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August 2017

August 27, 2017

シャーロッツビルの白人至上主義集会での衝突事件

 アメリカのバージニア州シャーロッツビルで極右集団と反対派との衝突で死傷者が出た事件について考えてみたい。

 もともとアメリカ南部のバージニア州シャーロッツビルでは、南北戦争の南部軍ロバート・E・リー将軍の像の撤去をめぐって、今年の4月からKKKなどの白人史上主義者たちが抗議集会を開き、それに対して抗議をする人々との間で何度も衝突が起きていたという。今月の12日、その衝突がついに死傷者を出す事件になってしまった。

 シャーロッツビルのリー将軍の像というのは、たとえば上野公園にある西郷さんの像のようなものであろうか。

 上野公園にある西郷像は、設置当時その是非をめぐってもめた。しかしながら、西郷の像を建てるということは、西郷自身のことを思って崇め奉るということではなく、西郷を葬った後の明治政府の国内統治にとって意味のあることなのであった。敗軍の将である西郷隆盛の像を建てるということもって、反体制側を「取り込む」という政治的な意味がある。明治政府にとっては、反政府暴動が起きては困ることであり、その政治的偶像であった西郷を反乱者として歴史の闇に葬り去るよりも、維新の功労者として西郷の功績を広く世間にアピールした方が社会の安定をもたらすという計算があったのだろう。

 ただし、政府は西郷の像を建てたが、その姿は陸軍大将の正装ではなく平民が普段着で散歩をしているような姿である。また当然のことながら、靖国神社には薩摩軍側は祭られていない。このへんに明治政府のホンネがあった。

 西南戦争から140年たった今日、かりに西郷さんの像が上野公園から撤去されたとしても、それにより鹿児島県の人たちが薩摩士族至上主義の集会を開くことはないだろう。西南戦争は、歴史の中のひとつの出来事である。

 この「シャーロッツビルで起きた白人至上主義者と反対派の衝突事件を受け、奴隷制度存続を訴えた南北戦争時の南軍兵士像を撤去する動きが米各地で広がる中、米ニューヨークでは、米大陸を“発見”したコロンブスの像も、撤去の議論に上がっている。」「米国ではコロンブスを英雄視する声がある一方、先住民の土地を奪い、虐殺したなどとして歴史的評価が割れている。」という。

 この手の話をしていくときりがなくなる。北米先住民は旧石器時代の後期頃、アジア大陸からやってきた人々である。この時、地続きのベーリング海峡経由でやってきた者たちや太平洋の海の島々や北西部海岸を伝ってきた者たちが、北米大陸でおのおの独自に暮らし、また時には争っていた可能性があることが最近の研究でわかってきている。

 確かに、15世紀頃から北米大陸にやってきたヨーロッパ人が先住民を虐殺していったのは事実であるが、そもそも論で言えば、更新世のほ乳類動物であるマストドンやオオナマケモノやスミロドンなどから見れば、彼らが暮らしていた北米大陸にやってきた人類そのものが「侵略者」であった。

 そう考えてみると、南軍の将軍の像やコロンブスの像を撤去すればそれでいい話ではない。むしろ、歴史物としてそのままそこにあって良いのではないかと思う。むしろこれらの像は、自分たちの国が過去になにをしてきたのかということについて考えさせてくれるシンボルである。(その意味において、韓国の従軍慰安婦像や徴用工の像はあってもよいと思う。だが、それを日本の領事館の前に置くというのは違う話になる。

 置く側はこれで倭奴を反省させると思っているのならば、置かれた側は嫌がらせ以外のなにものでもないと感じるだけであり、その目的にまったく合っていない。実際のところ、今の韓国での従軍慰安婦像を置くことは、そうしたことをまったく考えていない人たちがやっている。)

 ナニナニ人がこの世で一番優れていると心の中で思うことはあってもよいと思う。そう思いながら生きていくことは、その人、個人の価値観である。しかしながら、その価値観を他人に強制することはできない。

 なぜヘイトは許容されないのかというと、ヘイトすることを許容することは自分たちもまたヘイトをされる側になることを許容することになるからである。アメリカの白人至上主義者や日本の在日朝鮮差別者は、自分たちが差別される側になることはないと思っているからやっているのである。人は人種や民族を選んで生まれてきたわけではない。人種や民族に対してのヘイトは意味を持たない。殺人をやっていいという自由はないように、ヘイトには表現の自由はない。誰もがヘイトをすることをしてはならないし、誰もがヘイトされることがあってはならない。その社会の大多数を構成する人々の価値観と異なる価値観を他者に強要すると社会から拒絶される。

 いや、白人至上主義者にせよ在日朝鮮差別者にせよ、自分たち白人や日本人が差別されている。非白人や非日本人は優遇され、特権が認められている。自分たち白人や日本人は差別されているではないかということが仮に事実であったとしても(在日特権というものは存在していない)、だからヘイトをするというのはおかしな話である。差別をされているというのであるのならば、差別をなくそうとすることが必要なのであり、差別に差別で対抗しても差別の解決にはならない。

 この出来事に対して、為政者が行うべきことはただのひとつである。ヘイトは認められないということだ。このことを毅然と明確に述べなくてはならない。「白人至上主義者は出て行け」と述べたバージニア州のテリー・マコーリフ州知事のスピーチは、社会の分断という危機に対する危機管理として見事であり、為政者として正しい姿であった。

 ところが、トランプ大統領はヘイトをあたかも容認したかのような発言をしている。もちろん、「ヘイトを容認する」と言ったわけではないが、きちんとヘイトを否定する発言をしないということは、聞く側は容認されたと感じるであろう。トランプは、自分の発言にはそうした意図はなく、そういうふうに解釈するマスコミが悪いとしているが、どう見てもトランプの発言により、これまでは社会的に存在が許されなかったヘイトという行為、その行為を行うネオナチやKKK、白人至上主義者などを許容する雰囲気が広がってしまっている。

 さらに、25日、トランプ大統領は「不法移民に対する人種差別的な取り締まりで有罪宣告を受けた西部アリゾナ州の元保安官ジョー・アルパイオ被告(85)に恩赦を与えた。」という。もはやトランプのホンネは白人至上主義であり、ヘイトを容認することであると言えるだろう。合衆国大統領が、である。

 トランプが大統領に就任した時から、こうしたことになるのはわかっていたことであり、現実にそうなった。

August 26, 2017

「アメリカ・ファースト」ではなくなろうとするトランプ政権

 トランプ政権は、アフガニスタンに4千人規模の増派をするとしている。

 アフガニスタン戦争は、ブッシュ・ジュニアが始めた戦争だった。公式の戦争の理由は、アフガニスタンを支配せていたタリバンがオサマ・ビンラディンの身柄を匿ったためというものでる。では、特殊部隊を使ってオサマ・ビンラディンをすでに殺害した現在、戦争を続ける理由はなんなのであろうか。

 トランプは、選挙期間中、オバマのイラクやアフガニスタンからの撤退政策が結果的にISの出現と台頭を招いたものとして批判をしていた。そして、アメリカは中東からの撤退をしないかのようなことを言っていた。トランプはアメリカの直接利益にならない派兵はしないと言い、その一方でアメリカの威信を低下させないとして中東に介入し続けるとしていた。このへん、大きな矛盾がある。大きな矛盾があるのであるが、トランプが大統領になってしまった。

 現代の戦争は、国の正規の軍隊だけが行うのではなく民間の軍事会社も行う。4千人規模の正規軍が投入されるとして、さらに民間軍事会社が傭兵が投入されるであろう。当然のことながら、その会社への支払いをするのは国である。アフガニスタンをどうこうするということではなく、こうした傭兵専門の民間軍事会社も含めた軍産複合体の利益がアフガニスタン戦争の目的になっている。だからこそ、オバマは、アフガニスタンをどうこうするということではなく、きっぱりとアフガニスタンから撤退することにしたのである。悪事に対して、明確にこれを遮断する以外に対策方法はないとしたのである。

 この(軍産複合体にとっては良いことであるが、アメリカ国民にとっては)悪事が、さらに続行されようとしている。

 中東への介入について、カネの面では反対であり、威信の面では介入を続行したがっていた(しかし、ホンネでは反対であった)トランプの側近中の側近であり、オルタナ右翼の首席戦略官バノンは、はっきりとアフガニスタン派兵には反対であった。バノンは中東への介入も北朝鮮への介入も反対であり、バノンの「アメリカ・ファースト」がトランプ政権の「アメリカ・ファースト」であると言ってもいい。

 このバノンが更迭され、トランプ政権から去っていった。今のトランプ政権の国防長官のジェームズ・マティス、国家安全保障補佐官のハーバート・マクマスター、大統領首席補佐官のジョン・ケリーの3人はみな退役もしくは現役の軍人である。今のトランプ政権は、異様な軍人政権になってしまった。

 何度も強調して恐縮であるが、アフガニスタンをどうこうしようというきちんとした政策なり方針なりがあるわけではない。彼らにとって重要なのは、とにかくアフガニスタンに軍事介入し「続ける」ということが重要なのである。軍産複合体の利益が重要なのであって、アフガニスタンに平和と秩序をもたらすとかいうことはどうでもよいことなのだ。かくてアメリカの意味のないアフガニスタン戦争は続いていくのである。

 これは北朝鮮についても同様である。北朝鮮への介入に反対していたバノンを更迭したということは、北朝鮮の危機を煽ることが軍産複合体にとっての利益になるからだ。ただし、北朝鮮の危機について重要なことは、本当の戦争状態に突入しないようにするということである。アメリカが北朝鮮へ直接的な軍事行動をとった場合、北朝鮮は韓国を攻撃するであろう。少なくとも、ソウルは戦場になる可能性が高い。日本への攻撃も起こり得る。中国とロシアも軍事行動をとる可能性はある。東アジアで戦争が起こることは、世界経済にとって好ましいことではない。

 従って、北朝鮮の脅威を煽り、北朝鮮への制裁活動を行いつつ、しかしながら、北朝鮮問題は一向に改善しないというのが最も望ましいということになる。特にアメリカはアフガニスタン介入をやめることはしないため、その分、北朝鮮への対応は片手間になり続ける。つまり、北朝鮮問題はこの先、なにがどう解決することはなく、このままで「北朝鮮の脅威」状態だけが続いていく。

 このことは、日本の軍事企業にとっても望ましいことになる。東京新聞によると、「防衛省は二〇一八年度予算の概算要求で五兆二千五百五十一億円を盛り込む方針を固めた。一七年度当初予算は五兆一千二百五十一億円で過去最大の要求額。」とのことである。

 北朝鮮問題が解決しないのは、このように国際政治や軍事といったこととは別のファクターがあるためいつまでたっても解決しないのだ。いわば、この「別のファクター」にとっては解決してもらっては困るのである。今、この国は北朝鮮のミサイルとやらのことで変わりつつある。ありもしない北朝鮮の脅威を煽り続けてきた者たちにとっては喜ばしいことなのであろう。

 しかしながら、戦争は公共事業であり、経済成長になるという考え方はもうやめるべきだ。本来、国家予算(というか、正しくはこれは国民の税金である)は、軍事ではなくもっと生産的な消費や投資などに使うべきものであり、軍事運用に多額の予算を使うことは、結局は長期的に見て経済成長の低下になるのである。

August 20, 2017

森友・加計学園、北朝鮮

 いわゆる、森友・加計学園の新設に関しての忖度疑惑について、北朝鮮の情勢が緊迫しているのに、こんな些細なことで大騒ぎすべきではない、というような声が産経やネトウヨ一派から聞こえている。

 しかしながら、これは大きな問題なのである。

 森友・加計学園についての出来事を問題視しているのは、安倍晋三さんを糾弾したり、安倍政権の退陣を要求しているのではない。いわゆる反安倍だからなのではない。

 つまるところ、有力政治家の知り合いであれば、役人が忖度をして法規制の運用を融通してくれる。しかも、そのことについての記録や書類は全く残さない、証言台に立っても記憶はない、覚えていない、問題はないと言う。

 森友・加計学園問題を「こんな些細なこと」と言っている人たちは、社会常識も節度もモラルも倫理も遵法意識もない。物事を正しくきちんとやろうという意識も意思もない。あるべき政治の姿を追求しよう模索していこうという理念はなく、間違ったことでも容認するという人々である。

 なぜ、行政の意思決定の公文書がきちんと残っていなくてよいのであろうか。森友・加計学園についての出来事が問題なのは反安倍だからではなく、日本国国家の存立に関わることだからなのである。これを左翼メディアによる反安倍運動かのようにしか考えることができないということが、すでに一般的な社会常識や社会通念が欠落しているのである。

 こうした人々が、国民感情で大統領を罷免し、国家間の合意で決定されたことを蒸し返す韓国は法治国家ではないと言っているのはおかしな話だ。森友・加計学園問題を「こんな些細なこと」とするのは、自分たちの国・日本は法治国家でなくていいと言っているのである。

 それでは、彼らが重大事と称する北朝鮮についてはどうであろうか。これについてもまたお話にならないレベルなのだ。

 本当にアメリカと戦争をするつもりであるのならば、事前にどこどこにミサイルを撃つぞ、撃つぞと言って戦争を始めるわけがなく、常識で考えても実際に撃つわけではないことがわかる。かつて、この国がアメリカのハワイ真珠湾を奇襲攻撃した時、徹底的に情報を管理して行った。その国が今や北朝鮮の虚言に右往左往しているのを見ると、戦前にはあった一般的な軍事常識がなくなってしまったのであろう。

 事前にどこどこを攻めると言うなどということは、一目見ただけでたんなる脅し、ブラフ(はったり)である。

 しかるに、ミサイルが上空を通過すると指定があったということで、島根、広島、高知や愛媛の地対空誘導弾パトリオットを配置するというのは、政府の「国防をやっています」を見せるためであり、防衛省が地上配備型イージスの導入や対ステルス機レーダー試作に196億円の予算を要求するというのは、この機会に乗じての予算獲得でしかない。

 北朝鮮がどうこうするから憲法改正が必要だと言っている人は、本気で北朝鮮がどうこうすると思っているのならばただの無知蒙昧であり、あるいは、北朝鮮がどうこうするという状況を演出して、憲法を改正したいという政治的な魂胆があると思って良い。

 産経新聞によると、「小野寺五典防衛相が国会で、北朝鮮が米軍基地のあるグアム島を弾道ミサイルで攻撃した場合、集団的自衛権の行使が許される「存立危機事態」に該当する可能性があるとの見解を示した。グアム攻撃によって米軍の打撃力が損なわれれば、日本防衛にも支障がでるとの判断からだ。国民を守り抜くうえで極めて妥当な認識である。安全保障関連法は、国民の生命、自由などが「根底から覆される明白な危険がある事態」を、存立危機事態と位置づけている。」という。

 具体的に日本がなにをどうするのか。そういったことはまったく決められていない。ただ単に、産経やネトウヨ一派が喜ぶ雰囲気だけが生まれている。

 この雰囲気で、日本がアメリカの戦争に巻き込まれていく。これが新安保でもっとも危惧されたことであり、今回はそうならないようであるが、この先において危惧されたとおりのままで自体は進展していくことが、これでよくわかるのであろう。

 北朝鮮がどうこうよりも、この方がもっと問題なのである。


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