香港を考える
香港について、ぼんやりと考える。
1997年7月、香港は中国に返還された。返還された先の中国とは、中華人民共和国である。
もともと清朝の版図であった頃や大英帝国の領土だった時の香港の人々は、これほど自由や民主主義を唱える人々ではなかった。それがかくも自治の意識を持つようになったのは、今の中華人民共和国の政治スタイルのためではないだろうか。大清帝国も大英帝国も、香港に対しては、いわば「ゆるい」統治を行い、支配体制への直接的な反抗をしないのであるのならば、およそなにをしても関知しない支配だった。ところが、今の中国政府は香港を大陸中国に同質化させようとしている。香港がこれに抵抗するのは言うまでもない。
香港は、香港でなくなることに抵抗しているのである。思えばかつて大日本帝国は、日韓併合をして朝鮮の人々を無理矢理に皇民化させようとしたが、その同じようなことを大陸中国は香港に対してやろうとしている。日本を行ったこの誤りを、中国も繰り返そうとしている。
今の中国には、かつての清朝や大英帝国のような統治ができない。清朝は満州族が建国した帝国である。漢族とは異民族である彼らは、漢族の帝国であったそれ以前の中華帝国の資産を継承することについてこれを尊重し、清は漢族の文化の国でもあることに努めた。中国とは異質な文化の集合体であり、異質なものを異質なものとして受け入れ、なおかつ帝国としての統合性を保つことが、実は中国という広大な大地を統治することにおいて最も重要なことであることを、遊牧の異民族である彼らはよく知っていた。
今の中国がこうした統治形態をとることができない理由を簡単に一言で言うのならば、そもそも中華人民共和国という国の建国の理念にはそうしたことが入っていないからだ。習近平の言う中華民族の偉大な夢というビジョンは、かつての戦後日本の高度成長期の社会ビジョンとさほど変わることがない。
清朝の次の支配者である大英帝国については言うまでもない。極東の遠いアジアのことなどよくわからず、大英帝国の植民地の要であるインドと比べると、統治しているのかどうかもさだかでない極東の植民地が香港であった。
香港にはこの歴史的な「ゆるさ」がある。そして、今消えようとしているのが、この「ゆるさ」の中で育まれてきた様々なものだ。民主派は自由と民主主義という理念を求めるが、親中派は経済的安定と繁栄を求める。確かに理念だけでは、人々は生活をしていくことはできない。しかし、その一方で香港が香港でなくなり、大陸と同化してしまうことを望む香港人は大多数ではないだろう。
だからといって、香港にせよ台湾にせよ、民主派・反中国派の政治勢力が主流になってしまうのは危険である。民主派と親中派の双方がいるのが、あるべき姿であり、そのバランスの上に立って北京と対等に渡りあえる指導者が出てくるのが望ましい。香港は香港であるが、同時に中国の香港でもあることは否定できない事実なのである。
そのためには、反中でなければ親中でもない。民主主義の香港でありながら大陸との良好な関係を保つ「一国二制度」の本来のあるべき姿とは、このようなものであるという思想なりビジョンなり政策なりが必要なのである。それを作り出し得るかどうかに、今後の香港の行く末があるのだろう。
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