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October 2016

October 29, 2016

大阪万博をもう一度やろうとしている人々がいる

 大阪万博をもう一度やろうとしている人々がいるらしい。産経新聞によると、

「菅義偉官房長官は29日の記者会見で、2025(平成37)年の国際博覧会(万博)の大阪誘致について「大阪のため、日本のために誘致は一つの起爆剤になる」と述べ、前向きな姿勢を示した。」

 とのことである。

 東京オリンピックの時も述べたが、もはやオリンピックとか万博とかは負担以外のなにものでもなく、これで国威高揚とか経済発展をしようなどということは時代遅れも甚だしい。ようするに、今、なにをやっていいのかわからないので、オリンピックとか万博をやろうと言っているのであろう。帝国陸海軍の大本営は末期になると特攻や玉砕しか考えることができなくなったように、もはや戦後日本も末期的状態であると言える。

 先日、NHKオンデマンドで「BS1スペシャル メガプロジェクト 開拓者たちの決断「太陽の塔のメッセージ」」という番組を見た。1970年に大阪で開催された万国博覧会の基本理念の作成に大きく関わったSF作家小松左京と大阪万博のシンボル「太陽の塔」を造った芸術家岡本太郎の物語である。この番組は、あの時代の未来に対する考え方が出ていて、なかなかおもしろかった。

 一言で言えば、あの大阪万博以後、この国は小松左京が考えていたようにはならなかったということである。

 当然のことながら、小松左京は原発推進論者であった。原子力というテクノロジーを「知ってしまった」人類は、それを危険なものとして封印することはできないというのが小松のスタンスである。遠い遙かな昔、猿人の末裔であるヒトが火と出会った時、火を危険なものとしてその技術を捨て去る道を選ぶことはしなかったように、現代の人類もまた原子力を危険なものとして閉ざすのではなく、原子力を使う道に進むのが人類の本来の姿であるというのが小松の思想であった。

 ただし、と、ここに「ただし」が付け加わる。一方で小松左京は原子力の危険性を十分すぎる程よくわかっていた。原子力の危険性は、人類の滅亡を招くものになりかねない程大きくハイレベルであることを知っていた。だからこそ、人類はこれに逃げることなく全力で制御しうるものしなくてはならないと考えていたのである。逃れることができないのならば、自ら積極的に関わり、これを克服して破局を避けなくてはならないと考えていた。ここが、小松が他の凡百の原発推進論者と大きく異なる点である。

 もう1点、小松左京が他と異なる点は、そのように人類の英知を信じている一方で、小松には、これほど巨大になった科学技術を人類は制御し得るのだろうかという危惧と不安もまた共存して持っているということである。

 小松のSF小説『復活の日』の中で、ヘルシンキ大学の文明史講座担当教授がラジオで滅亡を前にした人々に語るシーンがある。

「-------そうすれば・・・・現在すでに人間は搾取と戦争の時代を脱しており、人間の精神的、知的、物質的生産力の総体を、より有効な、人類にとってより本質なものに、ふりむけていたかも知れない。」

 この教授はそう言って息を絶える。この物語では、生物兵器として造られたウイルスが事故によって拡散されたことによって、人類の大半は死に絶えるのである。

 小松左京の原子力に対する考え方は、まったく正しい。あの時代、日本も含めた先進国の人々は、原子力によって輝かしい未来がこの先にあるものだと誰もが思っていた。

 しかしながら、チェルノブイリ事故が起こり、311が起こり、さらに核廃棄物の処分について今だ解決をみないこの時代においては、小松左京の言うように原子力を真っ正面から受け止め、これを管理することは人類にはできないということがわかった時代になってしまった。「人間の精神的、知的、物質的生産力の総体を、より有効な、人類にとってより本質なものに、ふりむけ」るということが、人類は今だできていない。

 1970年の大阪万博の会場で展示された機器で、現在では実用化されているものは数多い。この約半世紀、テクノロジーはさらに進歩した。しかしながら、それでも私はたちはテクノロジーによる人類の未来を、70年代の人々のように楽観することができない。「進歩と調和」などできもしないことをよく知っているのである。

 小松さんが、311についてどう考えるだろうと思うことがある。しかし、思うだけで答えは出てこない。

October 23, 2016

南京事件を否定する人々

 前回、いわゆる「南京大虐殺」について書いた。産経新聞等が、いかにこれを認めたくなかろうが、あったことはあったと述べた。

 翌日の日曜日(19日)の産経新聞は、またもや虐殺はなかった記事が載っていた。どれどれと読んでみると、産経を代表とする「大虐殺はなかった」派の論調の特徴が出ていて大変興味深いものであった。

 この記事は、昨年10月、日本テレビ系で放送された「南京事件 兵士たちの遺言」というドキュメンタリー番組について書かれており、私はこの番組はテレビ放送時は見ていないが、後にネットで見た。この番組の制作した記者が、この時の調査過程やその後の追加調査などが加えられて書籍化された『「南京事件」を調査せよ』清水潔著(文藝春秋)を読んだことから、私はこの番組のことを知った。

 この本は、結局、あの時、南京でなにが起きたのかということについて、現存する資料を手がかりに知ろうとした試みである。政府や軍部の公式文書は、その多くが処分され、紛失、改竄されている現状で中で、何があったのかということについて、こうした「試み」が必要なのである。

 本来であれば、戦後、日本政府がしかるべき費用と人員をかけて、「公的に」こうした「試み」を行っていれば、今、ネトウヨとかが「南京大虐殺はなかった」とか言うこともなく、また中国から日本の歴史認識についてあれこれ言われることはなかったのである。

 産経は、「数少ない船を奪い合った末の同士打ちや多くの溺死者があったことが中国側の公式資料から分かる。」と述べている。もちろん、同士打ちや溺死、戦死した中国兵もいたであろう。その一方で、日本軍により殺害された中国民間人もいただろう。産経は、全員が「同士打ちや溺死、戦死した中国兵」だというのであろうか。

 産経は「『南京』をめぐる中国共産党のデマとプロパガンダを示すものだ」と述べている。もちろん、中国共産党によるデマやプロパガンダは存在する。しかしながら、それではデマやプロパガンダではない、「あの時になにが起きたのか」について説得力のある主張をしているのかというと、これがない。

 さすがに捕虜の殺害そのものを否定することはできないからか、「暴れる捕虜にやむなく発砲」したのだとしている。産経の記事はこう書いている。

「16日の揚子江岸での処刑対象は宿舎への計画的な放火に関与した捕虜だった。17日は第65連隊長、両角業作(もろずみ・ぎょうさく)の指示で、揚子江南岸から対岸に舟で渡して解放しようとしたところ、北岸の中国兵が発砲。これを日本軍が自分たちを殺害するための銃声だと勘違いして混乱した約2千人の捕虜が暴れ始めたため日本側もやむなく銃を用いた。」

 つまり、放火に関与したから処刑した、解放しようとしたら混乱したので銃殺したのだとしている。もちろん、そうしたこともあったであろう。しかしながら、このことは、その一方で無抵抗の民間人を殺害したこともあったことを否定する根拠にはならない。

「番組は「…といわれています」「これが南京で撮られたものならば…」といったナレーションを多用。断定は避けながらも、“捕虜銃殺”を強く印象付けた。」

と番組を批判している。そして、これを「中国の謀略宣伝のやり方と酷似している」と述べている。 しかしながら、産経のこの記事事態が、「こう言っているが、これはコレコレだったかもしれない」という論調であり、いわゆる「南京大虐殺」を全面的に否定できる論理になっていない。その意味では、中国の謀略宣伝と同じレベルであり、いわば、やましいことをがあるから、そんなことを言っているとしか思われないものになっている。

 ようするに、多少は民間人の殺害や略奪行為はあったかもしれないが、事件と呼ばれる程の規模のものではなく、ましてや戦争においてそうしたことは当然であり、取り立てて騒ぐことでない、という結論に産経はしたいのであろう。

 この態度そのものが、国際常識から著しく外れ、アジア諸国から反感を買っていることがわからないのであろうか。南京事件を否定する人々は、良い日本人もいれば悪い日本人もいた、悪い日本人もいれば良い日本人もいた、という複合的な視点の歴史認識ができない人たちなのである。

October 15, 2016

ユネスコ分担金保留

 今朝の産経新聞。「岸田文雄外相は14日午前の記者会見で、日本が国連教育科学文化機関(ユネスコ)に対する今年の分担金を支払っていないことを明らかにした。」という。「中国が昨年、記憶遺産に申請した「南京大虐殺文書」が一方的に登録された件に抗議する狙いがある」とのことだ。

 日本政府は「南京大虐殺」を「なかったこと」としている。「なかったことである」「南京大虐殺」を中国がユネスコの記憶遺産に申請し、それを認めたユネスコはけしからんということである。

 日本政府は「南京大虐殺」を「なかったこと」である根拠を、そうしたことを行ったという記録文書がないとしている。この「そうしたことを行ったという記録文書がない」というのがくせ者で、「そうしたことを行ったという記録文書がない」が根拠として成立するためには、過去の日本政府が行ってきた全ての出来事の記録文書がすべて保管されているということが前提になる。しかしながら、敗戦時に、陸海軍は占領軍による調査を危惧し、そうとうな量の文書の処分と改竄を行った。過去の日本政府が行ってきた全ての出来事の記録文書はすべて現存しているわけではない。さんざん廃棄処分や文書改竄を行ってきて、探してみたがそのような記録文書はなかったもないものである。

 つまり、正しくいうのならば、公式な記録文書的には「南京大虐殺」が「あった」のか「なかった」のかわからないのである。この公式文書的には、「あった」のか「なかった」のかわからないということこそ、戦後日本がそうしようと意図的に行ったことであり、事実、その通りになったと言えるだろう。そして、公式文書的には、「あった」のか「なかった」のかわからないのならば、「あった」のか「なかった」のかわからないというのが政府見解であるべきはずなのであるが、なぜか「公式文書にないので、なかった」という歪曲した結論になっている。

 大量の文書を廃棄処分し、残る文書には改竄をしている現存する公式文書には「ない」ということであっても、外国の資料や日本軍の兵隊の手記や日記に至るまで廃棄や改竄はできず、そうした資料を総合的に判断すれば、いわゆる「南京大虐殺」ということが「なかった」ということはとても言えない。

 さらに言えば、南京という場所だけではなく、中国・朝鮮・台湾・香港・シンガポールなどアジア各地において、日本軍は民間人の虐殺行為を行っている。こうしたことをついて、戦後日本は、どこどこでは何人、どこどこでは何人という日本軍の戦争犯罪の事実を検証し、きちんと表明することをしていない。南京においても、30万人の殺害は間違っているというのならば、では何人を殺害したのか、その事実をきちんと調査し、公表することを行っていない。

 そうしたことを行っている上で、中国が申請した記憶遺産に異議を唱えるのならばまだ理解できるが、そうしたことはまったくせず、ただ一方的にユネスコを批判するのは、日本は今だあの戦争を反省していないと国際社会から思われるだけである。

 分担金を支払中止の背景には、「南京大虐殺文書」が記憶遺産に認められたことへの抗議と、現在、韓国が申請している慰安婦関連資料の登録を阻止したいということがある。だが、日本の「南京大虐殺」も「慰安婦」も「なかった」という理解し難い歴史歪曲は、国内では通っても国際社会では通らない。そこで、カネで恫喝をする手に出たのだ。それが、ユネスコ分担金の保留である。この国は、恥ずかしい国になった。

October 10, 2016

「生前退位」をさせたくない人々がいる

 今朝の産経新聞の一面トップは「生前退位」許すまじ、である。

 「生前退位」を通すとなると、皇室典範のいかに数多くの箇所を変更しなくてはらないか、憲法を変えなくはならないかを挙げている。続く4面では特集「生前退位」として紙面すべてで、伊藤博文は譲位容認案を認めなかったとか、GHQも退位を認めなかったとか、これでもかとばかりに「生前退位」つぶしの紙面になっている。歴史上、生前退位をした天皇は数多くいたが「譲位 政争や内乱の遠因に」だったそうである。昭和21年の帝国議会での国務相が述べた「天皇に私なし、すべてが公事」というのが産経新聞の主張なのであろう。そして、これは産経新聞だけではなく、産経新聞をひとつとする今のこの国のある特定の人々の考え方である。

 この人々は明治政府が作った天皇制に固執し、日本の古来からの天皇のあり方についてはどうでもいいと思っている人々である。日本の歴史や伝統よりも、明治政府が作った天皇制が大好きな人々である。もうひとつは、「生前退位」を認めると、どうしても女性皇太子、そして将来の女性・女系天皇の可能性に触れざる得なくなるということである。「生前退位」をさせない、ということと、女性皇太子、女性・女系天皇を認めない、ということは密接に関わっている。これも明治政府が作った天皇制である。平成28年になっても、まだ明治の天皇制でなければならないとしているのだ。

 なぜそうなのだろうか。そうでなければ、日本ではないと思っているのであろう。この日本観そのものが、おかしいことがわかっていないのであろう。

 「生前退位」について、日本史学の方からの声を聞かないのは、これは政治の話であって、日本史の話ではないからであろう。日本史の話でいえば、私が述べているように、今の天皇制は明治政府とGHQが作った天皇制であり、長い日本の歴史の中の天皇にはもっと多くの姿があった。譲位が政争や内乱の遠因になったことはあったとしても、そうでなかったこともあった。歴史学から見ると、天皇を「ある特定の姿」に押し込めようしているとしか思えないのである。むしろ、天皇を「ある特定の姿」に押し込めようとするのが政治であり、国家なのであると言えるだろう。

 この「ある特定の姿」を、明治政府が作った天皇制しか作り出せないことに、今のこの国のおかしさがある。もう一度、天皇のあり方を根本から考え直そう、これからの時代に応じた天皇の姿を考えようとするつもりはないようである。

October 02, 2016

なぜ南北の統一ができないのか

 1日の産経新聞の黒田勝弘氏のコラムによると「韓国では近年、北朝鮮の核開発への対抗措置として「核武装すべきではないか?」との主張が出され」ているという。

 隣にこういう国があるとなると、北側も核兵器へのこだわりを捨てることはできないだろうなとは思うが、南側からすれば隣に核兵器を使うと言っている国があるので、こちら側も対応せざる得ないということなのであろう。

 いずれにせよ、あの狭い朝鮮半島で核ミサイルの撃ち合いをやるつもりなのであろうかと、隣国の島国に住む私などは思ってしまう。

 黒田さんはこう書いている。

「独自核武装論の背景には、北朝鮮の核軍事力への脅威感もさることながら、それよりも、北朝鮮問題ではいわば最大の当事者であるはずなのに、事態を動かす有効手段が何もないとの無力感と欲求不満がある。」

 この南側の北側への「事態を動かす有効手段が何もない」。だから核兵器を持とうということはどういうことなのであろうか。南側は軍事で対抗する以外に北側との対応方法がないというのが信じがたい。朝鮮半島に複数の国々にあって互いに争っていたのは遠い古代の話であり、そうであるのならば、今の北も南も10世紀の初統一王朝である高麗に遙かに劣るということになる。

 ここで、大ざっぱな話をしたい。

 大ざっぱに言って、朝鮮戦争が休戦になって60年以上になっても、なぜ今だ北と南に分裂しているのか、とっとと統一国家になるべきではないか。もちろん、ドイツがそうであったように、統一した当初は、南側は大きな負担を強いられることになる。しかし、負担があろうがなかろうが、「同じ民族」として高麗の時代以来、朝鮮戦争の以前の姿に戻るべきではないのだろうか。なぜ、これが今だできないのか。しっかりとした統一国家になって、巨大な隣国である中国とロシアに対処していかなくてはならないはずである。国際社会の中で、ますます影響力を大きくしていく隣国の中国をどうするのであろうか。北も南も、核兵器がどうのこうのと言っている場合ではないはずである。

 なぜ、統一ができないのか。その大きな理由として、このブログで何度も書いているように外国の存在がある。当の本人たちは、そうしたくてもできないということはあるだろう。

 しかしながら、そうした外国の力をはねのけ、かつての「朝鮮国」にもどろうとする意思は、北側と南側にはないのであろうか。どうも今、南側は、統一については今のままの「南朝鮮」で良しとしているように見えてならない。北側は北側で、理解し難いことをやっている。今後、100年、200年の朝鮮半島の未来というのがさっぱりわからない。なぜ統一朝鮮になることができないのか。その理由について、様々挙げることはできる。歴史知識や国際政治などの観点から挙げることはできる。

 しかしながら、素朴な心情から見てみると、よくわからない。

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