日本の王朝時代劇ドラマはなぜないのか
このところ、韓国時代劇ドラマ『イ・サン』を見ている。
10年くらい前のテレビ番組である。私は、この名作時代劇ドラマを見ていなかったのだ。『イ・サン』という韓国歴史ドラマがあることは知っていた。知っていたが、全77話をレンタルDVDで借りて見るのは、それなりに手間とお金がかかるなあと思い、見ることがなかった。dTVで『ホジュン』のリメイク版を全話見終わって、さて次に何を見るかと思い、作品リストの中に名作の誉れ高い『イ・サン』があることに気がついて見ることにした。
『イ・サン』は、李氏朝鮮の第22代国王の正祖を主人公とした時代劇ドラマである。監督はイ・ビョンフンで、この人は名作時代劇ドラマ『ホジュン 宮廷医官への道』の監督さんで、『ホジュン』のリメイク版を見て、以前見た旧作『ホジュン』のことをついて調べていたら、監督が『宮廷女官チャングムの誓い』の人で、この人の作品に『イ・サン』や『トンイ』や『馬医』があることを知ったのだった。そこで、これは(dTVで全話見れるのだし)『イ・サン』を見なければと思ったのだ。しかし、こんな韓国ドラマの基礎知識は、昨今の寒流ドラマ愛好者には当然のことであり、誰もが知っていることだ。私は韓国映画はそれなりに見ているのだが、テレビドラマの方はさっぱり知らないのだ。
韓国の歴史ドラマは映画にせよテレビにせよ、学ぶことが多い。基本的に、朝鮮の文化や歴史について活字を通してしか知らない者にとって、映像ドラマで見るのは大変勉強になる。しかしながら、韓国歴史ドラマの話は別の機会に書くこととして、今回考えてみたいのは我が国、日本のことだ。
日本の王朝である天皇家にも、その長い歴史の中で、様々なドラマがあったはずである。しかしながら、そうしたことが映画やテレビの時代劇ドラマで扱われることが極めて少ない。なぜなのであろうか。
ひとつ言えることは、韓国では王政は完全に廃止され、遠い歴史の出来事になっているにの対して、日本では天皇制は今だ続いているということだ。このへんに、そう簡単にはテレビドラマにできない理由があるのかもしれない。仮に天皇家の時代劇ドラマ番組を作ろうということになっても、そもそもスポンサーがつくのかどうかという問題もあるだろう。
もう一つの点として、日本の天皇と朝鮮の国王の意味や役割の違いがある。日本史の中で、歴史に大きな影響を及ぼす劇的な生涯を送った天皇は、古代の大和時代から14世紀の南北朝時代の後醍醐天皇を最後として、その後、歴史の表舞台には姿が見えなくなる。次に、天皇が表舞台に出てくるのは幕末の孝明天皇である。しかし、どうも、これら日本の王朝史劇は、韓国と比べて劇的要素が低い。日本は、12世紀に鎌倉幕府が成立し、以後、武家による支配統治と天皇の権威の二重構造の社会であり、大王としての天皇が最高権力者であることはなかった。こうしたことに、王朝ドラマに成りにくい点があるのかもしれない。
天皇には祭司のとしての役割が濃厚にあるが、それと比較して、朝鮮の国王には、為政者としての役割が大きい。朝鮮は儒教の国である。儒教における優れた為政者とは、どのようなものであるのかという意識がある。朝鮮の国王は、都から出て、各地を巡り、民衆の生活の姿や奴婢たちの声をじかに聞くことを行うが、日本の天皇の行幸にはそうしたものがない。朝鮮には、民衆の声を聞くのが儒教における徳の体現者としての国王の役割であるという思想があるからである。もちろん、これは為政者としての役割は武家が努め、天皇にはその役割がなかったということも言えるが、そのためもあって、天皇は民衆よりも神道の神々の方が近い。これは、なかなかドラマには成りにくいとは思う。
少なくとも、明治時代から今日至る近現代の天皇を扱うのは、かなり困難であろう。李氏朝鮮の最後の国王高宗とその后閔妃の時代劇ドラマ番組があるが、どうも見たいとは思わない内容のようなので見ていない。日本による日韓併合はもちろん間違った出来事であったが、あの時代の朝鮮と高宗をどのように歴史的に解釈するのかは難しい。同様に、明治・大正・昭和の天皇をどのように解釈するのかは難しい。また、古代の天皇を扱うのも難しい。三韓征伐を行ったとされる神功皇后のドラマをやるとなると、日韓関係はもめるだろう。しかし、大化改新や壬申の乱前後の頃から持統天皇に続く時代も劇的な時代だった。
このような韓国のような絢爛豪華で、権力への野望と政治抗争劇の歴史ドラマが、日本でもできないものかと思う。日本史上、最も劇的な時代のひとつといえるのが、平安末期の保元・平治の乱による武家の台頭から鎌倉幕府の創世と滅亡、南北朝の騒乱に至る時代である。この時代の天皇家の物語を韓国時代劇ドラマに負けない程の内容でドラマ番組にしてくれないものかと思う。
歴史の表舞台には一切出ることはなく、何事もなかったのような江戸時代でも、天皇家には実はこのようなことがあったという新発見はないものだろうか。
天皇家の物語だけではない、今の歴史ドラマは内容は固定化して、新しい物語がない。国が歴史研究にもっと予算を出し、歴史家が隠れた物語を発見し、ドラマ作家がそれらをドラマにし、テレビ局がドラマ番組を作成し放送する。番組は日本だけではなく、大陸中国、香港、台湾、韓国、その他の国々でも放送し、その収益を得るというビジネスモデルができないものだろうか。
« 3.11にもっとこだわらなくてはならない | Main | 熊本地震 »
Comments