ユネスコ分担金保留
日本政府は「南京大虐殺」を「なかったこと」としている。「なかったことである」「南京大虐殺」を中国がユネスコの記憶遺産に申請し、それを認めたユネスコはけしからんということである。
日本政府は「南京大虐殺」を「なかったこと」である根拠を、そうしたことを行ったという記録文書がないとしている。この「そうしたことを行ったという記録文書がない」というのがくせ者で、「そうしたことを行ったという記録文書がない」が根拠として成立するためには、過去の日本政府が行ってきた全ての出来事の記録文書がすべて保管されているということが前提になる。しかしながら、敗戦時に、陸海軍は占領軍による調査を危惧し、そうとうな量の文書の処分と改竄を行った。過去の日本政府が行ってきた全ての出来事の記録文書はすべて現存しているわけではない。さんざん廃棄処分や文書改竄を行ってきて、探してみたがそのような記録文書はなかったもないものである。
つまり、正しくいうのならば、公式な記録文書的には「南京大虐殺」が「あった」のか「なかった」のかわからないのである。この公式文書的には、「あった」のか「なかった」のかわからないということこそ、戦後日本がそうしようと意図的に行ったことであり、事実、その通りになったと言えるだろう。そして、公式文書的には、「あった」のか「なかった」のかわからないのならば、「あった」のか「なかった」のかわからないというのが政府見解であるべきはずなのであるが、なぜか「公式文書にないので、なかった」という歪曲した結論になっている。
大量の文書を廃棄処分し、残る文書には改竄をしている現存する公式文書には「ない」ということであっても、外国の資料や日本軍の兵隊の手記や日記に至るまで廃棄や改竄はできず、そうした資料を総合的に判断すれば、いわゆる「南京大虐殺」ということが「なかった」ということはとても言えない。
さらに言えば、南京という場所だけではなく、中国・朝鮮・台湾・香港・シンガポールなどアジア各地において、日本軍は民間人の虐殺行為を行っている。こうしたことをついて、戦後日本は、どこどこでは何人、どこどこでは何人という日本軍の戦争犯罪の事実を検証し、きちんと表明することをしていない。南京においても、30万人の殺害は間違っているというのならば、では何人を殺害したのか、その事実をきちんと調査し、公表することを行っていない。
そうしたことを行っている上で、中国が申請した記憶遺産に異議を唱えるのならばまだ理解できるが、そうしたことはまったくせず、ただ一方的にユネスコを批判するのは、日本は今だあの戦争を反省していないと国際社会から思われるだけである。
分担金を支払中止の背景には、「南京大虐殺文書」が記憶遺産に認められたことへの抗議と、現在、韓国が申請している慰安婦関連資料の登録を阻止したいということがある。だが、日本の「南京大虐殺」も「慰安婦」も「なかった」という理解し難い歴史歪曲は、国内では通っても国際社会では通らない。そこで、カネで恫喝をする手に出たのだ。それが、ユネスコ分担金の保留である。この国は、恥ずかしい国になった。
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