台湾の民主主義の健全さ
年の初めにこうしたことを書いてもうしわけないが、去年の年末に書いたように、この国の未来はもはや暗澹たるものである。政界、官界、財界、マスコミ、この4つは自分たちの既得権益を守るためにある。国全体が沈みゆく船になっているため、残された限りある利益を、これら4つはますます自分たちに向けられるようにしていくであろう。
国のあり方が間違っているとすれば、主権者である国民が、その意思を選挙によって表明し、国のやることを修正していくということが、民主主義国家の民主主義国家たる姿である。しかしながら、その選挙そのもののが正しく機能していない。
例えば、日本よりも台湾の方が、民主主義国家としてずっと進んでいる。1月16日に行われた台湾での総統選挙と立法委員選挙において、台湾独立を掲げる蔡英文総統が誕生し、民進党が大きく躍進した。これを今の日本で流行っている「リアリズム」とやらの判断で言えば、中国と対立することは台湾の経済に大きな損失になるとか、民進党では政権はまかせられないとか言った声が高まり、著しく低い投票率の中で、結局は国民党が勝利したであろう。
そうはならなかったのはなぜか。台湾の民主主義は、まともに機能しているからである。
選挙が正しく機能していないとは、討議されるべきものがろくに討議されず、選択されるべき選択肢にまともな選択肢がないということである。今のこの時期に、憲法改正とかわけのわからないことを言っているが総理大臣を、誰もが望んでいるわけではない。円安とか株高とかも、沖縄の辺野古移転も、原発の再稼働も、新安保関連法も、大多数の人々が望んでいるわけではない。
ところが、そうであるのに、今のこの国はこうした状態になっている。その一方で、では野党政党の言っていることに、納得のできる内容があるのかどうかというと、そういうわけではない。
だが、自民党以外に、まともな政権運営ができる政党がないという声をよく聞くが、我々はまともな政権運営ができる政党を育てることはしているであろうか。これまで一度も政権政党になったことがない政党が、政権政党になりましたからといって、明日からすぐに国民が満足できる政権運営ができるわけではない。実際、民主党はまともな政権運営ではなかった点が数多くあったが、だからといって民主党ではダメだといって自民党政権に戻ってしまった。長い時間をかけて、政権運営のできる政党を育てようという気はないのである。
このことは、「SEALDs」に対する保守派メディアやネトウヨたちの反応にもよく現れている。国会前で騒いでも意味はないという保守派メディアやネトウヨたちの声はもっともであるが、これまで騒ぐことすらしてこなかった日本の若者たちが、「騒ぐようになった」ということに意味があるのであり、彼らの思考や行動の稚拙さについて、これを正し、あるべき姿に育てようという意思は保守派メディアやネトウヨたちにはまったくないということなのであろう。
もちろん民主党政権のやったことは、準備不足なことばかりであった。あまりにも思慮が浅く、その意味では安倍自民党政権も同じである。今の政治状況の貧困さは、政治に優秀な人材が集まることがなく、有能な政治家が育つこともなかったということも言える。もちろん、それでは今から有能な政治家を育てましょうというのは、もはやそうした時間の余裕はない。
何度も言って申し訳ないが、本来は1980年代あたりから、今の状況を見越した対策をやっておくべきだったのだ。だがそんなことを、今更どうこういってもなにもならない。ソ連が崩壊し、社会主義思想をもはや廃れたイデオロギーとして葬り去った時、まともな対抗文化を失うことは、実は体制側にとって大きな損失になるということをきちんと理解していなかったのである。
台湾について言えば、民進党政権になったということで、では台湾の前途は明るいものであるのかというと、そういうわけではない。これからの大陸との関係はかなり危険な綱渡り状態になるだろう。しかし、台湾の人々は、だから現状の対中従属で良いという選択はせず、違う道を選択したということに台湾の民主主義の健全さがある。この健全さを日本は持つことができるようになるか、それともなにも変わることなく、ひたすら衰退の一途を辿るのか。
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