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May 2022

May 28, 2022

ブログの移行を考える

これまで「深夜のNews」をニフティのココログでやってきた。これからは自前でサーバを立てて、WordPressでブログを書いていくことを考えている。

この先もこのままココログでやっていても良いのであるが、今のココログはニフティがかろうじて運営しているものになっており、それなりのユーザ数があるから廃止したくても廃止できないのであろう。画面のレイアウトやフォントの大きななど自由に変えたいのであるが、そうしたことはできないようになっている。ユーザサポートもやっているのかやっていないのかよくわからない。その昔、SNSなどというものがまだ存在しておらず、ブログが流行っていた頃、ココログは使える機能が豊富だったし、ユーザサポートも充実していた。Amebaブログやライブドアブログ、はてなブログなどはサービスとして今でも継続しているし、その意味ではココログも老舗のブログサービスになる。しかしながら、ブログサービスのおすすめ人気ランキングを見てもココログの順位は低い。今は「文字を書く」よりも、動画配信がかつてのブログのように誰でも気軽るにできるようになった。ニフティはビジネスとしての将来性をブログに見ることはなく、ココログはもはや終わってしまった事業なのであろう。

WordPressでブログを書いていくことは、ブログサーバを運営していくことになる。WordPressにせよサーバ運営にせよ、新しい技術を学んでいかなくてならない。それなりにお金と作業が必要になる。ITとデータサイエンスと株式投資は、今の時代に学ぶべき知識と技術である。ITサービスは自分で使ってみなくてわからないことがあるし、株式投資の知識も自分でやっていなくては身につかない。

また、最近の情報管理ソフトのNotionを使って文章の整理ができないものかと思っている。自分で使ってみて試行錯誤をしていくことで、新しい知識と技術を学んでいくのである。

May 18, 2022

沖縄はなぜ変わらないのか

さる5月15日は、沖縄本土復帰50年の日であった。

沖縄はなぜ変わらないのか。なにが変わらないのかというと、沖縄が本土に復帰して50年たったが依然として沖縄には日本の在日米軍の約70%があるということについてである。

結論を先に述べると、その理由は二つある。ひとつ目は、本土の大多数の国民が沖縄の基地問題について無関心であるためだ。なぜ無関心なのか。沖縄以外の場所で暮らしている者たちにとって、関心がなくても十分に困らないからである。さらにロコツにいえば、沖縄に対して自分たちの同胞と思っていないからである。これはすなわち「差別」であるのだが、我が国の人々の特徴的なことは、「差別している」ことを「差別している」と意識していないということが挙げられる。

もうひとつは、沖縄返還時の日米交渉の中で沖縄に在日米軍が基地を継続して置き続け、アメリカの意思によって自由に使用され続けることが決定しているからである。この点において日本国に主権はまったくなく、いわば日本はアメリカの属国的な位置にある。

仮にここで極東の安全保障を保つために、沖縄に軍事基地が必要だとする。その軍事基地がアメリカ合衆国の軍隊であることが問題なのであって、日本国の軍隊であるのならば話は変わってくる。ただし、沖縄から在日米軍を取っ払うとなると、周辺国の軍事体制にも根本的な変更をもたらすことになり、実現の可能性は著しく低いであろう。さらに今のこの国でまっとうな軍隊を持てるのかというと現状では不可能である。となると、アメリカ軍を日本に駐留させ続ける以外に方法はないということになる。

現在、日米政府は沖縄のアメリカ海兵隊のグアム移転や嘉手納基地以南の土地の返還を検討している。実際のところアメリカ軍は必ずしも沖縄にいなくてはならないというわけではない。しかしながら、沖縄全土から在日米軍がいなくなることはないだろう。ようは、日本の安全保障の負担を沖縄は負っているという事実を日本本土の国民がきちんと意識する必要があるということである。もうひとつは、日米地位協定などといった沖縄というか日本はアメリカに対して従属的な構造の中にあることを変える必要がある。日本国内にアメリカ軍の基地があることはよしとして、日本国側が主体的な対応をとることができる、諸外国と比べて著しく高額な経済負担をしていることをやめるということが必要だ。

アメリカは中国の脅威から日本を守っている、ロシアの脅威から日本を守っているとよくいわれているが、アメリアの対中関係、対露関係に日本国は関係はない。日本は日本で対中関係、対露関係をやっていけばよいのである。

 

May 09, 2022

あっという間に5月になってしまった

今年もあっという間に5月になってしまった。ここでの前回の日付は去年の12月30日である。

実は、その後、ここに載せる文をそれなりに書いてはいたのであるが、どうもまとまらず。結局、ここに載せることのない書きかけ文がいくつかある。そのいくつかは手を入れてここに載せていきたいと思う。

今年の始まりは相変わらずのコロナ禍が続く中で始まり、2月にロシアはウクライナに侵攻し戦争が始まった。コロナ一辺倒だったメディアは、今はウクライナ報道が第一になりコロナは第二になった。

ウクライナについては、まさかロシアがこんなことをするとは思っていなかった。その予想は外れて戦争になった。思えば、イギリスのEU離脱もまさかそんなことをするとは思ってなかったが、この予想も外れた。私の予想はよく外れるというか、つまり「この時代にまさかそんなことをするとは思えない」と思っているのは私を含めた一部の者たちだけであって、当事者たちはそうは思っていないということなのであろう。

ロシアにすれば、隣の国、しかもロシア発祥の地でもあるキエフ大公国(ルーシ)を受け継ぐもう一つの国であるウクライナが、西側諸国の一員になりNATO加盟国として核ミサイルを自分たちに向けようとすることは断固として阻止しなくてはならないことなのであろう。しかし、その阻止を戦争という暴力を使って行わざるを得なかったのかどうかというと難しい。

もし仮にウクライナがNATO加盟国になったとしても、おいそれとはロシアにミサイルを撃ち込むことはできない。経済関係からすれば、ウクライナとロシアは「一体化」しているといっていいほどのボーダーレスな関係である。経済は「一体化」していて、国としては別個の独立した存在であるという21世紀の世界認識がロシアにない。ロシアは自国の国内の論理にこだわらなくては国の統一と維持ができないというのであるのならば、かつて大日本帝国がそうであったように、プーチン体制のロシアはやがて滅びるだろう。ただし、これもかつての我が国と同じく、滅びるといってもただ黙って静かに滅びるのではなく、プーチン体制のロシアは国際社会に様々な問題を起こしながら滅びていくということである。

このロシアのウクライナ侵攻について、鵺のようにとらえどころのない対応をしているのが中国である。これは極めて賢い対応である。このへんに中国の世界認識の巧みさがある。このロシアとウクライナの問題は宗教やイデオロギーも絡んだ、いわば身内どおしの争いであり、部外者は制裁にあまり深く関わらない方が良い。これは、ロシアに制裁をしてどうこうになることではないのである。日本は欧米の対ロ制裁と歩調を合わせ、反ロシアを大っぴらに表明している。これはロシアの隣の国として日ロ関係に良い結果をもたらさないであろう。

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