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January 14, 2018

内閣総理大臣平成30年年頭所感を読む

 安倍晋三さんは、内閣総理大臣平成30年年頭所感というものでこう書いている。

「本年は、明治維新から、150年の節目の年です。

 「高い志と熱意を持ち、
  より多くの人たちの心を動かすことができれば、
  どんなに弱い立場にある者でも、成し遂げることができる。」

 明治初期、わずか6歳で岩倉使節団に加わった津田梅子の言葉です。性別に関係なく個人の能力が活かされる米国社会に学び、帰国後、女子高等教育機関を立ち上げました。そして、その生涯を、日本人女性の可能性を開花させることに捧げました。

 150年前、明治日本の新たな国創りは、植民地支配の波がアジアに押し寄せる、その大きな危機感と共に、スタートしました。

 国難とも呼ぶべき危機を克服するため、近代化を一気に推し進める。その原動力となったのは、一人ひとりの日本人です。これまでの身分制を廃し、すべての日本人を従来の制度や慣習から解き放つ。あらゆる日本人の力を結集することで、日本は独立を守り抜きました。」

 このへん、なぜ明治日本の話から始まるのか、よくわからない。

 今から150年前の1868年は明治元年であり、「明治日本の新たな国創りは、植民地支配の波がアジアに押し寄せる、その大きな危機感と共に、スタートしました。」は、これはこれである意味において正しい。しかしながら、その後、植民地支配する側にまわったということについてはどう考えているのであろうか。

 「その原動力となったのは、一人ひとりの日本人です。これまでの身分制を廃し、すべての日本人を従来の制度や慣習から解き放つ。あらゆる日本人の力を結集することで、日本は独立を守り抜きました。」という箇所については、例によってなにを言っているのかさっぱりわからない。幕末期に日本が西欧の植民地にならなかったのは、倒幕をして明治日本になったからというよりも江戸期日本の経済・文化がしっかりしていたというのが正しい。

 実際のところ、当時、イギリスにせよフランスにせよ日本を植民地化する意図はなかった。江戸時代に発達した商業・産業社会は、幕末期に外国からやってきた人々にとって驚嘆すべき高度なものであったことは、渡辺京二の『逝きし世の面影』を持ち出すまでもなく、今日ではよく知られていることである。

 あの時代、「植民地支配の波がアジアに押し寄せる、その大きな危機感」とは、明治日本の新たな国創りをしようという意識ではなく尊皇攘夷の意識があったからである。明治日本は、できるべくしてできたものではない。幕末から明治維新に至る過程は一本道ではなく単純ではない。

 「あらゆる日本人の力を結集する」についてはウソとしかいいようがない。明治維新以後、明治10年の西南戦争に至るまで、日本各地で数多くの士族の反乱があった。明治23年の帝国議会開設に至るまで、これも日本各地で自由民権運動の事件が相次いで起きた。これらのことはなかったことにしたいのであろう。

 明治日本・大日本帝国が、国民国家としての日本国になったのは明治27年の日清戦争以後である。そして何度も言うが、日清戦争はどうみても他国への侵略であり、西欧諸国の脅威からの独立戦争ではない。

 つまり、明治日本のオモテ側は安倍晋三さんがいうように「日本は独立を守り抜きました」であったかもしれないが、そのウラ側には「西洋と同じくアジア諸国を侵略する国になりました」ということが不可分の出来事として存在している。この歴史は、きちんと受け止めなくてはならない。

 本年は、明治維新から150年になるというのなら、本年は大正7年・1918年、シベリア出兵から100年の年なのである。なぜ日本はこの年、わざわざシベリアにまで出兵したのか。平成30年年頭所感は、この日本の近代史に汚点として残る出来事を深く反省するという一文があってしかるべきであると思うのであるが。

 さらに安倍晋三さんはこう言っている。

「6年前、日本には、未来への悲観論ばかりがあふれていました。

 しかし、この5年間のアベノミクスによって、名目GDPは11%以上成長し過去最高を更新しました。生産年齢人口が390万人減る中でも、雇用は185万人増えました。いまや、女性の就業率は、25歳以上の全ての世代で、米国を上回っています。

 有効求人倍率は、47全ての都道府県で1倍を超え、景気回復の温かい風は地方にも広がりつつあります。あの高度成長期にも為しえなかったことが、実現しています。」

 これももう、なにをタワゴトを言っているのであろうか。名目GDPは確かに11%増えたが、この増加分には消費税が上がった分も含まれているという指摘が出ている。

 また、去年の10月の日経新聞によると「実質GDPの増減率(実質成長率)でみると、第2次安倍政権は年平均1.4%にすぎない。旧民主党政権では年1.6%だった。」という。この年頭所感は、数字で何とでも言えることを言っているだけなのである。しかしながら、実体は、この5年間のアベノミクスによって、日本経済はますます悪くなりました、というのが正しい。

 今年もまたこの国は、この人物が総理大臣をやっている国が続く。思えば、アメリカもまたあの人物が合衆国大統領をやっている。これらのことを思うと、私はますます沈痛な気持ちになるのである。

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