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February 2016

February 28, 2016

これからの北朝鮮をどうするのか

 アメリカは25日、国連安全保障理事会で対北朝鮮追加制裁決議案を発表した。北朝鮮への完全なる経済封鎖である。経済封鎖をやるとしても、日本や中国がこれに従わなくて意味はない。日本がアメリカに従うのはもはや問題外として、問題は中国である。しかし、今回の経済封鎖については中国もまた決議採択を支持する側にまわった。中国としては、言うことをきかない金正恩体制に見切りをつけたいのであろう。

 日本にとって北朝鮮問題とは、軍事的脅威ではない。なにが問題なのかと言えば、第二次朝鮮戦争が起こることによる影響と、今の独裁体制が崩壊した時、大いに予想される北朝鮮の社会混乱の影響である。

 対北朝鮮追加制裁決議案というのは、「現在の北朝鮮」をどうするかということであって、「これからの北朝鮮」をどうするかということではない。しかしながら、この「これからの北朝鮮をどうするのか」という枠組みがまずあって、次に「現在の北朝鮮をどうするのか」という話の流れにならなくてはならないのだが、「これからの北朝鮮をどうするのか」ということについては、アメリカはあまり関心がない。アメリカは、太平洋の向こう側の東アジアのことについて積極的に関わるということをもうやめているのである。

 「これからの北朝鮮をどうするのか」ということについて、最も直接的に関係しているのは当然のごとく、南朝鮮の韓国であるが、隣国として関わってくるのが日本と中国なのである。つまり、アメリカが、ではなく、日中が中心になって「これからの北朝鮮をどうするのか」ということを考えなくてはならないのだ。本来、北朝鮮問題は日本と中国が扱うべき問題である。朝鮮半島を分断させたの直接的当事者は米中であるが、冷戦がなくなった今、アメリカの東アジアへの関与は著しく低下している。仁川に上陸し、人民解放軍に核攻撃をする許可を大統領に求めたアメリカはもはやいないのだ。今や、北朝鮮問題を解決する役目なのは日本と中国なのである。

 ところが、日本にはその能力がない。中国と台頭に渡り合える外交力や、北朝鮮に対する影響力がない。これが大きな足かせになっている。戦後70年、対米従属一辺倒でやってきて、周辺のアジア諸国との関係の強化をしてこなかったツケなのだ。逆から言えば、対米従属一辺倒でありさえすればよかったのが、戦後70年だった。周囲のアジア諸国に対しては、日本の経済発展のための関係だけを持っていればそれで済んだ時代だったのである。それが根本的に変わった。根本的に変わったのに、まだ対米従属一辺倒でやっていこうとしていることに大きな間違いがある。

 本来であれば、ケネディがキューバにソ連のミサイル基地が置かれることに断固拒否したように、北朝鮮が核兵器を持つ動きがあるのならば、日本はこれを断固阻止して当然なのであるが、日本にはそうした力がない。日本の飛来する(かもしれない)ミサイル(のようなもの)を防ごうと右往左往することと、相手の国の指導者と直接対話をして、そうした基地を持たさせないようにすることとは天地の違いがある。そうした直接的に影響力を行使する力を日本はもっておらず、アメリカ頼みの外交になっている。これらはすべて、この国が対米従属路線であることによるものなのだ。

 かつてベルリンの壁が崩壊し、ドイツが統一された時、低成長の東ドイツを西ドイツの経済が抱え込むことで、ドイツ全体の経済が低迷したことがあった。同様に、民族の統一は韓国の悲願であるが、北朝鮮を抱えることは韓国の経済にとって大きなマイナスをもたらすことになるだろう。これを支え、南北の朝鮮が同一することにとって、韓国のみならず日本と中国にとって大きな利益をもたらすというストーリーを作ることが必要だ。地理的に言えば、日本列島と朝鮮半島と中国東北部の地域は「ひとつの経済圏」になりうるのである。

 これは戦前の大日本帝国が、日本による植民地支配の下でやっていこうとしたことでもある。これからの時代は、日本と中国が北朝鮮に積極投資を行い、北朝鮮の根本的な改革を行うプランが必要だ。そうした大きなビジョンのもとで、金正恩体制をどう終わらさせるかを考えなくてはならない。これはアメリカがやることではなく、日本と中国が主体になってやることなのである。そしてこのことは、なくなりゆくアメリカン・ヘゲモニーから台頭しつつあるチャイナ・ヘゲモニーに対抗することになる。

 アメリカはグローバルに物事を扱うことができるが、中国はいまだ中華意識から脱却することができず、自国の利益だけでしか物事を扱わない。ASEAN諸国がチャイナ・ヘゲモニーを嫌うのはそういう理由からなのである。どの国も、中国国内のチベット自治区やウイグル自治区のようにはなりたくない。そんな東アジアを中国以外のどの国も望んではいない。だからこそ、そうならない東アジアを日本が提示する必要がある。その最も的確な事例として、北朝鮮問題があるのであるが、そうした国際感覚を持たない日本はそのことを知らず、あいかわらずのアメリカ頼みである。

 戦後日本の対米従属は、日本の独自外交の弱体化を招いてきたことを考えると、日本がアメリカ頼みを続けることは、実は結局、今後の東アジアにチャイナ・ヘゲモニーをもたらすことになるということをわかっていない人が多い。

February 20, 2016

アメリカは日本の戦争に巻き込まれたくない

 アメリカは、日本と中国が戦争になった場合、日本を助ける気はさらさらもない。中国軍が尖閣諸島に侵攻してきた際、今の日米安保条約では在日米軍は出動しなくても良いことになっている。昨年の安保関連法案の国会審議の時も、こんなものでは日本の防衛にはならないことを私は書いてきたが、結局その通りであることを産経新聞も認めざる得なくなったようだ。

 2月15日の産経のコラム【野口裕之の軍事情勢】にはこう書いてある。

「「米国の戦争に巻き込まれるな」とは、日米安全保障条約はじめ安保関連法の審議でも反対を続けたサヨクが執拗に繰り返す常套句だが、当の米国では「日本の戦争に巻き込まれるな」との論調が勃興している。」

 このコラムによると、米外交誌フォーリン・ポリシー1月15日号に、シンクタンクのランド研究所の著名な専門家に取材した記事が掲載され、その記事では「「日中尖閣紛争」への米国関与は超弩級の戦略的失敗を引き寄せる。尖閣に関する最善の危機管理は無視だろう」というのがランド研究所の提言であると述べられている。

 このコラムは書く。

「1月25日付米紙ウォールストリート・ジャーナルに載った論文にも、著者の狙いがそこにないとしても、日本防衛の戦略的価値を低く見積もる米国の一部潮流が透ける。」

 つまり、ウォールストリート・ジャーナルに掲載されたハドソン研究所らの専門家の論文も、結論として「日中紛争の勝者は中国、敗者は日本」であり、「米国の介入を嫌う中国と、外交解決に飛び付く日本の、双方で戦力の撤退、または縮小が図られ、国際社会も衝突回避を最優先に仲介を続ける」。そして、「調停過程で、オバマ政権は日本に対し、米国の全面介入による日米共同防衛を要請せぬよう圧力をかける」ようになるという。

 そして、このコラムも今の日米安保では、尖閣諸島での日中紛争に米軍は介入しないと述べている。

「確かに米太平洋軍司令官は1月27日、尖閣が「中国の攻撃を受ければ(安保条約に基づき)間違いなく防衛する」と、講演で明言した。バラク・オバマ大統領(54)も14年に同種の発言をしている。

 ところが、安保条約第5条が適用され、米軍出動を可能にするには《日本施政下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が自国の平和・安全を危うくする》と認めることが大前提。ランドが絡んだ自衛隊VS中国軍交戦シナリオで、米国は腰を引き5条事態をほぼ認定しなかった。ハドソンに至っては、5条が完全に空証文だった。中国が最も望む日中軍事衝突パターンだ。」

 強調しておきたいが、日本の国会がではなく、アメリカ議会が5条事態を認定するかしないかで、在日米軍は出動動するかしないかが決まるのである。今の日米安保は、そうした一方的なものなのである。なぜ、これを改めようとしないのであろうか。集団的自衛権どうこう以前のことであろう。

 アメリカのシンクタンクでは、尖閣諸島は日米同盟にとって「厄介モノ」になっている。アメリカの最優先事項は、米中の軍事衝突を避けるということである。産経のコラムは、アメリカのこうした考え方を今に始まったことのように書いているが、こんなことはずっと前から当たり前のことであった。

 そして、このコラムは最後にこう書いてある。

「尖閣を含め国家主権を独力で守り抜く覚悟・戦力の向上に全力を挙げると共に、効果的外交・世論工作で日米同盟の空洞化が、いかに米国の国益を侵害するかを理解させ、同盟引き締めを図らねばならぬ。「米国の戦争に巻き込まれる」とあおるのではなく、「米国を戦争に巻き込む」戦略こそ、日本に求められている。」

 とてもではないが話にならない。

 本来は米国の戦争であり、米国が責任を取るべきことについては、なるべく同盟国を最前線に立たせてやらせる、アメリカはやらない。そして、同盟国の戦争であっても、米国の戦争ではないことについては、米国が介入することはしない。同盟国だけでやる。これがアメリカの同盟国への方針である。

 「日米同盟の空洞化が、いかに米国の国益を侵害するかを理解させ」るなどということは、米国議会での膨大なロビー活動費を費やしているイスラエルなどならばいざしらず、ただでさえ国際交渉力、外交力のレベルが低い日本には不可能なことだ。ネタニヤフがやっていることは、アメリカをイスラエルとパレスチナの戦争に巻き込むことであるが、イスラエルはそのためにそれ相当の労力をかけている。新安保関連法とやらが「米国を戦争に巻き込む」戦略なのだとするならばお笑いものである。

 産経は上記のように、いざとなればアメリカは日本を助けることはしないということをよく知っていながら、日本は日本人の手で守ろうということはいわず、だからアメリカに日本を助けてもらう手を考えようと言っている。ここに産経の対米従属主義がある。産経は憲法改正は主張しながらも、対米従属をやめることはしないのである。対米従属のままでありたい、日本を防衛してくれる世界の警察官のアメリカ、強いアメリカであって欲しい、そのためには沖縄に基地を置き続けるし、思いやり予算も払い続けますと言っているのである。

 これはおかしなことだ。本来のあるべき姿でいうのならば、軍事に膨大なカネがかかるというのならば、その膨大なカネを払える程の巨大な経済力を持つ国にならなくてはならない。経済は豊かで、外交交渉力は強く、軍事は自国で自国の防衛をするという国にならなくてはならないはずだ。

 ところが、実際のところ、この国は巨額な借金を背負っている。少子高齢化で若者の数はどんどん少なくなっている。つまり、不可能な話なのである。今のこの国は、中国があーとか、北朝鮮があーとか言っている場合ではないのだ。

 日本側が(日本を防衛してくれる)強いアメリカであって欲しいと願い、対米従属であり続けようとするのは勝手である。しかしながら、何度も言うが、アメリカは自国のことで手一杯なのだ。

February 11, 2016

ニューハンプシャー州予備選の結果を見て

 9日のニューハンプシャー州予備選で、共和党はドナルド・トランプが勝利し、民主党はバーニー・サンダース上院議員が勝利した。

 実は、今日の記事のタイトルを「共和党の終焉」にしようかと思った。しかし、終焉というわけでもないなと思ったのでやめた。終焉というわけではないが、共和党は根本的に変わらなくては未来はないと思う。

 なにしろ、共和党は、次期大統領選挙の候補者レースで、ドナルド・トランプがトップなのである。どう見ても合衆国大統領の任に合わないこの人物を、共和党の大統領候補にしたいと望んでいる人々が多いということなのである。

 この光景を日本から眺めていると、共和党はここまで劣化したのかと思わざるを得ない。政治思想として、アメリカ保守思想は第一級の政治思想であり、アメリカ政治の知的レベルは世界最高であると確信してきた私にとって、この光景は衝撃的なものであった。あの共和党が、ここまで落ちてしまった。日本の総理大臣は誰がなろうとどうでもいいことであるが、アメリカの合衆国大統領である。合衆国大統領は誰がなってもいいと思っているのであろか。アメリカの政治は、日本の政治並の低レベルになってしまったのだろうか。

 まっとうな伝統的保守やリバータリアンは、どこへいってしまったのだろうか。これまでも共和党は、大統領選挙でサラ・ペイリンなど極端な保守主義者が出てきたが、トランプほどの極右な人物が出てくることはなかった。共和党の劣化は、共和党支持者の劣化である。つまり共和党支持者は、ろくでもない連中ばっかりになってしまったということだ。このことは、有権者の人口の中で、白人中産階級の層が著しく少なくなったことが理由のひとつとして挙げられる。アイゼンハワーやケネディの頃の輝けるアメリカや、保守革命のレーガン時代のアメリカなどは遠い昔のことになってしまった。

 共和党は、いつまでもレーガン時代の幻想にとりつかれていると、今後もますます没落していくであろう。ドナルド・トランプ現象は始まりなのだ。これからも、こういう人物が支持を得る政治集団に共和党はなっていくだろう。本来の共和党は、極右の政党集団ではない。しかしながら、共和党を極右政党にさせている程、国民の中にそうした社会感情が高まっているということである。

 このことは、民主党も同じだ。バーニー・サンダース上院議員の主張している政策は「正しい」ものであるが、実行可能なものかというと、そうではない。そもそも、財源の裏付けがない。サンダース上院議員が言っていることをやろうとすると、どれだけの予算がかかり、その予算をどこから持ってくるのかという話がない。今のアメリカの財政では不可能である。サンダース上院議員の政策は、やるとなるとまさしく社会主義革命になる。しかし、格差問題に真っ正面から立ち向かい、資本主義アメリカを切り捨ててもいいとする大統領候補者は、これまで出てこなかった。

 その意味で、よく言われているように、この両者は右派、左派の双方で、極端で過激なことを言っている。しかし、それが多数の有権者の支持を受けているということが重要だ。

 オバマが大統領になった時、オバマではアメリカは分裂すると言われた。しかしながら、オバマだからではなく、誰が大統領であろうとアメリカは分裂したのであるし、混乱している。つまり、誰々がではなく、アメリカという国そのものが混乱状態にあるのである。アメリカはかつてのような、一部の裕福な白人階級と大多数の中産階級がいる国ではない。問題なのは、この分裂し混乱した社会で、アメリカは、これからどのような政治状況になるのかということだ。そして、アメリカがこのような状態になっているということが、アメリカとアメリカ以外の国々の集まりである国際社会にとって、どのようなことになるのかということだ。

 トランプせよ、サンダースにせよ、今後の大統領選挙レースの中で消えていく可能性は高い。しかし、国民の多くは政治への不信感、連邦政府への不満を持っているということは変わることはない。これがいわば地球内部のマグマのように、いつ爆発するかわかわからない状況にあるという状態になるのが、今の、そしてこれからのアメリカである。大統領選挙の勝利者が誰になろうとも、トランプやサンダースを支持した多数の有権者を無視することはできない。政治の優先課題が格差と不法移民である国が、例えば中東派兵や中国やロシアに対しての強固な対応などできるわけがない。これからのアメリカは、オバマの時代以上に「世界の警察官ではないアメリカ」になっていくのである。

 そうなると国際社会的には、ますますほったらかしになる中東や中国やロシアを、誰が(どこの国が)どうするのかということになるのである。

 2016年の大統領選挙がこれまで以上に混迷状態になっているのは、今のアメリカの政治状況そのものを表している。そして、これは今の国際情勢を表している。ようするに、この先の展望が見えないということだ。

February 07, 2016

憲法改正の前に

 昨日の産経の産経抄。3日の衆院予算委員会で自民党の稲田朋美政調会長が、憲法学者の7割が自衛隊を違憲としているという質問に対して、安倍総理は、7割の憲法学者が自衛隊について憲法違反の疑いを持っている状況をなくすべきではないか、という考え方もあると回答し、改正の必要性を述べた質疑応答を踏まえてのコラムであろう。

 コラムではこう書かれている。

「このままにしていくことこそ、立憲主義を空洞化する」。自民党の稲田朋美政調会長が、3日の衆院予算委員会でこう問いかけたのは道理にかなう。誰が見ても無理がある解釈の積み重ねで切り抜けるばかりでは、憲法自体の信頼性を損なうことだろう。」

 そして、最後はこう書かれている。

「解せないのは、自衛隊違憲論を主張する憲法学者や、専門家の意見を尊重しろと声高に訴えてきた野党議員らの態度である。彼らこそ、憲法と自衛隊が矛盾したり、矛盾が疑われたりしないよう率先して改憲を求めていいはずだが。」

 ようするに、自衛隊は存在している。憲法には、戦力の保持をしないと記載されている。よって、憲法は正しくないのだから変えましょう、という話である。憲法を守る気はまったくない者たちが、立憲主義が空洞化すると言っているのだ。なんとでも言えるものである。

 つまり、戦後70年間、その憲法違反の自衛隊がなぜ存在していたのか、自衛隊が存在していながら、過去の自民党政権は、なぜ憲法を変えることをしてこなかったのか、ということへの思考が産経新聞には一切ないということだ。このへんが、いかにも産経らしい。

 もちろん、産経はこれで良いが、思慮の浅い者たちがこうした声を聴くと、あたかもこれが「正論」(産経新聞の雑誌の名前は「正論」だよな)であるかのように思い込み、ネトウヨになり、安倍信者になっていく。ここに右翼の劣化が始まる。

 戦後70年、自民党と非自民党(社会党や共産党など)のどちらも立脚しているひとつの点があった。それは護憲ということである。今の憲法はGHQが作ったもの、占領軍に押しつけられたものと言えば、確かにその通りである。しかしながら、日本国憲法にあった不戦、永久平和の理念は、敗戦下のどん底にあった日本人たちに希望の光を与えたものまた事実であった。二度と戦争はしない、戦力は持たないという意識は、この時代を経験した日本国民が強く意識している感情である。

 いわゆる戦後の時代というものが、経済発展の時代であったとするのであるのならば、それに対する価値として、日本国憲法の第9条があった。二度と戦争はしない、戦力は持たないという意識と、日本はただの敗戦国ではない、経済で世界大国になるという意識は対になるものであった。

 吉田茂にとって、国民の圧倒的支持を得る護憲であることを貫き通すことによって、冷戦下で自国の軍備は最小に止め、アメリカ軍の基地残留により、国の安全保障を確保し、あとは経済成長に力を注ぐという方法が可能になった。憲法9条と自衛隊は、相反するものではなく、むしろ双方が両立していることに、戦後日本の特筆すべきことがあったのである。

 また、南原繁ら、戦後のリベラル文化人たちが、日本国憲法に盛り込まれた20世紀の世界思想であった不戦、永久平和の理念を保持し続けるという意識、そして国連中心主義であるという意識を持っていたのは、そうした態度を持つことによって、戦前の悪しき日本の漆黒をぬぐい去った、新生の戦後日本のアイデンティティーを国際社会に示すということであったのであろう。確かにそれは、「日本」というカプセルの中だけでの平和主義であり、アメリカの核の傘の下での「世界平和思想」であった。しかし、そうであったとしても、そうであることによって、戦後の日本人は暮らしてきた。

 この感覚は、今なお、日本国民の中にある。

 しかしながら、その一方で、上記の感覚を維持してきた前提条件である、日本の経済成長と世界の警察官アメリカの存在がなくなった。また、国連の影響力など皆無に等しいことは周知のことである。

 だからこそ、国際社会に向かって、日本はどのような「世界はどうあるべきか」という理念を提示するのかということが憲法には記載されなくてはならない。少なくとも、実際には自衛隊があるのだから憲法第9条はなくしましょう、といった程度の低レベルの話では話にならない。

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