は、なんのことかわからないだろうけど。

 あの当時、将来は光接続になると言われていた。そんなのは、未来の話だなと思っていた。その「未来」になったというわけだ。しかし、肝心の自分の中身の方は、あの頃からどれだけ進歩したのかというと、なんかあの頃のままであるような、ただたんに外観が歳をとっただけのような。

 とりあえず回線が速くなった(なったのか、これで・・・)から、Google Earthは快適に動きますねということで、おもわず20ドルを払ってGoogle Earth PlusにUpgradeしてしまった。

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February 11, 2006

『ウェブ進化論』備忘録その1

 アメリカのシリコンバレーを拠点としてコンサルタントとして活躍する梅田望夫さんの待望の本『ウェブ進化論』(ちくま新書)を今読んでいます。これはもう非常に考えるべきことがたくさんあって、ちょっと今まとまりきれないのですが、この本は今のネットや経済や社会を考える上での必読書である。さる2月7日に、筑摩書房主催により梅田さんと何人かのブロガーで「ウェブ進化論」発売記念イベントがあった。そのイベントの内容がテキストPodcstingで読んだり、聴いたりすることができる。

 そのイベントのログを読みながら、つらつら考えたことをメモってみた。以下は、その断片的な思考のメモである。

人がいて、人々が集団としてそこにある場合、どうしても個別の「人」ではなく「集団」としての思考なり判断なり行動なりが「生まれてくる」。そして、その思考なり判断なり行動なりは、なにを基準にして行なわれるのかというと、経験と情報であろう。経験はともかくとして、その情報はどこから得るのか。「マス(大衆)」は今日では存在し得ないと思う。では、なぜ「マス」は存在しているのか。それは「マス」にさせられてしまったのである。本来、個々にセグメント化されているのに、情報の提供側が個々のセグメントに対して情報を提供するというシステムがないため、今だに「マス」扱いされているのだ。「マス」相手の情報しか提供されないのだから「マス」になるしかない。--->この状況はどうすれば変わるのか。

テレビ、新聞よりは小さいマーケットになる週刊誌やネットが、個別相手の情報を提供していくことによって、マスコミの支配力は弱まるのではないか。

マスコミはなぜ「マス」しか相手にできないのか、「個別」を相手にするとコストの回収ができない、利益にならないからである。マスコミのビジネスモデルは「マス」を相手に商売をするようになっている。

ネットを体験している人と、そうでない人のものすごい断絶。---->掛け渡しが必要---->マスコミにはそれはできない----->ではどこが?

メディア業界人、広告業界人、IT業界人、教育関係者でどれだけの人がこの変化を理解しているか。

本屋へ行くと、こうやって読む本を探したり買ったりしているよりも、ブログ書きとかをする方がいいんじゃないかと思うことがある。インプットはやっていくときりがない。アウトプットの方が意味がある。アウトプットは、自分の人生の時間と労力という限りがある。

大きな本屋へ行くと、これらの本を全部読むのは、自分の人生の時間を全部かけても不可能だろうなと思う。知識の量は、人の生きている時間、脳の理解量を超えている。インプットはきりがない。それよりも、どの知識を学ぶべきか、編集が必要。

グーグルにまだできないのもの、アップルがやろうとしたナレッジナビゲーターみたいなものか。

Web2.0って、つまり「みんな、つながっている」っていうことか。

大学教育を根本的に変えなくてはダメ。

教育を変えなくてはならないことは誰もわかるが、ではどう変えるかで、昔の教育は良かった式なのはダメ。確かに教養は旧制教育の人は高かった。目標は教養があってITもわかる人であるが、大学4年間でそんな教育は無理。卒業後も学ぶことによって可能になる。つまり、大学教育を変えるということよりも、生涯の中で「教育」をどう行なっていくかを考える必要がある。

ようするに編集の問題なのか、コンテンツの問題なのか。永遠に解けない謎。しかし、ネットで誰もがクリエイターになれるのならば、少なくともいいコンテンツをクリエイトすればそれでいいわけではない。

昔、アドビがページミルを始めてリリースした時、マックワールドSFでのアドビのセッションで、老婆が熱心に質問をしていた。ごく普通のおばあさんなのだけど、このおばあちゃんはマックでウェブをやるのかと感動した。

誰もがクリエイターって、アップルの思想ではないか。

シリコンバレーは、その昔、サンノゼに行って道に迷って困りまくったことがある。


 以上、ほんのメモです。『ウェブ進化論』そのものについての感想や、Web2.0については、近日中に書きまとめたい。とにかく、ちょっと今、新しいネットの考え方をもとに、自分の知的生産の方法のもろもろを作り直しています。まるで、なんかこー大学生の頃に戻ったみたいな感じってゆーか。

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January 15, 2006

インテルマックあらわる

 9日、サンフランシスコでマックワールドが開催された。一時期は毎年のように行っていたマックワールドであるが、最近はめっきりと行くことがなくなって、自宅でジョブズの基調講演をWebcastで見るだけになってしまった。それにしても、ジョブス歳をとったな。

 しかし、実際、これを現地で見るのはそれなりにたいへんなのだ。いい席を確保するためには、早朝から並ばなくてはならないし、入場料金もそれなりに高額なのである。それが今では、わざわざサンフランシスコへ行くこともなく、自分の家のパソコンで基調講演を見ることができるという、こりゃあもう時代は大きく変わってしまったんだなと、しみじみ思う冬の空なのであった。ちなみにその昔、東京でもマックワールドは開催されていて、幕張でやっていたのである。ジョブズも来日して基調講演をしていた。東京でのマックワールドは、来場者数がアメリカを超える20万人近くにおよび世界最大規模のマックユーザーの集いであった。あの頃のマックワールドは楽しかった・・・。(遠い目)

 というわけで、インテルマシンになったマックであるが、なんつーか、あの「MacBook Pro」の名前はなんとかならんもんかと思う。Powerbookのままでいいではないか。なんすかMacBookProって。それに、MacBook Proの製品コンセプトは一体なんなのかよくわからん。唯一わかることは、あの重量2.54kgはモバイル用ではないなということだ。結局、マックユーザーが、マックのノートがインテルにならないかなあと思っていたのは、インテルマシンになればもっと軽量なノートになるであろうと思っていたのだと思う。それが2キロを超えるノートでは、とてもではないが持ち歩きはできない。もちろん、モバイル用ではない15インチのノートなのであるということは言えるであろう。しかしそうであるのならば、今、Powerbookを使っているユーザーはMacBookProに変えようという気にはならない。それと毎度思うことは、もの書きにとって打ちやすいキーボードとはなにかという視点なんて、全然持ってねえだろう、えっアップルさんよお。思えば、PowerBook1400のキータッチの良さは、アップルの歴史の中でその後二度と顧みられたことなどなかった。

 ジョブズの基調講演を聴いていて不思議だったのは、インテルマックはiPodとiTunesとiLifeが動けばそれでええんかということだ。つまり、クリエイターのツールとしてのマックとして見た場合、プロ向けのFinal Cut ProやShakeといった映像・音楽編集ソフトがインテル版のマックではどうなるのか、こっちの方が重要だと思う。しかし、こちらの方は依然としてPowerPCでなくてはならないままである。

 アップルという企業の理念には"rest of us"というのがある。「アップルは一般の人々のためのコンピュータを提供する」という意味である。「一般の人々のため」であるのならば、確かにiLifeが動けばそれでいいであろう(それにしても、iLifeを使っている人って、あまり見かけないような気がするのだけど)。今回、iWebという新しいソフトが出た。カンタンにブログやPodcastが作成できるところは、いかにもアップルの"rest of us"のソフトだと思う。しかしながら、その一方でアップルは、クリエイターのツールとしてマックを位置づけているではないか。ここに矛盾がある。つまり、マックは一体どっちのユーザーを向いているのかということである。

 もうひとつ疑問に思ったのは、iPodとiTunesのビジネスモデルが成功したことはわかった。iPodが売れていることはよーくわかった。では、今後の展開をどうするのかということはさっぱりわからない。テレビ番組の配信をもっと増やすというのはわかるのだけど、iTunesは音楽だけを扱うのではないから、ミュージックストアであることやめるとか、レファレンス機能をアップさせるとか、日本に住所のあるクレジットカードでも、アメリカのものを買えるようにするとか、やることはたくさんあるだろう。そうしたIT企業のCEOみたいな話はしないというところが、いかにもジョブズらしい。

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December 30, 2005

2005年のメディアとネットの出来事を振り返る

 2005年のメディアの出来事を振り返ってみたい。今年の初めのライブドアがニッポン放送の株の買い占めを行うことにはじまった、ライブドアとフジテレビジョンによるニッポン放送争奪騒動について、これが起きた時、堀江貴文ライブドア社長は「放送とITの融合」と言っていた。これを聴いて、僕は「放送とITの融合ってなんだ?」と思った。

 実際のところ、ホリエモンのその後の発言を見ても、「放送とITの融合」について、具体的な内容が示されることはまったくなかった。つまりだ、ここで僕は思った。ようするに、ホリエモンという人は、放送やITについて実質的に考える能力を持った人ではないなということだ。ホリエモンの目的は「放送とITの融合」ではなく、自分が購入したニッポン放送株を、高値でフジテレビジョンに買い戻させるということであった。そして、その筋書き通りに物事は進み、ホリエモンは巨額のカネを取得し、ライブドアの知名度も大いに挙げた(よって、ライブドアのポータルサイトの集客力も高まった)というわけである。

 こうした方法で、巨額の資金を得ることができるということは、アメリカではよくあることであるが、日本ではめずらしい。いわば、銀行からカネを借りるということをしなくても、会社はこうしてカネを得ることができる、ということの見本みたいな出来事であった。もちろん、だからといって、誰でもできることではない。ホリエモンは、株を使った金儲けの能力には、天才的なものがあるのだろう(実際に画策したのは村上氏であろうけど)。旧世代の経営者には、思いもつなかったことを、さらりとやってのけたホリエモンを若い世代が支持したのも当然である。

 それでは、カンジンの「放送とITの融合」はどうなるのかというと、実はそんなものはない。テレビとインターネットを融合させても、あまりメリットはない。ホリエモンも、そのことはわかっていて、当初、フジに株を買い戻させるだけのつもりであったのだろう。ところが、途中になって、本気でフジの経営をしたいと言い出した(ように見える)。このへんがまたホリエモンの、株にはくわしいがIT方面のことはよく知らないという一面を表していた。結局、この騒動は、フジが高額で株を買い取り、ホリエモンの勝ちとなった。しかし、この人はそこから得たカネでなにをやるのだろうかと思っていたら、選挙に出たり、宇宙旅行をやるとか言ったり、なんかよくわからない。

 ここで今年、広告の費用対効果でインターネットがテレビを抜いたということを考えたい。ハードディスク・レコーダーでのテレビ番組の録画は、過半数の人々がCMをカットしているという。今後、ますますハードディスク・レコーダーは普及していくだろう。現在、アメリカで注目を集めているデジタル・ビデオ・レコーダ企業のTiVo(ティーボ)は、やがて日本にも参入してくることは十分予測できる。現在、TiVoの日本市場参入を妨げているのは電通であるようだ。電通にとって、テレビのCMをスキップされるのは困るのである(だったら、電通はテレビ局とつるむのはやめて、ネットでの広告商売をメインにすればいいような気がするけど)(ちなみに、日本のメディアの本当の親玉は電通である。メディアは電通の批判はできない。さらに言えば、電通は自民党のメディア担当企業である)元々、民放テレビのビジネスモデルは、CSテレビの専門チャンネルとは違い、視聴者には無料で番組を見せて、スポンサーからカネを得るというものである。それがCMをスキップされると、このビジネスモデルは根底から成り立たなくなり、テレビ局の死活問題になる。

 デジタル放送への切り替えなど、一般大多数がテレビを見るということを前提にしているが、従来とは異なる状況がもう目前に迫っている。電通がどうしようと、テレビ局がなにをしようと、もはや、テレビのCMなど視聴者は見なくなる世の中になりつつある。その割には、テレビ業界に危機感はないのは、電通(および自民党)が守ってくれるものだと確信しているからなのだろうか。

 もう一つは、今のテレビの番組は、おもしろくないということだ。自分が歳をとったからなのかもしれないが、自分が子供の頃の70代や80年代のテレビの方がおもしろかったように思う。最近のテレビは、スポンサーの影響が強く、それが番組をどんどんつまらないものにしているのではないか。これに対して、インターネットの使用時間は増えているという。つまり、広告媒体としてのテレビの価値はなくなりつつある。

 だからこそ、楽天の三木谷社長のTBS株の買い占めと経営統合など、今後、斜陽産業になるテレビ局と組んでなにがいいのかさっぱりわからん。今月、テレビ局の株の買い占めなどには見向きもせず、「Yahoo!動画」で「TV Bank」というネットでの動画コンテンツサービスを本格的に開始し始めたソフトバンクの孫正義社長の方がよくわかっていると思う。今年から始まった動画配信サービスの「GyaO」にも注目したい。コンテンツは無料で提供し、インターネット広告で収益を得るというのは、当然のことながらテレビにはない新しいビジネスモデルである。

 ネットでの新しいビジネスモデルをまざまざと見せてくれたのが、アップルのiPodとiTunes Music Store(iTMS)だ。今年の音楽業界で起きたこの出来事は、衆院選で自民党が歴史的大勝をしたことなんかよりずっと意味がある出来事だった。音楽のダウンロード販売は、日本でも何年も前から行われてきたが、著作権の問題からユーザ主体の販売になっていなかった。レコード会社の都合が優先され、ユーザは不便を強いられていた。もし、アップルというアメリカの企業の日本市場への参入がなかったら、今年も来年もさ来年もずーと、我々ユーザは不便を強いられていた。そこに、風穴を開けてくれたのがアップルである。

 従来の日本のやり方は、ダウンロードしたパソコンでしか使用できず、CD-Rへの転送は一部楽曲を除いてダメ、携帯音楽ディバスへの転送は回数制限ありという、とにかくみんなダメダメ、曲の価格も高いというものであったが、みーんなOKで、曲の価格も安いというiTMSの日本到来は、日本の音楽シーンで革命的な出来事だった。アップルの参入により、日本の従来の音楽配信サービスをその商売の方法を大きく変えざるえなくなった。やはり、この国はアメリカが入ってこなければ新しい動きが起こることはなく、日本人だけでは、なにも変えることができないのだろうか。

 文化庁は、JASRACなど「iTMSによってダウンロードした音楽ファイルをフリーでじゃんじゃんiPodにコピーして聴かれては、音楽CDが売れなくなるので困る」団体からの要求を受けて、文化審議会著作権分科会法制問題小委員会なるものを発足し、iPodに課金をかけること検討している。現在、結論は見送りになっている。

 iTMSのようなことが、今度、テレビ番組などといった映像の世界でも起こるであろう。アメリカでは、ABC、Fox、NBCだけではなく、CBSやNBCなどの番組もiTMSで購入しiPodで見ることができる。日本でも今月、「PodTV」というiPod向け専門テレビ局ができた。番組そのもので料金を取るか、それとも「GyaO」のように番組は無料で提供し、広告で収益を得るか、どちらが主流になるか今後注目したい。

 最後に、今年起きたネットのことで印象深いのは、人工衛星からの映像をベースに、全地球上を鳥瞰することができるようになったということだ。NASAの「World Wind」もすごいが、Googleの「Google Earth」もまたすごい。これほどのものを、パソコンの画面で見ることができるということは、根本的ななにかが変わるということだろう。そのなにかというのは、まだよくわからないが。マウスでぐっとズームインすれば、東京の拙宅の辺りが見れて、そしてズームアウトすると宇宙空間に浮かぶ地球の姿が見えるというのは、自分の中の世界観のなにかが変わるような気がする。一台の小さなモバイルパソコンでも、そのディスプレイに全地球を映し出すことができる。これは、ネットとITの潜在的な可能性を感じさせてくれるものであった。この感覚が、既存のメディアにはない。

 少なくとも言えることは、今年は、巨大メディアの終わりの始まりの年になるだろう。

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December 23, 2005

なぜネットにシンクタンクを作らないのか

 20日の朝日新聞の記事に「動かぬ?政党シンクタンク」というのがあった。自民、民主党が進めようとしているシンクタンク構想が、カネがかかる、研究者が集まらない、そもそも、そんなもん必要ないではないか、ということであまり進展がないという。

 民主党のシンクタンクは設立記念シンポジウムについては、参加されたBigBangさんたちのブログの記事に詳しく書かれている。それらを読んで、正直に言って、なんかこー時代遅れなことをやっているような気がしてならなかった。結局、これなら朝日の記事にあったように、全然進展はなく、ただ単に「我が党はシンクタンク(みたいなもん)を作りました」でオワリになるのではないかと思う。朝日の記事によると、自民党のシンクタンクは設立だけして、研究は外部の民間機関に委託するという。では、なんで党のシンクタンクを作るのであろうか。民主党は、当面や学識経験者や官僚を集めて、定期的に勉強会やシンポジウムを開くという。あーそうなの。なんつーか、有権者にとってはどうでもいい話だ。

 シンクタンクというものについて、ある特定の人々、いわゆる学識経験者や議員や官僚なる人々を、ある特定の時間に、ある特定の場所(六本木ヒルズすか?)に集めてシンポジウムなるものをやる、そして、それをネット配信やウェブなどによって、一般市民の皆様がインターネットで見ることが可能ですよ、という発想そのものが時代遅れだと思う。ネット配信にしたって、スティーブ・ジョブスのスピーチなら見るけど、学者と議員センセイと役人のシンポジウム?誰がそんなもん見るかと思う。Podcastにして、iPodにダウンロードできても聴きたくもない。モーリー・ロバートソンのi-morleyの方が聴いていてずっとためになるもん。

 そもそも、学者や議員や官僚という、社会の大多数の人々とは、かけ離れたところにいる人々による、高尚でアカディミックな発表や「議論」(彼らは本当の意味での議論はしない)で、社会や経済のリアルな現状を捉えることができるのであろうか。むしろ、様々な実社会で働いている人々(いや、家庭の主婦だって、働いていない引きこもり君やニート君だって)のいろいろな意見の方がずっと価値があるのではないか。そうしたリアルな現場からの意見の集合体を、ただの2ちゃんねる的なネット世論にせず、そこから社会と政治のあるべき方向が生まれてくるプロセスを作り出すのが、これからの時代の政党の役割であろう。

 だからこそ、そのためには、政党がシンクタンクを作るのならば、ネット上に作るべきだと思う。政党は、もっと有権者のことを考えるべきである。政治に関心があるというと、今の世の中ではなんか老人ばっかりになるが、それは老人にはヒマがあるからである。隠居した老人であるならば、フルタイムで社会のこと、経済のこと、政治のことを考えることができるであろうが、30代、40代、50代で働いている者は、そんなことできるわけがないではないか。しかしながら、働いていても、帰宅後や休日だけでも、社会のことや政治のことを考える場や機会があれば、積極的に参加したいという人は多いのではないか。本来、「政治や経済や社会について会話する、議論する」ということが、まるであたかも学者や官僚だけの特権的な役割であって、フツーの庶民はそんなことはしない、できないというのが一般認識であった。しかしながら、そんなことはまったくない。むしろ、学者や官僚に、そうしたことを任せてきてきたのが間違いであった。彼らに任せると、我々市民から搾取することばかりで、ろくなことはない。

 実際のところ、シンポジウムそのものをネットで行うことは可能である。パワポを使ったプレゼンだろうとなんだろうと、自分のパソコン上で見ることができる。議論はフォーラム形式の電子会議室でやればいいし、お知らせもメーリングリストでできる。資料入手はダウンロードすればいい。なにも、ある特定の時間と場所に「集まって」行う必要はないのである。そうすれば、こっちだって、いつでも自分の都合に合わせて「参加」することができる。日曜日にスタバで、ノートPCを開いて「参加」することだってできる。

 もうひとつ重要なことは、ネットでならば、外国で生活をしている日本人も参加できるということだ。僕は、一時期、アメリカのサンノゼやオークランドなどで生活をしている日本人のコミニティのネットの運営の手伝いをしたことがある。このネットでの政治議論は、非常にレベルが高かった。彼らは国外で暮らしているため、日本と日本人を客観的に見ることができ、それを実際に体験している。こうした国外からの意見が、国内の社会に反映されれば、どれだけ良いだろうと思ったことが何度もある。学者や官僚なんかのシンポジウムより、海外に住む日本人の意見の方がずっと貴重である。

 政党は、もっとパソコンとネットを活用すべきだ。そして、ネットワークから考えるという視点が必要だ。政党がシンクタンクを持って、学者や議員や官僚が考えるのではない。ネットワークそのものがシンクタンク(シンクネット?)であり、社会のおのおのの現場の人々が考え、意見を発信していくのだ。そして、ネットには国境はない。国内の日本人も、国外の日本人も、あるいは在日外国人でも、さらに言えば日本人であろうとなかろうと、とりあえず日本語の読み書きができるのならば誰でも参加できて、政治や経済や社会のことについて会話するネットの場が必要なのだ。これができれば、従来のマスコミや政党政治は根底から変わる。

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