テロ等準備罪(共謀罪)
「テロ等準備罪」(共謀罪)なるものが新設されようとしている。産経新聞によれば、
「安倍晋三首相は17日の衆院予算委員会で、「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案に関し「団体が犯罪集団に一変した段階で(構成員が)一般人であるわけがない。組織的犯罪集団と認めることは当然で、取り締まりの対象となるのは明確だ」と強調した。」
とのことである。
犯罪の取り締まりが、一般人が対象であるわけがないのは当たり前のことだ。この「一般人が対象ではない」というのは、なにも説明していないコトバなのである。「一般人」と一般人ではない者」をどう区別するのかということが問題なのだ。この法案を危惧する人々は、なにをもって犯罪行為とするのか、それをきちんと明確にして欲しいと述べている。
しかしながら、政府は相も変わらず「一般人が対象ではない」と言い続けている。なぜなら、そうとしか言いようがないからだ。この法案は、「一般人」と「一般人ではない者」の違いを「明確にしない」という法案だからである。
ここに奇妙な弁論がある。犯罪者でないのならならば、この法案に反対するわけはない。組織的なテロや犯罪を防ぐために、この法律は必要なのだという弁論である。「一般人」と「一般人ではない者」の違いを「明確にしない」という法律であるのに、なぜ支持をするのかと言えば、政府が言う「一般人ではない者」には、自分は絶対にならないと思っているのであろう。政府は社会全体のためにやっている。政府が社会を悪くするわけはないではないか。だから、政府を信頼する、というわけである。
例えば、政府による監視ひとつをとってみても、監視されたくないというのは、なにかやましいことがあるのであろう、やましいことがないのであるのならば、政府に監視されてもいいはずだ、という弁論である。
この弁論は一見、正しく説得力があるように見える。
しかしながら、なにが犯罪で、なにが犯罪ではないということが明確になっていない。時の政府の恣意的な判断でどうにでもできる、という世の中になると、人々は疑心暗鬼になり必要以上に自己規制、自粛するようになる。どこまで自己規制、自粛すればいいのかわからないため、どこまでも自己規制、自粛する世の中になる。結局のところ、国家権力に怯える世の中になるということである。
「政府は社会全体のためにやっている。政府が社会を悪くするわけはないではないか。」と言っても、取り締まる側の現場では、そうしたキレイゴトは通らない。現場では、無制限に権力を行使することが許可されたと判断する。「疑わしきは罰する」ということが常態になる。そうした世の中を、誰が望むのであろうか。
この法案への野党からの批判を受け、法務省は犯罪対象の枠を狭めた。NHKニュースよると、以下の通りである。
「法務省は、組織的なテロや犯罪を防ぐための「国際組織犯罪防止条約」の締結に向け、犯罪の実行前の段階での逮捕などを可能にする「共謀罪」の構成要件を厳しくして、「テロ等準備罪」を新設する法案を今の国会に提出する方針で、当初、対象犯罪を懲役・禁錮4年以上の刑が科せられる676とする案を示していました。
しかし、与野党双方から「対象が多すぎると国民の不安を招きかねない」といった指摘が出されたことから、公職選挙法違反や危険運転致死など組織的犯罪集団が行うとは考えにくい犯罪などを除外して、対象範囲の絞り込みを進めてきました。
その結果、対象犯罪を組織的な殺人やハイジャックなど、テロの実行に関連するおよそ110の犯罪や、覚醒剤や大麻の輸出入といった薬物に関する30程度の犯罪など、当初の想定のおよそ4割まで絞り込んだ270余りとする方針を固めました。」
犯罪対象を少なくしました、というわけである。しかし、こうした新しい法律を作らなくても、今の法律で十分に対応できる。政府は、東京オリンピックのための国連越境組織犯罪防止条約に批准するために、「テロ等準備罪」(共謀罪)が必要であるとしているが、日弁連が述べているようにそうしたことはまったくない。
また、テロについて言えば、こうしたテロ犯罪への法律を新設したり、国民へのプライバシーや人権を無視した監視を強化しても、テロはなくならない。
ようするに、どう考えてもこの「テロ等準備罪」(共謀罪)は必要あるものではなく、また施行された場合の社会への悪影響があまりにも大きなものなのである。
そういう法律が生まれようとしている。
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