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June 19, 2016

『帰ってきたヒトラー』

 『帰ってきたヒトラー』という映画を観た。

 現代のドイツにヒトラーがタイムスリップするというこの映画は、コメディ映画だと思ってたが、産経新聞でこの映画の紹介を読むと「コメディーで始まった物語が風刺劇に変わり、最後は悲劇で終わる。」という。おや、これは、ただのコメディではないのかなと思い、ネットで少し調べてみると、原作の小説があって、ドイツではベストセラーになったという。コメディなのであるが、実はかなりシリアスな内容を持った作品のようだ。これは観なくてはと思い、早速観てきた。

 この映画は、実際の今のドイツの政治状況とか、映画『ヒトラー最後の12日間』のパロディとかもあって、ブラックジョーク満載でおもしろかった。アドルフ・ヒトラーは、1945年に地下壕で自殺し、その遺体はガソリンをかけて燃やされた。この映画は、そのヒトラーがベルリンのとある公園で目覚めるシーンから始まる。そこは、2014年のベルリンであった。

 なにしろ、ヒトラーその人、本人が、現代のドイツに現れるのである。ところが、人々は、この人物をヒトラーの物まねコメディアンとして扱い、当然のことながら本物とはまったく思わない。ヒットー本人が「私はヒトラーである」と言っているのに、周囲の人々は、この人物をただの芸人としてしか思わない。このへん、小松左京のSF小説で、ある日突然、宇宙人が日本にやってくる作品があるが、映画を観ていて、小松さんのこの作品を思い出した。現代人は、宇宙人が現れようが、ヒトラーが現れようが、まったく驚くこともせず気にしないのである。

 興味深いのは、このヒトラーは、ドイツの敗北が濃厚になり、重度のパラノイアと左手が震えるパーキンソン病になっていた第二次世界大戦末期のヒトラーではなく、ナチ党を結成し、1933年の選挙で首相に選ばれた当時のヒトラーだということだ。そもそもヒトラーその人なのだから、自分かつてやってきたことを、再び2014年のドイツでやろうとしても不思議ではない。

 ヒトラーはドイツ各地をめぐり、人々の抱えた不満に耳を傾け、聞き入る。民衆がなにを求めているのかを、実際に民衆と対話して知ろうと努める。このシーンは、ドキュメンタリータッチになっていて興味深い。人々が何を不満に感じているのか、その実体を素直に調べ、民衆の声に耳を傾け、そして巧みな演説で人々の心をつかむという政治を、ヒトラーという人物は持っていることがよくわかるシーンになっている。

 普通であれば、オレは総統なんだと偉ぶり、民衆を平気で「処分」することができる人物である。その男が、今自分が置かれている2014年という状況に見事に対応し、ここから再度、政治権力を手中にするために、民衆の心をつかむことを一からやり直す。それほど、この男は政治家として優れているということであり、この偏執狂的と言える程の前向きな思考と柔軟な発想の姿に、ヒトラーは人々を惹きつけるこういう人物だったんだろうなと思わせる説得力がある。

 テレビのバラエティ番組で、このヒトラーが演説をするシーンがある。ヒトラーがしゃべろうとしていても、テレビ局内の番組の聴衆は騒いでいる。この騒いでいる聴衆を前にして、彼は黙ってただ立っている。やがて、ヒトラーの沈黙に耐えかねるように聴衆が静まると、ヒトラーはゆっくりと話し始める。この演説の始まりのやり方は、ヒトラーの演説の方法だった。こういうシーンひとつをとっても、このヒトラーは、あのヒトラーなのだと思わせるようになっている。

 そして、このヒトラーは、現代の人々の声を聞いていくと、この時代にも、移民や失業、貧困、格差問題があることを知っていく。戦前のドイツと今のドイツで、ヒトラーが主張していることが重なるのだ。この映画は、それを難民排斥デモのニューズ映像などを交えて表現している。ここで、この映画の本当の意味を知る。

 ヒトラーはネットで爆発的な支持を得て、やがて政治家たちも、彼が人気者になるにつれ、彼に接近してくるようになる。

 このヒトラーの本性を見抜くのは、かつて家族が収容所へ送られ殺された、今は痴呆症になっているユダヤ人の老婆である。老婆は言う。あの頃も人々は最初はヒトラーを笑っていた、と。

 ヒトラーは遠い歴史の忘却の彼方に消え去ったが、民族主義や排他主義の意識は今でもなくなっていない。今も人々の心の中にある民族主義は、巧みな政治指導者が現れれば簡単に表に出てくる。大衆扇動やポピュリズムに対して民主主義はまったくの無力であるように、ファシズムに対しても民主主義は無力なのだ。ヒトラーをなくしても、またヒトラー的なるものが現れる。ヒトラーは何度でも帰ってくる。ヒトラーがいたからドイツがああなったのではなく、人々がヒトラーを登場させたのだと、この映画はパロディで娯楽映画でありながら、そのことを正面から堂々と言っている。

 ドイツでは、ヒトラーやナチズムについて、おおっぴらに語ることができない雰囲気が今もあるという。この映画、(というか原作の小説は)、そうした今のドイツで、しかも、あれはナチスの戦争犯罪であったという歴史認識が一般化しているドイツで、こうしたことを言っているということに意味がある。

 この物語の中で歴史学者は出てこなかった。歴史学者ならば、ヒトラーの第三帝国が結局どうなったのかを論じることができる。極端な民族主義の末路がどうなるかを語ることができる。ただし、それはヒトラーに語ることはできても、人々に語り得るかどうかということなる。

 日本では政策として移民を受け入れることをしていない。そのためもあって、日本ではヨーロッパの移民問題をなかなか理解できないところがある。しかしながら、今のヨーロッパの移民問題はかなり大きい。自分たちの生活圏に、イスラム教徒の集団が「はいりこんでくる」という感覚はかなり深刻なものになっている。この映画のラストは、この帰ってきたヒトラーを支持し、極右傾化していくドイツである。

 この映画は、もちろんフィクションである。フィクションであるからこそ表現し得ないものを表現し、そして実は、それが最も真実を現しているという文芸の持つ重要な力を現している。おそらく、帰ってきたヒトラーに対抗し得るものは、こうした文芸の力なのだろう。

 このような作品を日本で作るとなると、どうなるだろうか。「帰ってきた東條英機」であろうか。しかし、東條英機は、演説は上手くなくカリスマ性も能力もない、ただの軍事官僚だった。戦前、戦中を通して、日本国民は東條英機を支持したわけではない。では、誰だろう。帝国陸軍そのものだろうか。しかし「帰ってきた大日本帝国陸軍」では、これもまた支持する人は少ないだろう。国家総動員体制の確立と大陸に侵攻し資源を獲得することは、陸軍軍務局長の永田鉄山が考えていたことであったが、今のグローバル経済の時代ではこんな考えは通用しない。

 日本が戦争に突き進んでいった背景のひとつに、世論があり、国民の気分があったことは事実である。それを煽ったのは、軍部というよりもメディアであったことも事実である。それでは、誰が、あるいはなにが、その中心的な指導的役割を果たしていたのかということになると、具体的な人物が挙げられない。大東亜戦争は、一人のカリスマ的指導者が現れ、国民がそれを支持して始まった戦争ではなかった。そして、この状態は、ドイツがそうであるように、日本もまた戦後70年たっても変わっていない。だからこそ、日本の状況は、ドイツ以上に複雑でより深刻なのだ。

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