どこが「全く受け入れることはできない」のか
1月12日の産経新聞によると
「安倍晋三首相は12日、慰安婦問題に関する平成27年12月の日韓合意をめぐり、韓国の文在寅大統領が被害者への謝罪などを要求していることについて「韓国側が一方的にさらなる措置を求めることは、全く受け入れることはできない」と明言した。首相官邸で記者団に語った。韓国が合意をめぐる新方針を発表後、首相が公式に受け入れ拒否を表明したのは初めて。」という。
この慰安婦に関する日韓合意をめぐる韓国政府の新方針とは、どのようなものであったのかというと、2015年の合意では、慰安婦問題を本当に解決することはできない。今後も日本政府は被害者の名誉と尊厳の回復と心の傷の癒やしに向けた努力を続けてくれることを期待する。しかしながら、その一方で、2015年の合意は両国間の公式合意だったということだ。従って、この2015年の合意についての破棄や再交渉は求めないというものだ。
これに対して、日本政府の対応は「日本側にさらなる措置を求めることは全く受け入れられず、協議にも応じられない」というものである。
ようするに、慰安婦の被害者への対応などというものはしない。2015年の合意は、日本政府は今後一切、慰安婦の被害者への対応などというものはしないという合意であったはずだ、としているのである。
このへんは、つまり、そもそも安倍自民政府は慰安婦問題などというものはないものとしているからであり、慰安婦問題などというものに関わりたくないとしているからだ。そうでありながら、韓国は何度も何度もしつこく言ってくるので、2015年の合意をもって、これを最後に今後一切言ってくるんじゃねえぞと決めた、としているからであろう。
しかしながら、そんなことが通るはずがない。1993年の河野談話の中の以下は、極めて大きな説得力を持つ。
「慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。」
この「多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」ということについて日本政府はどう対応するんですか、ということだ。文在寅大統領は「日韓合意で慰安婦問題は解決できない」として、慰安婦への「心からの謝罪」を求めている。
これはまったくその通りであり、これのどこが「全く受け入れることはできない」のかさっぱりわからない。ようするに、安倍自民政府やネトウヨ一派は、朝鮮半島で日本の皇軍や日本人は悪いことは一切していないと盲信しているからであろう。
逆から言えば、これを「受け入れる」ことが日本国家の尊厳なり、威信なり、愛国心なり、メンツなり、etc etcのどこがどう傷がつくのか私にはさっぱりわからない。その程度のレベルの低い国家意識しかないのであろう。
かつて、イギリスは世界の各地で、アフリカの人々や中東の人々やアジアの人々などに、数多くの悪逆非道のことを行ってきた。それらは、今の歴史書にきちんと記載されている。そして現代のイギリスは、過去にそうしたことがあったことはあったこととして認めているが、それにより大英帝国の威信はいささかなりとも傷つくことはない。帝国というものは、そういうものなのである。
その意味でいうのならば、日本は大日本帝国などどいう名称を掲げながらも、その内実は帝国のレベルには至っていなかったということであり、その「帝国」が滅びて70年たった後の日本人たちも、いまだに帝国とはなんであるのかがよくわからないレベルのままになっている。
安倍晋三さんは「日韓合意は国と国との約束で、これを守ることは国際的かつ普遍的な原則だ」と言っているが、2015年の日韓合意は国際条約などといった形式のものではない。また、いわゆる「国と国との約束」を守らないことは、例えばTPPはアメリカはオバマ政権で参加するとしながら、トランプに政権が変わると参加をしないということになった。しかしながら、安倍晋三さんはアメリカに向かって「TPP参加を守ることは、国際的かつ普遍的な原則だ」とは言わないのである。また、安倍晋三さんは「日本側は約束したことは全て誠意をもって実行している」と言っているが、その「誠意」が感じられないと韓国側は言っているのだ。そうであるのならば、韓国側が「誠意」と感じることができる「誠意」を実行するのが「誠意をもって実行する」ということなのではないだろうか。
文在寅大統領は10日、青瓦台で開いた新年の記者会見でこう述べたという。
「文大統領は「日本が心をこめて謝罪してこそ(被害者の)おばあさんたちも日本を許すことができ、それが完全な慰安婦問題の解決だと思う」と指摘。その上で「政府が被害者を排除し、条件と条件をやり取りして解決できる問題ではない」として、「前政権で両国政府が条件をやり取りする方法で被害者を排除し、解決を図ったこと自体が間違った方法だった」と強調した。また、「従来の合意を破棄し、再交渉を求めて解決できる問題ではない」との考えを示した。」
これはまったく正しい考えだ。慰安婦問題は解決した、合意を守れだけを繰り返す日本政府と、慰安婦の被害者への「心からの謝罪」を求める韓国政府、人としてどちらが正しいかは明白である。
よしんば、今回の合意について韓国側に非があったとしても、その非を咎め、国交断絶をちらつかせるのではなく、非は非であるとしながらも、韓国と国際社会が納得し得るまで外交を続けていくのが、かつて朝鮮半島を統治した国としての懐の深さと度量の大きさであろう。
イギリスは大英帝国の植民地国に対して、今でもかつての統治国としての責任感を持っているが、この国は朝鮮半島のかつての統治国としての責任感とか歴史観を持ちあわせていない。この国は、アメリカやロシアのような大国にはへつらい、中国・北朝鮮にはアメリカからの恫喝や武力を頼み、韓国のような小国にはひたすら尊大に威張る、という恥ずかしい国になっている。
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