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March 19, 2017

原発避難者の集団訴訟

 「東京電力福島第1原発事故の影響で福島県から群馬県に避難した137人が国と東電に損害賠償を求めた訴訟で、前橋地裁は17日、国と東電の双方が巨大津波の到来を予見可能だったと判断」したという。

 これを知った時、今の司法ではめずらしく、正しい判断をする司法がまだ残っているのだなと思った。この判決について、産経はなにか言うだろうなと思っていたら、案の定、19日の「主張」でこう書いている。

「刑事訴訟では東電の旧経営陣3人が業務上過失致死傷罪で起訴され、東京地検は2度にわたり「事故の予見や回避は困難だった」と不起訴処分とし、検察審査会によって強制起訴された。

検察当局が認めなかった予見や回避の可能性を、裁判所が認定したことになる。この「ねじれ判断」は、混乱を招かないか。

全国に避難した住民らによる約30件の同種の集団訴訟で、これが最初の判決となる。今後は各地裁が個別に判断を下す。

前橋地裁の判断が同種の訴訟や刑事裁判にどのように影響するかは未知数である。それぞれ異なった判断が出れば、混乱はさらに深まるだろう。」

 そして、最後にこう書いている。

「一方で、「3・11」が想定を大きく上回る巨大地震であったことも事実である。判決は、東日本大震災をこう表現した。「複数の震源域がそれぞれ連動して発生したM9・0の我が国で観測された最大の規模の地震である。本件地震に伴い発生した津波は、世界観測史上4番目、日本観測史上最大規模のものであった」

未曽有の自然災害に対抗するには、政府や企業、国民が団結するしかない。裁判所の判断のねじれや揺らぎが分断に結びつくことを、何よりも危惧する。」

 産経が言う「想定を大きく上回る巨大地震であったことも事実である」というのは事実ではない。

 あの時から6年後の今では、311規模の地震にせよ津波にせよ、国の原子力安全委員会や東電では事前に十分に予測されていたことがわかっている。決して「想定外」だったわけではなく、「想定されていた」ことであり、ただ単にその対策をとることをやっていなかっただけのことだったのだ。なぜやらなかったのかと言えば、産経の記事にあるように「経済的合理性を安全性に優先させたと評されてもやむを得ない対応を取ってきた」「約1年間でできる暫定的対策すらしなかった」のである。これらのことについては、添田孝史著『原発と大津波 警告を葬った人々』(岩波新書)に書かれている。

 産経が言う「検察当局が認めなかった予見や回避の可能性を、裁判所が認定したことになる。この「ねじれ判断」は、混乱を招かないか。」というのは、一体いかなることであろうか。「ねじれ」ようがどうなろうが、前橋地裁の判断には関わりはないことである。検察が認めなかったことを、裁判所が認定するのはおかしいという論理こそおかしいものだ。そして、この出来事について、ひとつひとつを考察することなく、「政府や企業、国民が団結するしかない」といって、全部ひとまとめにして、結局のところ、曖昧、うやむやにしている。検察の判断に逆らうな。大災害に対抗するには、挙国一致で政府と企業と国民が団結するしかない、だから避難者や地方の裁判所が国と東電を批判するな、というわけである。こういうところが、いかにも産経らしい。

 まだまだ世間では、福島原発事故は想定外の大津波によるものであったというイメージが流布されている。というか、世間の関心がどんどん薄れ、東電は巨大津波が起こりうることを知っていたのかどうかすら、どうでもいいような雰囲気になっている。

 驚くべきことに、これだけの大事故について、国会、政府、東電、民間の事故調査は終了してしまっている。国会の事故調など、開始から最終報告書の提出まで半年しかなかったのだ。欧米では、このような調査は専門の歴史家も含めて長期にわたって徹底的に調査し、記録を残す。この出来事は、フクシマ・ケースとしてこの先も調査・研究を続けていかなくてはならないものだ。例えば、大学の授業で1年間講義の必修科目にしたいほどだ。

 なぜこのような事故が起きたのか。この事後に対してどのように対処したのか(しているのか)、この事故から学ぶべきことはなにか、ということは、これからも考え続けていかなくてならない国民的な課題であると言ってもいい。福島原発事故について知れば知るほど、その範囲の広さと奥の深さを痛感する。学問分野で言えば、自然科学、工学、社会学、心理学、政治学、法学、経済学、歴史学、組織論、危機管理、メディア論、等々、挙げていけばきりがない程、多分野にわたる知識を必要とする。この出来事から学ばなくてならないのは、国や東電だけではない。我々もまた学ばなくてならない。

 福島第一の4号機は、3号機のベントラインから原子炉建屋に水素が流入したことにより、原子炉建屋で水素爆発が発生したが、大規模火災を免れたのは、以前からの工事遅れのために貯めてあった大量の水が、使用済み核燃料プールに勝手に流れ込んで冷却してくれたからである。それがなかったら、使用済み核燃料は露出し、大量の放射能が外部に流れ出て行った。福島第二は、地震のわずか二日前に防波堤の工事が完了していて、それが津波の侵入を防いでくれた。たまたま、偶然で、首都圏も含めた東日本全域で避難をすることはなかっただけのことなのだ。

 ましてや、炉心が破損した状態で核廃棄物のデブリをどう取り出したらいいのか、人類が今だかつてやったことがないことを、これからやらなくてはならないのである。廃炉そのものができるかどうかすら、まだわからないのだ。

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