「生前退位」をさせたくない人々がいる
今朝の産経新聞の一面トップは「生前退位」許すまじ、である。
「生前退位」を通すとなると、皇室典範のいかに数多くの箇所を変更しなくてはらないか、憲法を変えなくはならないかを挙げている。続く4面では特集「生前退位」として紙面すべてで、伊藤博文は譲位容認案を認めなかったとか、GHQも退位を認めなかったとか、これでもかとばかりに「生前退位」つぶしの紙面になっている。歴史上、生前退位をした天皇は数多くいたが「譲位 政争や内乱の遠因に」だったそうである。昭和21年の帝国議会での国務相が述べた「天皇に私なし、すべてが公事」というのが産経新聞の主張なのであろう。そして、これは産経新聞だけではなく、産経新聞をひとつとする今のこの国のある特定の人々の考え方である。
この人々は明治政府が作った天皇制に固執し、日本の古来からの天皇のあり方についてはどうでもいいと思っている人々である。日本の歴史や伝統よりも、明治政府が作った天皇制が大好きな人々である。もうひとつは、「生前退位」を認めると、どうしても女性皇太子、そして将来の女性・女系天皇の可能性に触れざる得なくなるということである。「生前退位」をさせない、ということと、女性皇太子、女性・女系天皇を認めない、ということは密接に関わっている。これも明治政府が作った天皇制である。平成28年になっても、まだ明治の天皇制でなければならないとしているのだ。
なぜそうなのだろうか。そうでなければ、日本ではないと思っているのであろう。この日本観そのものが、おかしいことがわかっていないのであろう。
「生前退位」について、日本史学の方からの声を聞かないのは、これは政治の話であって、日本史の話ではないからであろう。日本史の話でいえば、私が述べているように、今の天皇制は明治政府とGHQが作った天皇制であり、長い日本の歴史の中の天皇にはもっと多くの姿があった。譲位が政争や内乱の遠因になったことはあったとしても、そうでなかったこともあった。歴史学から見ると、天皇を「ある特定の姿」に押し込めようしているとしか思えないのである。むしろ、天皇を「ある特定の姿」に押し込めようとするのが政治であり、国家なのであると言えるだろう。
この「ある特定の姿」を、明治政府が作った天皇制しか作り出せないことに、今のこの国のおかしさがある。もう一度、天皇のあり方を根本から考え直そう、これからの時代に応じた天皇の姿を考えようとするつもりはないようである。
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