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November 2015

November 23, 2015

フラット化したテロ

 パリの同時多発テロ事件から一週間以上たった。

 パリの同時多発テロの注目すべき点のひとつが、テロリストのグループの中に、パリ在住やベルギーなどの若者たちがいたということだろう。テロリストたちは、遠い中東から、はるばるとフランスのパリにやって来てテロ事件を起こしたのではなく、欧州の街に住む若者たちがテロリストになったのである。テロ事件の容疑者や関係者の何人かは、ブリュッセルのモレンベーク地区に住んでいたという。仮にイスラム国を壊滅させることができたとしても、国内の格差や差別、イスラム教への侮蔑などをなくさない限り、若者たちの中からテロリストになる者たちは現れうるということだ。

 社会の不満を持ち、自分のアイデンティティーを探しあぐねている若者たちが、ネットを通じてイスラム過激思想に触れ、イスラム国に関心を持ち、やがて中東へと行き、現地で軍事訓練を受けて、ヨーロッパの故郷の国に帰る。イスラム国は、そうした全世界にいる疎外心を持った若者に向けて、ネットで映像や情報を宣伝している。故郷の国に帰った者たちは、テロ組織からの指令を受けたり、あるいは個人の意思でテロ事件を起こす。これが今、起きていることだ。かつてトーマス・フリードマンが"The World is Flat"で書いていたように、今の時代はテロもフラット化している。

 もう一点の注目すべき点は、テロリストに明確な主義・主張がないということである。今回のテロ事件は、フランスのシリア空爆に対するテロ行為と言われている。これは、AFP通信が、容疑者の一人が「シリアに介入する必要はなかった」とオランド大統領を名指しで批判していたという報道をしたことに基づくものなのであろう。

 しかし、これはテロリストがそう言っていたということであり、本当にそう言っていたのかどうかはわからない。人々は、今回のテロ事件の目的を求める。なんの理由もなしに、これだけの人々を無差別に殺すわけがないと考えるのが社会である。その理由として、シリア空爆への報復ということがぴったりと重なったにすぎない。

 もちろん、シリア空爆への報復という意思はあったであろう。しかしながら、それだけのことかというと、そうとも思えない。他にもいろいろとあるのだろう。だが、他にもいろいろあるのだろうと思うことはできるが、ではなんだったのかということはわからない。ようするに、テロの明確な目的というものがないのである。趣旨はなく、130人近くの人々も殺害したということなのだ。あるのは、漠然としたフランスへの怨恨である。

 かつてテロには、その内容の是非は別として、テロを行う明確な主義・主張があった。

 例えば、昭和11年の2.26事件では、私利私欲を貪る元老、重臣、軍閥、政党などを廃し、天皇自身の親政の国体にするという蹶起の趣意があった。しかしながら、現代のテロには、明確な主義・主張、目的があまり見られない。今の時代は社会が高度にシステム化した脆弱なものになっているので、テロをやろうと思えば簡単にテロができてしまう。このことと、テロの主義・主張が見られないということは関係しているだろう。大義があるからテロを行うのではなく、大義も主義・主張もなくテロ事件が起こる。

 テロ側に明確な趣旨がないので、政府側も何をどうすればよいのかわからず、結局のところ犯行声明を出したテロ組織に対して報復攻撃するしかない。そして、今後のテロ対策として、監視と警備を厳重にする以外の方法がない。

 少なくとも、テロ戦争でテロがなくなることはないことは確実だ。というか、テロ戦争ではテロをなくすことはできないのであるが、では他にどうしたらいいのかわからず、かといってフランス政府(及び、その他の欧米諸国)は「どうしたらいいのかわかりません」と国民に言うことができないので、空爆を続けるという対応をとるしかないということなのである。

 かつてネオコン一派は、サダム・フセインがいなくなれば、ウサーマ・ビン・ラーディンがいなくなれば、テロはなくなるかのようなことを言っていたが、それが間違いであったのだ。テロ戦争を続ければ続ける程、逆にテロ組織の数は増加し、テロは拡大し、テロリストの殺傷力も向上し、テロ事件の被害者数は上がっているのが事実である。

 今の中東の紛争の遠因は、第一世界大戦の時のイギリスのいわゆる三枚舌外交に始まることは間違いなく、直接的には第二次世界大戦以後のアメリカの中東政策にある。

 しかし、では今回のパリでのテロリストたちは、中東を第一世界大戦以前に戻せと言っていたのかというと、そういうわけでもない。イギリスがサイクス・ピコ協定やイスラエル建国を謝罪して、アメリカがイスラエルのユダヤ人を追い出し、パレスチナに返却すれば、イスラム国のテロはなくなるのであろうかというと、どうもそうとも思えない。もちろん、中東にはそうした欧米への歴史的怨恨がある。20世紀に欧米が中東にやったことは、歴史が正しく裁くであろう。

 では、現代のフラット化した社会が内在している、安易にイスラム過激思想へ走る若者たちを生み出してしまう可能性については、どう考えればよいのだろうか。無差別に人を殺すことや、自爆することを拒絶する倫理を打ち立てることはできないのであろうか。何度も思うことであるが、アッバース朝のイスラム帝国は、こんなものではなかった。イスラム国について考えるたびにそう思う。

November 15, 2015

パリの同時多発テロ

 フランスのパリで13日夜(日本時間14日早朝)、飲食店や劇場、サッカー競技場など複数の場所で、銃撃や爆発などが発生、120人以上が死亡したという。オランド仏大統領は「イスラム国」の犯行と発表し、「イスラム国」も犯行声明を出したという。

 新聞を読むと、例によって例のごとく、日本も含め各国の政府が、こうしたテロ事件が起きると言うおきまりの言葉である、テロには屈しない、テロと戦うために国際協調をしていくという声明を発表している。ようするに「強い衝撃と怒りを覚える。いかなる理由があろうともテロは許されない。断固非難する」(安倍晋三)ということだ。

 しかしながら、テロ事件が起こるたびに各国政府はこうしたことを言ってきたが、実際のところテロ事件は繰り返し起きてきた。

 シリア空爆は、シリアのイスラム国の拠点を粉砕するために行われている。 フランス政府はヨーロッパに押し寄せる難民問題の根本を解決するために、シリアでのテロ組織の動きを警戒し、空爆で彼らを制圧すべきだとしてきた。

 もともと、イスラム国は欧米諸国の中東への軍事攻撃に対する反発から生まれている。ヨーロッパ諸国からイスラム国に参加した若者たちは、ISで武器訓練を受け、そしてヨーロッパに戻ってテロ事件を起こすことは、これまで治安当局や数多くの専門家から言われてきたことだ。そうしたことを考えると、オランド大統領がシリア空爆を実施したことによって、逆にイスラム国側のフランスへの攻撃の意思を高めたと言わざるを得ない。

 人が自由に世界を行き来し、爆弾の作り方や過激な暴力思想や情報が簡単に入手できる今の時代で、テロリストが現れることを防ぐのは難しい。昔のような、十字軍がヨーロッパから遠い中東やエジプトに行ってイスラム教徒を倒して、そして帰ってきて、それで終わりという時代ではないのである。イスラム国への軍事力の強行は、逆に報復テロを招くのだ。

 フランス政府が、空爆をしてイスラム国を粉砕すれば、シリアの政情は安定するだろうと判断したのもかなり問題があると言わざるを得ないが、欧米に恨みがあるからといって、殺された一般市民の側はたまったものではない。シリア空爆とは何の関係もない人々には、殺害されるいわれはない。

 フランス政府の空爆決定の理由のもうひとつの側面は、イスラム国がヨーロッパでの大規模なテロを準備しているという情報があったためのようだ。つまり、そうした情報がありながら、フランス政府はそれを防ぐことができなかったということになる。このことは、911でのブッシュ政権と同様である。

 報復テロを防ぐためには、徹底的な監視社会にすればいいだろう。しかし、それでは自由な市民生活がなくなることになり、誰もそんなことは望まない。欧米社会の基本である自由と基本的人権を失うことは、欧米近代社会の存続の危機と言ってもいい。どのような警備であっても、完璧な警備はできない。テロリストは、監視や警備の隙間をくぐってテロ事件を起こす。つまり、完全にテロを防ぐことはできないのである。

 イスラム国への軍事力の強行は報復テロを招き、欧米近代社会の側は完全な監視社会になるわけにはいかないことを考えれば、イスラム国への軍事力の強行はできないと考えるのが至極当然な考え方である。軍事行動で、イスラム国を止めることはできない。

November 08, 2015

肝心の話をしない日米関係

 少し前のことになるが、10月29日の産経新聞の社説は「辺野古移設」という文字を、例えば「熊本移設」にしても、十分に成り立つ内容であった。なぜならば、なぜ移設先が沖縄の辺野古なのかということがさっぱりわからないのである。

 いや、辺野古移設については「合意」ができていたではないか、その「合意」をなかったことにするのかという意見は確かに成り立つ。しかしながら、「合意」といえどもビジネスの契約でもなく、辺野古移転は反対に傾く可能性が常にある政治的合意であった。だからこそ日本政府側は、より慎重な対応が求められていたわけであるが、先の民主党政権も含め日本政府側にはそうした慎重さに欠けていた。自民党政権に戻り、沖縄県は移設反対に傾くことが明らかになっても、政府は沖縄の民意を尊重しようとするそぶりすら見せなかった。かくて今日の事態を招いたのである。

 産経の社説はこう書いている。

「政府はなぜ辺野古移設を進めようとしているか。それは、沖縄を含む日本を脅威から守り抜くためだということを、翁長氏ら反対派には改めて考えてもらいたい。南シナ海では米海軍が航行の自由作戦を始めた。だが、中国は国際法を無視して人工島の軍事拠点化を進める動きを止めない。東シナ海では、尖閣諸島の領有をねらっている。米海兵隊の沖縄でのプレゼンスは、平和を保つ上で重要な役割を果たしている。辺野古移設の停滞が日米関係の揺らぎと映れば、同盟の抑止力は低下する。そうなってからの後悔は遅いのである。」

 この一節を以下のように変えてみる。

"政府はなぜ熊本移設を進めようとしているか。それは、熊本を含む日本を脅威から守り抜くためだ。南シナ海では米海軍が航行の自由作戦を始めた。だが、中国は国際法を無視して人工島の軍事拠点化を進める動きを止めない。東シナ海では、尖閣諸島の領有をねらっている。米海兵隊の熊本でのプレゼンスは、平和を保つ上で重要な役割を果たすのである。熊本移設の停滞が日米関係の揺らぎと映れば、同盟の抑止力は低下する。そうなってからの後悔は遅いのである。"

 という文章にしても十分に成り立つ。

 アメリカ軍にとって、基地は辺野古でなくてはならないというわけではない。九州なら九州でどうするか、四国なら四国でどうするか。日本国内のどこにいようと、アジア地域のどこにいようと、アメリカ軍は与えられた課題をこなしていくだけだ。沖縄の「辺野古でなくてはならない」軍事的な理由はない。むしろ、地域住民の反対が大きい場所は避けるというのがアメリカの方針である。

 沖縄の辺野古で「なくてならない」と言っているのは日本政府なのだ。しかし、日本政府には、アメリカの在日米軍の政策に関与する権限はないはずだ。日本政府が「辺野古でなくてならない」というのは、アメリカから見ればおかしな話なのである。

 日本政府が辺野古でなくてはならないと言っているのは、以下の二つの理由しかない。基地利権と日本政府の面子である。利権については、最大の利益を得るのは本土側であるが、沖縄県にも利益がもたらされる。この沖縄県にも基地利権があるということが、この問題を複雑なものにしている。

 「辺野古移設の停滞が日米関係の揺らぎと映れば、同盟の抑止力は低下する。」という一文については、もはやなにを言っているのかさっぱりわからない。こんなもので日米の関係は揺るがない。揺るぐ理由がない。抑止力は低下するについては、もはやお笑いとしかいいようがない。辺野古移設ができなくて低下するような、そんな淡い抑止力だったのであろうか。

 仮にそうであったとしても、辺野古移設の停滞が日米関係の揺らぎとならないようにしていくのが、日本政府の務めではないのだろうかと思うのであるが、そういう意識はまったくないようだ。沖縄はいますぐ全基地をなくして欲しいと言っているわけではなく、日本から独立したいと言っているわけではない。

 沖縄が政府の命令に唯唯諾諾と従うことを前提として日米同盟が成り立っているわけではないのであるが、今の政府はそう考えているようである。沖縄が辺野古移設を拒むと日米同盟がどうこうと言っているのは、今のアメリカはどのような考えを持っているのかということをまったく知らないということだ。ようするに、この一文に今の政府の対米従属さと、アメリカ無知さと、沖縄のためになにかをしようという意思がまったくないことがよく表れている。

 防衛省は、佐賀空港へのオスプレイの訓練移転要請を佐賀県知事が反対したというので取り下げた。その一方で、沖縄では反対しても辺野古移転はする。沖縄の側から見れば、どう見ても沖縄差別であると思わざる得ないだろう。そうしたことを平気でやって、辺野古移設は、沖縄を含む日本を脅威から守るためということを理解しない沖縄が悪いと言っているのが今の政府なのである。

 一番良いのは、アメリカが、我々は辺野古移転にこだわっているわけではない、辺野古移転ができようとできまいと普天間は縮小すると真実を言うことであるが、日本政府がそうさせないであろう。そんなことをされたら、何度も言うが、日本政府の面子がつぶれるのである。ではどうするのかと言えば、沖縄側が折れてくることを望んでいるだけである。そのために何をするのかというと、県と市を通り越して、直接、地元にカネを渡すということをやっている。

 今のオバマ政権は、尖閣諸島や南シナ海で中国と戦争する気はまったくない。大多数のアメリカの市民は、遠い彼方の極東のことなど無関心である。次の政権が共和党になっても、これは変わることはない。ところが、その一方で、日本は自国の防衛をアメリカにまる投げし、丸投げしさえすれば、それでいいと思っている。このすさまじいミスマッチが、今の日米関係である。これは日本側が今のアメリカの意思を正しく理解しようとしていないことに最大に原因があるが、アメリカ側も日本担当に質の高い者が数多く集まらないことにも原因がある。

 このブログで何度も書いているように、リチャード・アーミテージは本国アメリカでは、まったく評価されていない、ただの日米関係の利権ゴロである。また、4日のニューヨーク・タイムズ紙はブッシュ大統領(父)が回想録の中でラムズフェルド元国防長官を批判しているという記事を掲載していたように、ラムズフェルドはイラク戦争へとブッシュ(息子)をしむけた張本人の一人である。それを日本政府は秋の叙勲で、彼らに「旭日大綬章」を与えるというのは一体いかなることなのであろうか。かつては、日米関係のアメリカ側にはエドウィン・ライシャワーやアレクシス・ジョンソン、マイケル・アマコストなどといった第一級の高い見識をもった人々がいたものである。

 今のアメリカで日米関係にあまり人気がなく、優秀な人材が集まらないのは、いうまでもなく中国が台頭してきたからであり、中国が日本に敵対しているからだ。しかしながら、実質的にアメリカの覇権とアメリカ経済の様々な面を支えているのは、今でも日本であり日本経済なのである。そうしたところまできちんと見るということを、今のアメリカはやらなくなってきている。それほど、国内志向、孤立主義が進んでいる。

 オバマ大統領は、タリバンやイスラム国との戦いに、地上部隊を出すことはせず、もっぱら爆撃機や無人機による攻撃をするだけであるが、病院や一般市民を誤爆することが多く、テロ集団への実質的な効果はかなり低い。しかし、それでもなおアメリカ世論の多くは、オバマを非難することがないのは、そもそも外国でテロ組織を戦うということそのものに関心を持たなくなってきているからだ。

 辺野古移転についても、新安保についても、アメリカとのしっかりとした対話があってこその話であるのだが、そうしたことがまったくされていない。政府は辺野古移転も、新安保も、アメリカとの約束に基づいていると言っているが、いつ、誰が、どのような約束をしたのかさっぱりわからない。アメリカ側からすれば、そんなことをした覚えはないと言うであろう。結局、日米間で、本当に意味のある対話をしているのかというと、していないのである。

 今、危機的な状況にあるのは、日中関係や日韓関係以上に、国内志向に向かうアメリカと、そのアメリカの状況を少しも理解しようとはせず、カタチだけの集団的自衛権を持てばそれで万事問題なし、自分のアタマで考えようとしない日本、この二つの国の関係なのだ。本来は、尖閣諸島がどうのこうのではなく、中露紛争、中台紛争と朝鮮半島有事の際に日米はどうするのか、どうあるべきなのかが論じられなくてはならないはずなのに、そうした話しは始まらないのである。

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