雑誌『世界』10月号を読んで
岩波の雑誌『世界』の10月号の特集は「2015年夏という分岐点」ということで、久しぶりに『世界』を購入して読んだ。
今年は夏から先月の9月にかけて、戦後70年と安倍談話と新安保関連法に社会の衆目を集めた。今月に入り、当然のことなのかもしれないが、新聞やテレビではもうこうした話題を取り上げることはあまりなくなってしまった。しかしながら、これらのことは終わったことではなく、終わったからどうこうというものでもない。この国は戦後の70年間をどのように捉えているのかということは、これからのこの国の行く先のある側面を表している。今後、2015年の夏に起きた政治状況について考えていかなくてはならない。
作家の半藤一利さんと歴史学者の加藤陽子さんの対談「歴史のリアリズム-談話・憲法・戦後70年」は、大変興味深いものだった。
この対談の中で、加藤さんが最近、法務省から国立公文書館に移管された史料の中に、8月10日の御前会議の後、元首相の東条が参内して昭和天皇にポツダム宣言受諾を反対した記録があったと述べている。ここで、東条は国体をサザエに喩え、天皇制が制度として成立するには「武威」が必要であり、サザエも殻なしでは生きていけないと天皇を説得しようとしたという。
原田版の映画『日本のいちばん長い日 』に、このシーンがある。東条のこのサザエの喩えの説得に対して、生物学者である昭和天皇はサザエの学名を挙げて、即座に反論し、東条の説得を却下されるのである。本木演じる昭和天皇の対応は見事であり、いかにも昭和天皇は英明な天皇であったことがわかるシーンになっている。このシーンを見た時、これは本当にあったことなのだろうかと思った。この時、東条が昭和天皇に、こうしたこと行ったという記録はないはずである。これは原田監督が作ったフィクションだろうと思っていたが、対談での加藤さんの発言を読んで、ああ、そうだったのかと思った。
結局、すべては70年前に敗戦に至った、あの戦争、に至るのだ。なぜこの国はあの間違った戦争をやったのか、ということについて国民的に説明や納得が今だされていないのである。責任もなにもかも明確にされていないという想いが、今なお人々にはある。今、人々に国の軍事ついての政府への不信感と、改憲や新安保関連法への不安感があるのは、結局、そこに行き着く。安保関連法について政府の説明が十分ではないというのは、国民が理解しようとしないからだという声があるが、国民が理解しようとしないからではない。あの戦争について、きちんと明確になっていないから、なにもかもが信用ができない、理解できないのである
この対談の中で、半藤さんは現代の戦争は、昔のような武力をもって国益を得るという戦争でないものになっていることを述べている。
NATOのコソボ空爆は「人権が国境を超える。ゆえに空爆は許される」という理由で宣戦布告なしに行われた。イラク戦争では「テロから自国を守るために先制攻撃も許される」ということで、国連の安保理決議なしでアメリカは軍事行動をとった。つまり、大国が圧倒的な軍事力で非国家勢力を、人権の敵やテロリストとして攻撃しているということである。自分たちは圧倒的な強者の側に立ち、人権を踏みにじる者たち、テロリストたちを許していいのかという論理で攻撃をするということだ。
911やイラク戦争当時のアメリカでは、こうした論調が堂々と通っていたが、今では財政問題があまりにも大きくなってしまったため、こうした話は表面には出なくなっている。今の財政問題の原因の一端は、ブッシュ政権時代のイラク戦争にある。
彼らは悪である。自分たちの身を守らなくてならない。だから、攻撃していい。法律なんてどうでもいい。こうした論調で正当化された行為が、結果としてイスラム国を生み出し、世界各地でのさらなるテロを生み出すことになってしまった。しかし、このことは、当のアメリカ自身が理解するようになってきている。かつてネオコンが言っていたことなど、今や誰もまともには取り上げなくなった。力に力で対応しようというネオコンの愚かしい論理は、今のアメリカでは相手にされない。アメリカは、こんなことをやっていては、とてもではないが財政がもたないことを身をもって知ったのである。ただし、だからと言って、ここまで泥沼化させた中東から手を引くことができるのか、という状況に今のアメリカはある。
今、この論調がまかり通っているのがこの国だ。
この対談の中で半藤さんと加藤さんが述べているが、日本は軍事力が抑止力にはならないのである。本気で中国の軍事力に対抗しうる軍事力を持つ財政は、今のこの国にはない。抑止力とは軍事力だけではなく、軍事力だけが抑止力なのではない。では、中国の軍事力を抑止しうる、軍事力ではないもの、とは一体なんなのだろうか、というように話が進むことはなく、新安保関連法は可決してしまった。
この安保関連法について、日本の周辺国は、中国を除けばみんな賛成しているというが、内容がとても使いものになるものではないので、これから逆にアメリカも含めた周辺国の失望を招くことになる。中国への抑止力なるといいながら、実際にはそうしたものでもなんでもないことがバレるようになるだろう。政府は、そうなっては困るので、その場、その場でごまかしながらやっていくのだろう。
国際情勢や軍事は、ごまかしても、ごまかしきれるものではない。そうなると、またもや、中国があ、と言って新たなることを「憲法では国を守れない」「これはやらなくてならない」と劣化した右派、ネトウヨたちが言い始めるだろう。
« 現実味ない「米軍支援論」 | Main | 世界記憶遺産に「南京大虐殺文書」が登録された »
Comments