新安保関連法が可決した
16日に行われた横浜地方公聴会を見ても、安全保障をめぐる本格的な論議がようやく始まりかけていた。その矢先で、新安保関連法はああしたカタチで「可決」した。
今の安全保障制度を変えようというのならば、憲法を改正を日米安保を改定するということを目的として、そこに至る様々な問題をクリアし、国民全体を踏まえた討議を何度も繰り返して、時間をかけて目的に至るべきであることは、ここで何度も述べてきた。
しかしながら、そうはならなかった。なぜああいう騒動の中での「可決」になるのだろうか。ああいう騒動の中でしか「可決」できないであることを法案を出した側はよく知っているからである。なぜ国の防衛を、この程度のもので良しとするのだろうか。ようするに、この程度のものとしてしか思っていないのであろう。もちろん、改憲には相当なハードルがある。自民党の改憲案はとてもではないが受け入れらるものではない。では、どのような憲法であるべきなのか。ここから始めるには、そうとうな抵抗があるであろうが、だからといってやらないわけにはいかない。
国際政治学者の人々は、日本を取り巻く今の状況は以前と違うと言う。そうだとして、だからあるべき姿の安全保障にしなければならないのであり、それが何故、この新安保法になるのかさっぱりわからなかった。ようするに、彼らも日本の安全保障は、この程度のもので良いと思っているのであろう。
今回の新安保関連法の可決は様々な悪しき先例を作った。
憲法は、政府の解釈しだいでどうにでもなるということになった。
今の政治は、上記で述べた「そこに至る様々な問題をクリアし、国民全体を踏まえた討議を何度も繰り返して、時間をかけて目的に至る」ということをしないということことになった。
新安保関連法の内容そのものについてとは別に、その成立の過程についても理解し難いことが数多くある。これらのことについては、今後、数多くの反対運動が出てくる。安保法案の「採決」は手続きとして認められるものであるのだろうか。法案審議の再開を求める声が高まっている。
これまで何度も言われてきたことであるが、やはり大手メディアは信用できない。今回の新安保関連法について「可決」前は集団的自衛権だけが大きく取り扱われ、集団的自衛権には制限があるという政府見解から、なぜこれが「戦争法案」なのか、これは「戦争をしない法案だ」と思っていたネトウヨは言っていた。
ところが、法案が「可決」されると新聞・テレビは、この「可決」でこうした数々のことが可能になりましたと大々的に報じ始めた。これだけの、今回の安保法案の全体像をきちんと報じたことが「可決」前にあったであろうか。自衛隊の南スーダンでの「駆けつけ警護」の話など聞いていないというのが、新聞やテレビだけで、この新安保の審議を見ていた人々の気持ちだろう。今春からを予定しているという自衛隊の南スーダンでの武器使用可能を、今後、世論はどのように受けとめるのであろうか。
地理的制限はなく、地球上のどこへでも自衛隊は派兵できるということが「戦争法案」」でなくてなんなのであろうか。もちろん、「戦争法案」そのものが悪いわけではない。国家にとって、戦争をどうするのかということは必要であろう。「戦争法案」であるからこそ、憲法のレベルからしっかりとしたものを作らなくてはならない。
産経新聞は、20日の社説で「日本や日本国民を、真の意味で戦争の危険から遠ざける法的な基盤が整った。」と書いていたが、その「法的な基盤」がほとんどすべての法律専門家たちが違法と言っているものなのである。今回の「可決」をもって「法的な基盤が整った」と言える、その根拠はいかなるものなのであろうか。成立の過程において「可決」と認められない法律では、「法的な基盤」が整ったとは言えない。
残る最後の道は、選挙ということになる。来年の夏の参議院選挙でまた自民圧勝にならないようするということだ。ただし、国民もメディアもすぐに忘れる。311ですら、もはやなかったかのようになっている。来年の参議院選挙がアテになるものになるのかどうかにかかっている。
選択とは、存在する選択肢の中での選択である。国民は、これまで自民党に変わりうる政権運営可能政党を育てることをしてこなかった。また、非自民党の政党の側も政権運営が可能な政党になることをしてこなかった。
これまでの政治は、政治家に任せておけばそれで良かった。政治はある種どうでもよくても、経済がしっかりしていればそれで良いのが戦後のこの国のあり方であった。それが、そうはいかなくなったということだ。かつて、自民党は内部に多様で奥が深い派閥があり、それが政権運営にうまく機能していた。そうした質の高い派閥の多様さが今の自民党にはなく、薄っぺらな一枚板の政党になっている。国民が政治を監視しなければ、為政者は憲法や法の手続きを無視し、勝手なことをやるのだということがよくわかったというのが、今回の一連の出来事の教訓である。
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