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March 2017

March 29, 2017

高浜原発が再稼働可能になった

 稼働中だった福井県の関西電力高浜原発3号機を、福井地裁が仮処分判断で停止してから1年がたった。28日、大阪高裁は再稼働を認める判断を下したという。

 これについて産経新聞は、さぞや喜びの社説を出すだろうなと思っていたら、案の定、29日の「主張」でこう書いている。

「高裁は、抗告していた関電の主張を全面的に認めた。極めて理にかなった司法判断である。

 これにより、2基の再稼働に道が開けた。電気料金の値下げが急務となっている関電には、再稼働に向けた準備を着実に進めてもらいたい。」

 おもしろいのは、産経は原発の再稼働と電気料金の値下げを重ねていることである。ようするに、電気料金を下げるために原発を再稼働するとしている。このへんが興味深い。電気料金を持ち出してくることで、原発稼働の正当性を述べているのである。実際のところ、原子力発電はコストが安い電力ではない。仮に事故が起こらなかったとしても、将来の廃炉や廃棄物処理などのことまで含めれば、原子力発電は決して安くない電力なのであるが、そういうことはどうでもいいのであろう。

 さらにおもしろいのは、この日の紙面のもうひとつの「主張」は、栃木県那須町のスキー場で、登山講習会に参加していた高校生らが雪崩に巻き込まれた事故についてのことで、そこは「過信と油断が惨事を招く」と書いていることだ。こう書かれている。

「事故を受けた会見で県高体連は「ベテランの先生方が状況を把握して、的確な判断のもとにやったと思う」などと述べた。そこに落とし穴はなかったか。

 鳶(とび)の棟梁(とうりょう)から、こんな話を聞いたことがある。どんなに高いところで身軽に動けるベテランでも、地面が間近に見えてきたときに事故を起こしやすい。一番怖いのは過信、慢心、油断だ、と。」

 しかしながら、これは原発についても言えることであろう。栃木のスキー場での事故には「過信と油断が惨事を招く」として、原発にはそうは思わないところが、いかにも産経らしい。ゼロリスクを求めるなというのならば、栃木のスキー場での教師たちについても同じことが言えるのではないかと思うが、どうなのであろうか。

 ましてや、原発事故は、雪崩とは比べものにならない被害規模になる。福島原発事故がどのような事故であったのか今だ完全にわかっていない現状で、原発が安全であるという判断は誰にもできない。

 火力発電と比べて、原子力発電はコストが安い(電気料金が安い)というのは、原発プロパガンダが常に言っていることである。そんなことはまったくない。原子力発電はコストがかかる電力なのだ。そのへんのことを、御用メディアは言わない。

 日本経済新聞によれば、福井県の周辺の知事たちは、今回の大阪高裁の判決に異議を唱えているという。

「滋賀県の三日月大造知事は「実効性のある多重防護体制の構築が、いまだ未整備という状況下では再稼働を容認できる環境にはない」との考えを示した。独自で避難計画を策定している大津市の越直美市長は「市民が原発の安全性に不安を持っている状況では、原発を再稼働すべきではない」とコメントした。」

 関西電力高浜原発3、4号機の運転を差し止めた判決を述べた福井地裁にせよ、先日の前橋地裁にせよ、原発について地方の裁判所は正しい判断をするが、上になるにつれ政治が優先されるようだ。もはや法律よりも、時の政権に意向に従うことが多い。この国では、司法は独立していないのである。

 今回の大阪高裁の再稼働を認める判断をみて、つくづくそう思う。

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March 19, 2017

原発避難者の集団訴訟

 「東京電力福島第1原発事故の影響で福島県から群馬県に避難した137人が国と東電に損害賠償を求めた訴訟で、前橋地裁は17日、国と東電の双方が巨大津波の到来を予見可能だったと判断」したという。

 これを知った時、今の司法ではめずらしく、正しい判断をする司法がまだ残っているのだなと思った。この判決について、産経はなにか言うだろうなと思っていたら、案の定、19日の「主張」でこう書いている。

「刑事訴訟では東電の旧経営陣3人が業務上過失致死傷罪で起訴され、東京地検は2度にわたり「事故の予見や回避は困難だった」と不起訴処分とし、検察審査会によって強制起訴された。

検察当局が認めなかった予見や回避の可能性を、裁判所が認定したことになる。この「ねじれ判断」は、混乱を招かないか。

全国に避難した住民らによる約30件の同種の集団訴訟で、これが最初の判決となる。今後は各地裁が個別に判断を下す。

前橋地裁の判断が同種の訴訟や刑事裁判にどのように影響するかは未知数である。それぞれ異なった判断が出れば、混乱はさらに深まるだろう。」

 そして、最後にこう書いている。

「一方で、「3・11」が想定を大きく上回る巨大地震であったことも事実である。判決は、東日本大震災をこう表現した。「複数の震源域がそれぞれ連動して発生したM9・0の我が国で観測された最大の規模の地震である。本件地震に伴い発生した津波は、世界観測史上4番目、日本観測史上最大規模のものであった」

未曽有の自然災害に対抗するには、政府や企業、国民が団結するしかない。裁判所の判断のねじれや揺らぎが分断に結びつくことを、何よりも危惧する。」

 産経が言う「想定を大きく上回る巨大地震であったことも事実である」というのは事実ではない。

 あの時から6年後の今では、311規模の地震にせよ津波にせよ、国の原子力安全委員会や東電では事前に十分に予測されていたことがわかっている。決して「想定外」だったわけではなく、「想定されていた」ことであり、ただ単にその対策をとることをやっていなかっただけのことだったのだ。なぜやらなかったのかと言えば、産経の記事にあるように「経済的合理性を安全性に優先させたと評されてもやむを得ない対応を取ってきた」「約1年間でできる暫定的対策すらしなかった」のである。これらのことについては、添田孝史著『原発と大津波 警告を葬った人々』(岩波新書)に書かれている。

 産経が言う「検察当局が認めなかった予見や回避の可能性を、裁判所が認定したことになる。この「ねじれ判断」は、混乱を招かないか。」というのは、一体いかなることであろうか。「ねじれ」ようがどうなろうが、前橋地裁の判断には関わりはないことである。検察が認めなかったことを、裁判所が認定するのはおかしいという論理こそおかしいものだ。そして、この出来事について、ひとつひとつを考察することなく、「政府や企業、国民が団結するしかない」といって、全部ひとまとめにして、結局のところ、曖昧、うやむやにしている。検察の判断に逆らうな。大災害に対抗するには、挙国一致で政府と企業と国民が団結するしかない、だから避難者や地方の裁判所が国と東電を批判するな、というわけである。こういうところが、いかにも産経らしい。

 まだまだ世間では、福島原発事故は想定外の大津波によるものであったというイメージが流布されている。というか、世間の関心がどんどん薄れ、東電は巨大津波が起こりうることを知っていたのかどうかすら、どうでもいいような雰囲気になっている。

 驚くべきことに、これだけの大事故について、国会、政府、東電、民間の事故調査は終了してしまっている。国会の事故調など、開始から最終報告書の提出まで半年しかなかったのだ。欧米では、このような調査は専門の歴史家も含めて長期にわたって徹底的に調査し、記録を残す。この出来事は、フクシマ・ケースとしてこの先も調査・研究を続けていかなくてはならないものだ。例えば、大学の授業で1年間講義の必修科目にしたいほどだ。

 なぜこのような事故が起きたのか。この事後に対してどのように対処したのか(しているのか)、この事故から学ぶべきことはなにか、ということは、これからも考え続けていかなくてならない国民的な課題であると言ってもいい。福島原発事故について知れば知るほど、その範囲の広さと奥の深さを痛感する。学問分野で言えば、自然科学、工学、社会学、心理学、政治学、法学、経済学、歴史学、組織論、危機管理、メディア論、等々、挙げていけばきりがない程、多分野にわたる知識を必要とする。この出来事から学ばなくてならないのは、国や東電だけではない。我々もまた学ばなくてならない。

 福島第一の4号機は、3号機のベントラインから原子炉建屋に水素が流入したことにより、原子炉建屋で水素爆発が発生したが、大規模火災を免れたのは、以前からの工事遅れのために貯めてあった大量の水が、使用済み核燃料プールに勝手に流れ込んで冷却してくれたからである。それがなかったら、使用済み核燃料は露出し、大量の放射能が外部に流れ出て行った。福島第二は、地震のわずか二日前に防波堤の工事が完了していて、それが津波の侵入を防いでくれた。たまたま、偶然で、首都圏も含めた東日本全域で避難をすることはなかっただけのことなのだ。

 ましてや、炉心が破損した状態で核廃棄物のデブリをどう取り出したらいいのか、人類が今だかつてやったことがないことを、これからやらなくてはならないのである。廃炉そのものができるかどうかすら、まだわからないのだ。

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March 18, 2017

朴槿恵大統領の罷免

 産経新聞によると「韓国憲法裁判所は10日、国会が弾劾訴追した朴槿恵(パク・クネ)大統領を罷免する決定を言い渡し、朴氏は失職した。」という。

 韓国、というか韓半島に住む人々の社会が、民主政治になったのは20世紀の終わる頃からである。大統領直接選挙制にすることを決定したのは、わずか30年程度前でしかない。

 古来、朝鮮の社会は、国や集団の利益と合理性で動く国王や政治集団や党によって構成されるグループと、儒教理念で動く在野の儒学者、士大夫、読書人らといった人々の二つのグループがあった。

 ここで話は、14世紀の李氏朝鮮の成立に遡りたい。高麗を滅ばし李氏朝鮮王朝を築いたのは太祖である李成桂(イ・ソンゲ)であるが、もちろん、彼一人で高麗を滅ぼしたわけではなく、彼は高麗を滅ぼした一群の集団の代表であった。この一群の集団こそ、儒学者、両班、士大夫のグループである。李氏朝鮮成立時の両班は、王権を支え、時に王権に朱子学の教えに反するようなことがあれば、それを咎め、諫めることをおこなった。まっとうな、社会勢力であった。

 後に、李氏朝鮮の後期になると、両班は退廃した固陋な階級になり、最終的には朝鮮国家を滅ぼす原因のひとつになる。19世紀、欧米諸国からのウェスタン・インパクトに対して、朝鮮は近代化を受け入れることができなかったのは、この両班、士大夫の階層が近代化に強烈に反対したことがその理由のひとつとして挙げられる。

 日韓併合により両班階層はなくなるが、この文化はなくなることはなかった。この文化が、民衆蜂起で対抗し、反日運動を繰り広げていった。日本の朝鮮統治は、このことを理解することがなかったということが言える。台湾や南洋諸島ならいざ知らず、朝鮮において皇民化政策など朝鮮側からすれば、お笑いものであったろう。

 日本統治が終わり、大韓民国になっても、軍人政権に対して学生運動をもって権力に抗議をしていったのが、この文化である。盧武鉉の弾劾を支持し、実兄が斡旋収賄事件を起こした李明博を糾弾したのもこの文化である。そして、今回、朴槿恵を罷免へと追い込んだのも、この文化である。権力を監視し、社会正義を訴え、政府に問題があれば行動する、かつての朝鮮の在野の儒学者、両班、士大夫、読書人の文化は、今でも韓国に生きている。

 朴槿恵の政治は、父親の朴正煕と同じく密室の独断政治であった。このスタイルは、当然のことながら現代の韓国では合わない。崔順実(チェ・スンシル)被告と、彼女を通しての財閥との癒着があったというイメージもまた現代の韓国では通用しない。朴槿恵政権の誤りは、韓国という国の今の時代状況と、自国の中のこれら反体制の社会勢力の存在の大きさを考慮しなかったということだろう。

 朴政権が日本と合意した慰安婦合意も、合意したのは「国や集団の利益と合理性で動く王朝や政治集団や党によって構成されるグループ」であって、この「在野の儒学者、両班、士大夫、読書人」たちではない。彼らからすれば、日本と合意したとは思っていない。

 ちなみに、戦後日本のアジア諸国への賠償は、その国の政府に対して行い、民間に対しては行われなかった。なぜならば、個人賠償になった場合、日本政府は、その規模と額が限度がない果てしないものになることを恐れたからである。さらに言えば、その国の政府に対し、賠償というカタチでの資金や技術での援助を行い、その結果、両国の親善と日本企業の市場進出を果たすという思惑があったからである。今に至っても、アジア諸国の民間レベルでは、日本の戦争責任の糾弾がなくならないのは、こうした背景がある。

 ともあれ、大統領が罷免された状態になっている今、韓国は外交的に孤立している。THAAD(高高度防衛ミサイル)問題により、中国との関係は悪化し、慰安婦像問題で、在韓日本大使は不在になり、ミサイル実験を繰り返し、金正男暗殺を行った北朝鮮に対してなんの対策を行っていない。アメリカのトランプ政権は、韓国に送る在韓アメリカ大使をまだ指名していないという。現状では、米日韓で北朝鮮に対応するなど無理な話になっている。本来であれば、日本が中心になってとりまとめるべきことなのであるが、そういうことができる能力がこの国にはない。

 実際のところ、在韓米軍に配備されるTHAADは、中国にとって国家安全保障上の脅威でもなければなんでもない。それよりもアメリカ軍がハワイに配置しているレーダーや在日米軍の方がもっと大きな影響力を持っている。これを考えれば、いやがらせは韓国にするのではなく、アメリカや日本に対して行うべきなのであるが、そういうことはせず、ねちねちと韓国をいじめるのは、とてもではないが世界の大国とは言えない姿である。かつて、順治帝・康熙帝・雍正帝・乾隆帝の頃の大清帝国は、朝貢国・朝鮮に対してこんなことはしなかったであろう。

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March 11, 2017

6年目の311

 今年は土曜日であるということで、昨日の金曜の夜からNHKオンデマンドやYoutubeなどで東日本大震災や原発事故についての番組や動画を見ていた。

 改めて、この日起きた巨大津波の映像を見ると、その規模の巨大さに驚く。なるほど、海で地震が起こると、こうなるのか、ということを知識では知っていても、実際に起きた映像を見ると、これほどものとは思っていなかった。

 この地域で、過去にこれだけの巨大規模の地震が起きたのが、貞観11年(西暦869年)の貞観地震と言われている。日本史の区分で言えば、平安時代前期のことになる。前九年の役の、まだ約200年も前の時代である。

 この時代の東北は、京都の朝廷の支配が、とりあえず行われていたという時代であり、現在の宮城県に朝廷の直轄統治都市として多賀城があったが、そうした都市から外へ出れば、実質的には朝廷の管理の及ばない、蝦夷や俘囚と呼ばれた人々が暮らしていた社会であった。

 この時代に起きた巨大地震は、人がまばらに住んでいて、ほとんど大半は植物と人以外の動物たちが住んでいた広大な大地に、巨大な津波が襲いかかったのだろう。多賀城の被害は、甚大であったという。しかしながら、蝦夷と呼ばれた人々は、狩猟採集文化の人々である。彼らにとって、地震や津波は自然の姿として当然のことであったし、大地震が起きたその時は大変な出来事であっただろうが、地震がおさまり、津波がひいていき、自然の生態系が元に戻るとともに、人々の暮らしもすぐに元に戻ったのではないだろうか。

 その1000年後の21世紀の東北に、貞観地震と同じ規模の巨大地震が発生し、巨大津波が大地を覆った。地球史において、1000年など存在しないとも言える短い時である。だが、その大地に住んでいる人間たちの社会は大きく変わっていた。「自然の生態系が元に戻るとともに、人々の暮らしもすぐに元に戻る」という社会ではなくなっていた。

 このなくなっていた、というのは、すいぶん昔からのことではない。ほんの100年、さらに細かく言うのならば、戦後の70年間でしかない。50年前、福島第一原子力発電所はなかったのである。千年に一度の巨大地震が起きたのは、もし50年前にズレでいたのであれば、レベル7の史上最悪の原発事故は起こらなかった。この一点をもっても、現代という時代がいかに特殊な時代であるかがわかる。

 映画『太陽の蓋』のDVDが販売・レンタルリリースされた。映画館で一度見たきりだったということで、今週火曜日にTSUTAYAで借りて、何度も観た。

 前にも書いたが、この映画はYoutubeで公開されている3本のスピンオフ作品と一緒に観ることで、より深く理解できる。

 日本国の内閣総理大臣の場である官邸には、福島原発の事故についての情報収集を行うことができていなかった。菅総理が福島原発を直接訪問したことも、東電と官邸の意思疎通が行われていたのであればやることはなかったのであろう。この総理大臣の訪問は、福島原発の事故現場では迷惑この上ないものであった。しかし、菅総理は、総理大臣として判断をしなくてはならない立場であった。その判断の根拠となるべき情報が挙がってこないのだから、行きたくなくても行かなくてはならない状況だった。内閣総理大臣は、危機管理のマネジメントとシステムの欠陥の被害者であったのだ。映画『太陽の蓋』は、そのことを述べている。福島原発の現場が、重なる事故の連鎖に混乱していたように、総理官邸という現場もまた混乱していた。

 しかしながら、なぜ、かくもいい加減な危機管理の体制であったのだろうか。福島原発事故は、工学的な欠陥ではなく、マネジメントの欠陥だったと思う。事故後、東京電力への批判の声が高まったが、問題の本質は、戦後の国策としての原発電力政策そのものにあった。

 このことは、原発の危機管理だけではなく、国家の軍事、安全保障の危機管理の体制も、実際にコトが起きた時、このようにまったく使いものにならないものであることを意味している。ようするに、この国の組織は、上になればなるほど無能の意思決定の体制になる。これは、個々人の能力の問題なのではなく、組織的、制度的、マネジメント的な問題なのだ。民主党政権は、いくつかの点において疑問に思わざる得ないことをしてきた。もちろん、それらはそれまでの自民党政権がやってきたことばかりなのであったが、そうしたことを変えていくことができなかった。

 だが、福島原発事故の対応について、あの時、いかに原発の監督官庁や学者や東電が信頼できないものであったかという官邸の内部事情を映画ドラマにしたのは、この映画はよくやったと思う。マスコミは、時の政権の原発事故対応の欠点を咎め、そして政権交代をもたらした。『太陽の蓋』は、この時のマスコミの報道のあり方が問題の本質から外れていたかということを述べている。このことについても、この映画はよくやったと思う。

 もうひとつ、この映画が述べていることで重要な点は、スピンオフ作品の第二作にあるように、原発を誘致した地元の側にも事情があるということだ。もちろん、このことは、国と東電が、産業がない、原発に頼るしかない地方を狙って原発を設置したということもある。しかし、脱原発は、この地方経済の現実を正面から考えなくてはならないと、この映画は言っているのだ。

 この世の中には、個々に事情がある。この映画『太陽の蓋』には、官邸の事情、マスコミの事情、地元の事情が述べられている。ここにないのは東電の事情である。そこまで話を広げることは、この映画の趣旨ではなかったのだろう。

 311から6年がたって、福島原発の危機的状況は終わっていない。なにも変わっていない。その一方で、政府も官公庁も東電もなにも変わっていない。

 昨年から政府は「復興」と「自立」を掲げ、避難指示の解除を進め、被災者への損害賠償を打ち切る対応を始めている。政府は311をもう昔のこと、過ぎたことにして忘れたいのであろう。時事ドットコムニュースは、こう報道している。

「東日本大震災の発生翌年の2012年から3月11日の節目に合わせて開いてきた首相記者会見を打ち切ることを決めた。震災から6年となり、「一定の節目を越えた」(政府関係者)と判断した。安倍晋三首相は11日に政府主催追悼式で式辞を朗読するが、会見は行わない。」

 しかしながら、今でも3万人の避難民がプレハブの仮住宅で生活をしているのだ。福島原発についても、そもそも廃炉ができるのだろうか。技術的に、可能なのだろうか。実際のところ、そこから考えなくてはならないことなのである。そんな危ういものの上に、今、この国は立っている。なにも終わってはいないのだ。


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March 04, 2017

「ハンコ押し機関」

 3日、元東京都知事の石原慎太郎氏の築地市場の豊洲への移転問題についての記者会見をニコニコ生放送で見た。石原氏の発言を聞きながら、あーようするに都知事というのものは、天皇機関説なのであると言っているんだなと思った。

 当然のことながら、組織は役割分担で構成されている。

 石原氏が専門家ではないからわからないというのは、確かにその通りである。担当が実質的な業務を行い、長はそれを決済するだけという仕組みになっていたというのであるのならば、それはその通りなのであろう。ましてや、東京都のような巨大規模の組織である場合、個々の担当が行っている内容の妥当性を判断することなど、とてもできない。この件はどうなのかという質問に対して、大丈夫ですという回答であるのならば、ハンコを押すしかなく、押さない理由がない。組織の大多数の物事は、そうして遂行されていくものなのである。

 こうなると、巨大組織の「長」というのものは、ただハンコを押すだけの「機関」であると言えるだろう。少なくとも、この記者会見での石原氏の発言を要約すると、石原氏が知事であった東京都では、石原都知事は「ハンコ押し機関」でしたということである。ただの「機関」なので、責任を私に問われてもそれはスジ違いであるということだ。

 東京都民である私は、都知事の選挙で石原氏に投票したことは一度もなかったが、都知事というものが、ただの「ハンコ押し機関」だったとは思ってはいなかった。石原氏は都庁に出勤していたのは週3日程度だったというから、実務は下に任せっきりで、自分は小説でも書いていたんだろうと思ってはいたが、よもや「ハンコ押し機関」であったことを悪びれもせず堂々を公言するとは思っていなかった。

 実質的なことは、記憶ないのではなく、知らない、わからない、聞いていない、聞く必要があるとは思っていない、と言っている石原氏に対して、記者のみなさんの責任追及をする質問や具体的な事実確認の質問などは的外れであった。ようするに、石原さんというこの老人は、こういう人なのであるということがまったくわかっていない。なんども言うが、この人は、ただの「ハンコ押し機関」だったのである。

 この国の組織は、責任の所在というものがどこにあるのかがわかり難い。コレコレをコレコレとすることに決めたのは、その組織の「みんな」であるのか、その組織の「長」であるのか、ということが極めて曖昧なものになる傾向がある。むしろ、これを曖昧とすることで、組織内部の権力のヒエラルキーを隠し、あたかも全員平等であるかのような雰囲気を醸し出すというのが、この国の組織文化であると言ってもよいだろう。

 しかしながら、それで物事が問題なく遂行されていけば、それでよいが、その結果に問題が発生した場合、この方法では意思決定のプロセスが極めて不明快であり、組織としての意思決定、判断のどこに問題があったのか、どうすれば再発を防げるのかということがわからない。

 こういう人が都知事であったことは、都民の不幸であったとしか言いようがない。

 昭和天皇は、美濃部達吉の天皇機関説を支持したという。しかしながら、終戦後、マッカーサーの前で、すべての責任は自分にあると語ったという。この帝こそ、軍部は自分に知らせなかった。自分は知らなかった、聞いていない、自分には責任はないと言ってもおかしくない人物であったのだが、そうしたことを一切言われなかった。幼少の頃から「長」というものは、どうあるべきであるかということを教えられてきたのであろう。

 そういう「長」は、もういなくなってしまった。

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