日米同盟は一方通行ではない
前回、日米安保は決して日本側の「安保タダ乗り」ではなく、日本は「安保タダ乗り」をしているのだと思う感情そのものが間違っていることを書いた。
25日の産経新聞に、古森義久ワシントン駐在客員特派員のコラム「一方通行の日米同盟」が載っていた。これを読むと、またもや例によって「安保タダ乗り」論である。ちょうどいい機会なので、このコラムでのブラッド・シャーマン議員の発言にそって考えてみたい。
このコラムは、米国議会下院のブラッド・シャーマン民主党議員の次の発言から始まっている。
「日米同盟はまったくの一方通行だ。有事には米国が日本を助ける責務があっても日本が米国を助けることはしない。日本に防衛負担をもっとふやしてもらうにはどうすればよいのか」
この発言は、まったく日米安保についての無知からきていると言わざるを得ないことは、前回のブログの記事で書いた通りだ。
そもそも「有事には米国が日本を助ける責務があっても、日本が米国を助けることはしない」という協定を言い出したのはアメリカ側であり、吉田茂は好きでこの協定に署名したわけではない。安保交渉の中で、日本側はこうした偏ったものにならないように、日本とアメリカの対等な集団的自衛権の協定にすることを打診することすら行っていたのである。それをはねのけたのはダレスであり、日本の現状の軍備力ではとてもではないがアメリカと対等の集団的自衛権を果たすことはできないというのが、その理由であった。いわゆる「安保タダ乗り」の構造を作ったのはアメリカ側であった。
「米国中枢への9・11同時テロで米国人が3千人も死んだとき、米国の対テロ戦争には北太平洋条約機構(NATO)の各国はすべて集団的自衛権を行使して米国と軍事行動をともにしたが、日本は同盟国なのにそうしなかった」
これはイラク戦争のことを言っているのだろうか。「日本は同盟国なのにそうしなかった」と言うが、そもそも日本を戦争参加ができない国にしたのはアメリカである。また、イラク戦争は国連の決議を無視してアメリカとイギリスのイラク攻撃から始まった戦争であった。この戦争への参加は「北太平洋条約機構(NATO)の各国はすべて集団的自衛権を行使」であったとは言い難い。さらに言えば、結局、大量破壊兵器は存在せず、イラク戦争は間違った戦争であった。この戦争によって荒廃した中東地域から、後に「イスラム国」が出現したことは今日では周知の事実である。こうしたことについて、ブラッド・シャーマン議員はどのように考えているのであろうか。
シャーマン議員は、さらにこう語っている。
「一般の同盟は双務的かつ相互的なのに日米同盟だけは片務的なのだ。それに日本は石油などを海上輸送路に依存するのにその防衛は米国に負担を負わせる」
「一般の同盟は双務的かつ相互的なのに日米同盟だけは片務的なのだ」はまったくその通りであるが、何度も言うがそうしたのはアメリカ側である。「植民地的」とも言える基地協定・駐軍協定を押しつけ、日本防衛の義務は持たず日本から費用負担をさせて、極東地域に半永久的に基地を持つことができる特権を持っていて、それでも片務的だというのはブラッド・シャーマン議員は、日本へのゆすり、たかりをしているとしか言いようがない。
第二次世界大戦以後の70年間、極東の日本に基地を置いていたことによりアメリカが得ることができた軍事的利益は計り知れないものがあった。在日米軍は、アメリカ本国の安全保障にとって極めて重要な存在であったし、今でもそうである。それを考えると、石油の海上輸送路の防衛をアメリカだけがやっているとしても、アメリカは十分すぎるほどペイしている。日米同盟は決して一方通行ではない。日本は、日米安保条約に多大な犠牲を払っているのである。
シャーマン議員は言う。
「日本に防衛努力の拡大を求めると、いつも憲法など法律上の制約を口実にしてそれを拒む。安倍晋三首相は前向き伊の姿勢をみせているが、こんな構造の日米同盟は前世紀の同盟であって、21世紀の米国の同盟とはいえない」
「こんな構造の日米同盟は前世紀の同盟であって、21世紀の米国の同盟とはいえない」というのは、まったく私も同意見だ。このことについては、ブラッド・シャーマン議員と私は意見を一致する。こんな(アメリカ側にではなく、日本側に)不平等な同盟は21世紀の同盟とはいえない。日本側に不平等な今の日米安保は改正して、日本とアメリカの双方が平等に責務を負う、「正しい」集団的自衛権の同盟を結ばなくてはならない。そのためには憲法の改正も必要だ。
そして、古森義久氏は上記のブラッド・シャーマン議員の発言を挙げた後で、以下のように書いている。
「しかし、日本の国会で米国側のこうした不満や期待は、ふしぎなほど話題とならない。与党側も野党の「米国の戦争への巻き込まれ」論を意識してか、米国ファクターには触れない」
「日本の国会で米国側のこうした不満や期待は、ふしぎなほど話題とならない」のは、そもそも「米国側のこうした不満や期待」が間違っているからであり、日本の戦後史や日米安保の成立過程を知っていればアメリカが言う「安保タダ乗り」など話にならないからである。どこの国にも日本のネトウヨのような人がいて、それはアメリカでも同じだ。アレン・ダレス以来、アメリカ側がいう日本の「安保タダ乗り」は、いわば彼らの戦略であり、あたかも日本は「安保タダ乗り」をしているかのような条約を意図的に作成したのである。
しかしながら、わからないのは日本でも「安保タダ乗り」感情が蔓延していることである。古森義久氏のこのコラムも、例によって例のごとく日本側の「安保タダ乗り」だ。今回の安保法案も根底にはこの「安保タダ乗り」感情がある。そして、憲法をきちんと改正することなく、現行憲法のままでで、不平等な日米安保を変えることなく、日本側がさらなる負担を持とうとしている。
こうしてみると、日本人の意識はいまだGHQの占領下のままなのであろうか。オキュパイド・ジャパンは、今だ継続しているのである。ここで重要なことは、アメリカがそうさせているのではなく、日本が自らそうしているということだ。オキュパイドされ続けたいジャパンなのである。こうした意識からは、侵略された側、支配された側の心情への理解は出てこない。GHQ占領と不平等な日米安保を良きことと意識していることと、中国や朝鮮(韓国・北朝鮮)や沖縄の人々の心情を理解することができないこととは関連している。
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