パリの同時多発テロ
フランスのパリで13日夜(日本時間14日早朝)、飲食店や劇場、サッカー競技場など複数の場所で、銃撃や爆発などが発生、120人以上が死亡したという。オランド仏大統領は「イスラム国」の犯行と発表し、「イスラム国」も犯行声明を出したという。
新聞を読むと、例によって例のごとく、日本も含め各国の政府が、こうしたテロ事件が起きると言うおきまりの言葉である、テロには屈しない、テロと戦うために国際協調をしていくという声明を発表している。ようするに「強い衝撃と怒りを覚える。いかなる理由があろうともテロは許されない。断固非難する」(安倍晋三)ということだ。
しかしながら、テロ事件が起こるたびに各国政府はこうしたことを言ってきたが、実際のところテロ事件は繰り返し起きてきた。
シリア空爆は、シリアのイスラム国の拠点を粉砕するために行われている。 フランス政府はヨーロッパに押し寄せる難民問題の根本を解決するために、シリアでのテロ組織の動きを警戒し、空爆で彼らを制圧すべきだとしてきた。
もともと、イスラム国は欧米諸国の中東への軍事攻撃に対する反発から生まれている。ヨーロッパ諸国からイスラム国に参加した若者たちは、ISで武器訓練を受け、そしてヨーロッパに戻ってテロ事件を起こすことは、これまで治安当局や数多くの専門家から言われてきたことだ。そうしたことを考えると、オランド大統領がシリア空爆を実施したことによって、逆にイスラム国側のフランスへの攻撃の意思を高めたと言わざるを得ない。
人が自由に世界を行き来し、爆弾の作り方や過激な暴力思想や情報が簡単に入手できる今の時代で、テロリストが現れることを防ぐのは難しい。昔のような、十字軍がヨーロッパから遠い中東やエジプトに行ってイスラム教徒を倒して、そして帰ってきて、それで終わりという時代ではないのである。イスラム国への軍事力の強行は、逆に報復テロを招くのだ。
フランス政府が、空爆をしてイスラム国を粉砕すれば、シリアの政情は安定するだろうと判断したのもかなり問題があると言わざるを得ないが、欧米に恨みがあるからといって、殺された一般市民の側はたまったものではない。シリア空爆とは何の関係もない人々には、殺害されるいわれはない。
フランス政府の空爆決定の理由のもうひとつの側面は、イスラム国がヨーロッパでの大規模なテロを準備しているという情報があったためのようだ。つまり、そうした情報がありながら、フランス政府はそれを防ぐことができなかったということになる。このことは、911でのブッシュ政権と同様である。
報復テロを防ぐためには、徹底的な監視社会にすればいいだろう。しかし、それでは自由な市民生活がなくなることになり、誰もそんなことは望まない。欧米社会の基本である自由と基本的人権を失うことは、欧米近代社会の存続の危機と言ってもいい。どのような警備であっても、完璧な警備はできない。テロリストは、監視や警備の隙間をくぐってテロ事件を起こす。つまり、完全にテロを防ぐことはできないのである。
イスラム国への軍事力の強行は報復テロを招き、欧米近代社会の側は完全な監視社会になるわけにはいかないことを考えれば、イスラム国への軍事力の強行はできないと考えるのが至極当然な考え方である。軍事行動で、イスラム国を止めることはできない。
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