対中印象の悪化に思う
今朝24日の毎日新聞に、日中共同の世論調査で日本の対中印象が悪化しているという記事があった。
日本側の中国の印象が「良くない」「どちらかと言えば良くない」との回答は計91・6%で、昨年の前回調査から2・8ポイント増したという。これは「2005年の調査開始後、14年の93%に次いで2番目に高い数字になった。8月上旬に沖縄県・尖閣諸島周辺で中国公船が領海侵入を繰り返したことなどが影響した。中国側は同1・6ポイント減の76・7%だった。」とのことだ。また、日本側の中国の印象が「良い」「どちらかと言えば良い」は計8%で、こちらも過去2番目の低さだという。
なぜ、日本人は中国を嫌うのであろうか。これを尖閣諸島問題があるためとすると、この問題を表面化させたのは、石原元東京都知事(とその背後にいるアメリカの一部の勢力)と国有化を公言した野田民主党政権(とその背後にいるアメリカの一部の勢力)と、そしてひたすら問題を拡大し続けてきた今の安倍自民党政権(とその背後にいるアメリカの一部の勢力)であると言えるだろう。
もともと日本人の多くは、尖閣諸島という場所がこの国にあるということすら知らなかった。戦後の日本は、1972年に至るまで中国との国交はなかった。戦後生まれの人々にとっては、中国は好きでもなければ嫌いでもない、まったく意識にすらしてこなかった国であった。それが91・6%の「良くない」「どちらかと言えば良くない」の国になったというのは、どういうことであろうか。
国家運営の要諦の一つは、隣国との紛争をできる限り避けるということである。ところが、この世には隣国との紛争がなくなって困る人たちがいる。米ソ冷戦がなき後、東アジアで軍事紛争がなくなると困る者たちが画策したのが、中国の脅威であり、北朝鮮の脅威であり、そしてロシアの脅威である。
1972年のいわゆる日中国交正常化から、時間の線をこちら側へぐっとひっぱって考えみたい。この方向で進んでいけば、日本はアメリカの同盟国としての安全保障を保ちながら、中国とも安全保障の関係を持つことも可能であったと考えることができる。つまり、今現在の東アジアの国際情勢とは違う、もうひとつの別の東アジアの国際情勢があり得たのである。
しかしながら、現実の現代史はそうならなかった。このあり得たもうひとつの東アジアになることに「させなかった」ものがあったということである。この大きな構図の中に、石原元東京都知事も野田民主党政権もあったし、そして今の安倍自民党政権もあると考えなくてはならない。
もうひとつ興味深いのは「領土を巡る日中間の軍事紛争について「起こると思う」(「数年以内に」「将来的に」の合計)と考える人は、中国側の62・6%に対し、日本側は28・4%だった。 」ということだ。日本人は中国による尖閣諸島周辺への領海侵入により嫌中感を持っていながらも、大多数の人々は軍事衝突になるとは思っていないということである。これに対して、嫌う度合いは日本より低いながらも、将来、日本と軍事衝突をするかもしれないと思っている人々の割合は中国は高いということだ。
このへん、四方を海に囲まれた島々の住民である日本人と、他国と地続きで常に国境紛争にさらされてきた歴史を持つ中国の人々の感覚の違いが出ていておもしろい。
日本人は中国人に対してどれだけ嫌悪感を持とうとも、それと実際の戦争になることとは直接的には結びついていない。海で隔てられた日本列島の上で、そう思っているだけで、どこか他人事のような意識がある。軍事紛争をリアルな実感として感じていない。これに対して、外国では一般的に対外認識が即自分たちの死活問題にも関わってくるので、だから常に正しい対外認識を持とうとし、他国との戦争はあり得るとする感覚を持っている。
この日本人の国民性は、万年や千年のオーダーで日本列島の住民であったことによって、できあがっていったものなのだろう。
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