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July 2015

July 26, 2015

日米同盟は一方通行ではない

 前回、日米安保は決して日本側の「安保タダ乗り」ではなく、日本は「安保タダ乗り」をしているのだと思う感情そのものが間違っていることを書いた。

 25日の産経新聞に、古森義久ワシントン駐在客員特派員のコラム「一方通行の日米同盟」が載っていた。これを読むと、またもや例によって「安保タダ乗り」論である。ちょうどいい機会なので、このコラムでのブラッド・シャーマン議員の発言にそって考えてみたい。

 このコラムは、米国議会下院のブラッド・シャーマン民主党議員の次の発言から始まっている。

「日米同盟はまったくの一方通行だ。有事には米国が日本を助ける責務があっても日本が米国を助けることはしない。日本に防衛負担をもっとふやしてもらうにはどうすればよいのか」

 この発言は、まったく日米安保についての無知からきていると言わざるを得ないことは、前回のブログの記事で書いた通りだ。

 そもそも「有事には米国が日本を助ける責務があっても、日本が米国を助けることはしない」という協定を言い出したのはアメリカ側であり、吉田茂は好きでこの協定に署名したわけではない。安保交渉の中で、日本側はこうした偏ったものにならないように、日本とアメリカの対等な集団的自衛権の協定にすることを打診することすら行っていたのである。それをはねのけたのはダレスであり、日本の現状の軍備力ではとてもではないがアメリカと対等の集団的自衛権を果たすことはできないというのが、その理由であった。いわゆる「安保タダ乗り」の構造を作ったのはアメリカ側であった。

「米国中枢への9・11同時テロで米国人が3千人も死んだとき、米国の対テロ戦争には北太平洋条約機構(NATO)の各国はすべて集団的自衛権を行使して米国と軍事行動をともにしたが、日本は同盟国なのにそうしなかった」

 これはイラク戦争のことを言っているのだろうか。「日本は同盟国なのにそうしなかった」と言うが、そもそも日本を戦争参加ができない国にしたのはアメリカである。また、イラク戦争は国連の決議を無視してアメリカとイギリスのイラク攻撃から始まった戦争であった。この戦争への参加は「北太平洋条約機構(NATO)の各国はすべて集団的自衛権を行使」であったとは言い難い。さらに言えば、結局、大量破壊兵器は存在せず、イラク戦争は間違った戦争であった。この戦争によって荒廃した中東地域から、後に「イスラム国」が出現したことは今日では周知の事実である。こうしたことについて、ブラッド・シャーマン議員はどのように考えているのであろうか。

 シャーマン議員は、さらにこう語っている。

「一般の同盟は双務的かつ相互的なのに日米同盟だけは片務的なのだ。それに日本は石油などを海上輸送路に依存するのにその防衛は米国に負担を負わせる」

 「一般の同盟は双務的かつ相互的なのに日米同盟だけは片務的なのだ」はまったくその通りであるが、何度も言うがそうしたのはアメリカ側である。「植民地的」とも言える基地協定・駐軍協定を押しつけ、日本防衛の義務は持たず日本から費用負担をさせて、極東地域に半永久的に基地を持つことができる特権を持っていて、それでも片務的だというのはブラッド・シャーマン議員は、日本へのゆすり、たかりをしているとしか言いようがない。

 第二次世界大戦以後の70年間、極東の日本に基地を置いていたことによりアメリカが得ることができた軍事的利益は計り知れないものがあった。在日米軍は、アメリカ本国の安全保障にとって極めて重要な存在であったし、今でもそうである。それを考えると、石油の海上輸送路の防衛をアメリカだけがやっているとしても、アメリカは十分すぎるほどペイしている。日米同盟は決して一方通行ではない。日本は、日米安保条約に多大な犠牲を払っているのである。

 シャーマン議員は言う。

「日本に防衛努力の拡大を求めると、いつも憲法など法律上の制約を口実にしてそれを拒む。安倍晋三首相は前向き伊の姿勢をみせているが、こんな構造の日米同盟は前世紀の同盟であって、21世紀の米国の同盟とはいえない」

 「こんな構造の日米同盟は前世紀の同盟であって、21世紀の米国の同盟とはいえない」というのは、まったく私も同意見だ。このことについては、ブラッド・シャーマン議員と私は意見を一致する。こんな(アメリカ側にではなく、日本側に)不平等な同盟は21世紀の同盟とはいえない。日本側に不平等な今の日米安保は改正して、日本とアメリカの双方が平等に責務を負う、「正しい」集団的自衛権の同盟を結ばなくてはならない。そのためには憲法の改正も必要だ。

 そして、古森義久氏は上記のブラッド・シャーマン議員の発言を挙げた後で、以下のように書いている。

「しかし、日本の国会で米国側のこうした不満や期待は、ふしぎなほど話題とならない。与党側も野党の「米国の戦争への巻き込まれ」論を意識してか、米国ファクターには触れない」

 「日本の国会で米国側のこうした不満や期待は、ふしぎなほど話題とならない」のは、そもそも「米国側のこうした不満や期待」が間違っているからであり、日本の戦後史や日米安保の成立過程を知っていればアメリカが言う「安保タダ乗り」など話にならないからである。どこの国にも日本のネトウヨのような人がいて、それはアメリカでも同じだ。アレン・ダレス以来、アメリカ側がいう日本の「安保タダ乗り」は、いわば彼らの戦略であり、あたかも日本は「安保タダ乗り」をしているかのような条約を意図的に作成したのである。

 しかしながら、わからないのは日本でも「安保タダ乗り」感情が蔓延していることである。古森義久氏のこのコラムも、例によって例のごとく日本側の「安保タダ乗り」だ。今回の安保法案も根底にはこの「安保タダ乗り」感情がある。そして、憲法をきちんと改正することなく、現行憲法のままでで、不平等な日米安保を変えることなく、日本側がさらなる負担を持とうとしている。

 こうしてみると、日本人の意識はいまだGHQの占領下のままなのであろうか。オキュパイド・ジャパンは、今だ継続しているのである。ここで重要なことは、アメリカがそうさせているのではなく、日本が自らそうしているということだ。オキュパイドされ続けたいジャパンなのである。こうした意識からは、侵略された側、支配された側の心情への理解は出てこない。GHQ占領と不平等な日米安保を良きことと意識していることと、中国や朝鮮(韓国・北朝鮮)や沖縄の人々の心情を理解することができないこととは関連している。

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July 19, 2015

この歪んで屈折した感情に押し流されてはいけない

 昭和26年にGHQの占領が終わり日本が独立することについて、アメリカと日本にとって問題であったのは、日本国内に駐在している占領軍、つまりは在日米軍をどうするのかということであった。

 もちろん、在日米軍の撤廃をすれば、国の防衛をどのようにするのかという問題が出てくる。憲法9条を保持し、国連の指示に従うこととするか、あるいは改憲をして再軍備をし、アメリカとの集団的自衛権をもって国の防衛とするか、様々な選択肢が考えられたが、いずれにせよ、日本国の国内、特に沖縄に、期限が定まっているわけでもなく半永久的に存在し、基地内では治外法権を持ち、基地上空は日本の航空機は入ることはできず、日本国の防衛を主たる任務としているわけではなく、日本の周囲だけではなく地球上のどこにでも軍事行動をとることができる在日米軍の基地というものの撤去こそ、GHQの占領が終わった直後の日本の政治家たちの思いであった。

 今の日本国憲法は、アメリカが作った、アメリカからの押しつけであるという認識がある。しかしながら、GHQと日本国憲法の制定の交渉に関わった幣原喜重郎にも吉田茂にも、そうした意識はまったくなかった。その当時の国民世論もマスコミも「押しつけ」とはまったく思っていなかった。自由党は自分たちの憲法改正案と一致すると言い、帝国議会では、共産党を除き全員一致でGHQが作成した憲法修正案に賛成していたのである。もちろん、反対者はいた。憲法学者の美濃部達吉はGHQの憲法修正案に反対した。しかし、政治家全般、憲法学者全般は、憲法はGHQ案以外にはないと考え、反対することはなかった。

 これが「押しつけ」だと言われるようになったのは、占領が終わり、アメリカの政策が「逆コース」、つまりソ連に対抗するために、日本を再軍備させようという方針に転換した1954の頃からであるという。言い始めたのは、鳩山一郎や岸信介らである。彼らは終戦直後は公職追放や戦犯として刑に服しており、幣原や吉田のように憲法制定の現場にはいなかった者たちである。アメリカの「押しつけ」だと言うのならば、日本側にもそれに対抗できるしっかりとした憲法案がなくてはならないが、とてもではないが日本側はそうした憲法案を提示できるレベルではなかったということを幣原や吉田は身をもって体験していたが、その当時、巣鴨プリズンにいた岸などにはそうしたことがまったくわからなかったのである。

 マッカーサーの構想では、なによりもまず天皇制の存続が必要であった。しかしながら戦争に勝利した連合国の国々が戦争責任があるとしている天皇をそのままにしておくことはできることではなかった。そこで、マッカーサーは日本を完全な戦争放棄の国にし、封建的な制度は徹底的に廃止することとした。日本を戦争放棄の国にさせるので、連合国の国々は天皇制を存続することを受け入れるようにしたのである。

 日本側は、天皇が存続されることをもって、GHQ案を承認したと言ってもいい。戦争放棄のことは、いわばどうでもよいことであった。しかしながら、アメリカ側はそうはいかなかった。日本に戦争を放棄させることで、世界の世論を天皇制の存続を認めさせるようにしたが、そうはいっても日本に米軍を駐留させることは、アメリカの対共産主義戦略にとって必要不可欠なのである。

 マッカーサーの意思は、共産主義陣営への軍事行動とアメリカ合衆国の防衛のために沖縄を使うということである。当然のことながら吉田茂にはそうした考えはなかった。なかったどころか、吉田は未来永劫に日本にアメリカ軍が駐在して欲しいとも思っていなかった。しかしながら、今日の安保条約と沖縄の姿になぜなったのだろうか。いわば、日本本土の戦争放棄を可能とするために、沖縄を差し出すことに、日本側の誰が、あるいはなにが承認したのか。これらは、未だ明らかになっていない。ひとつの重要なポイントは、昭和天皇にはその意思があったということである。

 日米安保は、アメリカは日本国内に米軍基地を置き、日本国の安全に寄与するために使用することができるが、それは義務ではない。アメリカ側の意向ひとつで、これは日本防衛の範疇に入る、入らないと決めることができるものである。米軍の基地内及び基地の外部であっても、米軍人の犯した犯罪を取り締まることは日本側はできない。米軍基地の維持費は日本が負担する等々、日米安保条約は植民地的とも言える条約になっている。日本政府は、この不平等条約をなぜ承認したのだろうか。吉田茂ほどの国際感覚と外交センスを持つ政治家がこれを承認したとは思えない。このへんは、未だ明らかになっていない。

 日米安保条約は、沖縄のことも含め、この時代の冷戦下のアジア諸国のリアルな状況を踏まえ、日米双方が相応の「負担」と「義務」を背負うきちんとした軍事同盟であれば、その後の半世紀以上になってもまだ問題を抱え続けることはなかった。しかしながら、これがこの時代の人々のできる精一杯のことであった。

 吉田は、サンフランシスコ講和会議の全権になるのを最初は拒否したが、最終的には昭和天皇への拝謁後、それを引き受けることなる。サンフランシスコの講和会議の舞台となったオペラハウスとは別の、プレシディオ国立公園の下士官用クラブハウスの一室で行われた日米安保の調印式に、吉田は他の随行を認めず、たった一人で署名をする。この時、吉田の心中にあったものはなんであったのだろうか。

 せめてもの考え方をするのならば、この時に日本側が最後まで守り切ったのは、安保の「外部」のことに、日本が軍事的に関わることはアメリカから求められない、つまり日本は憲法9条を保持し続け、個別的自衛権に留まるということであろう。このことをもって、日本は再軍備をせず、冷戦下のアジアの戦争に派兵せよというアメリカの指示を拒否することができた。日本は、朝鮮戦争にもベトナム戦争にも派兵することはなかったのである。

 いわゆる「安保タダ乗り論」というものがある。アメリカは日本の防衛のために戦うのに、日本はなにもしないのはおかしい、という俗論である。実際のところ、日本防衛の任務活動を行っているのは自衛隊であり、在日米軍の主な任務は日本国の防衛ではないのだが、それは別としても、日本はなにもしてこなかったわけではない。他の国々での駐留している米軍基地と比較しても植民地的条件とも言える日本の在日米軍への基地の提供、「思いやり予算」の支払いがある。特に「差し出された」沖縄が受けてきた「負担」については、「政府から多額のカネをもらってきただろう」という恫喝では、とても清算にはできないものがある。

 むしろ「安保タダ乗り」「沖縄タダ乗り」しているのはアメリカ側であり、事実、ジョン・フォスター・ダレスの思惑は「望む数の兵力を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利を確保」しようとしたものであったし、その通りになった。その後、自民党政権は安保条約の持つ様々な不平等なことについて、そうしたことを政治課題としてまともに挙げることはしなかった。

 そして、ついにというか、とうとうというか、日本は安保に「タダ乗り」しているから集団的自衛権を持たなくてはならないのだという、およそ理解し難いことを総理大臣が言う世の中になってしまった。本来であるのならば、アメリカは安保に「タダ乗り」しているから、沖縄の過度な負担や不公平な様々なことをなくさなくてはならないと言うべきなのであるが、そうしたことは言わないのである。

 「60年や70年の安保闘争で大規模な反対運動が起きたが、その後、なにも問題はなかったじゃあないか」と言う声があるが、この不平等関係と沖縄問題をそのままにして、なにも問題はなかったというのは無知としか言い様がなく、知っていてそう言うのであるのならば無恥であるとしか言い様がない。日本国憲法は「押しつけ」とか、安保条約が「タダ乗り」になるとは、それらの制定に関わったあの当時の日本人の誰一人として思ってもいなかったことであろう。今の憲法は「押しつけ」憲法であり、日本は安保に「タダ乗り」しているというのは歪んで屈折した感情でしかない。

 この歪んで屈折した感情に押し流されてはいけない。

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July 13, 2015

「明治日本の産業革命遺産」について

 「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録について、先月の21日、岸田文雄外相と韓国の尹炳世外相の会談では、韓国側は日本に対して強制労働があった事実を施設の説明に併記することを求めた。これに対し、日本側の対応は以下の通りである。

 「日本は、戦時中に朝鮮半島から労働者が動員された徴用工の問題は、遺産が対象とする時期より後だとして、当初はこうした説明も必要ないとの立場だった。ただ、世界遺産の登録には韓国の理解が欠かせないと判断し、韓国の主張に配慮。一部の施設で徴用工が働いていた事実を日本が自発的に説明し、韓国も反対しない方向で調整することになった。」

 つまり、日本が、である。日本が「徴用工が働いていた事実を日本が自発的に説明」するというものであった。日本は、この通りに対応し、かくて日本の「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産への登録は韓国の賛成のもとで行われ、めでたし、めでたしで終わる話であるはずだった。

 ところが、この日本が自発的に行った「徴用工が働いていた事実」を、日本側は、これは強制労働を意味するものではないと主張し、あたかも強制労働の記載をすることなく世界遺産の登録をすることを韓国は了承したはずであるのに、不当にも韓国はその約束を反故にし、直前になって強制労働があったことを記載せよ、しないのならば登録は認めないと述べてきたと言い出した。日本はしかたがないので「forced work(働かされた)」と記載した。これは強制労働を意味するものではない。という話にすりかえたのである。

 このように見ると、韓国側が日韓外相会談での合意を反故したわけでもなんでもないことがわかるであろう。べつに韓国に悪いことはなにひとつない。むしろ、日本側のあくまでも強制労働を認めまいとする辻褄合わせだったのだ。

 この、日本側の強制労働を一切認めない、認めまいとする、いじましいまでの努力をなぜやっているのか。ここが私にはさっぱり理解できない。

 今日の国際社会では、当時、日本が膨大な数の朝鮮の人々に強制労働をさせていたというのは周知の事実である。そして、だからといって、日本に対してなにがどうというわけではなく、あの時代はそういう時代だったというのが国際社会の認識である。もちろん、「強制労働」をされられた側の朝鮮(韓国・北朝鮮)は日本を非難している。これは当然だ。非難されることを過去の日本はやったのだから。ところが、世界で唯一、日本政府だけが、そんなことはやっていないと言っているのだ。

 「against their will」(自分たちの意思に反して)、「forced to work」(強制労働させられる)というのは、そういう人もいたということで間違いでもなんでもない。これは河野談話での従軍慰安婦について述べたことと同じである。この表現こそ、日韓外相会談で双方が了承した「韓国の主張に配慮。一部の施設で徴用工が働いていた事実を日本が自発的に説明し、韓国も反対しない方向で調整することになった。」ことの現れである。日本側がこうしたことをするということで、韓国側は国内の反日意見を抑え、世界遺産の登録を賛成した。この対応について、日本と韓国の双方どちらもおかしいところはまったくない。

 何度も申して恐縮であるが、日韓外相会談で世界遺産の登録は日本が「徴用工」を記載するということで日韓は了承したのである。そのことは上記のように、その時の報道でそのように報じられている。であるのに、なぜ、今になって韓国が裏切ったかのような報道をしているのであろうか。

 ちなみに、世界遺産に登録されると、その保全計画をユネスコ世界遺産センターへ報告しなくてはならいのであるが、日本のこの「強制労働を認めたわけではない」発言もあり、世界遺産委員会は施設の保全計画ともに、ここでの朝鮮の人々についての、その歴史の全体像が分かる説明などの計画も2017年12月1日までにユネスコ世界遺産センターへ報告しなくてはならない。この説明の内容がどのようなものになるかでまたひともん着あるであろう。

 なにしろ、この国の政府は「強制労働はなかった」と言っているのである。「強制労働だった」とする国際社会が納得できる内容のものができるのであろうか。その内容がユネスコ世界遺産センターが(そして韓国が)承認できないものであった場合、世界遺産の登録は抹消である。

 日本政府が「強制労働ではなかった」とするのならば、世界遺産の登録抹消は明らかであり、また韓国のせいにするのであろう。しかし、登録から抹消されるわけにはいかないということで、説明文の英語と日本語で内容を分けるという見苦しい手をまたもや使うものと思われる。

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