嫌韓について
前回、韓国について、権力に癒着し、自分への利益誘導をはかり、横領する、賄賂を受け取る、いわゆる汚職というものが韓国ではいわば「常識」と言ってもいい程、社会に定着していると書いた。
今日至るまで、日本人が朝鮮という国について、ある種の(強いコトバで言えば)嫌悪感というものを感じるのは、あるいはこの点にあるのではないだろうか。この「常識」について、日本人はついていけない。勝手が違うので、とまどうのである。時に、疲れる。はやりのコトバで言えば、うざいのである。
しかしながら、である。
我々、日本人、イルボンサラムは、これを「悪いこと」と感じるが、朝鮮においてはそうではない。
例えば、横領ということひとつをとってみても、横領するのが当たり前であり、横領することを前提として、カネの受領が行われる文化なり、体制なりの社会では、横領は悪でもなんでもない。または、一族の中のある者が高級官吏になる、会社の役職になる。その親族たちは、その者から利権を得ようとする。これは儒教社会では「当然」のことであり、それが儒教社会というものなのである。
そんなバカな話はない。そんなものは儒教ではない、と思うのが、我々、日本人、イルボンサラムなのである。我々、日本文化における儒教理解は、書物を通してのみであり、朝鮮文化におけるそれとは根本的にレベルが異なる。
日本でも、奈良、平安時代の律令体制の時代はそうであった。公家社会では、汚職や横領が「当然」の世の中であった。ところが、12世紀になって、そういった公家とはまったく異質の連中が日本全土を支配するようになった。鎌倉武士団による鎌倉幕府の出現である。ここで日本史は、中国・朝鮮の儒教社会とは別の歴史を歩み始める。
さらに下って江戸期の封建社会になると、汚職や横領は「悪いこと」であるとする文化が確立したと言ってもいい。つまり、武士は社会の統治者であり施政者なのであるが、貧乏なのである。これを他のアジア人が見ると、なぜ横領しないのかと理解できないであろう。何度も言うが、横領が可能な者が横領をするのは「当然のこと」であるとする体制なりシステムなりの社会に暮らす人々では、横領は「悪いこと」ではない。
もちろん、日本にも汚職や横領はある。しかし、タテマエ上において、それらのことは「悪いこと」であるとする文化の上に日本人の価値観は成り立っている。そうなったのは、鎌倉時代以降の武家の倫理が、江戸時代を経て日本全体に染み渡るように広がり、日本人の意識の底に今なお留まっているからである。
朝鮮には、これがない。中国にもない。というか、アジアの他の国のどこにも、こういう汚職や横領を悪とする文化はない。さらに地理的範囲を広げてみると、ロシアにも中東にもアフリカにもないように思う。唯一思うのが、キリスト教の倫理観を持つ西ヨーロッパ諸国ぐらいであろう。そう考えてみると、韓国の人々は、人類社会に普遍的なことをやってるだけのことであり、それに嫌悪感を感じる我々、日本人は「特殊」なのである。
だから、韓国社会のアジア的な「常識」は「正しい」のだとか、だから、日本は優れていて、朝鮮はダメだと言っているのではない。我々、日本人は、他のアジアの人々を見るとき、無意識に、人類の諸文化、価値観の中で極めて特殊な、日本にしかない武家社会の文化のバイアスをもって見ているということを忘れてはならないということを言いたいのだ。
朴槿恵大統領の弾劾に揺れる隣国を見ながら、ふと、以上のようなことを思った。
では、朴槿恵大統領の弾劾を求める韓国の国民のみなさんは、何に対して怒っているのかというのは、また別の話である。
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