肝心の話をしない日米関係
少し前のことになるが、10月29日の産経新聞の社説は「辺野古移設」という文字を、例えば「熊本移設」にしても、十分に成り立つ内容であった。なぜならば、なぜ移設先が沖縄の辺野古なのかということがさっぱりわからないのである。
いや、辺野古移設については「合意」ができていたではないか、その「合意」をなかったことにするのかという意見は確かに成り立つ。しかしながら、「合意」といえどもビジネスの契約でもなく、辺野古移転は反対に傾く可能性が常にある政治的合意であった。だからこそ日本政府側は、より慎重な対応が求められていたわけであるが、先の民主党政権も含め日本政府側にはそうした慎重さに欠けていた。自民党政権に戻り、沖縄県は移設反対に傾くことが明らかになっても、政府は沖縄の民意を尊重しようとするそぶりすら見せなかった。かくて今日の事態を招いたのである。
産経の社説はこう書いている。
「政府はなぜ辺野古移設を進めようとしているか。それは、沖縄を含む日本を脅威から守り抜くためだということを、翁長氏ら反対派には改めて考えてもらいたい。南シナ海では米海軍が航行の自由作戦を始めた。だが、中国は国際法を無視して人工島の軍事拠点化を進める動きを止めない。東シナ海では、尖閣諸島の領有をねらっている。米海兵隊の沖縄でのプレゼンスは、平和を保つ上で重要な役割を果たしている。辺野古移設の停滞が日米関係の揺らぎと映れば、同盟の抑止力は低下する。そうなってからの後悔は遅いのである。」
この一節を以下のように変えてみる。
"政府はなぜ熊本移設を進めようとしているか。それは、熊本を含む日本を脅威から守り抜くためだ。南シナ海では米海軍が航行の自由作戦を始めた。だが、中国は国際法を無視して人工島の軍事拠点化を進める動きを止めない。東シナ海では、尖閣諸島の領有をねらっている。米海兵隊の熊本でのプレゼンスは、平和を保つ上で重要な役割を果たすのである。熊本移設の停滞が日米関係の揺らぎと映れば、同盟の抑止力は低下する。そうなってからの後悔は遅いのである。"
という文章にしても十分に成り立つ。
アメリカ軍にとって、基地は辺野古でなくてはならないというわけではない。九州なら九州でどうするか、四国なら四国でどうするか。日本国内のどこにいようと、アジア地域のどこにいようと、アメリカ軍は与えられた課題をこなしていくだけだ。沖縄の「辺野古でなくてはならない」軍事的な理由はない。むしろ、地域住民の反対が大きい場所は避けるというのがアメリカの方針である。
沖縄の辺野古で「なくてならない」と言っているのは日本政府なのだ。しかし、日本政府には、アメリカの在日米軍の政策に関与する権限はないはずだ。日本政府が「辺野古でなくてならない」というのは、アメリカから見ればおかしな話なのである。
日本政府が辺野古でなくてはならないと言っているのは、以下の二つの理由しかない。基地利権と日本政府の面子である。利権については、最大の利益を得るのは本土側であるが、沖縄県にも利益がもたらされる。この沖縄県にも基地利権があるということが、この問題を複雑なものにしている。
「辺野古移設の停滞が日米関係の揺らぎと映れば、同盟の抑止力は低下する。」という一文については、もはやなにを言っているのかさっぱりわからない。こんなもので日米の関係は揺るがない。揺るぐ理由がない。抑止力は低下するについては、もはやお笑いとしかいいようがない。辺野古移設ができなくて低下するような、そんな淡い抑止力だったのであろうか。
仮にそうであったとしても、辺野古移設の停滞が日米関係の揺らぎとならないようにしていくのが、日本政府の務めではないのだろうかと思うのであるが、そういう意識はまったくないようだ。沖縄はいますぐ全基地をなくして欲しいと言っているわけではなく、日本から独立したいと言っているわけではない。
沖縄が政府の命令に唯唯諾諾と従うことを前提として日米同盟が成り立っているわけではないのであるが、今の政府はそう考えているようである。沖縄が辺野古移設を拒むと日米同盟がどうこうと言っているのは、今のアメリカはどのような考えを持っているのかということをまったく知らないということだ。ようするに、この一文に今の政府の対米従属さと、アメリカ無知さと、沖縄のためになにかをしようという意思がまったくないことがよく表れている。
防衛省は、佐賀空港へのオスプレイの訓練移転要請を佐賀県知事が反対したというので取り下げた。その一方で、沖縄では反対しても辺野古移転はする。沖縄の側から見れば、どう見ても沖縄差別であると思わざる得ないだろう。そうしたことを平気でやって、辺野古移設は、沖縄を含む日本を脅威から守るためということを理解しない沖縄が悪いと言っているのが今の政府なのである。
一番良いのは、アメリカが、我々は辺野古移転にこだわっているわけではない、辺野古移転ができようとできまいと普天間は縮小すると真実を言うことであるが、日本政府がそうさせないであろう。そんなことをされたら、何度も言うが、日本政府の面子がつぶれるのである。ではどうするのかと言えば、沖縄側が折れてくることを望んでいるだけである。そのために何をするのかというと、県と市を通り越して、直接、地元にカネを渡すということをやっている。
今のオバマ政権は、尖閣諸島や南シナ海で中国と戦争する気はまったくない。大多数のアメリカの市民は、遠い彼方の極東のことなど無関心である。次の政権が共和党になっても、これは変わることはない。ところが、その一方で、日本は自国の防衛をアメリカにまる投げし、丸投げしさえすれば、それでいいと思っている。このすさまじいミスマッチが、今の日米関係である。これは日本側が今のアメリカの意思を正しく理解しようとしていないことに最大に原因があるが、アメリカ側も日本担当に質の高い者が数多く集まらないことにも原因がある。
このブログで何度も書いているように、リチャード・アーミテージは本国アメリカでは、まったく評価されていない、ただの日米関係の利権ゴロである。また、4日のニューヨーク・タイムズ紙はブッシュ大統領(父)が回想録の中でラムズフェルド元国防長官を批判しているという記事を掲載していたように、ラムズフェルドはイラク戦争へとブッシュ(息子)をしむけた張本人の一人である。それを日本政府は秋の叙勲で、彼らに「旭日大綬章」を与えるというのは一体いかなることなのであろうか。かつては、日米関係のアメリカ側にはエドウィン・ライシャワーやアレクシス・ジョンソン、マイケル・アマコストなどといった第一級の高い見識をもった人々がいたものである。
今のアメリカで日米関係にあまり人気がなく、優秀な人材が集まらないのは、いうまでもなく中国が台頭してきたからであり、中国が日本に敵対しているからだ。しかしながら、実質的にアメリカの覇権とアメリカ経済の様々な面を支えているのは、今でも日本であり日本経済なのである。そうしたところまできちんと見るということを、今のアメリカはやらなくなってきている。それほど、国内志向、孤立主義が進んでいる。
オバマ大統領は、タリバンやイスラム国との戦いに、地上部隊を出すことはせず、もっぱら爆撃機や無人機による攻撃をするだけであるが、病院や一般市民を誤爆することが多く、テロ集団への実質的な効果はかなり低い。しかし、それでもなおアメリカ世論の多くは、オバマを非難することがないのは、そもそも外国でテロ組織を戦うということそのものに関心を持たなくなってきているからだ。
辺野古移転についても、新安保についても、アメリカとのしっかりとした対話があってこその話であるのだが、そうしたことがまったくされていない。政府は辺野古移転も、新安保も、アメリカとの約束に基づいていると言っているが、いつ、誰が、どのような約束をしたのかさっぱりわからない。アメリカ側からすれば、そんなことをした覚えはないと言うであろう。結局、日米間で、本当に意味のある対話をしているのかというと、していないのである。
今、危機的な状況にあるのは、日中関係や日韓関係以上に、国内志向に向かうアメリカと、そのアメリカの状況を少しも理解しようとはせず、カタチだけの集団的自衛権を持てばそれで万事問題なし、自分のアタマで考えようとしない日本、この二つの国の関係なのだ。本来は、尖閣諸島がどうのこうのではなく、中露紛争、中台紛争と朝鮮半島有事の際に日米はどうするのか、どうあるべきなのかが論じられなくてはならないはずなのに、そうした話しは始まらないのである。
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