安保法成立1年
集団的自衛権の行使などを認めた安全保障関連法が成立して、今日で1年になるという。
毎日新聞は今日の社説でこう書いている。
「この1年だけでも日本を取り巻く国際情勢には大きな変化が見られた。金正恩体制下の北朝鮮は2度も核実験を強行し、ミサイルの発射も繰り返している。台頭を続ける中国は国際仲裁裁判所の判決を無視し、南シナ海で覇権的な姿勢を崩そうとしない。 」
この北朝鮮と中国を「敵国」とする見方は、右のメディアでも左のメディアでも同じであるようだ。そして、これらの「脅威」に対抗するために、日米は連携をするべきあるということにおいても、右のメディアでも左のメディアでも同じであるようだ。
ここから先が違う。産経新聞は「戦争を抑止するための安保関連法をしっかりと活用し、平和を守る。それが必須なのである。」であるとし、毎日新聞では「安保政策の積み重ねから飛び越えた安保法制は、政治的にも、自衛隊の部隊運用の面でも不安定さを残した。 」と述べている。
もともと、今回の新安保法制は、アメリカのジョセフ・ナイやリチャード・アーミテージらといった一部の人々の思惑から生まれたものであり、毎日新聞が言っているように、これまでの日米安保の流れの中から生まれてきたものではない。海自による米艦防護とか、陸自の国連平和維持活動での「駆け付け警護」など、これまでの日米安保とはかけ離れた、日本国の防衛とはまったく関係がないことを自衛隊がやらなくてはならないという、まったくもって迷惑な法制である。
産経新聞は今日の記事の中で、今回の安保法制により「別の政府高官も「安保関連法ができたことで米国側の日本を見る目が変わった」と語る。」とか、「安保関連法が成立していなければ、同盟国の負担増を求める米側との軋轢(あつれき)が強まる恐れもあった。」とか書いているが、このへんにアメリカに恩を売って助けてもらおうという従属的心情が表れている。
さらに産経新聞は書いている。
「共和党候補のトランプ氏は同盟国に米軍駐留経費増額を求めており、仮に民主党候補のクリントン氏が勝利しても、論戦に影響を受けて負担増を求めざるを得ないとの見方が日本政府内で大勢を占める。
こうした中で防衛省幹部は「一つの回答となるのが安保法制だ」と語る。日本は自衛隊の役割拡大という「負担増」をすでに引き受けているというわけだ。」
そもそも、日米安保の「負担」とは、戦後70年間、特に沖縄に在日米軍基地を「置いてきた」という負担と、思いやり予算等の財政的負担を日本を支払ってきていることである。ところが、そうしたことは負担でもなんでもないと思っているのであろう。このへんにも従属的心情が表れている。
そして、肝心の議論すべき日本の安全保障については、まったく進展がない。法制ができて1年たった今でも、政府は実質的な内容を深めていくことをしようとしない。法制が、ただできただけで日本の防衛は安全だかのように思っている。相手に恩を売れば、自分たちに良くしてくれるという日本人の人間関係みたいなことを、異質の他国であるアメリカに対して行っていることが、いかに愚かしいことであるかがわかっていない。
この程度の政府だから国民は信用ができず、結局、日本はアメリカの戦争に引き込まれるだけだと達観しているのである。国民のこのまっとうな常識感覚を、これを「戦争法案だとレッテルを貼っている」という認識しかできないということに、そもそもの間違いがある。
先日の辺野古移についての国勝訴の判決でも、判決文に日米で決定されたことに司法は関与することはできないかのような記載があったが、このアメリカ様にたてつくことはしない、アメリカ様に依存する心情は、結局のところ、この国は敗戦国であることが続いているからなのであろう。
まさに「戦後は続くよ、どこまでも」(by 矢口蘭堂)なのである。
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