もし日本が大陸と地続きになったとする
もし仮に日本が、今、突然に、大陸から海に隔てられた列島ではなく、朝鮮半島や中国大陸と地続きになったとする。
日本列島がユーラシア大陸と地続きになるなどということは、突然、日本列島が海洋プレートもろとも海溝に沈没するということ以上にあり得ないない話なのであるが、そこんことを完全に無視にして、仮にそうなったとする。
もちろん、こんなことが起これば大地震なり大津波なりが起こるであろうが、そうした災害もまったくなかったとする。今の日本の社会がそのままの状態で、ある日、大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国と中華人民共和国と地続きになったとしよう。
当然のことながら、韓国・北朝鮮や中国から、経済先進国である日本に職を求めて、不法な移民を試みる人々が出てくるであろう。それら不法移民のみなさんが、日本人の職を奪い、日本社会の中で集団で生活をし始めるようになってきたとしよう。
この時、私が言っているような、韓半島も中国も香港も台湾もシンガポールも「ひとつの経済圏」であるかのように考え、行動していきましょうという、戦前のアジア主義みたいなことを聴いて、ああ、まったくその通りであると思う人々はどれだけいるであろうか。
例えば、自分たちが勤めていた液晶テレビの家電メーカーが台湾の企業に買収され、工場がそっくりそのまま中国に移転してしまった、となった時、不法に移民してくる彼らを見てどう思うであろうか。彼らに対して、良好な社会感情を持つことは難しいであろう。
その昔、この国には大陸や朝鮮半島、南の海洋の島々などから数多くの人々がやってきて、居住し、生活を営んできた。そうした人々が持ってきた知識や技術などが、この国、全体の文化として形作られていった。歴史的なタイムスパンで見れば、全ての日本人は日本列島にやってきた移民たちの末裔である。さらに言えば、日本人云々の話ではなく、世界の各地の人類の誰もが、遙かな過去、アフリカの大地に住んでいたヒトの末裔であり、移民だったのである。その地に根を下ろした時期の遅かったか早かったかの違いでしかない。
ただし、それは今だこの地球上に、未開拓の山林や荒野が延々と続いていた頃の話である。この国について言えば、少なくとも、17世紀の江戸時代の頃から、外国から人々が集団でラクに入ってこれる世の中ではなくなった。今の日本人が集団として持っている異民族への嫌悪感は、彼らが自分たちの生活圏である「日本国」に入ってきて欲しくないという感情が含まれている。これはある意味、やむを得ないことである。
しかしながら、とも思う。
不法移民をしてくる者たちを嫌い、排除し、彼らを自国に押し戻すことでは、この問題の本質的な解決にはならない。ここに「日本」という確固たる境界線でくくられた領土があり、その領土に入ってくる不法外国人連中を、その外に出す、これのどこが間違っているのかと言えば、その確固たる境界線でくくられた領土を持つ「日本」という国家そのものが、この先、未来永劫、「日本」という確立した先進国の国家共同体であり続けられるという保証は、どこにもないからである。
栄枯盛衰を繰り返す国は、隣国の国々と「助け合う」関係を持とうとする。なぜならば、いつ自分の国が、隣国の援助を必要とする状態になるかわからないからだ。また、 不法移民をしてくる側も、誰も好きこのんで他人の国に不法に来て働いているわけではない。彼らを排除すれば、それで問題が解決するわけではない。
国家の「強さ」とは、いかに数多くの国々と良好な関係を持っているかということも含まれる。今の日本の国としての「弱さ」とは、隣国の韓国、中国、ロシアと強固な信頼関係を築いていないということであり、東の太平洋の向こう側のアメリカ一国としか関係がないということだ。
日本人がこの国が「日本」であり続けることができると思っているのは、この国が列島の島国であるからである。列島であるという地理的条件を持っているからであり、この条件がなくなれば、この国は「日本」であり続けるという前提は消滅する。トランプはアメリカとメキシコの境界に壁を造るとしているが、日本は、いわば古来から海が壁の役割を果たしてきたようなものであった。
日本が排他主義であることができるのは、列島の上に国を持っているという好条件があるからである。列島というカプセルがあるので、危なくなったらいつでもこのカプセルのな中に閉じこもることができたのである。また、アメリカについて言えば、トランプが言うような「アメリカ・ファースト主義」を言うことができるのは、アメリカは他国の援助を受けるような状態になったことは、独立戦争以後は、歴史上かつてなかったからである。
では、これらの条件をなくしたら、どうなるのであろうか。
交通と情報テクノロジーの発達とは、つまりは、日本にとっては、列島という地理的な条件が「なくなる」ということであったのだ。本来、グローバリゼーションの時代の「社会」とか「共同体」とか「日本国」とかは、こうしたことも考えなくてはならないはずであった。しかしながら、そうした議論が出ることもなく21世紀の今日に至ってしまった。
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