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August 12, 2016

『太陽の蓋』

 先日、『太陽の蓋』という311原発事故のセミドキュメンタリー映画を観た。福島原発事故の時、官邸の対応をセミドキュメンタリードラマにした映画だ。

 官邸担当の新聞記者を主人公とし、震災発生の時のシーンと、2012年や2013年などの後日の取材のシーンを挟み、あの時、官邸ではなにがどうなっていたのかを描き出すストーリーになっている。311の時の政府の対応の内幕については、いくつかのノンフィクション本が出ているが、映画では始めてのことではないかと思う。

 福島原発事故は有事であった。有事であるということは、めったにない出来事であったということだ。基本的に、政治システムや法律体制は「めったにない出来事」に即応できるようになっていない。なんていったって、「めったにない出来事」なのだから。

 しかしながら、「めったにない出来事」とは「絶対に起こらない出来事」ではない。「絶対に起こらない出来事」ではない以上、起こり得るのであり、実際に起きたのが311であった。だからこそ、政府は混乱した。混乱するのが当然だ。問題は、どのように混乱したのかということである。

 この時の政府の対応の不手際を、民主党政権だったからとか、菅直人総理大臣であったからとかいう見方がある。しかし、どの政党の政権であろうと、誰が総理大臣であったであろうと、政府の対応はこうしたことになっていたであろう。政府にせよ、東京電力にせよ、この出来事に対して十分に対応できるようになっていなかったのである。何度も言うが、これは「めったにない出来事」を「絶対に起こらない出来事」としてきたが故の当然の姿であった。

 菅総理がヘリで現地を視察したことや東電本店に乗り込んでいったことについて、今でも批判の声が多いが、この時の状況を考えれば、総理大臣がああしたことをせざる得なかったと言えるだろう。たまたま、この時、民主党政権であり、総理大臣が菅直人であったにすぎない。

 この映画は、あの時、官邸でなにがあったのかを伝えようとしているだけではなく、あの時、マスコミの大多数はいかに「正しく」報道をしていなかったということを伝えている。あの時の民主党政権の対応を十分なものであったとは言っていない。この映画は、あの時、こうしたことがあったということを伝えているだけである。そして、この対応が良かったのかどうかの判断は、この映画を観る側に委ねている。

 福島原発事故については、今でもわからないことが多い。なぜ最終的に大惨事になることはなかったのかということは今だに解明されていない。この映画でも、なにがどう明らかになることはなく、とにかくあの時、政府は混乱し、情報は錯綜していたということしかわからない。

 しかし、実際そうだったのであり、これが事実であったのだろう。必要なのは、この出来事を振り返り、なにがどうであったのかという筋道を明らかにするということだ。未確認な情報、伝えられていない情報が錯綜していたあの時から5年がたった今、俯瞰した場所から振り返ることは重要なことであり、必要なことだ。本来は、この映画だけではなく、もっと多くの映画や本がこのことを扱うべきことなのである。

 私も含め、あの出来事を実際に体験していない者たちにとって、311はテレビの向こう側の出来事でしかない。だからこそ、映像や活字を通して、あの出来事を「体験」し続けていく以外に方法がない。

 また、政府の対応についても、数々の証言があり、この映画で描かれた内容が「真実」なのかというと、必ずしもそうではない箇所もあるようであり、このへんはさらなる調査が必要なのであろう。

 原発とは、戦後日本の国策であり、その背後にはアメリカの存在がある。いち首相、いち政権でどうこうできるものではなく、実際に民主党政権で脱原発に転身することが試みられたが、その後、自民党政権でまたもとに戻ってしまった。それほど、原発政策は、与党がどうこう、野党がどうこうということを超えた、この国の根幹の一部になっていると言えるほど大きく深いものなのであろう。だからこそ、原発について考えるには、多面的な視点が必要だ。

 この『太陽の蓋』が興味深いのは、その多面的な視点を持っているということだ。この映画の外伝とも言うべきスピンオフドラマ映像がYoutubeに挙げられている。

 この映像は、今日の時点で3本挙げられている。

 スピンオフ映像1は、ある記者が、自らの取材によって注水を止めたのは官邸の指示ではなかったという結果を、マスコミはなぜ広く伝えようとしないのかを問うものになっている。

 注水を止めよというのは、官邸の指示ではなかった、では、誰がそれを指示したのは藪の中になっている。しかし、結局、「注水を止めたのは官邸の指示だった」というデマが広がり、世論の民主党政権退陣の雰囲気の後押しのひとつになっていった。そして、マスコミは後にあの時の官邸の状況を知ったとしても、それを報道することはなかった。

 スピンオフ映像2は、原発を誘致した側には、誘致をした理由があるということである。たんなる反原発では、原発をやめることはできないということだ。

 このスピンオフ映像2を見て、『太陽の蓋』はこれまで観てきた様々な反原発映画とは違うものを感じた。原発を誘致する側にも切実な理由があるというであり、それに対して「正しい」異議を唱えても伝わらない。原発による地域の経済安定と、原発の持つ危険性を知る作業員の複雑な心情が出ている。

 スピンオフ映像3は、原発事故が起こると、その被害規模は想像を超える程大きいということだ。原発は、これだけの大きな被害コストに見合うものなのかという根本的な議論を、我々はしてこなかった。政府と電力会社がいう安全神話により、本来の考えるべき原発の本当のコストを正面から考えることをしてこなかった。

 『太陽の蓋』は、本編である映画と、この3本のスピンオフ映像でできていると言ってもいいだろう。映画館で映画を観て、それで終わりなのではなく、何度も考えなくてはならない。そのことを、映画本編とこの3本のスピンオフ映像は教えてくれるのである。

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