人工元素「ニホニウム」
理化学研究所(理研)が、113番の新しい元素「ニホニウム」を発見したという。
これのなにが凄いのか、さっぱりわからない。
これは自然界に存在する元素ではない。この新元素は、加速器で83番の元素「ビスマス」に、30番の元素「亜鉛」を高速で衝突させて核融合反応で作る人工元素であるという。しかも、その存在時間は0・002秒だという。これが宇宙生成から今日に至るまで、自然界に存在した可能性は著しく低い。
この発見が、物質の謎や宇宙の解明につながるわけではなく、ましてや新エネルギーや新素材などといった工学的な応用につながるものでもない。この人工元素の発見に理研が費やした費用は、東京新聞によると「実験で使った費用は、機器の開発費が約三億円、延べ五百五十日間の実験費用が約三億円、消耗品に一億円弱の計七億円弱だった。新元素の検出に使う半導体は一枚約百万円」とのことだ。
これはなにも理研がどうこうというものではなく、今の科学研究はこういうものになっている。本来、科学は自然界を相手にするものであった。ところが、今の科学は、高価なお金がかかる実験環境の中で、人工的な操作を行って「発見」をするものになっている。新元素の「発見」は、こうしたやり方で、世界各国で競い合っているのが現状である。理研は、次の新元素の「発見」のために、そのための次期装置に約40億円かかることを文科省に申請しているという。
もちろん、こうした人工的に元素を作ることが、自然界のさらなる解明につながることがあるかもしれない。しかし、その一方で国の科学研究予算には限りがある。どんな研究であっても、ふんだんにカネが使えるほどの予算はこの国にはない。
国がある目的と意図をもって、高額の資金を投入し、そして成果を上げるという構想と計画をもって遂行されるのが現代のビックサイエンスである。この新元素に「ニホニウム」という名前がついたのは、日本人が日本国家の事業で「発見」したものであるという意識があるのであろう。これだけのカネと人材を投入しなければ「発見」できないものであるのだから、それは当然のことなのかもしれない。
しかしながら、本来、自然には国家などといった人の区分けはない。物理現象の仕組みは、全宇宙で共通である(もちろん、細かく言うといろいろあるが)。国が巨額の資金を投入しなければできない研究であり、その成果に国の名前をつけるということと、自然科学の本来のあり方とはどうも合わないように思う。理研は、これを基礎研究と言っているが、これは古典的な意味での基礎研究や基礎科学ではない。
もちろん、そうしたひと昔もふた昔も前の科学観では、今の時代はやっていけないのであろう。
しかし、私の個人的意見で言えば、これは自然科学や工学とは別の次元の話なのだろうと思う。国の予算配分について言えば、初等教育から大学に至るまでの理科教育、科学教育の充実や、社会人への科学知識の普及など、国が予算を使ってやるべきことは他に数多くある。
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