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February 10, 2017

『すべての政府は嘘をつく』

 NHKオンデマンドで『BS世界のドキュメンタリー シリーズ トランプ大統領 誕生の深層 「すべての政府はウソをつく」』を観た。

 今から思うと、私が学んだアメリカは、ウォータゲート事件やベトナム戦争以後のアメリカだったのだと思う。メディアには、政府を監視する役割がある。このことを最も体現しているのが、アメリカのメディアであるというのは私の信念であったと言ってもいい。だからこそ、アメリカのメディアは、世界最高のジャーナリズムであると信じていた。

 そのアメリカのメディアは、911以後、少しおかしくなった。政権への批判をしなくなった。あのニューヨーク・タイムズやワシントンポストまでもが、ブッシュのアフガニスタン空爆やイラク侵攻に賛成したのである。しかし、これだけの大規模なテロが起きたのだから、しかたがないと私は思った。メディアが政権に迎合するのは、この時期なのだからだろうと思っていた。

 ところが、その後、さらにアメリカのメディアはおかしくなっていった。

 この理由として、政権のメディア操作が著しく進歩したということが言える。ニクソン政権の頃とは比較にならない程、今の時代は政府によるメディア操作の技術が進歩している。もうひとつの理由は、メディアの側にある。メディアが産業として大きくなり、大手の新聞社やテレビ局は、巨大資本へ買収、合併されていった。このため、今やマスコミは大企業であり、体制側であり、そうカンタンに政府にたてつくことができなくなった。社会正義よりも、利益を優先しなくては会社が成り立たないようになったのである。さらに言えば、消費者が良質なジャーナリズムにお金を払うことはせず、メディアにエンターテインメントを求めるようになったということが挙げられるであろう。

 アメリカは第二次世界大戦以後も、世界各地で戦争をしてきたが、一般市民が直接関わる戦争は、ベトナム戦争を最後とし、1991年の湾岸戦争ではテレビにアメリカ兵の死体が映っただけで、国民は拒否感を持つようになった。このため、これ以後の戦争では、国民にとって完全にメディアの向こう側での戦争になった。というか、政府がそのようにした。国民に実感が伴わない戦争になったのである。

 このことに、心ある人々は危機感を感じ、大手のメディアがやらないことを独立系のメディアが報道している。情報通信技術の進歩により、個人や小さな組織でも世界に向かって発信することができるようになった。

 「すべての政府は嘘をつく」(All Governments Lie )とは、冷戦時代に個人で雑誌を発行し、政府を批判し続けたジャーナリスト・I.F.ストーンの言葉である。先に述べたように、ブッシュ政権以後、アメリカのメディアは大きく劣化した。しかしながら、アメリカのジャーナリズムには、政府を監視するという役割を、今やタテマエにおいてであっても持ち続けているところがあり、独立系メディアへの支持も高い。なによりも、こうしたドキュメンタリー番組が作られる(この番組自体はカナダの制作である)ことに、アメリカのジャーナリズムの、アメリカたるところがあると言えるだろう。意味は多少違うが、銃の所持規制ができないということもこれに関連していることである。

 トランプ支持者も「政府を疑う」人々である。しかし、この番組での「政府を疑う」とは、リベラルな意味での「政府を疑う」だ。政府への不信、マスコミへの不信が、一方ではトランプ大統領を生み出し、一方でこの番組で取り上げられている独立系メディアを生み出したのだ。それが今のアメリカなのであろう。

 アメリカ以上に劣化しているのが、この国のメディアだ。

 アメリカも日本も、いまやメディアは営利企業になったが、そうであっても、アメリカのジャーナリズムには営利企業であることへの反発と抗いが多少なりともあるが、日本にはそれがまったくと言っていいほどない。日本において、志ある良質のメディアは数少ない。

 以下、多少、大げさであるが、そもそもから考えてみたい。

 今のこの国には、この「政府を疑う」という考え方そのものが、典型的左翼の思考であり、政府を批判することは、自分たちが知的であるかのような衒いでしかないという意見がある。特に、ネット界隈でよく見かける。

 「政府を疑う」というのは左派だけではなく、右派の思想にもあるが、なぜか「政府を疑う」のは左翼の典型的な思考になるらしい。ネトウヨは、今の政府を疑わないのであろう。「政府を疑う」というのは間違っているという思考そのものが、かなり幼稚で低レベルなものだ。今のこの国では、こうしたことを言う人が数多い。そういう世の中になってしまった。

 なぜ、こうなってしまったのであろうか。

 明治は有司専制であった。明治政府は国家が民間企業も含め無知蒙昧な一般大衆を、指導し撫育するというものであった。この構図は、基本的に江戸時代と変わらない。江戸時代もまた、統治階級である武士が、それ以外の者たちを管理するという基本構図をもって、この国は成り立っていた。明治になり階級制度は廃止され、四民平等の世の中になったが、お侍様が我々を導いてくれるという意識が、政治家の先生や偉いお役人様が我々を導いてくれるという意識に変わったにすぎない。

 事実で言えば、確かにそうであったのであろう。国家が権力をもって、無理にでもこの国を欧米のような国にする、そうしたないと日本は欧米の植民地になる、というのが明治維新の目的であり、意図であった。

 しかしながら、近代社会というのはそういうものではないと考える人々がいた。自由民権運動の人々である。彼らはフランス革命の思想的背景のひとつであったルソーの思想からそれを学んだ。主権は、王権にあるのではなく民衆にあるという思想である。ところが、この自由民権運動は、明治23年に施行された大日本帝国憲法の発布と帝国議会の設置を経て、次第に小さなものになっていき、やがて歴史の表舞台から消えてしまった。有司専制であっても、とりあえず国民国家になったということで、それで良しとしたのであろうか。自由民権運動には、薩長だけがいい思いをしていることへの士族たちの憤りがあったとも言える。

 日本人が主権在民という考え方を持つようになったのは、太平洋戦争の敗戦によるGHQの占領下においてであった。ここでようやく、かつて明治の時代に自由民権運動の人々が主張した民権というものが、アメリカを経由してこの国にもたらされることになった。

 国権により与えられる、国権により保証される「自由」と、市民社会本来が持つ「自由」は別のものである。この「別ものである」というのが、戦後日本ではあいまいになって今日に至っている。戦前の大日本国憲法での国民の持つ「自由」とは、国権により与えられ、国権により保証される「自由」であった。これに対して、戦後、GHQが草案した日本国憲法での国民の持つ「自由」とは、国権によって与えられり、保証されたりするものでない。人間本来が自明で持つ「自由」であり、これが欧米の市民社会の「自由」である。ところが、いわば占領軍であるアメリカから「与えられた」ようなものであるが故に、戦後の日本の主権在民とは、国権によって与えられるものではないということが正しく理解されていない。

 「国民主権」というものと、「政府を疑う」ということは、実は密接に関連している。国民主権であるから「政府を客観的に見る」のであり「政府を疑う」という行為がある。「政府を疑わない」というのは、国民主権ではないと言っていることに等しい。

 いや、主権をもって「政府を疑わない」のだと言うかもしれない。しかしながら、政府は国民を統治し、権力を維持するためにウソをつく。政府はウソをつくという前提があって、主権をもって「政府を疑わない」というのならば、それは主権放棄になるのではないだろうか。いわば、主権をもって主権を放棄するということだ。つまりは、国民主権ではなくなるということなのである。

 なぜ、「すべての政府はウソをつく」という当たり前のことを前提としないのだろうか。政府が国民のためを思ってしっかりやっているのだから、批判するのはおかしいと言う人が今でもいるということは、戦後70年たっても、「国民主権」を正しく理解していないのである。憲法についていうのならば、憲法を改正するどころか、まず戦後の日本国憲法すら正しく理解していないということが言えるだろう。それで憲法改正がどうのこうのと言っているのが、今のこの国なのである。

 何度も書いて恐縮であるが、今やアメリカでも日本でも、メディアが「すべての政府はウソをつく。だから、政府を疑わなくてならない」という意識を持つということはタテマエになってしまった。しかし、タテマエであったとしても、アメリカのメディアには、それを掲げようとする者たちを讃え、今の現状を嘆かわしく思う良心の呵責がある。これに対して、そうした意識をタテマエとしてすら持とうとしないのが、この国の姿なのだ。この違いは大きい。

 NHKのBSで放送したドキュメンタリー番組『すべての政府は嘘をつく』は、3月にアップリンク渋谷にて劇場公開するという。


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