大阪万博をもう一度やろうとしている人々がいる
大阪万博をもう一度やろうとしている人々がいるらしい。産経新聞によると、
「菅義偉官房長官は29日の記者会見で、2025(平成37)年の国際博覧会(万博)の大阪誘致について「大阪のため、日本のために誘致は一つの起爆剤になる」と述べ、前向きな姿勢を示した。」
とのことである。
東京オリンピックの時も述べたが、もはやオリンピックとか万博とかは負担以外のなにものでもなく、これで国威高揚とか経済発展をしようなどということは時代遅れも甚だしい。ようするに、今、なにをやっていいのかわからないので、オリンピックとか万博をやろうと言っているのであろう。帝国陸海軍の大本営は末期になると特攻や玉砕しか考えることができなくなったように、もはや戦後日本も末期的状態であると言える。
先日、NHKオンデマンドで「BS1スペシャル メガプロジェクト 開拓者たちの決断「太陽の塔のメッセージ」」という番組を見た。1970年に大阪で開催された万国博覧会の基本理念の作成に大きく関わったSF作家小松左京と大阪万博のシンボル「太陽の塔」を造った芸術家岡本太郎の物語である。この番組は、あの時代の未来に対する考え方が出ていて、なかなかおもしろかった。
一言で言えば、あの大阪万博以後、この国は小松左京が考えていたようにはならなかったということである。
当然のことながら、小松左京は原発推進論者であった。原子力というテクノロジーを「知ってしまった」人類は、それを危険なものとして封印することはできないというのが小松のスタンスである。遠い遙かな昔、猿人の末裔であるヒトが火と出会った時、火を危険なものとしてその技術を捨て去る道を選ぶことはしなかったように、現代の人類もまた原子力を危険なものとして閉ざすのではなく、原子力を使う道に進むのが人類の本来の姿であるというのが小松の思想であった。
ただし、と、ここに「ただし」が付け加わる。一方で小松左京は原子力の危険性を十分すぎる程よくわかっていた。原子力の危険性は、人類の滅亡を招くものになりかねない程大きくハイレベルであることを知っていた。だからこそ、人類はこれに逃げることなく全力で制御しうるものしなくてはならないと考えていたのである。逃れることができないのならば、自ら積極的に関わり、これを克服して破局を避けなくてはならないと考えていた。ここが、小松が他の凡百の原発推進論者と大きく異なる点である。
もう1点、小松左京が他と異なる点は、そのように人類の英知を信じている一方で、小松には、これほど巨大になった科学技術を人類は制御し得るのだろうかという危惧と不安もまた共存して持っているということである。
小松のSF小説『復活の日』の中で、ヘルシンキ大学の文明史講座担当教授がラジオで滅亡を前にした人々に語るシーンがある。
「-------そうすれば・・・・現在すでに人間は搾取と戦争の時代を脱しており、人間の精神的、知的、物質的生産力の総体を、より有効な、人類にとってより本質なものに、ふりむけていたかも知れない。」
この教授はそう言って息を絶える。この物語では、生物兵器として造られたウイルスが事故によって拡散されたことによって、人類の大半は死に絶えるのである。
小松左京の原子力に対する考え方は、まったく正しい。あの時代、日本も含めた先進国の人々は、原子力によって輝かしい未来がこの先にあるものだと誰もが思っていた。
しかしながら、チェルノブイリ事故が起こり、311が起こり、さらに核廃棄物の処分について今だ解決をみないこの時代においては、小松左京の言うように原子力を真っ正面から受け止め、これを管理することは人類にはできないということがわかった時代になってしまった。「人間の精神的、知的、物質的生産力の総体を、より有効な、人類にとってより本質なものに、ふりむけ」るということが、人類は今だできていない。
1970年の大阪万博の会場で展示された機器で、現在では実用化されているものは数多い。この約半世紀、テクノロジーはさらに進歩した。しかしながら、それでも私はたちはテクノロジーによる人類の未来を、70年代の人々のように楽観することができない。「進歩と調和」などできもしないことをよく知っているのである。
小松さんが、311についてどう考えるだろうと思うことがある。しかし、思うだけで答えは出てこない。
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