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September 03, 2016

「国体」の継続

 今日の毎日新聞のオピニオン欄のコラム「時の在りか」は興味深かった。

 コラムは、2.26事件の首謀者の一人であり、陸軍士官学校事件において停職、そして免官となった元陸軍主計官磯部浅一の獄中での日記や手記の文から始まる。

「「陛下 なぜもっと民を御らんになりませんか/国民は、陛下をおうらみ申す様になりますぞ/御皇運の果てる事も御座ります」

 「何と云(い)う御失政でありますか、何と云うザマです、皇祖皇宗に御あやまりなされませ」

 80年前の夏、2・26事件の首謀者、磯部浅一は、クーデター失敗から4カ月余りで同志の大半が処刑されたのに憤激し、酷暑の獄中で鬼気迫る日記をつづった。

 別の手記に悲嘆も記す。

 「日本には天皇陛下が居(お)られるのでしょうか。今はおられないのでしょうか。私はこの疑問がどうしても解けません」 」

 戦前の日本の誤りのひとつに、タテマエでは天皇が統治する国であるとなっていながら、実質、そうではなかったということがある。

 もともと、人の社会の統治には複雑な仕組みや判断が必要なこともあり、あるひとつの家系の長が社会全体を治めることには無理があった。古代の時代から、宗教的な権威としての長と、実質的な統制者としての長は分かれていたと言ってもいいだろう。

 江戸幕府を滅ぼした革命政権である明治政府が、革命のスローガンとして掲げたのは王政復古であった。しかしながら、19世紀の世の中で、古代王朝の政治体制でやっていけるわけがなく、実質は欧米の近代社会のようになることであり立憲君主制の国家になったのが明治日本だった。

 この国の実質的運営者たちは、自己の権力の正当性を天皇制に求めた。やがてここから、現実に天皇がこの国を統治しているというイメージが一人歩きをしだした。2.26事件を起こした将校たちすべてが、本気でそう思っていたとは思えないが、少なくとも磯部浅一は獄中でそう書かざる得ない心境だったのだろう。

 昭和天皇の歴史的評価は難しい。このコラムにも書いてあるように、昭和天皇が政治に介入した出来事はふたつある。2.26事件の時と、太平洋戦争終結のポツダム宣言受託の時である。

 このコラムでは、「だが、青年将校の無法を許さなかったのは正当でも、戒厳令による蜂起制圧は、軍の官僚派勢力をかえって増長させ」たとしている。

 しかしながら、2.26事件は、昭和天皇の「政治介入」によって鎮圧したとするのは正しいとして、その後、皇道派は粛正され統制派が陸軍を掌握していったのは昭和天皇のせいではない。陸軍がああなったのは、昭和天皇の責任ではない。天皇は陸海軍を統帥すとなっていながらも、名前だけの大元帥になにができたであろうか。

 このコラムでは、昭和天皇のもうひとつの政治介入であったポツダム宣言受諾は、「天皇の言うことを聞かなくなった軍の解体と引き換えに、天皇家存続(国体護持)を保障してもらう条件取引だった。」としているが、これにも私は反論がある。

 ポツダム宣言受諾は無条件降伏であった。この時点において、天皇制の存続は決まっていない。だからこそ、8月15日の未明に至るまで、陸軍中央の一部で騒動があったのである。天皇家存続が決まったのは、その後のGHQの占領政策によるものであった。

 ただし、戦後史全体を通してみると、結果として、大日本帝国は終焉したが、天皇制は残ったということは言える。そして、これをアメリカの占領政策がそうだったからとだけでは言えないところがあるのは事実である。

 このコラムでは、本来、生前退位とは昭和天皇に固有の用語であったという。

「「天皇無答責」(法的責任を負わない)とはいえ、戦争の道義的責任がないと言えない以上、しかるべき時期に退位すべきだと考えられた機会は、戦後4回あった。

 敗戦の直後

 東京裁判の判決が出た時

 サンフランシスコ講和締結時

 皇太子(現天皇)ご結婚の時

 それぞれの時機に、木戸幸一元内大臣、南原繁元東大学長、安倍能成元学習院院長、中曽根康弘元首相など、そうそうたる人々が退位を求めたが、象徴となっても君主意識を放さなかった昭和天皇は終身在位を全うし、戦争の反省については言を濁した。 」

 昭和天皇がなぜ生前退位をしなかったのかということについては、様々な説があり、今日でも明確になっていない。しかし、昭和天皇その人がどのように思われたかは別としても、事実はこの通りである。昭和天皇は終身在位を全うされた。

「「お気持ち」は戦後70年を無事終えた感慨で始まる。昭和天皇にはかなわなかった海外慰霊の旅をやり遂げた暁に、父天皇に代わって自分が「生前退位」を決断しよう。子の代になっても責任は果たそう。そんな言葉にできない秘めた意志の表明、と私は聞いた。 」

 このコラムは、父昭和天皇ができなかった生前退位を、子の今上天皇が違った姿でやろうとしているとしている。この視点は興味深い。このことは、戦後70年を経て、昭和天皇とは違った姿で、天皇は日本国民に「国体」の継続とはなにかということを問われているということになる。

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