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January 2018

January 20, 2018

どこが「全く受け入れることはできない」のか

 1月12日の産経新聞によると

「安倍晋三首相は12日、慰安婦問題に関する平成27年12月の日韓合意をめぐり、韓国の文在寅大統領が被害者への謝罪などを要求していることについて「韓国側が一方的にさらなる措置を求めることは、全く受け入れることはできない」と明言した。首相官邸で記者団に語った。韓国が合意をめぐる新方針を発表後、首相が公式に受け入れ拒否を表明したのは初めて。」という。

 この慰安婦に関する日韓合意をめぐる韓国政府の新方針とは、どのようなものであったのかというと、2015年の合意では、慰安婦問題を本当に解決することはできない。今後も日本政府は被害者の名誉と尊厳の回復と心の傷の癒やしに向けた努力を続けてくれることを期待する。しかしながら、その一方で、2015年の合意は両国間の公式合意だったということだ。従って、この2015年の合意についての破棄や再交渉は求めないというものだ。

 これに対して、日本政府の対応は「日本側にさらなる措置を求めることは全く受け入れられず、協議にも応じられない」というものである。

 ようするに、慰安婦の被害者への対応などというものはしない。2015年の合意は、日本政府は今後一切、慰安婦の被害者への対応などというものはしないという合意であったはずだ、としているのである。

 このへんは、つまり、そもそも安倍自民政府は慰安婦問題などというものはないものとしているからであり、慰安婦問題などというものに関わりたくないとしているからだ。そうでありながら、韓国は何度も何度もしつこく言ってくるので、2015年の合意をもって、これを最後に今後一切言ってくるんじゃねえぞと決めた、としているからであろう。

 しかしながら、そんなことが通るはずがない。1993年の河野談話の中の以下は、極めて大きな説得力を持つ。

 「慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。」

 この「多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」ということについて日本政府はどう対応するんですか、ということだ。文在寅大統領は「日韓合意で慰安婦問題は解決できない」として、慰安婦への「心からの謝罪」を求めている。

 これはまったくその通りであり、これのどこが「全く受け入れることはできない」のかさっぱりわからない。ようするに、安倍自民政府やネトウヨ一派は、朝鮮半島で日本の皇軍や日本人は悪いことは一切していないと盲信しているからであろう。

 逆から言えば、これを「受け入れる」ことが日本国家の尊厳なり、威信なり、愛国心なり、メンツなり、etc etcのどこがどう傷がつくのか私にはさっぱりわからない。その程度のレベルの低い国家意識しかないのであろう。

 かつて、イギリスは世界の各地で、アフリカの人々や中東の人々やアジアの人々などに、数多くの悪逆非道のことを行ってきた。それらは、今の歴史書にきちんと記載されている。そして現代のイギリスは、過去にそうしたことがあったことはあったこととして認めているが、それにより大英帝国の威信はいささかなりとも傷つくことはない。帝国というものは、そういうものなのである。

 その意味でいうのならば、日本は大日本帝国などどいう名称を掲げながらも、その内実は帝国のレベルには至っていなかったということであり、その「帝国」が滅びて70年たった後の日本人たちも、いまだに帝国とはなんであるのかがよくわからないレベルのままになっている。

 安倍晋三さんは「日韓合意は国と国との約束で、これを守ることは国際的かつ普遍的な原則だ」と言っているが、2015年の日韓合意は国際条約などといった形式のものではない。また、いわゆる「国と国との約束」を守らないことは、例えばTPPはアメリカはオバマ政権で参加するとしながら、トランプに政権が変わると参加をしないということになった。しかしながら、安倍晋三さんはアメリカに向かって「TPP参加を守ることは、国際的かつ普遍的な原則だ」とは言わないのである。また、安倍晋三さんは「日本側は約束したことは全て誠意をもって実行している」と言っているが、その「誠意」が感じられないと韓国側は言っているのだ。そうであるのならば、韓国側が「誠意」と感じることができる「誠意」を実行するのが「誠意をもって実行する」ということなのではないだろうか。

 文在寅大統領は10日、青瓦台で開いた新年の記者会見でこう述べたという。

「文大統領は「日本が心をこめて謝罪してこそ(被害者の)おばあさんたちも日本を許すことができ、それが完全な慰安婦問題の解決だと思う」と指摘。その上で「政府が被害者を排除し、条件と条件をやり取りして解決できる問題ではない」として、「前政権で両国政府が条件をやり取りする方法で被害者を排除し、解決を図ったこと自体が間違った方法だった」と強調した。また、「従来の合意を破棄し、再交渉を求めて解決できる問題ではない」との考えを示した。」

 これはまったく正しい考えだ。慰安婦問題は解決した、合意を守れだけを繰り返す日本政府と、慰安婦の被害者への「心からの謝罪」を求める韓国政府、人としてどちらが正しいかは明白である。

 よしんば、今回の合意について韓国側に非があったとしても、その非を咎め、国交断絶をちらつかせるのではなく、非は非であるとしながらも、韓国と国際社会が納得し得るまで外交を続けていくのが、かつて朝鮮半島を統治した国としての懐の深さと度量の大きさであろう。

 イギリスは大英帝国の植民地国に対して、今でもかつての統治国としての責任感を持っているが、この国は朝鮮半島のかつての統治国としての責任感とか歴史観を持ちあわせていない。この国は、アメリカやロシアのような大国にはへつらい、中国・北朝鮮にはアメリカからの恫喝や武力を頼み、韓国のような小国にはひたすら尊大に威張る、という恥ずかしい国になっている。

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January 14, 2018

内閣総理大臣平成30年年頭所感を読む

 安倍晋三さんは、内閣総理大臣平成30年年頭所感というものでこう書いている。

「本年は、明治維新から、150年の節目の年です。

 「高い志と熱意を持ち、
  より多くの人たちの心を動かすことができれば、
  どんなに弱い立場にある者でも、成し遂げることができる。」

 明治初期、わずか6歳で岩倉使節団に加わった津田梅子の言葉です。性別に関係なく個人の能力が活かされる米国社会に学び、帰国後、女子高等教育機関を立ち上げました。そして、その生涯を、日本人女性の可能性を開花させることに捧げました。

 150年前、明治日本の新たな国創りは、植民地支配の波がアジアに押し寄せる、その大きな危機感と共に、スタートしました。

 国難とも呼ぶべき危機を克服するため、近代化を一気に推し進める。その原動力となったのは、一人ひとりの日本人です。これまでの身分制を廃し、すべての日本人を従来の制度や慣習から解き放つ。あらゆる日本人の力を結集することで、日本は独立を守り抜きました。」

 このへん、なぜ明治日本の話から始まるのか、よくわからない。

 今から150年前の1868年は明治元年であり、「明治日本の新たな国創りは、植民地支配の波がアジアに押し寄せる、その大きな危機感と共に、スタートしました。」は、これはこれである意味において正しい。しかしながら、その後、植民地支配する側にまわったということについてはどう考えているのであろうか。

 「その原動力となったのは、一人ひとりの日本人です。これまでの身分制を廃し、すべての日本人を従来の制度や慣習から解き放つ。あらゆる日本人の力を結集することで、日本は独立を守り抜きました。」という箇所については、例によってなにを言っているのかさっぱりわからない。幕末期に日本が西欧の植民地にならなかったのは、倒幕をして明治日本になったからというよりも江戸期日本の経済・文化がしっかりしていたというのが正しい。

 実際のところ、当時、イギリスにせよフランスにせよ日本を植民地化する意図はなかった。江戸時代に発達した商業・産業社会は、幕末期に外国からやってきた人々にとって驚嘆すべき高度なものであったことは、渡辺京二の『逝きし世の面影』を持ち出すまでもなく、今日ではよく知られていることである。

 あの時代、「植民地支配の波がアジアに押し寄せる、その大きな危機感」とは、明治日本の新たな国創りをしようという意識ではなく尊皇攘夷の意識があったからである。明治日本は、できるべくしてできたものではない。幕末から明治維新に至る過程は一本道ではなく単純ではない。

 「あらゆる日本人の力を結集する」についてはウソとしかいいようがない。明治維新以後、明治10年の西南戦争に至るまで、日本各地で数多くの士族の反乱があった。明治23年の帝国議会開設に至るまで、これも日本各地で自由民権運動の事件が相次いで起きた。これらのことはなかったことにしたいのであろう。

 明治日本・大日本帝国が、国民国家としての日本国になったのは明治27年の日清戦争以後である。そして何度も言うが、日清戦争はどうみても他国への侵略であり、西欧諸国の脅威からの独立戦争ではない。

 つまり、明治日本のオモテ側は安倍晋三さんがいうように「日本は独立を守り抜きました」であったかもしれないが、そのウラ側には「西洋と同じくアジア諸国を侵略する国になりました」ということが不可分の出来事として存在している。この歴史は、きちんと受け止めなくてはならない。

 本年は、明治維新から150年になるというのなら、本年は大正7年・1918年、シベリア出兵から100年の年なのである。なぜ日本はこの年、わざわざシベリアにまで出兵したのか。平成30年年頭所感は、この日本の近代史に汚点として残る出来事を深く反省するという一文があってしかるべきであると思うのであるが。

 さらに安倍晋三さんはこう言っている。

「6年前、日本には、未来への悲観論ばかりがあふれていました。

 しかし、この5年間のアベノミクスによって、名目GDPは11%以上成長し過去最高を更新しました。生産年齢人口が390万人減る中でも、雇用は185万人増えました。いまや、女性の就業率は、25歳以上の全ての世代で、米国を上回っています。

 有効求人倍率は、47全ての都道府県で1倍を超え、景気回復の温かい風は地方にも広がりつつあります。あの高度成長期にも為しえなかったことが、実現しています。」

 これももう、なにをタワゴトを言っているのであろうか。名目GDPは確かに11%増えたが、この増加分には消費税が上がった分も含まれているという指摘が出ている。

 また、去年の10月の日経新聞によると「実質GDPの増減率(実質成長率)でみると、第2次安倍政権は年平均1.4%にすぎない。旧民主党政権では年1.6%だった。」という。この年頭所感は、数字で何とでも言えることを言っているだけなのである。しかしながら、実体は、この5年間のアベノミクスによって、日本経済はますます悪くなりました、というのが正しい。

 今年もまたこの国は、この人物が総理大臣をやっている国が続く。思えば、アメリカもまたあの人物が合衆国大統領をやっている。これらのことを思うと、私はますます沈痛な気持ちになるのである。

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January 06, 2018

Social DemocracyではなくSaving Capitalism

 BS1スペシャル「欲望の資本主義2018~闇の力が目覚める時~」を見た。

 番組の中でいくつか印象深いものがあったが、そのひとつは資本主義ではなく民主社会主義を標榜する運動がアメリカで高まっているということだ。

 この番組は、あたかも資本主義は悪であるという見方をしている。確かに、バーニー・サンダースは民主社会主義(democratic socialism)であることを述べていた。しかし、今の資本主義の姿を見てアンチ資本主義を言うのには私には違和感がある。産業革命のイギリスに生まれた資本主義は悪であった時期もあるが、すべてそうだったわけではない。

 ロバート・ライシュにせよジョセフ・E・スティグリッツにせよ、今の資本主義の姿は間違っていると説いているが、だからといって社会主義にせよと言っているのではない。今の資本主義は、資本主義本来の姿ではなく、本来の資本主義とは21世紀の今の我々が思っている社会主義のようなものを大きく持っていたのである。労働者の権利や賃金について述べることは社会主義なのではない。そもそも資本主義にはそうしたものがあったのである。

 ロバート・ライシュは著書"Saving Capitalism"の冒頭でこう書いている。

"Simultaneously, centers of countervailing power that between the 1930s and late 1970s enabled America’s middle and lower-middle classes to exert their own influence - labor unions, small businesses, small investors, and political parties anchored at the local and state levels - have withered. The consequence has been a market organized by those with great wealth for the purpose of further enhancing their wealth."

「同時に、1930年代から1970年代後半にかけて、対抗勢力の中心としてアメリカの中間層や下位中間層が影響力を行使することを可能にしてきた労働組合や中小企業、小口投資家、地域や州レベルの政党といった組織などが弱体化し、その結果、財産をさらに強化する目的で富裕層が組織した市場が生まれた。」

 つまり、労働組合や中小企業、小口投資家、地域や州レベルの政党といった組織などが、おのおの独立した個別の見解なり意見なりを持っていたのであり、そうしたものの統合体として民主主義社会が形成されていたのである。本来、資本主義社会であっても労働者の賃金や雇用や健康など保証する制度なり法律なり仕組みなりがあるようにしてきたのである。何度も言うが、それがかつての資本主義社会であったのだ。

 しかしながら、いつしかそうしたものは不要で非効率なものと見なされ、なくなっていった。労働者への賃金を上げれば、労働者はものを買う、ものが売れれば企業は利益を得る、企業は利益を税金として社会に納め、設備に投資し、労働者により多くの賃金を支払う、労働者への賃金を上げれば、労働者はものを買う・・・・以下、このくり返し、このくり返しが続くというサイクルがあればよいのだ。景気の原理とはただこれだけのことであり、シンプルなことなのだ。アメリカでも日本でも戦後の時代にあったのはこの良いサイクルであり、今はないのがこのサイクルなのである。何度も言うが、これだけでいい。

 ではなぜこの良いサイクルがなくなったのかと言えば、お金を労働者の賃金や設備投資というカタチで回すことをかつての時代と比べしなくなったからである。企業は儲けたお金を労働者への賃金や設備投資に回すのではなく、投資家への配当や金融商品の購入に回しているからだ。これは企業だけではない。国もまた税収を教育や福祉や医療に回すのではなく、企業の減税や補助金などに回している。

 結局のところ、国民が公務員や金持ちをしっかりと監視しなくては、公務員や金持ちは自分たちに有利なことだけをやるようになるという、これもまた至極当然の当たり前のことなのである。この当たり前のことを、日本で言えば1980年代頃からしなくなった、できなくなった、ということなのである。

 ということは、国民が公務員や金持ちをしっかりと監視することをし直し、一般人が主体である民主主義を復活させ、かつての資本主義が持っていた労働者の賃金や雇用や健康など保証する制度なり法律なり仕組みなりを、今の時代の基準に照らし合わせて、改めるべきところは改め、足りないことは新たに作成することをしていなかなくてはならない、ということなのである。つまりは、これも至極まっとうな、本来の民主主義に戻りましょうということだ。

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