フランスのトラックテロ
フランス南部ニースで、14日(日本時間では15日朝)、大型トラックが革命記念日の休日を楽しむ群衆に突っ込むというテロが起きた。犯行者は、現場で警察との銃撃戦の末に射殺されたという。この事件について、イスラム過激派組織から犯行声明は出ておらず、犯行は単独で実行したローンウルフのテロである可能性が高いとしている。
毎日新聞によると「同容疑者は仏情報機関の過激派リストに載っておらず、監視対象ではなかった。ロイター通信によると、欧州の他の情報機関も同容疑者を過激派関係者として把握していないという。 」とのことだ。つまり、ISともシリアともイラクとも、イスラム教そのものとも関係ない、イスラム過激派がどうこうということではなく、ただの一人の個人が群衆の中にトラックを暴走させたということだ。
国連安全保障理事会は14日、フランス南部ニースでのテロについて、「野蛮で卑劣なテロ攻撃を最も強い言葉で非難する」との報道声明を発表したというが、個人が起こした事件について、何に向かって非難をするのであろうか。
一般的に、シリアやイラクにISの指令中枢のようなものがあり、そこから世界各地にテロリストのネットワークがあるように思われているが、実際のところ、そうしたものがあるわけではない。むしろ、社会に不満を持つ者たちが、そうした情報に触れることによって、その意思が助長され、「聖戦」として正当化されることによって、さまざまな国や地域で独自の展開をしていると考える方が正しいように思う。
オランド大統領は、「テロとの戦いに対するフランスの決意をくじくことはできない」と述べ、シリアやイラクへの空爆を増やし、ISの根拠地を壊滅させると言っているが、そうしたことはテロを防ぐということにおいて、まったく意味を持たない。ましてや、今回のようなローンウルフの個人の犯行では、シリアやイラクになにをしようと関係はなく、またテロは繰り返されるであろう。外国への軍事行為や国内の警備や監視体制の強化では、テロはなくならない。
フランスにとって必要なことは、シリアやイラクへの空爆でもなく、ISがどうこうということではない。フランスという国に住む人々は、誰も群衆に向かってトラックを暴走させるという意識を持つことはないようになるということだ。
つまり、求められていることは良き治世なのである。南仏もそうであるように、フランスでは、パリから離れると政府から見捨てられた地域が数多くあり、そこで暮らす人々は、自分たちはフランスに帰属していると感じていない。歴然とした格差の問題や教育の問題がある。そうした国内の社会問題への対応が、テロを防ぐことになる。むしろ危惧すべきことは、こうした事件に便乗して右派の勢力が高まり、国民の自由と人権が不当に制限されるようになることである。
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