「自国第一主義」では経済はよくならない
23日のフランスの大統領選の第1回投票の結果で、独立系のエマニュエル・マクロン前経済相と、極右、国民戦線のマリーヌ・ルペン党首が決選投票進出を決めたという。
マクロンはEU支持であり、ルペンはトランプと同じく「自国第一主義」を掲げている。
しかしながら、ルペンが言うフランス第一主義のイメージは、かつてド・ゴールが言ったフランス第一主義とは大きく異なる。今のこの時代の、いわゆる「自国第一主義」とは、そもそもなんであろうか。
以下、実際はもっと複雑であるのだが、ここでは単純なものとして考えてみたい。
例えば、トランプは労働者が失業しているのは、自動車工場がメキシコへ移転したためである。工場が外国へ行くのはよろしくないとしている。しかし、自動車工場は好きでメキシコに移転するのではない。そこには理由がある。メキシコでは人件費が安くなるため、メキシコの工場で自動車を生産すれば、それだけ安い価格で販売できるのである。自動車をアメリカで販売する際にも、価格を安くすることができる。つまり、アメリカの消費者は、自国で生産するよりも安い価格で購入することができるのだ。これは、アメリカの消費者の利益ではないのだろうか。
いやいや、「消費者だけ」という人間はいない。労働をしてお金を得て、そのお金で商品を購入するのである。消費者である前に労働者なのである。消費よりも雇用を考えなくてはならない、というのは確かにその通りだ。
では、自動車工場の労働者は、自動車工場の労働者でしかあり得ないのであろうか。ここで、政治なり行政なりの手腕が問われる。他の業種の仕事で働く、あるいは、自動車のメンテナンスや、交通インフラの整備・管理などは「メキシコにある工場」にはできないことである。そうしたサービス産業、つまりは脱工業社会になることで、かつて自動車工場で働いていた労働者は、新しい雇用の場を持つことができる。工業の外国移転によって、国内産業が空洞化するか、しないかは、そうした産業構造の転換をやるか、やらないのか、という話なのである。
必要なことは、自動車会社が工場を国外に移転させないようにすることではない。むしろ、外国で生産できるものは、積極的に外国へ移転するようにさせることだ。自国の経済がグローバルになればなるほど、外国と深く関わっていくということであり、それが自国の安全保障を高めることなのである。
そうして、自国の企業が外国へ出て行った時、国内の雇用をどうするのかを考えるのが政治家や官僚たちの役目なのである。ところが、今、アメリカやヨーロッパのいわゆるアンチ・グローバリゼーションが言っていることは、自国の企業を外国に出さない、ということだ。まったくの真逆のことを言っているのだ。これはつまり「自国の企業が外国へ出て行った時、国内の雇用をどうするのか」、その対応がまったくわからないと言っているのである。
だが脱工業化社会へ転換しなくては、この先の先進国の未来はないことは、1980年代から言われ続けてきたことだ。政治家や官僚は、この30年間、一体をなにをしてきたのであろうか。
仮に、トランプが言ってる通りにしたとしよう。国内で、高い人件費で自動車を作り続けたとしよう。まず、そうした高価な車は外国では売れない。そして、自動車は外国でも生産している。このため、外国車の輸入に高い関税をかけて、国内市場への参入を阻むであろう。ということは、国内の人々は、高い国内車を使い続けなくてならないということになる。
もちろん、実際の世の中は多かれ少なかれ、どの国でも上記のことをやっている。国内の産業を保護する名目で、外国の製品やサービスの参入を阻んでいるものは数多くある。問題なのは、それを露骨に、大規模にやろうということなのである。それを彼らは「自国第一主義」と言っている。
トランプやルペンを支持する人々は、政治の無策さが招いた状態にある人々である。彼らの既存政党に対する怒りや不満を受け入れてくれる相手としてトランプやルペンはある。しかし、トランプやルペンでは経済は回復しない。かくてますます、人々の怒りと不満と政治への不信は高まり続けるだろう。この有権者のフラストレーションは、この先、どこへ向かうだろうか。
次回の本選挙では、棄権が数多く出るだろう。ルペンが当選する可能性は高い。仮に当選しなくても、大統領選挙で極右政党がかなりの投票数を獲得したという事実は、これからのヨーロッパの政治に大きく影響を与えることになるだろう。重要なことは、トランプのアメリカと同じく、アンチ・グローバリゼーションを支持する勢力と、グローバリゼーションを支持する勢力で、ヨーロッパの政治が分断するということである。もうかつてのような統合された国民国家というのは、昔の話になっているのだ。
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