熊本地震
熊本地震と書いたが、16日未明、熊本県阿蘇地方や大分県中部などで相次いで地震が起きている。熊本だけの地震ではなくなっているようだ。
映像で震災の光景を見ると、その被害の大きさに驚くとともに、これが東京で起きたら被害はもっと大きいだろうと思う。
今回の地震は、余震が多いのが気になる。最近の地震は、これまでの地震にはなかった現象が多い。震源地が東に移動していることも気になる。東には阿蘇山がある。これは始まりであり、これからさらに大きな震災が起こるのだろうか。
大地は不動ではなく、動くものなのである。その動く物体の上に、我々は文明を作り、暮らしを営んでいる。九州では、今夜から大雨になるという。地震の被災の次に豪雨である。かつて、この列島の上に人が住んでいなかった時も、大地は揺れ、豪雨が降っていた。自然は、人の都合などに関わっていない。地球について、いわゆる最新の科学・技術でもわかっていないことが多い、わからない。
地球は、人の都合には無関心である。人がいようがいまいが、文明があろうがあるまいが、地震は起こる時は起こる。人知を超えたなにものかであるとしかいいようがないというものが、この世にはあるということを、近代以後、人々はすぐに忘れるということを意識する必要がある。
今朝の産経の産経抄が、相も変わらず愚かしい。
「一方、同党の夏の参院選公認候補は、九州電力に鹿児島県薩摩川内市の川内原発の稼働を止めるよう電話し、ツイッターでこう訴えた。「もう誰の故郷も電力会社や、原発利権に縛られた日本政府、与党議員などに、奪われたくない」。
熊本の被災者は二の次で、己の政治的主張を優先したとの印象を受ける。公認候補はガイガー(放射線量計測器)による監視も勧めていたが、川内原発付近の揺れは震度4で原発はびくともしていない。
共産党も負けてはいない。池内沙織衆院議員は、やはり「川内原発を今すぐ止めよ」「福島原発事故は収束しておらず、被災者の生活苦は終わっていない」などと書き込んだ。全く異なる事例をいたずらに同一視し、国民の不安をあおっている。」
熊本の地震を見て、原発を心配するのは当然のことだ。日本は、地震が起きやすい列島なのである。こうした地震列島で原発を数多く建てるということが、そもそも間違っている、そう思うのは当然のことだ。
今回のこれほどの地震に対して、川内原発が停止しないということが問題なのであって、「びくともしていない」ということは安全対策が十分ではないということの証拠である。原発は事故が起これば、その被害は計り知れないものになる、だからこそ原発付近の地震には注意しなければならないという危機意識がないのであろう。政府も九州電力も、311からなにも学んでいない。
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