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October 2015

October 31, 2015

「航行の自由作戦」

 26日、アメリカ海軍の駆逐艦が、南シナ海のスプラトリー諸島で中国が建築を進めている人口島から12カイリ以内の海域を航行したという。アメリカはこの人工島を中国の領土とは認識しないという中国への意思表示は「航行の自由作戦」(Freedom of Navigation Operation:FONOP)というのだという。

 産経新聞はこう書いている。

「カーター米国防長官は27日、上院軍事委員会の公聴会で、南シナ海での米海軍による「航行の自由作戦」について「国際法が許すあらゆる場所で、必要があればいつでも飛行、航行、活動する。今後数週間から数カ月、作戦があるだろう」と証言し、継続する意向を示した。」

 このアメリカの中国への意思表示について、日本の右派メディアは、ようやくやってくれたかと大喜びである。とにかく、日本ではアメリカが中国を懲らしてくれることを今か今かと待ち望み、いざ、そうしたことになると、当然のことであるとか、米中衝突の緊張が高まったとか煽り立てている。

 ようするに、中国をアメリカがなんとかしてくれるという考え方なのである。この「中国をアメリカがなんとかしてくれる」という意識と対米従属はウラ・オモテの関係になっている。

 つまり、

中国は嫌いである。
日本に中国に対抗できる力はない。アメリカが中国を抑えてくれる。
アメリカに逆らってはいけない。アメリカに従属しなくてはならない。

 という3つはおのおのつながっている。これが今の政府と右派メディア、右派世論、ネトウヨの考え方である。

 しかしながら、一方、アメリカのメディアでは、アメリカ軍が南シナ海の中国の人口島の周囲を航海したことなど、まったくといっていいほど扱われていない。そもそも、アメリカ市民にとって南シナ海でのことなど関心はないのである。

  「航行の自由作戦」については、アメリカ国内の議会や軍部の一部、共和党右派、保守系論壇、右派メディアなどが騒いでいるので、彼らのためにやったようなものである。実質的に、中国へどうこうというわけではない。マケイン上院軍事委員長は、アメリカ海軍の12カイリ以内の航行について「中国が自由航行権への挑戦を積み重ねる中、国際法が許す場所で米国が航行、飛行、活動を続けることはかつてなく重要だ。南シナ海が例外であってはならない」とする声明を発表したというが、こういう国内右派勢力のための政治的劇なのである。

 このブログで、これまで何度も書いてきたように、アメリカにとっては、南シナ海に中国が人口島を建てようが建てまいが軍事的な脅威でもなんでもない。今の時代、アメリカの人工衛星が地球上の全土を監視している時代なのである。アメリカ軍は人工衛星からの情報で、ミサイルを撃ち込むことができる。こういう時代に、わざわざ人の手で島を作って、(人工衛星から丸見えの)そこに軍事施設を作るなどということは意味がないのだ。南シナ海であろうと東シナ海であろうと、今、現在も覇権国はアメリカであり、欧米が作った国際法が施行されている。

 もちろん、長期的視野において、南シナ海の海洋航行の覇権が、かつてイギリスからアメリカへ移行したように、現在のアメリカから中国へ移るのだろうかという問題はある。だが、それは歴史的な時間軸の中で捉えなくてならない。そのことと、スプラトリー諸島で中国がどうこうというのは別の話だ。

 南シナ海での中国の影響力の拡大については、アメリカは自国だけで中国と対抗する意思はなく、日本やオーストラリアなどの同盟国全体で、公海における航行の自由を守っていくというのがオバマ政権の方針である。このオバマ政権の方針は、まっとうなものだ。中国の台頭について、アメリカが助けてくれるのではない。日本も含めた周辺の国々が自分たちでやるべきことなのである。

 ところが、先に可決された新安保関連法には、南シナ海でアメリカ軍と一緒に作戦行動をとるということについての実質的な内容は明確に定まっていない。新安保関連法を強行採決した人たちは、自分たちが「航行の自由作戦」のようなことをやらなくてならない時が来ることについては、なにも考えていないのである。

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October 25, 2015

習近平国家主席の訪英

 中国の習近平国家主席の訪英について、産経新聞は社説で「英国の対中接近 価値共有に目つむるのか」とし、こう述べている。

「習氏の訪問中、両国は中国による総額400億ポンド(約7兆4千億円)の投資や貿易の契約に合意した。高速鉄道、液化天然ガス事業など多岐に及ぶが、目玉は中国製の新型原子炉導入など総額180億ポンドに上る原発関連の投資だ。

極めて問題なのは、英国のキャメロン政権には対中批判を封印する姿勢が目立ち、共通の価値観に立つ米国はじめ同盟国などへの考慮が欠けていることである。

経済的実利の追求がそうさせているのだろうか。

中国への過度の融和姿勢は、米英の同盟関係に亀裂を生じさせ、東アジアにおける中国の覇権主義を増長させることにもつながる。日本の国益も損なう事態として警戒を強めねばなるまい。」

 米韓関係を離れさせ、経済で米英関係にゆさぶりをかけようとするのが習近平の外交政策のようだ。そうやっていく以外に方法がないのが今の中国である。

 習近平は日本には中国侵略を咎めるが、イギリスが行ったアヘン戦争の原因となった中国へのアヘンの輸出やアロー戦争(第二次アヘン戦争)でのフランス・イギリス連合軍による北京での略奪行為、特に円明園での徹底的な破壊についてなにも言わないのであろうか。あれは清朝とイギリスの間で起きたことであって、今の中共の中国とは関係はないと言うのであろうか。であるのならば、日本の大陸侵略の時代の中国も、今の中共の中国とは別の国のことになる。歴史における、中国への理不尽な行為を咎めるのであるのならば、日本だけにではなく、西洋諸国にも主張してもらいたいものである。

 日本が近代国家への道を選択したのは、幕末、数多くの西洋諸国が日本にやってきたことにもよるが、最も大きな影響を及ぼしたのはアヘン戦争であった。中国がイギリスに敗北したことは、自国の中国を変えることはなかったが、隣国の日本はこのことを衝撃をもって受け止めた。

 思えば大清帝国が、かつての康熙帝・雍正帝・乾隆帝の3代の治世の時ように強国であり続け、西洋諸国の侵攻を毅然としてはねのけてくれさえいれば、日本は明治維新などというものをやることはなく、日本人はサムライであることをやめなくてはならないことにはならなかった。このへんを、今の中国はどう考えているのであろうか。習近平にきいてみたい。

 西洋のアジア侵略に対抗し、西洋の植民地になったアジアを解放すべきだったのは、本来は日本ではなく、中国がやるべきことだったのである。しかしながら、そうはならなかった。そうはならなかったということの中に、今の日本と中国はあるのであるが、根本的な問題として、中国は「このように」考えることをしないという問題がある。「アジア」の捉え方が、中国と、日本を含めたその周辺国とでは異なるのである。最近、そのことを考えるようになった。

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October 24, 2015

バークレー市議会の辺野古移転反対決議

 カリフォルニア州バークレー市議会は9月15日、アメリカの議会で初めて辺野古移設計画の中止を米政府に求める「沖縄の人々を支援する決議」を可決したという。9月17日の沖縄タイムスでは、こう書かれている。

「同決議は、米政府を新基地建設計画の当事者と位置付け、環境や人権の分野における米側の責任にも言及。米軍基地が過剰集中する沖縄の歴史的背景を説明した上で、沖縄が20年にわたり新基地建設計画に反対しているにもかかわらず、日米両政府が工事を強行しようとしている現状を指摘。米国防総省や米国海洋哺乳類委員会、米連邦議会に環境保全の再確認など具体的行動を促し、新基地建設計画に反対する沖縄の人々への支援を約束している。」

 アメリカ国内で、沖縄での新基地建設に異を唱え、中止を求める決議を採択したのは、このバークレー市が初めてとのことである。

 このバークレー市議会の決議について思い出すことがある。2001年9月11日の同時多発テロを理由として、ブッシュ政権はアフガニスタンへの空爆を始めた。このアフガニスタンの空爆開始から10日後の10月16日、アフガニスタン空爆を終決することを求める決議を採択したのが、バークレー市議会である。

 この時のアメリカの世論は、戦争賛成の一色だった。リベラル色の強いニューヨーク・タイムズ紙までもが、アフガン空爆に反対しなかった。アメリカでは、当然のことながらリベラルメディアはリベラル論調であり、保守メディアは保守論調になるのであるが、この時期のアメリカは、ほとんどすべてのメディアが戦争賛成になり、ブッシュ政権に賛同していた。日本からアメリカのメディアを見ていて、この時ほどアメリカのおかしさを感じたことはない。それほど異常な状態に、この時のアメリカ国内はなっていた。

 その中で唯一、アフガニスタン空爆に反対し、ブッシュ政権を批判したのがバークレー市である。この決議には、そうとうの勇気と信念が必要だったと思う。今でこそ、誰でもブッシュを批判しているが、この時、アメリカ国内でブッシュ政権を批判したバークレー市は、やはりさすがとしか言いようがない。

 バークレー市が反対したアフガン戦争の泥沼から、今なおアメリカは抜け出すことができない。

 オバマ大統領は15日、アフガニスタンからの米軍の完全撤退計画を見直し、撤退ペースを大幅に遅くするよう命じたと発表した。

 もともと、オバマ大統領は、自分の大統領としての任期が切れるまでにはアフガン駐留をゼロとする方針を考えていた。それが、現地の情勢の悪化を理由として、軍部が完全撤退に反対し、国際世論もまたアメリカの撤退に反対した。オバマは世界の警察官としてのアメリカをやめようとしているが、同盟国はこれに反対をしている。パックス・アメリカーナの終焉は、国際社会に紛争と混乱をもたらすことを、世界の各国はよく知っているのである。

 しかし、そうはいっても当のアメリカ自身が抱える内政と財政の問題は、もはやアメリカが世界の警察官であり続けることができなくなっている。今後、アメリカがアフガンから完全撤退をしないとしても、それはもはや国内の右派勢力の要求を満たすものだけのものでしかない。

 本来、アメリカが他国に介入するのであるのならば、かつての日本占領統治のように徹底的に介入しなくては成功するものではない。中途半端な介入では、事態はますます悪化するだけである。しかしながら、もうそうしたパワーが今のアメリカにはない。マーシャル・プランやトルーマン・ドクトリンを提唱した時代は遠い昔になってしまった。これからも、アメリカは中東に中途半端な軍事介入を小出しに行い続けながら、やがては世界各地から撤兵していくことになるだろう。今の戦争は、もはや軍団と軍団が戦う戦争ではなくなっている。

 2001年のバークレー市の市議会の決議が正しいものであったことは、15年後の今日、誰もがわかることである。今回、辺野古移転は間違っているというバークレー市の決議も同様に、やがて歴史が証明するだろう。

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October 18, 2015

辺野古移設の承認取り消し

 沖縄県の翁長雄志知事は13日午前、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設で、公有水面埋立法に基づく辺野古の埋め立て承認に瑕疵があったとして承認を取り消す手続きを行ったという。

 このことについて、ネット世論では翁長知事への罵詈雑言がすさまじい。

 辺野古移転は、国の防衛・外交に関することである。県知事には、国の防衛・外交に文句を言う権限はない。そもそも、沖縄に米軍基地の負担を押しつけていると言うが、多額の復興予算を渡している。カネを受け取っていながら、米軍基地の負担押しつけを言うのはおかしい。地理的に沖縄がそこにあるのは仕方がないことであり、米軍基地を沖縄に置かなくてならない。戦争での苦しみは沖縄だけではない、他県だって戦争の悲惨さは味わってきた。危険な普天間基地が固定化してもいいのか。尖閣諸島で安全な漁業ができない。文句があるのなら政府にではなく中国や北朝鮮に言え。軍用地で金儲けしてるじゃん。難癖をつけて国から金をたかっているだけだ。沖縄の左翼マスコミに洗脳されているだけだ。辺野古のサンゴが破壊されると言うが、那覇空港の拡大工事やUSJの建設予定やらで、壊されるサンゴは問題視しないのか。沖縄の民意だというが、辺野古住民は移転に同意している、賛成者の声は無視するのか、等々、挙げれば理由がいくらでも出てくるかのような勢いで翁長知事への批判が出ている。

 防衛・外交は国の権限であり、県知事にはないというが、防衛・外交の政策の話ではなく、基地の話である。実際に基地が置かれるのは、地方が管轄する「その場所」である。翁長知事が言うように、例えば国が国防上の理由で琵琶湖を埋め立てると言ったら、滋賀県の県民はハイそうですかとなにも言わずに従うのかということだ。

 沖縄が米軍基地の駐留を要望したわけでない。一方的に米軍基地が置かれ、一方的にその見返りであるかようなカネを渡され、今になってカネを受け取っていながら基地を拒否するのはおかしいと言われても、最初からおかしいことをやっているのは政府の側だ。ましてや、沖縄は県内すべての米軍基地をいますぐなくせと言っているのではない。辺野古移転はしないと言っているだけなのだ。それでお金がどうこうというのはどういうことなのであろうか。

 承認の取り消しが、裁判で通るとは思えない。そのことは翁長知事もよくわかっているだろう。必要なのは裁判で勝つことではなく、勝つ見込みがない裁判ざたを「行った」ということにある。沖縄県知事が、こうしたことをやらざる得ないところまで持っていったのは政府側である。沖縄と政府の関係を、ここまで悪化させたのは政府の側に原因があると言わざるをえない。今の政府には、沖縄とまともな「対話」をする能力がないことは、韓国や中国とまともな「対話」をすることができないことと同じである。

 何度も強調するが、沖縄県は県内の全ての米軍基地を即刻なくして欲しいと言っているわけではない。政府側が、沖縄に米軍基地があるのは、さも当然なのだと言わんばかりの態度をとることをやめて欲しいと言っているのだ。カネを払っているんだから、基地を置いて当然だという態度をやめて欲しいと言っているのである。

 日本政府は、危険な普天間を移設させるために辺野古に基地を作る。辺野古に基地を作らせないのならば、普天間基地は今後も変わることなく存在し続けるとしている。しかしながら、アメリカ軍は別に日本政府の都合で動いているわけではなく、アメリカはアメリカの政策に従って海兵隊は司令部はグアム、実戦部隊は沖縄、グアム、ダーウィンをローテーションで駐屯するので、普天間基地は縮小することになる。日本政府が「辺野古に基地を作らせないのならば、普天間基地は今後も変わることなく存在し続ける」と言っていようがいまいが、アメリカは自国のなすことを行っていくのである。

 今、アメリカが最も恐れているのは、沖縄県内で反米感情が高まり嘉手納基地の返還運動が高まることだ。アメリカにとって普天間基地は縮小しても問題なく、辺野古は言うまでもなく「どうでもいいこと」であるが、嘉手納基地はなくすわけにはいかない。例えば現在、行われている嘉手納基地以南の米軍施設の統合・返還計画で、辺野古のような県規模の反対運動が出てはアメリカは困るのだ。那覇軍港の浦添市移設については、沖縄県は反対を表明していないことは正しい政治判断である。

 今後、沖縄の海兵隊は、アメリカのグアムとオーストラリアのダーウィンにローテーション的に移ることになる。しかしながら、「移る」先のグアムやダーウィンにも米軍基地への反対運動がある。

 当然のことながら、沖縄の米軍基地問題とは、つまりはアメリカが国外に軍事基地を置くということ、そのことの問題なのである。米軍基地は沖縄はダメで、グアムやダーウィンなら良いというのは真の解決にはならない。アメリカが外国に軍事基地を持たないとすれば、すべては解決する。しかしながら、不幸なことにそれができない。この現実に対してどう折り合いをつけていくのかということになる。アメリカは莫大な財政赤字による国防費の削減によって軍事力を大きく縮小しなければならなくなっているが、だからといって覇権国家アメリカの影響力がまったくなくなるわけではない。アメリカの軍産複合体という、このやっかいなお荷物を我々は背負い続けているのである。

 ただし、東アジアでのアメリカの軍事的な影響力は低下することは避けられない。日本は新安保関連法によって、アメリカの「保護」をつなぎ止めたとしているが、こんな中途半端なものでは、とてもではないが日本の防衛などできるものではない。ようするに、対米従属では国を守れなくなってきているのだ。ところが、依然として対米従属でありさえすれば国の防衛は安心だとしているのである。

 一方、アメリカは着々と在日米軍の再編成が進んでいる。

 10月15日、米軍と海上自衛隊が共同使用する岩国基地の周辺住民らが、国に騒音被害に対する賠償や飛行差し止めなどを求めた岩国基地騒音訴訟で、地裁は、過去に生じた被害に限り、国に計約5億5800万円の賠償を命じる判決を言い渡したとのことである。今後、岩国はアメリカの原子力空母の艦載機部隊59機が厚木基地から移転され、アメリカ海軍の東アジアでの大きな拠点になる。

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October 11, 2015

世界記憶遺産に「南京大虐殺文書」が登録された

 ユネスコの世界記憶遺産に、中国が申請した「南京大虐殺の文書」が登録されたという。

 産経新聞によると「中国が申請していた「南京大虐殺文書」が記憶遺産への登録が決まったことに対し、日本政府筋は「断固たる措置を取る」と述べ、ユネスコの分担金拠出などの一時凍結を検討する構えを見せている。」とのことである。

 中国外務省の報道官は、「申請の目的について「日本人を含む世界の人々に戦争の残酷性を深く認識させ、歴史を銘記し、平和を大切にし、ともに人類の尊厳を守ることだ」」とのことであるが、「やった」側の当の日本はそう思うことはなく、ユネスコの分担金を払わないという措置をとるのだという。国際社会の世論から見れば、どう見ても日本は「悪」である。

 歴史的に言えば、日本軍の残虐行為は南京だけではない。ところが「南京大虐殺」というものが、もっかの日本が決して認めることのない、極めて政治的に利用価値の高いものであるが故に、中国政府はユネスコに世界記憶遺産として「南京大虐殺」を持ち込んだのであろう。そして、それは登録となり、日本側は予想通り、抗議の声を高め、これを見る国際世論は、ますます日本はやはり先の戦争を反省していない、やっぱり大量虐殺をやったんだなという思いを強めるであろう。日本が「真実」なるものを主張すればするほど、国際社会の日本への悪感情が高まる、日本はそうした構造の中に組み込まれているのである。見事な程、日本は中国の戦略にはまっている。

 ただし、この構造を作ったのは中国側ではない。日本側が自ら招いたものである。威嚇というのは、威嚇された側が、それが威嚇であると認識するから威嚇になるのであり、威嚇ではないとすれば威嚇にはならない。いわば、今の日本は自分たちが半世紀以上前に中国大陸で行った「歴史」に怖がっている。

 産経新聞の社説では「登録取り消しを含めさらに強く抗議するとともに、歴史歪曲(わいきょく)への反論を重ねてゆかねばならない。」というが、なにかへの反論ではなく、自分からこれこれのことをやりましたとなぜ言えないのあろうか。安倍総理の70年談話でもそうであったように、半世紀以上前のアジア諸国への日本の行為を、主語のない文言で曖昧にしていることにそもそもの原因がある。

 ユネスコになにがどう登録されようと、30万人という数が認め難いのならば、30万人ではなく、これこれの人数を日本軍は惨く虐殺しました、ということをなぜ言えないのであろうか。いや、今だ明確に定まっていないというのならば、戦後半世紀以上もたって、前の日本軍が行った戦争犯罪の調査ができていないということだ。大東亜戦争の功と罪、アジア諸国への日本の加害者としての行為の全貌を今だ明らかにしていないということになる。

 ようするに、それをやりたくないとしか思えないのである。

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October 04, 2015

雑誌『世界』10月号を読んで

 岩波の雑誌『世界』の10月号の特集は「2015年夏という分岐点」ということで、久しぶりに『世界』を購入して読んだ。

 今年は夏から先月の9月にかけて、戦後70年と安倍談話と新安保関連法に社会の衆目を集めた。今月に入り、当然のことなのかもしれないが、新聞やテレビではもうこうした話題を取り上げることはあまりなくなってしまった。しかしながら、これらのことは終わったことではなく、終わったからどうこうというものでもない。この国は戦後の70年間をどのように捉えているのかということは、これからのこの国の行く先のある側面を表している。今後、2015年の夏に起きた政治状況について考えていかなくてはならない。

 作家の半藤一利さんと歴史学者の加藤陽子さんの対談「歴史のリアリズム-談話・憲法・戦後70年」は、大変興味深いものだった。

 この対談の中で、加藤さんが最近、法務省から国立公文書館に移管された史料の中に、8月10日の御前会議の後、元首相の東条が参内して昭和天皇にポツダム宣言受諾を反対した記録があったと述べている。ここで、東条は国体をサザエに喩え、天皇制が制度として成立するには「武威」が必要であり、サザエも殻なしでは生きていけないと天皇を説得しようとしたという。

 原田版の映画『日本のいちばん長い日 』に、このシーンがある。東条のこのサザエの喩えの説得に対して、生物学者である昭和天皇はサザエの学名を挙げて、即座に反論し、東条の説得を却下されるのである。本木演じる昭和天皇の対応は見事であり、いかにも昭和天皇は英明な天皇であったことがわかるシーンになっている。このシーンを見た時、これは本当にあったことなのだろうかと思った。この時、東条が昭和天皇に、こうしたこと行ったという記録はないはずである。これは原田監督が作ったフィクションだろうと思っていたが、対談での加藤さんの発言を読んで、ああ、そうだったのかと思った。

 結局、すべては70年前に敗戦に至った、あの戦争、に至るのだ。なぜこの国はあの間違った戦争をやったのか、ということについて国民的に説明や納得が今だされていないのである。責任もなにもかも明確にされていないという想いが、今なお人々にはある。今、人々に国の軍事ついての政府への不信感と、改憲や新安保関連法への不安感があるのは、結局、そこに行き着く。安保関連法について政府の説明が十分ではないというのは、国民が理解しようとしないからだという声があるが、国民が理解しようとしないからではない。あの戦争について、きちんと明確になっていないから、なにもかもが信用ができない、理解できないのである

 この対談の中で、半藤さんは現代の戦争は、昔のような武力をもって国益を得るという戦争でないものになっていることを述べている。

 NATOのコソボ空爆は「人権が国境を超える。ゆえに空爆は許される」という理由で宣戦布告なしに行われた。イラク戦争では「テロから自国を守るために先制攻撃も許される」ということで、国連の安保理決議なしでアメリカは軍事行動をとった。つまり、大国が圧倒的な軍事力で非国家勢力を、人権の敵やテロリストとして攻撃しているということである。自分たちは圧倒的な強者の側に立ち、人権を踏みにじる者たち、テロリストたちを許していいのかという論理で攻撃をするということだ。

 911やイラク戦争当時のアメリカでは、こうした論調が堂々と通っていたが、今では財政問題があまりにも大きくなってしまったため、こうした話は表面には出なくなっている。今の財政問題の原因の一端は、ブッシュ政権時代のイラク戦争にある。

 彼らは悪である。自分たちの身を守らなくてならない。だから、攻撃していい。法律なんてどうでもいい。こうした論調で正当化された行為が、結果としてイスラム国を生み出し、世界各地でのさらなるテロを生み出すことになってしまった。しかし、このことは、当のアメリカ自身が理解するようになってきている。かつてネオコンが言っていたことなど、今や誰もまともには取り上げなくなった。力に力で対応しようというネオコンの愚かしい論理は、今のアメリカでは相手にされない。アメリカは、こんなことをやっていては、とてもではないが財政がもたないことを身をもって知ったのである。ただし、だからと言って、ここまで泥沼化させた中東から手を引くことができるのか、という状況に今のアメリカはある。

 今、この論調がまかり通っているのがこの国だ。

 この対談の中で半藤さんと加藤さんが述べているが、日本は軍事力が抑止力にはならないのである。本気で中国の軍事力に対抗しうる軍事力を持つ財政は、今のこの国にはない。抑止力とは軍事力だけではなく、軍事力だけが抑止力なのではない。では、中国の軍事力を抑止しうる、軍事力ではないもの、とは一体なんなのだろうか、というように話が進むことはなく、新安保関連法は可決してしまった。

 この安保関連法について、日本の周辺国は、中国を除けばみんな賛成しているというが、内容がとても使いものになるものではないので、これから逆にアメリカも含めた周辺国の失望を招くことになる。中国への抑止力なるといいながら、実際にはそうしたものでもなんでもないことがバレるようになるだろう。政府は、そうなっては困るので、その場、その場でごまかしながらやっていくのだろう。

 国際情勢や軍事は、ごまかしても、ごまかしきれるものではない。そうなると、またもや、中国があ、と言って新たなることを「憲法では国を守れない」「これはやらなくてならない」と劣化した右派、ネトウヨたちが言い始めるだろう。

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