天皇の「生前退位」
「天皇」をどう考えるのかということは、ややこしい。
遠い昔、日本列島の西の九州地方にあった、とある王権の族長として考えるか、後の日本列島の本州全域にまでを支配下においた大和朝廷の王として考えるか、12世紀に鎌倉に武家の政権ができた以降、もうひとつの公家の権威の代表者として考えるか、あるいは明治以後の大日本帝国の国体そのものであり、国家神道の祭司として考えるかで大きく違ってくる。さらに言えば、戦後の日本国憲法での象徴天皇としての存在もある。
今回の天皇の発言は、ご高齢により天皇の職務を果たすことができなくなったので、その職責から離れたいということである。我々日本国民の多くは臣下の日本国民は、天皇の発言をしごくもっともな話であると受け止め、退位することになんの異議を感じてはない。ところが、法律ではそうしたことは想定していないので、法律を変えなくてならないということでもめている。「生前退位」を認めたくない人々がいる。
おおざっぱに言えば、明治以前の二千年近くの年月の時代の天皇と、明治以後の百数十年の年月の時代の天皇は根本的に違っていると言えるだろう。明治以前であれば、天皇は退位しようと思えば、退位ができ、上皇になるのが当然のことであった。しかしながら、明治以後の天皇はそうしたことがカンタンに通る存在ではなくなった。存在ではなくなったというか、そういう存在にしたのが明治政府であった。
徳川幕府を天皇の権威をもって滅ばした者たちは、政治が天皇の権威を利用することの威力を十分過ぎる程良く理解していた。徳川幕府を創設した徳川家康も、このことは知っており、幕藩体制の中に天皇を置いてきたのであるが、明治政府はそれ以上に、天皇を完全に政府の管理下に置くシステムを作った。天皇を徹頭徹尾、政治的、かつ宗教的な「記号」とし「機関」としたのである。その意味で、美濃部達吉の天皇機関説は正しかったと言えるだろう。
戦後の日本もまた、基本的に明治政府が作った天皇のあり方を継承している。GHQの占領下にあった昭和21年に、昭和天皇はいわゆる「人間宣言」を行ったが、日本国民にとって、天皇が実際のカミではないことは、ある種当たり前のことであったので、これはなんの意味もなかった。GHQは天皇が自分はカミではないと言えば、天皇をカミとすることはなくなると思ったのであろう。これは唯一神の文化では正しいが、日本のカミ観念はそうしたものではない。GHQは、この本質を理解していかなった。
しかしこのことは、つまり、天皇その人の自由意思では、天皇であることも、天皇でなくなることも、どうにもならないということを表している。今回の天皇のご発言は、天皇は自由意思を持つことができるのかということを政府と国民に問いかけたという、日本史上、かつてなかった初めてのことなのだ。
今回のご発言では、摂政をおくことはしないと言われた。天皇を退位したいと言われたのである。今上天皇の退位とは、皇太子の天皇即位を意味する。そして、次の皇位継承者は、現在の内親王になるということになる。つまり、女性天皇になるということである。この女性天皇に親王ができたとしても、この親王は女系天皇になるということになる。今回のご発言があってもなくても、これは直面する問題であったが、ご発言により、この問題がいっそうの現実さをもって現れることになった。
歴史上、天皇は男系が継承してきた。もちろん、女性天皇はあったが、その子が天皇になることはなかった。ただし、一部例外はある。飛鳥から奈良時代にかけて、女性天皇の娘が天皇になったことはあった。しかし、これは中継ぎのようなものとして考えることができるだろう。基本、男系が可能であったのは、いうまでもなく子供の数が多かったからであり、つまりは一夫一妻制ではなかったからである。しかしながら、だからといって皇室に複数の皇后や中宮をおくことは、今の時代では不可能である。
では、宮家の男子から皇位継承者をつれてくるとどうなるであろうか。皇室においては、公開される情報は統制されているが、宮家は一般市民となんら変わりはない。今の世の中は、大衆ネット社会である。宮家から誰それという男性皇位継承者をつれてきても、その者のこれまでの素行や言動が調べられて、その情報はネットですぐに広がるであろう。そうなると、天皇の権威は成り立たなくなる。
江戸時代、日本人の大多数は、京の天皇というものをあまり知らなかった。知らなくても、別に困ることでもなんでもなかった。天皇制を日本全国、津々浦々、植民地である台湾、朝鮮に至るまで普及させたのは明治政府である。さらに、天皇その人と国体を同一のものとしたのは、昭和戦前期の政府であり軍部である。もともと、鎌倉に武家の政権ができて以来、天皇は京都の、あるいは西日本の権威であり、それ以上のものでなかった。尊皇思想が日本全体を覆うものになったのは、ある歴史的な過程がある。その時代は過ぎ去った。
上皇もあり得るように皇室典範を改正するのが、自然の流れであると思う。
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