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June 23, 2019

香港の200万人デモ

 今月9日、香港で中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」の改正案に反対する大規模デモが香港で起きた。

 主催者側発表によると103万人が参加し、この時点で1997年の中国返還以後、最大の政府抗議デモになったのだが、さらに16日のデモは参加者200万人以上に達し、返還後のデモ最大規模の記録を更新した。21日現在、デモの要求は条例案の撤回であるが21日現在、「逃亡犯条例」の改正は延期はされたが撤回・廃案にはなっていない。数千人の学生らは市内の警察本部を包囲し、デモ隊は政府本部庁舎周辺の幹線道路や一部庁舎も占拠したという。デモは続いている。

 この返還後史上最大規模の香港市民の抵抗は、香港市民側が完全に勝利することで終わるかどうかは難しい。「逃亡犯条例」の改正案が完全に廃案になったわけではなく、鄭月娥行政長官が辞任するようなことにはなっていない。当然のことながら、香港は中国であり市民の意思が行政に反映されることはない。

 デモが要求している林鄭月娥行政長官の辞任は中国政府がそれを認めなくては通らない。北京は林鄭月娥が行政長官であり続けるとしているという。このへんが今後どうなるかであろう。北京政府は国内では当然のように行っているデモ鎮圧のための大規模な武力介入は、香港に対しては国際世論と台湾への悪影響になることはよくわかっているのであろう。

 今、香港は急速に「中国化」し続けている。このことに対して、香港の人々は香港がこれまでの香港でなくなることに対して抵抗の運動を掲げている。ただし、とここで考えてみたい。香港が中国になる、香港が今までの香港ではなくなるということは、1997年に香港が中国に返還された時に十分に予想できたことなのではないか。大局的に言えば香港は中国化から逃れることはできない。しかしながら、それでもやる、というのが今の香港の人々なのであろう。

 もともと香港は清朝中国の広東省の「いち地域」に過ぎなかった。清朝は1842年の南京条約と1860年の北京条約によって九竜半島の先端と香港島をイギリスに割譲した。さらに1898年に99年間イギリスが租借するということになった。この時代の通念では99年租借するということは、もはや永遠にイギリスの植民地になるということであった。大英帝国は香港を植民地としたわけであるが、香港のすべてを直轄統治したわけではなく、ある種、管理すべきところは強権を持って管理したが経済は自由放任であった。一方、大陸の側も1949年に中華人民共和国を建国した時、人民解放軍は深圳にまで来たが香港に侵攻することはなかった。ここで香港を取り戻すよりも、外貨の獲得や国際情報の収集、さらには国際世論を鑑みそのままにしておいたようだ。この点を見ても、北京政府は香港をどのように捉えているかがよくわかる。中国は香港を香港の利点を残しながら、長期的な時間をかけて中国に組み込もうとしている。

 そもそも今の返還後の香港の基本法は、北京の全人代が定めている。返還後の香港の「中国化」は避けることはできない。「一国二制度」は2047年で終了の期限になる。今や大陸の方が経済的にも強くて大きい。今の日本人に感覚からすれば「中国化」した方が経済的にいいじゃん、なにが不満なのという考え方になるだろう。

 しかしながら、それでも彼らは「自由」と「民主化」を求める。その理由のひとつとして今の香港人は香港人としてのアイデンティティーを持っていることが挙げられるだろう。返還時に海外に逃げることができた人々は出て行ったのであり、今の香港にいる人々は望むと望まざるとに関わらず香港にいる人たちだ。香港のことは香港人が決めるということなのだろう。

 今回、香港を考える上で岩波新書の倉田徹、張彧暋著「香港 中国と向き合う自由都市」を読んだ。この本は去年の7月にドキュメンタリー映画『乱世備忘 僕らの雨傘運動』を見た後で買って読んでみたのであるが、読み終わって「なるほど」で終わってしまって内容についてはまったくアタマに残らないままであった。

 再度読み直してみて内容がしっかりと理解できた。やはり本は何度も読まなくてならない本もあるものである。雨傘革命とはなんであったのかを考えることは、今回の香港のデモを理解する上でたいへん重要なことであった。さらに言えば、今の香港の姿を考えることは、返還後のこれまでの香港はどうであったのか、返還前のイギリス植民地時代、それ以前の清朝時代の香港はどうであったのかを考えることであった。まさに歴史はつながっている。

 岩波新書「香港 中国と向き合う自由都市」の中に以下の記載があった。学生団体「学民思潮」のメンバーの周庭さんは初めての来日後、フェイスブックにこう書き込んだという。周庭さんは日本でのスポークスマンとして今回のデモについて日本に来日をして積極的に発言をしている。

「日本はかなり完璧な民主政治の制度を持っているが、人々の政治参加の度合い、特に若者のそれはかなり低い。日本に来て、私は初めて本当の政治的無関心とは何かを知った。民主国家にあって、自身が自主的であることができる、自主的でなければならないと意識していないことは、いかに皮肉なことか。「民主=選挙制度というような単純な話ではない」と言う者もあるが、まさにその通りだ。いつか私たち(香港人)が民主を手にしても、あらゆる政治的選択を議員などの代理人に投げてしまうのでは、本当に意味のないことだ。」

 周庭さんが見たこの国の「完璧な民主政治」とは、第二次世界大戦での敗戦後のGHQの占領政策によってもたらされたものである。日本の戦後政治は国際政治の冷戦構造とアメリカの関与のもとでなされてきた。大多数の人々において、政治に無関心であっても総じてたいした問題はなかった。実際のところ問題はなかったわけではなく、表面下ではさまざまな問題が発生していたが経済的繁栄がそれらを巧みに覆い隠していた。

 民主主義国家とは国民がある程度の政治的関心を持つという不断の努力を必要とする。しかしながら、戦後日本においてそれがなされることはなかった。香港では200万人のデモが起こり、我が国ではそうした行動が起きないのはなぜか。それは香港では大陸中国という明確な「相手」がいるのに対して、今の我が国は状況が多重に構造化されており、なにが問題であるのか巧みに隠されているからである。本来、そうした構造を可視化し、問題の所在を述べるのがマスメディアの役割なのであるが、それがまったく機能していない。日本は香港と比べて国民の政治的自由や人権や生存権は憲法で保障されているのに、日本の大多数の人々は政治に無関心である。この人々の無関心さは、無関心になるように作られたものであるとも言えるだろう。しかしながら、1970年代以降、人々は政治に無関心になっていったということの背景には、政治に関心を持たなくても総じて世の中は十分に「良かった」からである。今の時代はこの先「どんどん悪くなる」状況なのだ。それでいて無知のままで良いわけがない。

 いわば香港の人々はこの先も抗うことができない「中国化」の中で、それでも香港の自治と自決であることを望むという意思を持ち行動をしていく人々であり、これに対して日本の人々はグローバル巨大資本の管理と政治権力の監視の下で、無知蒙昧のまま、資本が牛耳るメディアに踊らされながら、国全体としては衰退していくという姿になっている。

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