3.11にもっとこだわらなくてはならない
先日、NHKオンデマンドで、NHKスペシャルの震災5年目の関連番組をまとめて見た。
改めて、あの震災を見てみると、ものすごい出来事であったと思う。あの震災とは、地震と地震による津波被害と福島第一原発の事故である。そして、これらの出来事の後の避難体制の不手際が、より一層の被害をもたらした。
今でも原発の稼働を主張している人々は、これら一連のNHKの番組をしっかりと見るべきであろう。これらの番組からわかることは、国とか東電本社とかはあてにならないということである。国や東電本社が信用できない状態で、どうして原発を稼働することができるのであろうか。
地震は起こりえる自然現象であり、これへの対策は可能だ。原発事故は、工学的に防ぎ得る。しかしながら、事故が起きた際の国や地方自治体の対応が、今もって十分な対策がとられていない。産経新聞などが、原発の安全性を司法が判断し得るのかと言っているが、大津地裁が高浜原発の運転差し止めの仮処分を認めたのは、もし仮に事故が起きた場合、住民避難の体制が十分にできていない現状を指摘しているのである。
実際のところ、この国の行政組織について言えば、突発的な状況になると、まともに機能しなくなる。その昔、勝海舟は米国から帰ってきて、幕閣からアメリカはどのような国であったのかを問われた際、あの国は上に行くほど有能な人材になるという意味のことを言ったそうであるが、この国の行政のそうした体質は、江戸時代から変わっていないのではないかと思う。
もともと、官尊民卑が日本の行政の本質である。このへんの本質が、今の社会保障制度の薄さやパブリック・サービスとしての情報公開をほとんどしない姿にも表れている。人権という概念は、程度の差はあれ、アジア諸国には歴史的になじみがないものであった。日本もまた、アメリカが占領期に作った日本国憲法で広く知られるようになった概念である。昔から日本の行政組織は、一般国民の生命・財産を守るというものではなかった。
だからこそ、震災時や原発事故時などについては、そうとうな考え方の転換をもって、住民避難のあり方や情報公開の姿を定めなくてはならないのであるが、このへんができない、できていないのが現状である。
3.11は、この国が、国家的な危機的状況に陥った事態であった。そして、それらの状況は、いまでも続いているものがある。その後の調査でわかったことが数多くある。年月を経て、あの時の出来事をようやく語ることができるようになった被災者の方々、当事者の方々がいる。むしろ、5年たったこれからが、あの出来事はなんであったのかを考えることができるようになった。我々は、この出来事から学ぶべきことは多い。
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