辺野古訴訟和解
沖縄の翁長雄志知事による辺野古の埋め立て承認取り消しをめぐる「代執行訴訟」で、県と国は福岡高裁那覇支部が示した和解勧告案を受け入れ、和解が成立したという。
ようするに、工事は中断され、翁長知事が埋め立て承認を取り消した時点に戻るということである。国は辺野古移転を取り下げておらず、沖縄は辺野古移転は承認しないとしている。なにがどう変わることはなく、ただ単に問題を先送りしただけだ。
産経新聞の社説が書いているように「6月5日投開票の沖縄県議選や夏の参院選への影響を考慮して双方が一時的な問題の棚上げを図ったにすぎないのであれば、成果は全く期待できない。」のである。
この「なにがどう変わることはなく、ただ単に問題を先送りする」というのは、これまで安倍政権が行ってきた手法である。日本経済の根本問題をなんら解決することはないアベノミクスしかり。アメリカ頼みで、自分たちで解決しようという意思すらない北朝鮮拉致問題しかり。日韓の慰安婦問題しかり。一見、なにか物事が進展したように見えるが、実は何も進んでおらず、ただ問題が先送りされただけというやり方を行うのが安倍政権は上手い。
こういうことは先送りするが、憲法改正は先送りする気はないようである。今やるべきことを今やらず、今やるべきではないことを、今やろうとするのが安倍政権である。
今回に和解で国と県は協議すると言いながら、安倍首相はその日に、記者団に「辺野古が唯一の選択肢であるという国の考え方に変わりはない」と言ったという。これは、協議するつもりなどまったくないと言っていることを同じだ。安倍政権のいう「和解」とは、沖縄側が辺野古移設を承認するということであるが、そんなものを和解とは呼ばない。
沖縄タイムスを読むと、辺野古の基地建設の埋め立て承認の違法性を争う国と県の代執行訴訟の争いは、かなり踏み込んだものになっている。沖縄タイムスはこう書いている。
「県側は、戦後71年に及ぶ米軍基地の過重負担を受けた上、100年以上の耐用年数を持ち、機能強化される基地の建設は「焼け太り」「盗人に追い銭」と厳しく追及。沖縄の将来の発展を考えると、埋め立て承認の要件である「国土利用上適正かつ合理的」とは到底言えないとした。
また、仲井真前知事の承認には辺野古大浦湾の希少な生態系を保全するという観点が全く欠けていたと主張。辺野古集落への騒音影響が軽微であるという国の評価も、日本政府が米軍の運用に口出しできない実態から「信用性がない」と突っぱねた。代執行手続きの要件で、「知事が是正する見込みがない」という国の主張を「それこそ政治的な議論」と非難した。」
沖縄が国に求めているのは、普天間返還と辺野古移転中止である。沖縄が言っていることは、どこをどう見てもまっとうな正しいことだ。とかく政治の世界では「正しいこと」が通らないことが多い。だからこそ、翁長知事は公開される法廷論争の場に出ているのであろう。
仮に、国に都合がいい判決になった場合、沖縄県はさらなる訴訟を提起して、最終的には最高裁にまで行くだろう。最高裁にまで行ったとしても、裁判の判決理由は広く国民に提示されることになり、その内容が納得できるものであるのかどうかが問われることになる。例えば、砂川裁判のようなことはもはやできないであろう。
普天間基地が返還され、辺野古移転が中止になっても米軍側はなにも困ることはない。何度も書いているが、嘉手納基地の返還運動にまで広がることこそ在日米軍が最も困ることなのである。
おもしろいのが、3月5日の産経の社説を読むと、産経新聞はここまで辺野古移転をこじらせたのは安倍総理の側に問題があると認めるようになってきたように感じられる。読んでいて、まったくその通りと思っためずらしい産経の社説であった。この社説の最後に、こう書いてある。
「移設問題では昨年も工事を中断して集中協議を行ったが、歩み寄りは見られず、翁長氏は埋め立て承認の取り消しに踏み切った。
再協議で同じ轍(てつ)を踏んではなるまい。普天間飛行場の固定化を避け、危険性を早期に除去する必要性を県民に対して丁寧に説明し、理解を促す努力が必要だ。」
「日米間で普天間飛行場の返還を合意してから約20年が経過した。この間に「5~7年以内」などの返還期限も設定されたが、いずれも実現していない。平成25年に両国政府が合意した返還時期は、34(2022)年度だ。
約束の不履行が続いている現状は、日米同盟にも影を落としかねない。和解が解決への光明となるなら歓迎したい。」
国と沖縄の関係を険悪化させ、またもや問題を先送りして、悪いのは沖縄の方だの一点張りの無能な政府に、産経ですらも本音のところでは、愛想がつき始めているのではないだろうか。
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