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May 2017

May 20, 2017

共謀罪が採決された

 昨日の19日、共謀罪の採決が衆院法務委員会で強行されたという。

 国が衰退していく時、時の政府は、どうでもいいことや、やらなくていいことをやり、本当にやるべきこと、やらなくてはならないことはやらない。

 「共謀罪」が一般国民を捜査対象とするのか、しないのか、が問題なのではない。なにをもって「一般国民」とするのか、しないのかが明確になっていないのが問題なのである。

 これは「組織的犯罪集団」を取り締まるという法律ではなく、なにが「組織的犯罪集団」になるのかは明確にせず取り締まるという法律である。なにが「組織的犯罪集団」になるのかは、取り締まる側の解釈で決まる。だからこれほど揉めている。

 本来、なにが「組織的犯罪集団」になるのかは法律で決まる。公に公開されている法律で決まるから、取り締まる側も取り締まられる側も法を元に犯罪の有無を決定されるのである。ところが「共謀罪」では、なにが犯罪になるのか明確になっていない、取り締まる側の判断でどうにでもなるという法律である。

 こういう法律がなぜ成立されようとしているのか、さっぱりわからない。さらにわからないのが、なぜ大多数の人々は、自分たちは「共謀罪」と関係ないと思えるのだろうかということである。カードやスマホの使用記録やネットの書き込み、監視カメラのデータなど、現代の社会では我々は様々なところで記録されている。そうした個人データと、いわゆる「組織的犯罪集団」の可能性とが結びつく可能性は極めて高い。少なくとも、絶対にないとは言えない状況になっている。自分個人がなにをどう思っていようと、「一般国民」とは見なされないことが、もしかしたらあるかもしれないという懸念を持つという一般常識がないのであろうか。

 また「共謀罪」について、日本国内での外国人のテロ対策がどうこうと言っているが、日本の公安はイスラム過激派について、例えば言語ひとつをとってみてもアラビア語やベンガル語などでテロ犯罪の計画を分析・調査する能力がない。国際的な情報収集機能を持っていない。あくまでも、日本人テロリスト集団に対して捜査能力を持っている組織である。もし国際的なテロリストへの対応を本気でしようとするのならば、それ相応の根本的な組織変革が必要なのであるが、それまでやる気がないらしい。であるのあらば、なぜ「共謀罪」が成立すればテロ対策は万全であるのかのような雰囲気になるのであろうか。

 これは、新安保条約とよく似ている。自衛隊の装備や組織の根本的な改革をしなくては、とてもではないが外国と戦う軍隊にならないのであるが、そういうことはせず集団的自衛権があればそれでいいみたいなことになった。「共謀罪」も同じであり、「共謀罪」が成立すればテロ対策ができるというわけではない。ところが、新安保は中国・北朝鮮の脅威への対策のためである、「共謀罪」はテロ対策のためであるという根本的に間違った認識がまかり通っている。「共謀罪」はテロ対策のためのものであるかのような話は、今になってとってつけた話であり、テロ対策にもなんにもならない。今、本当にやらなくてはならないことは、他に山のようにある。こんな法律を作っている場合ではないのだ。

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May 14, 2017

国連が「慰安婦」日韓合意見直しを勧告した

 昨日の13日の産経新聞の産経抄。韓国の文在寅大統領は11日の安倍首相との電話会談で、慰安婦問題をめぐる日韓合意について「国民の大多数が、心情的に合意を受け入れられないのが現実だ」と言ったことについてこう書いている。

「自国民の感情を、どうして他国が無条件に尊重すると思い込めるのか。それが国と国との公の約束より重いという発想は、どこから来るのか。」

 ここまではっきと、こうしたことを臆面もなく述べるということに驚いた。いかにも産経らしいというか。大日本帝国は滅び日韓併合がなくなってから70年たったというのに、なぜこうしたことを韓国に対してまだ言っているのであろうか。

 二つ理由があるであろう。

 ひとつめは、日本はかつて朝鮮を植民地にしたという歴史がある、ということである。なぜ侵略をした側の国の政府は、侵略をされた側の国民の感情を尊重することをしないのだろうか、ということである。

 この、他国の人々の感情を、尊重とまではいかなくても「知る」ということが日本人は不慣れである。大日本帝国の朝鮮統治は、朝鮮社会の多額の国家予算を投入して、インフラを整備し、殖産興業を行い、教育や医療を充実させた。その一方で、朝鮮の人々の感情においては、徹底的に逆撫でをし、恨みを買うことをやってきたと言わざるを得ない。一例を挙げれば、日本は朝鮮総督府を李氏朝鮮の王宮である景福宮の敷地に置き、光化門を(破壊するつもりであったが、日本の文化人らからの反対運動があり北へ)移築した。このことは李氏朝鮮から長く続いてきた景福宮の景観を変えることなり、朝鮮の人々の心情に屈辱感となってその後も長く残った。こうしたことが、GHQによるアメリカの占領から70年たっても、まだ、というか、2000年代以降、さらに強く対米従属を続けている日本人には理解ができていない。

 上記の産経抄の文を、戦前風に書けば、なぜ日本が朝鮮人の感情を尊重しなくてはならないのか、ということであり、朝鮮人の感情など尊重しない、と言っているのである。ここに、大日本帝国の朝鮮統治の思想と同じものが如実に表れている。本来、他民族の社会を統治するには、その人々の心情を巧みに操作する必要がある。なるべく恨みを買わないように統治しなくてはならない。そうした高度な他民族統治の能力を日本は歴史的に持っていない。

 ふたつめは、国民の大多数が心情的に受け入れられない「合意」をなぜしたのか、ということである。国民の大多数が心情的に受け入れられない「合意」であるのならば、政府は変更すべきではないのか。

 国民の心情などというものよりも、国の公の方が重いものという考え方そのものが、極めて日本的な特殊なものであることがなぜわからないのであろうか。

 さらに言えば、この従軍慰安婦の日韓合意は、韓国の国民の大多数は受け入れていないことは十分にわかっていた。もちろん合意を認めたのは韓国政府であるが、こうなることを知っていながら日本側はなぜ通したのであろうか。

 ここで、戦後日本のアジア諸国への戦争賠償の政策ついて考えたい。

 戦争の賠償は、その国の民間組織や国民に対して行うのではなく、その国や政府に対して行うのが日本の基本姿勢であった。インドネシアにも、フィリピンにも、ベトナムにも、ミャンマーにも、そうしてきた。このていで、乗り切ってきたのである。

 ところが韓国の場合は、これで終わりにはならなかった。朝鮮は高麗王朝以来、古代からの文明国であり、14世紀から20世紀に至る李氏朝鮮の文化伝統と国民気質をもった国は、植民地として統治するのにも困難が伴ったが、独立後もそう簡単に過去の恨を忘れる国ではなかった。李氏朝鮮の時代、宗主国である中国の中華秩序は、中国よりも強固で絶対的な朝鮮のイデオロギーであり続けた。このため、東の夷である日本に従わざる得なかったことは、歴史的な屈辱感として民族の記憶に深く根付いている。

 朝鮮にとって日本への恨みは、他のアジア諸国とは別種のものであるとさえ言ってもよいだろう。日本側から見れば、他のアジア諸国はそれなりに戦争の「謝罪」を受け入れてくれたのに、朝鮮(韓国)だけは、そうはなってくれないということになる。

 日本の嫌韓の人々にとって、韓国は手に負えない国、国交断絶すべき国、消えて欲しい国であると思っているのは上記の理由による。ちなみに、中国における反日感情は、朝鮮(韓国)におけるそれとは歴史的に違うものであるが、ここでは中国については触れない。

 そして産経抄は、最後にこうしめくくる。

「「韓国にはやっぱり、民主主義は無理なんだよ」。かつてある政府高官が漏らしたセリフである。」

 ようするに産経新聞というか、保守メディアやネトウヨ一派は「韓国にはやっぱり、民主主義は無理なんだよ」なのである。このへん、戦前の朝鮮差別の心情となんら変わっていない。今回の朴槿恵政権を退陣に追い込んだのは、その是非はともかくとして、今の韓国は十分に(民主主義すぎるほど)民主主義であったと思うのであるが、こうした人々はそうは思わないらしい。

 民主主義が無理な状態になっているのは、今の日本である。明治の自由民権運動は国権主義に変わっていったし、大正デモクラシーの政党政治も、結局は世界恐慌による経済不況の中で消滅してしまった。そして、戦後、GHQの指導による民主主義が行われた。それも70年で形骸化してしまった。民主主義社会が、民主主義社会であるためには、憲法の文言がどうこうではなく、民主主義社会であろうとする人々の意思と行為が必要なのである。王権を打破し、革命によって民主主義になった国の国民はこのことを知っている。それがこの国にはない。日本には民主主義は無理なのかもしれない。

 産経の黒田記者は、13日の紙面のコラム「ソウルからヨボセヨ」でこう書いている。

「最近の朝鮮半島をめぐる軍事的緊張に関連し「日本では子供でもこんな雰囲気です」と知らせてきたのだが、韓国とのあまりの違いにうならされた。韓国の子供にはそんな雰囲気はまったくなかったからだ。日本で子供までも戦争を心配しているのは、日本ではテレビを中心にマスコミが今にも戦争が起きるかのように“危機”をあおったせいだと思う。

 万一に備えるのが国の安全保障であり危機管理は最悪の場合を考えるものではある。しかし戦争は地震と違って人為的なものだから一定の情報や経験、分析で「起きるか? 起きないか?」はある程度分かる。とくに長く「北の脅威」にさらされてきた当事者の韓国人は経験的に判断する。」

 このように、黒田記者は北朝鮮がどうのこうのと騒いではいない韓国の姿は当然だとしている。そして、日本について「日本人は逆にその経験がないから慌てふためくということかもしれない」と書いている。まったくその通りだ。

 案の定というか、当然というか、慰安婦問題をめぐる日韓合意について、国連の人権条約に基づく拷問禁止委員会は被害者への補償などが不十分として合意の見直しを勧告する報告書を発表した。日韓両政府に対して「被害者の補償と名誉回復が行われるように尽力すべきだ」と強調しているという。

 産経新聞はこれを「誤った情報に基づく勧告に日本政府は強い不快感を示している。」と書いている。このように、国連が日本について至極当然でまっとうなことを言うと、常に「誤った情報に基づいている」というのが今の劣化した保守の常套文句である。外国は日本について間違った認識をしている。コレコレの情報が伝わっていない。国際社会に事実を伝え、抗議も含め対処すべきである、というのがおきまりのパターンだ。他国の歴史や文化を学ばない。他民族の心情を理解しようとしないのである。

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May 02, 2017

第二次世界大戦で作られた国際秩序の終わり

 『ニューズウィーク日本版』(2017年5月2日号)の「特集:国際情勢10大リスク」は、なかなか興味深いものであった。ニューズウィークは(TIME誌もそうであるが)カバーストーリーがいつもページ数が少なく、内容も物足りないのであるが、今回の特集記事はそれなりに読み応えのある記事ばかりであった。

 その中でも特に考えさせられたのが、ニューズウィークのコラムニストで元CIA諜報員であったというグレン・カールのコラム「国際機関に終わりの日が迫る」(End of The Postwar order)だ。「第二次大戦の経験が生んだ米国主導の多国間主義は中国の台頭やポピュリズムによって機能不全に」なったとするコラムである。これは極めて重要なことだ。こういうことがニューズウィークのような国際誌に堂々と載るようになった。それほど、これは進展しているということであり、誰もが漠然とではあるが確かに感じていることなのだろう。第二次世界大戦で作られた国際秩序(The Postwar order)が今、本当に崩れ始めているということである。

 以下、このコラムの概要をまとめてみたい。

 このコラムでは、今日の経済と政治システムの在り方が定められたのは、第二次世界大戦が終わろうとしていた1944年に、ブレトンウッズ会議で決められたブレトンウッズ体制と、ダンバートン・オークス会議で決められた、後にサンフランシスコ会議で採択される国連憲章になる「ダンバートン・オークス提案」であるとしている。

 ブレトンウッズとダンバートン・オークスで生まれた戦後体制は、次の3つの概念的・構造的支柱から成り立っていたという。

 第一は、国際的な政治問題の解決に取り組む国際システムの構築である。これは、1945年に設立された国際連合のことだ。国連の国連憲章や世界人権宣言は、国家間の問題を解決するルールとして機能してきたという。

 第二は、国際的な経済問題を解決すべくIMFや世界銀行、WTO(世界貿易機関)の前身となる組織を創設したことである。これらの組織の目的は、貿易と経済成長の促進であり、その手段として関税や貿易に関する国際ルールを形成し、通貨安定を通じた経済成長を奨励してきたとしている。

 第三は、このコラムはこう書いている。「ダンバートン・オークス会議やブレトンウッズ会議に集まった首脳は、共有する政治・社会哲学の基盤の上に新たな国際秩序を打ち立てようとした。主権国家、国際法の支配、人権を柱とする秩序だ。」

 このコラムでは、こうした試みが(それなりの)成功を収めてきたのは、国連の「ポリスパワー」にあったとしている。国連は加盟国に、必要とあれば安全保障理事会の決議によって武力を行使できるということである。実質的には、戦後の超大国であるアメリカが「世界の警察」の役割を果たしてきた。

 この戦後体制が、もはや機能していない。国連もWTOも世界銀行も国際法も、多くの国々は従わない。アメリカは「世界の警察」の役割を自ら辞退するようになった。このコラムはこう書いている。「アメリカでも他の国々でも、今や国際機関を敵視する勢力が力を増やしている。ドナルド・トランプ米大統領は国連などへの拠出金削減を唱え、地球温暖化対策の新しい枠組みであるパリ協定など、多国間協定から離脱すると主張する。同様に、フランスの極右政党・国民戦線のマリーヌ・ルペン党首や、イギリス独立党(UKIP)のナイジェル・ファラージュ元党首は「自国第一」を訴えて幅広い支持を得ている。」

 シリア難民を受け入れているメルケル首相への反感も、ドイツ国内では高まっている。もはや人々は、国家間で協力して物事を解決していこうということをしなくなったと言えるだろう。

 なぜ、こうなってしまったのだろうか。このコラムでは、従来の国際機関が相対的に衰退している要因は、次の3つであるとしている。

 一つめは、ブレトンウッズ会議とダンバートン・オークス会議が開催された1944年以降、150以上もの主権国家が誕生したことである。世界にこれだけの数多くの主権国家が増え、各国が自国の利益を主張するため、アメリカが国際機関、あるいはアメリカ自国の意向に基づいて秩序を守ることは飛躍的に困難になった。

 二つめは、中国が超大国に変貌したことである。コラムはこう書いている。「国際機関や国際条約は、超大国の同意なくしては機能しない。15年に採択されたパリ協定は、米中がそろって批准したことで発効に弾みがついた。とはいえ合意が得られない場合もある。例えば南シナ海問題では、中国は国際法にもオランダ・ハーグの国際仲裁裁判所の決定にも従おうとしない。44年当時の世界秩序に基づく今の国際機関は、経済や政治、軍事力の現状をもはや反映していない。」

 三つめは、戦後の経済システム、つまりグローバリゼーションの成功が敵意を招き、システム崩壊の危機に陥ろうとしている現状があることである。コラムはこう書いている。「各地でポピュリズムが盛り上がり、グローバル化が推進する価値観を拒絶する傾向が強まり、自らの直接的な主権が及ばない場所でなされた決定に反感を募らせる人々は増えている。ポピュリズムはナショナリズムにつながり、ナショナリズムは国際機関の影響力をむしばむ。このままでは、世界は地域ごとに分割され、列強がそれぞれ影響圏と貿易圏を率いる形に再構成されそうだ。」

 結論として、これからの世界は「ブロック化」すると言う。

「アジア地域でカギを握るのは、もちろん中国だ。中国はこれからも、南シナ海問題に見られるように、多国間の取り決めを拒否して伝統的な2国間協定を選択するのか。そうであるのなら、アメリカが中国と直接対決しない限り、アジアは中国が覇権を握る経済ブロックに化すだろう。
中東では、アメリカに対抗するロシアやイランが影響力を拡大している。そのせいでシリア内戦、イラク、グルド人問題などの危機の解決に当たって、国際機関が持つ意味は薄れるばかり。国際協定の瓦解や国家対立が膨らんでいる。」

「地域内で、あるいは2国間で貿易協定を結ぶ動きは今後も続く。世界規模での経済統合は鈍化または停止し、保護主義が台頭し、世界経済の成長率は失速して生活水準は下がるだろう。」

「その先に待つのは、より地域的でより貧しい世界。変化の速度がより遅く、これまでよりもゆがんだ世界だ。」

 そして、このコラムの作者はブレトンウッズを歩き、300年前にこの一帯に暮らしていて、今はいない先住民アナベキ族のことを思う。彼らが不変だと信じたこの世界は、新しくこの地へやってきた人々によって滅ぼされたことを思いながら、最後にこう書いている。「73年前に形作られた国際体制と組織も、新たな時代の中で滅びの時を迎えようとしている。」と。

 以上がこのコラムの概要である。以下、このコラムについて私の考えを述べたい。

 まず、今の経済と政治システムのあり方が定められたのは、ブレトンウッズ体制とダンバートン・オークス提案であるとしていることは理解はできるが、さらに言えばブレトンウッズ体制による固定為替相場制は1971年のいわゆるニクソンショックにより変動相場制に変換された。この変化は20世紀末に起こる金融革命とでもいうべき金融の大規模な変革をもたらした要因の大きなひとつである。つまり、戦後の経済のあり方がブレトンウッズ体制にあるというのであるのならば、20世紀末においてすでに崩壊していた。この時点で、もはや国際的なあるひとつの秩序が金融を管理するスタイルではなくなった。金融の世界では、アメリカ中心ではなくなっていたのである。

 一方、ダンバートン・オークス提案についてであるが、実際のところは、こうした国際的な理念は第二次世界大戦ではなく、その前の第一次世界大戦の後から生まれていた。第一次世界大戦のような巨大規模の戦争を二度と起こさないように、アメリカのウッドロウ・ウィルソンは十四か条の平和原則を発表し、国際的な平和維持機構の設立を提唱した。この平和原則が、敗戦国であるドイツに対する講和条約の前提となり、1919年のパリ講和会議では連盟設立が取り上げられ、ここから国際連盟が発足した。つまり、主権国家、国際法の支配、人権を柱とする政治・社会哲学と国際秩序の構築は、第二次世界大戦後ではなく、第一次世界大戦後においてすでに試みられていたのである。しかしながら、それでも第二次世界大戦は起こり、再度の試みとして構築されたのが第二次世界大戦後の国際秩序であった。

 では、第二次世界大戦後の国際秩序は、約70年間、なぜとりあえずは機能していたのかというと、三つの理由があると思う。ひとつめは、核兵器の存在である。二つめは、グローバル経済の発展である。三つめは、地球規模の交通と情報通信の発達である。

 しかしながら、このコラムでも述べられているように、主権国家の数が増えた今日では、国際社会の利害調整は困難なものになっている。国連は国際紛争の解決はできず。WTOや世界銀行が言う経済成長は、先進国に有利な経済成長でしかなかった。これまでも、アメリカとソ連は国際法に従わないことはたびたびあった。それが可能だったのは、言うまでもなくアメリカとソ連は超大国だったからである。今ここに新たに中国という超大国が出現し、国際法に従わないようになった。そうなると、もはや国際法は「法」としての機能を果たせなくなってしまった。

 アメリカは依然として世界最強の核攻撃力を持つ国であるが、そのアメリカの影響力が通じないようになった。もはや核兵器を持つことが、国際社会で強い影響力を持つことではなくなっている。さらに経済はグローバルにリンケージしているため、戦争をすると世界経済に膨大なダメージを与えるようになった。そう簡単に、戦争ができるようにはならなくなったのである。

 情報テクノロジーの進歩が、インターネットを出現させたことも大きい。いまや既存のメディアの管理にされない独立したメディアを、一般の個人やグループや市民が持つことができる。トランプにせよ、ルペンにせよ、あるいはイタリアの五つ星運動にしても、みなネットを積極的、戦略的に使用している。もともとアメリカの軍事テクノロジーとして誕生したインターネットを全人類に普及させようとした者たちの理念は、ネットにより人々が地球市民の意識を持つことであった。しかし、今日の現状は、過激な宗教集団や排他的ナショナリズムや民族主義者の団体の有効な情報ツールとして使われている。

 このままの状態が続けば、グローバリゼーション支持派や富裕層もまたブロック化するであろう。これからの国際社会は分断し、分断したままであろうとするであろう。しかし、分断状態ではどちらもやがて衰退していくであろう。

 以上をまとめると、アメリカンヘゲモニーの衰退とは、第二次世界大戦後の国際機関の衰退であり、それは第二次世界大戦後の国際秩序の崩壊であり、それは第二次世界大戦後の政治・社会哲学の衰退なのであった、ということである。この流れを否定することは、もはやできないであろう。しかしながら、これからの時代は、世界はブロック化するといっても、今の経済の実体はワールドワイドにリンケージされている。保護主義、自国第一主義で国を閉ざして、自国内部だけで完結した経済などできない。

 従って、ブロック化をするのならば、そうしたグローバルにリンケージされた経済が、いわば基盤のようなものとしてあり、その上でブロック化する、グローバリゼーションとローカリゼーションが多重構造化した政治・社会哲学の構築が必要なのであり、そうした観点で社会と経済を捉えることができる国際組織のようなものの設立が必要なのであろう。

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May 01, 2017

北朝鮮のミサイル「実験」で東京の地下鉄は止まる

 29日の早朝、ラジオを聴いていたら、突然、北朝鮮がミサイルを発射したというニュースがあった。最初は、アメリカがとうとう北朝鮮にミサイル攻撃をしたのかと思った。

 北朝鮮がミサイルを発射するということは、いわば当たり前のことである。わざわざ臨時ニュースのように報道をするのは、アメリカがミサイルを撃ったということなのであろうと思っていたからだ。だが、北朝鮮がミサイルを発射したということを知って、はああ?と思った。

 何度も書くが、北朝鮮がこの先もミサイル発射をするのは当たり前のことであり、驚くことでもなんでもない。トランプが発射をやめよと警告をした。アメリカがそう言っているのだから、北朝鮮はミサイル発射はやめるであろうとでも言うのであろうか。

 29日の早朝のミサイル発射は、平安南道から発射され、空中で爆発したとのことである。このことにより、東京メトロは全線で一時運転を見合わせたという。今後も北朝鮮がミサイルを発射すると、東京の地下鉄は止まるのであろうか。

 北朝鮮から日本に向けてミサイルを発射すれば、今回のように空中で爆発するか、日本海のどこか落ちるだけである。何度も書いているが、そもそもミサイルというものは、どこどこの場所に何時何分何秒にコレコレの破壊規模で着弾しなくては兵器として使いものにならない。ミサイルはミサイル本体とともに、これを制御する技術が重要なのであり、北朝鮮にはその技術がない。ただ爆弾をつけたロケットを、どこどこの方角に向かって発射しました、では戦争にはならない。

 軍事兵器は、ひとつのシステムである。北朝鮮のミサイルは、システムとして使い物にならない。今だ実戦で使えるようなシロモノではない。戦前の大日本帝国は、第一次世界大戦以後の総力戦の戦争ができる資源と工業力を持つ国ではないため、もはや現代戦争はできなくなったという真実をひた隠してきた。今の北朝鮮も同様である。アメリカは、あと5年から10年以内にアメリカ本土に到達するICBMを北朝鮮は保有すると述べているようであるが、あと5年なり10年なりが、これまでのペースで成長するとは限らない。何度も言うが、国にそれなりの巨大な産業と高度な技術力があって、その上に軍隊はある。北朝鮮という国は、とてもではないが戦争ができる国ではない。

 その「とてもではないが戦争ができる国ではない」北朝鮮を、ここまで追い込んだ原因はアメリカと中国にある。このことの認識がまずなければらない。

 東京新聞の記事によると、東京メトロでの一時運転の見合わせについて、在日三世の経営者の人が「東京で地下鉄を止めるなんて、過剰に反応しすぎだ」「北朝鮮がやっていることはもちろん問題だが、日本政府や行政が過剰な恐怖心をあおっているのも問題だ」と話したという。その通りである。

 29日の産経新聞に、以下の記事があった。

「フィリピンのドゥテルテ大統領は29日、東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議後の記者会見で、同日深夜に予定している米国のトランプ大統領との電話会談で、「北朝鮮の指導者の術中にはまらないよう忠告するつもりだ」と述べた。

 ドゥテルテ氏は、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長について、「ただ単にこの世界を終わらせたいと思っているだけだ」と指摘。核戦争が起きれば東南アジアにも被害が及ぶとし、戦争を防ぐには「米国が慎重で我慢強くいられるかにかかっている」と述べた。」

 フィリピンの大統領は、日本の総理大臣よりもずっとまともな正しいことを言っている。アメリカにものを言うというのはこういうことを言うのであり、ただアメリカに追従するということではない。また、ロシアのラブロフ外相は「米国がシリアのようなことをしないことを願っている」と述べたという。北朝鮮にはミサイルを撃つなといい、自分たちはミサイルを撃つというアメリカの言っていることは矛盾している。

 北朝鮮をこんな国にしたもうひとつの当事国である中国は、かつての朝鮮戦争の時のように北朝鮮に強行介入するつもりはまったくない。中国にとって、北朝鮮問題を解決させることは、国際社会への極めて重要なアピールになり、アジアの覇権国として認められるのであるが、習近平にはそのつもりはないようである。習近平にとって最大の課題は、国外的にはアメリカとの良好な関係であり、国内的には最高権力者としての権力の集中である。朝鮮戦争についての中国共産党政府の責任を、今の中国はきれいさっぱりに忘れている。

 そもそも、朝鮮戦争はなぜ起きたのか。なぜ朝鮮半島は二つの国に分割されたのか。なぜ北朝鮮は「ああいう国」になってしまったのか。そこから考えることをしなくてならないはずであるのに、どのマスコミもそうしたことをしない。そして日本は、かつて朝鮮を植民地とし、戦後は朝鮮戦争の特需景気で高度成長をなしえたことを思えば、北朝鮮について、ただ脅威を煽るだけではない対応があるはずである。

 北朝鮮を威嚇するためにアメリカの空母が朝鮮半島近海を航行し、米軍と韓国軍が共同訓練を行うなどといったことは、これまで何度もある通常の姿であり、「緊張が高まる」とか「有事が起こる危険性がある」とかいったことではない。韓国の地下鉄は、テロの危機の心構えを映像等で流すことはあるが、ミサイル発射で電車を止めたことはないとのことである。

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