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December 2015

December 30, 2015

2015年を振り返る

 2015年の日本年がどうであったかを考える前に、もうこの国は「終わっている」ということを大きな前提として認識する必要がある。

 財政問題にせよ、少子高齢化にせよ、これらのことはもう40年ぐらい前から言われてきたことだ。それなのに、それらのことについて一向に改善することはなく無為無策でこれまでやってきたのがこの国である。もうこれ以上先送りはできない、ここでなんとかしなければ、その後ではもうなにをやっても手遅れになる、ということを言われ続けてきたのがこ40年なのである。40年たってもやらないということは、この先、やるようになるとはまったく思えない。

 この先もまた、この国はこれまでがそうであったように、改革、改革と掛け声ばかりで、実質的なことはなにもしないであろう。かくて、もうこの国は「終わっている」のだ。この国の先に待っているのは、実体経済は低下し続け、労働力不足と社会保障の膨張による財政破綻しかない。

 「終わっている」国の特徴として、やるべきことをやらず、やらなくてもいいことをやるということが挙げられる。リソースとしての資金と時間と労力は限られている。何をやるべきなのかがわかるということは、何をやるべきではないのかがわかるということで、やるべきことをやることよりも、やらなくても良いことはやらないということの方が重要なのである。しかしながら、やらなくてもいいことをやっているというのは、明らかにマネジメントの欠陥であり、国でいうのならば政府の欠陥なのである。「やらなくてもいいこと」「やるべきではないこと」をやってきたのが、この40年間であった。

 それをまたもや繰り返し続けているのが、2015年の日本である。2015年の、その「やらなくてもいいこと」「やるべきではないこと」の最たるものがアベノミクスであり、新安保関連法であり、TPPであった。

 アベノミクスにせよ、新安保関連法にせよ、TPPにせよ、共通しているのはこれまでの経済原則や防衛についての考え方が、もはや通用することはないのに、考え方を変えることなく、同じようなことをやっているということだ。

 例えば、新安保関連法について考えてみよう。日本の安全保障はアメリカに頼っている。アメリカは今やかつてのような世界の警察ではなくなった。だから、アメリカを日本の防衛と東アジアの平和と安定に引きつけておくためにも、これまで以上に日本がアメリカの役に立つようにならなくてはならない。そうであれば、アメリカも日本を助けてくれる。これが日本の安全保障なのだということで新安保関連法が可決した。

 中国の軍事的脅威が大きくなった。だから新安保が必要なのであるとか言い、新安保法が成立した、さあこれで安心だとか思っている人々は、軍事がどうこうという前に、この国の経済は、中国とさほど変わらない経済になりつつあることをどう考えているのであろうか。経済が中国よりも強固であることが、実は軍事以上に、というか中国の軍事力に対抗しうる力になるのである。ところが、この国がやっていることはうわべだけの抑止力とやらだけで、肝心の経済は中国に対してまったく無力である。

 基本的には敵の3倍の兵力がなければ、こちらから攻撃をしかけることはできないとされている。つまり、中国とまもとにやりあうのならば、人民解放軍の3倍の兵力を日本は持たなくてならないのである。従って、中国の軍事的脅威に対応しなくてはならないとか言っている人は中国軍の3倍の軍事力を持てと言っていることになる。中国軍の3倍の軍事力を持つ軍備費をかけても良い、かけるべきであると言っているのだ。そんなカネは今の日本のどこにあるのであろうか。

 右派は憲法を改正し、まともな軍隊を持たなくてはならないというが、まともな軍隊なるものを持つこと、そしてそれを維持することにどれだけ巨額なコストがかかることがわかっているのであろうか。国内の巨大な産業とも言えるアメリカの軍隊や、欧米のグローバル兵器企業のようなものは日本にはない。日本においては、軍事を大きくすることは百害あって一利なしなのである。

 中国軍の3倍の軍隊を持つことなどできるわけはないのは当然だろ、日本の軍事は小規模とし、それ以上はアメリカに頼る、これが日米の同盟なのだと言うかもしれないが、結局、このことがいつまでたってもアメリカの下で日本防衛を考えなくてならないという対米従属を生み出してる。そうであるのならば、アメリカそのものが国際社会での影響力が低下しているので、これからはアメリカ一辺倒ではなく、ロシアや中国とも関係を深めていこうとすべきであるのに、相も変わらずアメリカ一辺倒なのは対米従属だからなのである。

 今の中国経済は低迷しているという声がある。しかし、それじゃあ、日本経済は強いんですかと言いたい。中国経済が停滞しているのは確かである。しかし、中国経済が停滞すれば、その逆に日本経済は向上するというわけではない。野口悠紀雄先生が言っているように、今、日本経済に起きているのは日本経済の中国化である。中国の経済は、安い人件費で製造することでコストが低いことが強さであるというモデルから基本的に変わっていない。

 中国が安い人件費であったことはもはや以前の話であり、中国で製造することのメリットはなくなり初めている。中国は自国のブランドで世界のマーケットに通用する製品なりサービスなりを売っていくことができるようにならなくてはならないのであるが、小米科技のような一部例外はあるが、そこまでの経済になっていない。

 このことは、日本も同様であり、中国よりもいくらか先を進んでいるという状況でしかない。かつて日本は世界のマーケットに進出し、世界のマーケットで大きな利益を得ていたのであるが、それはもう昔の話である。中国や韓国といった(当時の)新興国が現れ、またたくまに日本を追い抜いていった。しかし、そうした国々の登場によって大きく変わった経済環境が、さらにまた大きく変わり、今度は中国や韓国の「強さ」が「強さではなくなった」のである。つまり、実際のところ、中国経済が停滞したら、同じく停滞し始めたのが日本経済であり、韓国経済だったのだ。これからは日中韓の三国ともに、新しい展望がまったくない見えない時代になる。

 もちろん、膨大な市場を持つ中国は「市場」としてこれからもますます重要な場所になる。しかし、それはあくまでも「市場」としてであり、新しい基礎技術が生まれる場所としてではない。アメリカのIT企業など、新技術やデザインなどといった基幹的な部分を押さえている企業は、世界経済の動向どうこう、為替がどうこうで収益が上がったり下がったりしない。

 毎度のことであるが、視野を日本国内に置いているともう終わっているとか思えないことばかりで気分が滅入ってくるが、視野を世界に広げると、まったく逆の状態が世界のいたるところで起きている。やはり、視野は世界に向けなくてはならない。今、世界では新しいテクノロジー、新しい商品、新しいサービスが生まれ続けている。人工知能やビッグデータ、クラウド、集合知、IoT、ナノテクノロジーなどの新技術に投資が集まり、そこから新しいものが生まれている。

 ダニエル・ベルが『脱工業化社会の到来』を書いたのは1960年代である。その後、1980年代にアルビン・トフラーの『第三の波』が書かれ、1990年代にロバート・ライシュの『ザ・ワーク・オブ・ネーションズ』が出た。なにが言いたいのかというと、2010年代の今日、アメリカの産業構造の中心を占めるのは専門的、科学・技術的なサービス、経営、管理といった高度サービス産業であるのに対して、この国では今だに(今だにだ!)そうした産業が主体になっていないどころが、そもそも出ていないということだ。80年代から見れば、この40年間でアメリカの産業は新しい情報通信技術を基盤として本質的に変わったが、この40年間、日本は本質的にはなにも変わっていないのである。

 例えば、かつて、将来、光通信が一般に普及するようになった時、映画や音楽などの日本のコンテンツ産業を発展させるためにコレコレを今やらなくてはならないと言われていたが、結局、その後なにをすることなく、光通信が一般化した今、日本のコンテンツ産業は低迷しているのが現状である。本来、映画にせよ音楽にせよアニメにせよ、日本のコンテンツ産業はネットをフィールドとして世界のマーケットを相手にした大きな産業になるはずだった。私がdTVやショウタイムで見る日本映画は、古い映画、昔の時代劇ものばかりだ。本当は、もっと今の日本映画でじゃんじゃん見たいのだ。しかしながら、今の日本の映画産業は、良い映画を数多く作れる産業そのものでなくなってしまった。

 20世紀の強かった日本をもう一度取り戻そうと言われているが、そうであるのならば21世紀に応じて変わるべきところは変えなくてならない。ところが、今やっていることは老人やおっさんたちが昔と同じ姿であり続けたい、変わりたくない、それでかつての強かった日本、昭和の古き良き日本、バブル期の日本よ、もう一度、と言っているのである。

 わけがわからないのは、民主党やシールズなどは、政策提言のシンクタンクを設立すると言っているが、今のこの国でなにが問題であり、どうすればいいのかということはもうわかっているのである。年金制度ひとつを見ても、将来どうなるのか、どうしたらいいのかということは世の中に公開されているデータで十分わかるのだ。シンクタンクなど必要ない。情報はネットにすでにある。情報分析は個人できる。逆から言えば、個人でネットにある情報を収集し、分析ができるスキルがある。これがITの時代である。シンクタンクを作ろうという発想自体が、もう古いのだ。

 視野を外国に広げるだけで、世の中はどう変わっているということが十分にわかるのである。そういう時代になっているのだ。にもかかわらず、共産党も含めてどの政党も向けてなにもしないのが今の現状なのである。この「視野を外国に広げる」というのは、外国へ行かなくてはドウコウ、アメリカの大学に留学しなけばドウコウということではない。日本国内にいても「視野を外国に広げる」ことができるのがIT技術なのだ。

 今、政府がやらなくてはならないことは、日銀金融政策の円安株高とか新安保関連法とかTPPとかではない。憲法改正とか日韓の従軍慰安婦問題の合意とかいったことでもない。労働人口の急速な減少への対応と社会保障制度の根本的な改革、そして新しい高度サービス産業を主体とした産業構造への変化なのである。やるべきことはこれだけなのだ。他のことなどやる余裕は、今の日本にはないはずだ。

 ところが、相も変わらず以前と同じことを同じように繰り返そうとしている。これが2015年のこの国であり、2016年もそれは変わることがないだろう。

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December 29, 2015

慰安婦問題の日韓の政府合意

 日本と韓国が慰安婦問題を最終的に決着させることで合意したという。

 日本と韓国・朝鮮の近代史において、慰安婦問題以上に「問題」であることは数多くある。慰安婦という日本側が悪いに決まっている物事が、なぜこれほど話がこじれるのかまったく理解できないことは、このブログで何度も書いてきた。ちなみに、なぜこれほど話がこじれるのかについては、自分たちが悪いことを認めない日本政府と、自分たちの歴史を正面から見ようとしない韓国政府の双方に原因があることも、このブログで何度も書いてきた。

 韓国政府が設立する財団に、日本政府が約10億円を支出し、両政府で元慰安婦の支援を行うこととし、日本側は「責任を痛感している」と表明する。これで慰安婦問題が「最終的かつ不可逆的に解決」されることで合意したというのは、まったくもって理解し難い。

 これで「慰安婦問題」なるものが「解決した」というのは、ようするに日本政府も韓国政府も「慰安婦問題」が外交上の障害になっているため取り除きたかったのであろう。しかしながら、「慰安婦問題」を日韓の外交上の障害にしたのは当の両国政府である。

 日本が朝鮮統治とはなんであったのかということをきちんと検証していないように、韓国もまたイルボンの朝鮮統治とはなんであったのかということをきちんと検証していない。日韓はそういうところがよく似ている。自国の近現代史を客観的に考察するという風土というか文化が、西欧と比較するとアジアは低いのかもしれない。しかしながら、最近の台湾では日治時代の歴史研究が進んでいることを思うと、アジアだからどうこうというわけでもないと思う。

 「日韓関係がいつまでも悪化したままではよくない」という世論があり、今回の合意はそれを反映したものだという声があるが、大ざっぱに言って、日韓双方の一般の人々が双方に嫌悪感を本気で感じているとは思えない。日本で嫌韓を煽っているのは政治家であり、右派メディアであり、それらに扇動されているネトウヨである。

 これは韓国側も同様であり、お互いの国の一般の人々は「日韓関係」なるものに「悪化している」とか「良くなっている」とかいった特別な感情は持っていない。ごく当たり前の自然な感情しかない。そこに特別な感情を持たせようとしているのが、政治であり、メディアである。

 むしろ「日韓関係がいつまでも悪化したままではよくない」と思っているのはアメリカである。アメリカの対中戦略は、アメリカ一国が中国に立ち向かうのではなく、日本と韓国を使って中国に対抗しようとしている。日韓双方の政府の関係が悪いとアメリカは困るのである。

 戦後70年、かつてあれほど深く関わってきた中国大陸、朝鮮半島、台湾などのアジア諸国を、日本人はきれいさっぱりと忘れ去ってきた。今日、日本で中国や韓国が大きく扱われるのは、彼らの国の経済が発展し、日本の外交や経済の視野に入ってきたからである。逆から言えば、日本での中国や韓国はその程度の認識でしかない。今回の合意ができたといっても、なにがどう変わるわけではない。

 一方、韓国側はどうだろうか。今の韓国の外交の基本路線は、中国ともアメリカとも良好な関係を持つということである。最近の韓国は中国寄りだと思われている(というか、実際にそうなのだが)のを考えると、今回の合意は、実質的なことはなにひとつ変わらないが、韓国政府は日本(と、その背後にいるアメリカ)と良好な関係を持とうという意思があるということを国際社会に示した行動であった。このことは極めて興味深い。

 何度も言うが、今回の合意で何がどう変わったというわけではない。元慰安婦の人々は「安倍晋三首相が直接『法的に間違っていた』と正式謝罪したわけでない」と日韓の政府合意を批判している。

 今回の日韓の合意を受けて、他のアジア諸国もかつての大日本帝国の従軍慰安婦への賠償を求める動きが始まっている。台湾の総統府は、台湾元慰安婦にも同様の対応をするよう声明を発表した。国際人権団体アムネスティ・インターナショナルの韓国支部は「両国政府の今回の交渉は正義の回復よりも責任を免れるための政治的取引だった」という声明を発表している。今回の合意は、逆にこの問題をさらに複雑にしただけと言えるであろう。

 また、岸田文雄外相が改めて「軍の関与」に言及したことで、日本国内の右派からは非難の声が出ている。「軍の関与」があったことは当たり前であるが、その当たり前のことをなかったとしてきたのが安倍政権である。このへんは一体どうなるのであろうか。こういう原理原則がまったくなく、その場、その場で態度を変えるということ、そのことが日本外交の本質的欠陥なのである。

 信じてきた安倍政権に裏切られたかのような今日の産経の社説はおもしろい。社説の最後はこう書いている。「政府間で合意した以上、指導者はこれを受け入れるよう国民を説得し、支援団体などを納得させるべきだ。韓国側は過去、日本側の謝罪を受け何度か、慰安婦問題の決着を表明しながら、政権が交代し、蒸し返した経緯がある。」と。

 少なくとも、今後、軍の関与を言っているのは河野談話や朝日新聞だけではなく安倍政権もそう言っているということになった。産経新聞はどうするのであろうか。

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